
ちょっと所用で
予定変更しつつも出かけてた。
とても気持ちの良い空気ににこにこと
走っていたら夕焼けのきれいなこと。
ややも眠れない日が続いて、かつストレスもひどくてお肌に悪いわ、などと。。。。。はあまり思わず「しんどいわ」とだけしか^^;
そんな今日。
いつも通る近所、、、 とはいえ山の下の一般道、しかし町のけっこうなメイン道路でかなりの昔にひき逃げという事故が、というニュースがあって近所なだけにものすごく驚いたのを覚えてる。
その時もものすごく眠くてストレス過多でしんどい夜だった、、、、、、、
数日してひいてしまったという確かやや若い人がいたというニュースも見てちょっと安心した。 逃げたまま誰かわからないのも不安ではないか。
それからその道を通るたび、ずっと心の中で手を合わせて祈り願いながら走らせ・通らせてもらってる。
あるとき「そういえば」と気づいた(遅)
事故にあった人は被害者だし残された家族がいれば悲しみや寂しさ、不便や苦しい毎日だろうけれど
事故をしてしまった人も、たいへん辛くしんどい思いをしているよな、とも。
その人の家族も同じ負担や罪を感じて一緒に過ごしていること。。。。。。
にくしみがあって計画的にやったんじゃない。 飲酒もしてない。
ただ走っていて「うっかり」(かどうかはわからないけど)
夜だし人がふらふらと歩いていたら、それがもし車道なら当たってしまうかもしれない。 気づかずにそのままということも「まったくない」とは言い切れない。
そんな事件をたまにニュースで見かけて辛くなる。
不本意ながら、「たまたま」
言い方をかえて無理でもいうならあまり使いたくないけど 「運が悪かった」とも。
加害者は加害者で辛く、やるせない毎日になっているんだろうなと思うと被害にあわれた方だけのことを祈り願うのはどうなんだろうかなと思った。
後悔の毎日かもしれないし、いつものよう、今までのように何もなかったような生活や過ごし方はできないのになとも思うと切ない。
むかし、信号待ちをしていて後ろから追突されたことがあった。
大切なクルマだったし修理に出す直前だった、身体にも少しだけでもダメージうけた。
少し高齢の奥様だったと思う。 電話がかかってきて謝ってくださったけれど当時の私には心がまったくなく、もしかしたら責めたかもしれない。
数日して封書が届いて本当に少しのお金と「もう運転しません」というような事が書かれていた。
クルマは保険で直してもらえたし(買い替えたかも、記憶がない凹)身体も医者に通って少しは元気になった、戻った。
その時の自分は被害者で相手の奥さんは加害者だけれど、、、、、
「うっかりしてて当ててしまった、もう私は運転するべきではないのかも」
と思わせてしまった私は逆に加害者だと今になって思うし書いていて自分の心のなさに涙が出る。
もしまだ本当に運転せず、しかし不便なくゆっくり安心して暮らしてもらえてるよう祈るしかない。
被害者だけがいつもひいきにされて味方になるんじゃない。
加害者になってしまった人も、被害が大きければ大きいほど周囲から詰られたり村八分のような扱いをうけて居づらくなる。
そのひき逃げがあったのが今日、21日だったことをいついつまでも忘れてない。
お寺さんに行っても近所で哀しい事故があったけれどみんなが優しい気持ちで守られていますようにと伝えることしかできない。
もし自分が運転していてなにか、誰かを傷つけるような事をしてしまったら毎日が反省と懺悔そして不安や恐怖の毎日になって病んでしまうかもしれない。
道路の真ん中で寝ていてもひいてしまったら被害者と加害者になる。
いきなり飛び出してきても、、、、、、
そう考えると怖くて運転できなくなるけどクルマしか移動手段のない自分には乗るしかないのだ。
そんな事をずっと考えながら、用事を済ませたら三日月が優しくにっこり。
雲が多くてややもかすんでしまったけれど逢えた事がなによりうれしかったし有り難かった。
加害者、という言い方もとても嫌だけれど。。。。。
月を見上げるゆとりや余裕や優しさが与えられていますように。
前述の私のクルマにゴツンした奥様も、どうか安心の毎日でいてもらえますように。
お互いがお互いを思いやる余裕やゆとりある毎日になりますよう。
なんだか思いつめすぎてうまく書けずに申し訳ないです。
もしかしたら明日、私がだれかを傷つけてしまうかもしれない。
「加害者」 のレッテルはどうやったらとれるんだろう。。。。。。 無理にとろうなんて思わなくても時間でもなんでもない。。。。。わかっているけど、まだわからないのかもしれない。
今日。
どうかその事故での当人や家族の人の強くて優しい時間、毎日になっていますように。