
今日もお参り。
ほんとは昨日だったけど
行けなくて。
今年は前の夜から
「寂しくて辛かったろうな」
そう思い続けて泣きそうなってた。
もう泣かないよ、そう思っていても涙は出るねん。
「ありがとね」
ここでおかあちゃん猫と一緒に安心して眠ってるはず。 いつもここに声をかける。
「また来るよ」
たぶんもうここのお寺さんの猫のこと、覚えてる人はいないと思う。
過去のリンクを貼る与力もないのだ。
あのとき、めちゃめちゃ頑張れたなぁ。。。。。なぁ、ねこちゃん。
私が持って行ったほんの少しのごはんとかミルク、少しでも食べてくれてありがとうね。
などと毎年ずっと思う。
あのとき、ほんの少しのごはんは子猫にとってよろこびになっていただろうか。
私という存在はやはりかなり警戒で怖かったと思う。
「よろこび」
ってなんだろうと改めて最近よく思うし考える。
「楽しみ」とも違う 「よろこび」。
いつだったかかなり昔にとあることで言われた
「あなたはよろこびを知らない」 と。 詳細については書かない。
「よろこび」っつったっていろいろあるよね、生きてるよろこび、人としてのよろこび、時間について季節について空や命や天気や気持ち・・・・・
なんだって「よろこび」にはなるもの。
けれどみんなが当たり前のように持っ+感じる「よろこび」の1つを私は知らない・持っていない・感じていないとのこと。
それでもそんな状態のまま半世紀以上もそれよりもっともっとなんとか生きてきた。。。
「そういうことがよろこびになったっていいじゃないか」
けど人生でみんながほぼ感じるそれがないのは人としてダメらしいのよ、ほっとけ、とも思った。
しかし気になる。 けれど必要ない。。。。。。ハリネズミのジレンマのような心理である(^^;
「よろこび」 として感じるのは人間だけかもしれないよね。
猫には「やったー」とか「うれしい」だったり。
けど鳥の鳴き声には「よろこび」を感じると書いたな、やっぱり命いろんなものによろこびってあるよな。
「よろこび」 「喜び」 「歓び」 「悦び」 「慶び」 「ヨロコビ」
それぞれ文字と意味がある。 某車の駆け抜ける歓び、なんてどんなヨロコビやねんとも思うものの駆け抜ける歓びがあるならそれでええんちゃうやろか。
おいしいもの食べた 「よろこび」
家族団らんの 「よろこび」
彼氏・彼女とデートする 「よろこび」
子供がはじめて歩いた 「よろこび」
欲しかったあこがれの洋服を買えた 「よろこび」
などと具体的に書いてくと「そうかそういうよろこびもあるねんな」と思うけれど生きてく上での「よろこび」って本質はなんなんだろうと考えるとこれもあんがい難しい。
ものすごい昔
ノラな猫がお寺さんによく居た、たまに出会って小躍りしていた。
お母ちゃん猫が子猫を生んだ、しかしカラスにいじめられてる子猫を助けようとお母ちゃん猫が犠牲になった。
残された子猫を救うべくにゃんこフードを握りしめお寺さんに日参していた、暑くても雨でも必死だった。
残された猫は誰にも守られず、ただお寺さんの駐車場で必死に生きようとしていた。
がむしゃらににゃんこフードやミルクを買って持って行って。。。。。
何日かして仲良しになったお寺さんのおじさんから「猫、なくなりました」と聞いて目の前で号泣した。 人の前であんなに素直に号泣したのは初めてだったかもしれない。
そのおじさんが手厚く葬ってくださったところが上の場所。
「またくるね」
その脇にはアジサイがたくさん花をつけていた。
極楽浄土というところでみんなみんなでニコニコで走り回ってくれてるんだろうなぁ。。。。。
あの時の猫にとって今の極楽のにこにこが一番のよろこびかもしれない。
私のよろこびは、、、、猫に逢えることだった、もう今はない。
けど月に逢えたりここ最近では極まれになってしまったものの野良なにゃんこに逢えたら「ありがとね」のよろこびかもしれん。
にんげん
いろんな「よろこび」があるんだけどいつも全ての「よろこび」に満たされ包まれてる人はそんなに多くないんじゃなかろうか。
みんながどうか1つでも多く「よろこび」を感じられていますように。
私にないその「よろこび」はたぶん死ぬまでないと感じている今日この頃w
Posted at 2022/06/26 23:01:31 | |
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