
先日から言っていたこと。
いよいよ手の指がかなり
全損に近くなってきて凹
今はほぼ中指が使えずキーボードうつのも
人差し指と薬指、小指をちょこっとだけ器用に使って
書いてます^^;
そしてほぼすべての指に絆創膏^^;
バンソコしてても水がつくと傷口にハリが刺さったくらいに痛くて般若ハニワムンク顔。。。どんなんや^^;
先生も首をひねる傷み方のこの変な傷がわるさしないようにと思うもののなすすべはない。
箸はもてるけど包丁がうまく握れない、洗い物も難儀でペットボトルは口で開けるんだぞ、ワイルドだろぉw ←スギちゃん風 (古っ)
そして家で一人でいるから何かの拍子に「いでっ」とか「アイタタ・・・」とは言うものの
今日、久しぶりに出かけるのに支度しながら
「痛いねん」
って誰かに言えば話せば楽になるのかな、と。
「それは大変だね、つらいでしょう」 くらいでも一般的にウンウンと言ってもらえたらもしかして満足なのかな、と。
医者に言うのとは違う、一般の誰かほかの人など。。。。。
痛いだけじゃない、寂しいとか困ったとかしんどい、哀しい、辛い、、、、
むかーしたまに死にたいなんてのも聞いておいおいとも思ったものの誰かが何かを言うとほぼ「そうか痛いのかしんどいのか眠いのか、お疲れ様。 なにかあった?」などと話を聞くようにはしている。
きっと言えば楽になるんだろう。 言うだけで傷みもほんのわずかに、ほんとちょこっとだけでも、、、、もしかしたら楽になるのかもしれない。
と、人のそういうのは聞いても自分の痛い、はなかなかどーして身近に言う相手がいなかったりする^^;
もしくはスルーされる始末。 相手が相手だけにしょうがないなと思うからあまり言わないようにしてる^^;
病院でお年寄りがめっちゃ元気におしゃべりして待ってるのも「話したら元気になる」ってことなんだろうなと思うしカウンセリングがいつもいっぱいだったり電話相談がいつもつながらず話し中なのも
「話せば楽になる」
からだと改めて思った。
家族がいて「今日なぁ、ケガしてここが痛いねん」と会話して「あほやなぁ」と返ってきたとしてもやはり伝えたり言うことになにがしかの治療がなされてるんだと思う。
誰も言う相手がいなくても、不自由な指でここに書くのとはやはり効果や気持ちはまったく違う。
子供が転んで泣くのも周りに誰かがいるから、泣けば来てくれるからで完全に一人きりでコケてたら泣かないかもしれない。
今の自分には一人で「いてっ」っと言いつつ乗り切ってる。 だからもしかしたら治りが遅めなのかも。。。。と誰かのせいにしたりするんだわ^^;
人はなにかあると誰かの、なにかのせいにと責任のもとを見つけようと必死になり。
そして「あんたのせい」「コレのせい」と詰ったり非難することで安心したりするようだといつか書いた。
私の傷はほぼ「自分の責任」だし^^; しかし痛い時に言う相手がいないのはやはりなかなか。。。。。なのかなぁと思った。
ここ何日か指の傷がうずいて夜中に目が覚めたりするのでしっかり眠れない凹
潰瘍にとてもいいという軟膏もそんなに効果はない凹
とりあえず話し相手は自分とクルマと言えのものと・・・医者か^^;
「治らないんですけどぉ」
とまた医者に行くのもけっこうしんどいものである。
傷ついたとき。
必要なのは傷薬でも絆創膏でも医療でもなくて、やはり人の優しさとか暖かな手なのかもしれない。
うん。
もちろん私の指ではないけどバンソコで遊んではいけません^^;
けど気持ちがほっこりして笑えたら傷も治るかもしれまんなも。
まわりに「痛い痛いしんどいしんどい寂しいさみしいキンケツキンケツ」
などいろいろ「言いたい」人がいたら耳をかたむけてうんうんと聞いてみましょう。
その人にはなによりの治療薬になるかもしれませんよ。
誰かの「痛い」に耳を傾けること
誰かに「痛い」と言えること。
お互いにそれぞれの治療やクスリになっているんだと思います。
Posted at 2020/02/25 22:54:24 | |
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