とても暗い話を書く。
なにか書かないとと思いながらどうしても
ブログを書くことができなかった。
それでも今夜、なんとなくはきだしてしまわないとやはりどうしても自分の中でどうしていいのかわからなくてアップアップしているんだと思う。
いつか書いたことがあったが
ある日いきなり知り合って、そしていつかいきなりいなくなった
彼女の話を書いたと思う。
彼女は愛称だが「せっちゃん」といった。 なのでこれから「せっちゃん」と書くことにする。
ちょっとしたことで知り合い、なかなか顔を見るまで会うことができなかったが(内気で人見知りがすごかったようだ)
初めてそんなせっちゃんと会えたのは・・・・・もしかしたら入院したと聞いた先の病院だったんじゃなかろうか。
そしてその病院は精神科という名の個室で「身内です」と確固たる態度で押し進んでいかないと「お友達で面会にきましてぁ」なんて言ってたら即座に「お帰りください」と蹴り出されるような評判がいいのかわるいのかと問われたら「悪いです」と即答したいような。。。。。しかし心の弱い人はそこに行くしかないような、そんな病院だったのかもしれない。
「身内です」と一貫して強気で通して入れられた個室でせっちゃんは両手足を固定され息を呑むような状態でベッドに寝かされていた。
にっこり笑って「せっちゃん、こんにちは。 まりえちゃんだよー」と駆け寄り即座に「親戚ってことにして入れてもらったからよろくね」と耳打ちしてお互いにニヤリって。
何回か御見舞に行ってやっと仲良くなれて。
退院してせっちゃんも足が悪いことやいろんな事情がありちょっといいハイツに引っ越した。
それまではエレベーターなしの公団の3か4か5階だったんだよな。。。。
せっちゃんが作ったサークルみたいな場所で知り合った別のお友達とも一緒に遊びに行ったりしてた。 お父さんが遅くなる時は買い物に行って晩御飯を一緒に食べたりしてた。
そうなのだ、彼女は父子家庭でお母さんは早くに亡くされていたのだ。
そして心の病気になって自殺未遂を繰り返したりいろいろで・・・・・・でも一緒にいるときは楽しかったと思う。
お父さんも大変だったと思うがゆっくり話をする機会はなかった。
そしてある時、お父さんからの電話でせっちゃんが亡くなってしまったことを知った。。。。。
お葬式に行って骨上げまでなぜかさせていただいてお見送りして。。。。。
せっちゃんがいなくなったのでお父さんは高い家賃のハイツに済む必要もなくなったとかで引っ越すからと知り合い何人かですっごい荷物を片付けに行ったことがあった。
それからしばらくして私もいきなり以前の住まいから転居を余儀なくされ引っ越すことになり、ふだんはお勤めしているお父さんとはなかなか連絡もとれないまま引っ越して、それきりになっていた。
がしかし、私の中ではいつもせっちゃんは天国からお父さんのことを見守っていてくれていると信じていたので毎日毎晩、せっちゃんに
「せっちゃんとせっちゃんのお母さんで、せっちゃんのお父さんのこと見守っていてもらえますように」と「いつもありがとう」の声と笑顔を届けていた。 傍から見たら変人だが私はそれでいいと思っていたもの。
「せっちゃんと、せっちゃんのお父さんとお母さんにまた会いに行くから待っててね」
とも。 なかなか行けずに言う度に反省していたが。
そんな彼女の祥月命日が今年もやってきた。 2月だ。
なぜかなんとなく今年こそはせっちゃんところに会いに行きたくて・・・・もしかしたらせっちゃんのお父さんの連絡先を知っているであろう知人に連絡をとって聞いてみたら
「しばらく前に大阪から離れるって聞いて、それから携帯もつながらないままなのよ」
と返事でどうしたものかと悩みつつも「いやきっと大丈夫」
せっちゃんに毎晩「また居場所教えてもらえますように」と「ありがとう」を届けていたら、ある日ふっと
そういえばせっちゃんのおじさんが住んでいた近くのスーパーに勤めていると聞いてたっけ、と思い出した。
いつか出た時に一緒にいてくれた知人にお願いしてちょっとそのスーパーに寄ってもらって聞いたらいつの間にかおじさんは朝だけの勤務になっていた。 以前は夜勤だったのだ。。。。
まだ勤めていてくれたことに感謝しつつ伝言メモを残して「かならず本人に渡してくださいね」とお願いして帰ってきた。
翌日にすぐそのおじさんから連絡があり、なんだかヤケのような迷惑のような意地のような。。。。
そんな口調で
「兄貴は一昨年の10月に亡くなりました、ハッキリわかりませんが病気だと思う。 身よりもないし相続放棄して私も他人になりましてん、だからもう何もわかりません」
と言われた。
「あの、、、、せっちゃんのお仏壇は、、、」と「お墓は、、、、」
という問いにも
「なんももう、私わかりませんねん。 それでよろしか」
といわれてそれ以上は話をすることはできなかった。
お礼を言って電話を切って。。。。。なんかやっぱり混乱していた。
「せっちゃん、親戚が東北のほうにいるようなこと、、、、聞いてたからお父さんもしかして東北のほうに行ったのかとおもってた」
「もしかして今更私がせっちゃん、せっちゃんって連絡とられるの嫌だったのかな・・・・」
お父さんとおじさんで相談して「死んだことにしておけばいいや」になったのかも。
お父さんがいなくなったことを信じることができずにいる。
でも、信じるしかない。
お仏壇、どこに行ったのかな? お父さんの生活していた家財道具とかどうなったのかな?
勤めていた会社、連絡とったら迷惑だろうな。。。。。。
いろんな「?」 が「。」になるまで、やはり信じられないでいる。
おじさんからの話を聞いてからも、やはり毎晩せっちゃんには
「せっちゃんのお父さん・・・・元気だよね、また会えますように」
と声を届けている。 おじさんの言うこと信じてない訳じゃ。。。。。。
いや信じないといけないと思っていても、やはり証拠もなにもないのでわからないんだ。
ふとしたことでせっちゃんのことを思い出して困惑している自分がいる。
お父さんともっとちゃんとしっかり連絡とってたら良かったなという気持ちもたくさん。
「また会いに行くから待っててね」
と口先だけつぶやいていて・・・・・・・・・もう何年になるだろう。
「口先だけ」。
それも自分で自分に思い切り傷をつけていた。
いろんなこと、いつも口先だけだったことが多いよな自分。
かなり恥じた。 そしてとても悔しかった。
せめてせっちゃんのお母さんのいるというお寺さんくらい・・・・・・という気持ちも。
もっとせっちゃんと一緒にいる時間があればよかった。
なにかありそうなとき、すぐ駆けつけたかった。。。。いつでも呼びつけてもらいたかった。
話はたくさん聞かせてもらってたけど、もっともっと聞くことができたらなと今でも思う。
お花見にも行こうね、そうも話していたっけ。。。。。。。。。。
お寺さんにお参りに行っても、まだせっちゃんのお父さんのことは伝えられずにいる。
「またわかりますように」 とだけ。
どうすればいいのか本当にわからなくて呆然としている。
そんな、最近の自分。
ひどく自分を恥じている。