
「疲」
なんだかそんな24時間。
戦えますかーーーーっ
・・・・・・・・・・・・・・・・・負けてます凹
「どっこいしょ。。。。」
どんなに疲れていてもお参りに行くことはする。 意地でもあるし別の理由もある・・・・だろう。
「おいよーー」
参道をショートカットするのに裏に回ろうと正面から脇のほっっそい道に入る。
「んぁ???」
一台分くらいの狭さ、そんな裏道のど真ん中に軽トラが
どーん
しかも無人くんである(-ω-;)
「ちょっと急ぐのに困ったのぅ」
などと思いつつも少し距離をおいて真ん前に停まって待つ。 待つしかないじゃないのおかあちゃんっ(誰)
「まーだーかーなーーー」
というころ、ようやっと運転手のおじさんが横からひょっこり出てきた。
「あぁよかった」
んがしかしおっちゃん、「すんません」とも言うことなくしれしれっとクルマに乗って少しだけバック。
「いや、そんなとこにバックしてもろても。。。アタシ、おっちゃんがバックしてるその道を通過して先に行きたいのよ」
という意思を手で 「その奥、おっちゃんの奥のほうに行きたいねん」とウニウニと手を「そっちそっち」と示して意思表示&懇願の図
するとおっちゃんは
「ワシがちょっと下がったんでほれ、目の前にスペースできたじゃろ。
そこにお前が入ればワシが抜けて出られるから「お前がこっち来てここ」」
という態度+なにやらそんな意味のニホンゴを放った。
「え゛ー(^_^;)」
そうか、そうなのか。。。。。。。。。。。。。。。。
おっちゃんの「お前がやれ」の指図とおりにスペースに入る。
「どうもー」
「ありがとう」だったか 「すんまへんなぁ」 だったかの言葉
、を発したのは私であった。
おっちゃんは「おうよ」とばかりに軽トラックのハンドルをきりっと切りつつぶいーんと去っていった........................
も、もしかしてここは軽トラ放置してたおっちゃんのほうが
「すみません」
で おいらの言うように道を譲りすれ違う時も
「どうも」
とかなんとか「相手が言うんとちゃうんかなぁ」と深く思ったのである。
なぜか私が「やーすんません」ってなんでやねん、と。
そうだ。
先日も 「
堂々と生きるってすごいな」とかなんとか書いた直後である。
自信をもって「オレが正しい」とたとえ間違っていても堂々と生きる様はすごいなぁと感じたのである。
ちょっと躓いても誰かとぶつかっても「すみません」と言うより堂々とそのまま立ち去る姿、
意図せずガスを発してしまっても赤面することも言い訳もなにもなく「それが自然」と堂々と過ごすこと、
オレのせい、、、、、、おれが悪い、、、、、 なんて思わず堂々と立ち向かう、
「おっちゃんのその自信、参考になったよ!」
バカほど学びやすいのであるw
むだに頭がいいと「ああいう時はこう応対してこんな対応がいいのにな」などとシミュレーションしまくって疲れるのである。
あほなだけにおっちゃんのすごい「おれオーラ」に洗脳されて
「おっちゃんオーラすげー☆彡」
になる思考。
いろんな些細なことでついいつも「すみません凹」となるよりけろけろっとしてるほうがいいのかも、とも感じた。
いろいろあるわよね。 長い人生おっちゃんにも辛いこと、シオシオなこと、泣けるようなこと、あったと思う。
それでも今 「オレが悪かった」と言わずに 「お前がさがれ」と指図する自信、いつかそんな大人になれたらなと思うものの自分の人生はお先真っ暗なのである。
堂々と
自信をもって
生きる
簡単なようで、これがあんがい難しいのよね。
Posted at 2022/06/03 23:19:37 | |
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