
ふんふん
ふふ~んっ
フンと気合と根性で
布団を干す凸
「シーツは。。。。。。。。。。。」
洗濯して出かけてる間に干しっぱなしでもいいんじゃけど「まんがいち」で遅くなったらヒエヒエのパリパリになってたら寂しいお布団になっちゃうけん凹
「ん、次があったらシーツ洗濯するけん」
ってお布団だけ干して午後からヨイショと取り入れて出かける。
「おやおや?」
雲がくろーくなってきてフロントガラスがぽちっと濡れるよ。
ほんのちょろっと、通り雨。
「あいやー💦」
月のほーーに向かって 「待ってるよーー」
洗濯物に 「まっててなーー💦」
あっちもこっちも忙しいのである。
しかしなんとなく落ち着かない・・・・・信号待ちでちらっと振り返れば
「あーーーーーー☆彡」
虹だ。 ふっとい。。。。ふとくて短い虹。
これもまた「まっててな、まっててな」と慌てて最寄りの駐車スペースに飛び込み虹のほう。。。。。。。
建物の影に入ってしまったのか、それともほんとに一瞬だけ、だったのか。
「ここらへんに。。。。。。。。。。。」
希望をこめて撮った空、帰ってからよーーーーーーーーーーーーーっくよく見つめると見入ると
「もしかして虹」
のような色が見えるから不思議だ。 いつも言ってる「ココロで見る」ってヤツだよ、うん。
バタバタ用事を済ませて戻る頃には晴れてて洗濯物が濡れてたかどうかは神のみそ汁。
「ほえほえ~」
夜には月が凸
さすがに月は「あっ」 「出てきた」「観えた」
「んっ」
っという間に消えないので安心していられるではないかアケチ君。
ご飯の前でも
のろのろのお食事・後片付けモロモロの後でも
今夜は上弦の月。
「もうはんぶんかぁ。。。。。。」
今年ももう・・・・・・・・・はんぶん、よりはあるけど40日くらいである凹 マジか
満月は、あと2回。
虹はいつも「あとで」なんて思ってたらほんまの一瞬で消えてしまって心で泣くのだ。
月はほぼ一晩はいてくれる・・・・・・・・・・・・・、 、けど「あとで」なんてのらのらしてたら雲に隠れたり時には消えたりしてしまうのだ。
虹を逃した今日、哀しさと悔しさと・・・・・「刹那」という言葉が脳内を流れた。
「刹那」とは、極めて短い時間のことです。
地球の時間から考えるとおいら達が生きてる時間って今日のチラッと虹より短いほんまの「刹那」なのかもしれん。
けど生きてる時間は(もし生きてられるとして) 5年・10年ってめちゃめちゃ長い。。。。。。。そして確実に老いる。
喜びも、そして学ぶことも多いけど一刻一刻と死に近づいてる。
50年・90年・・・・・一瞬、って考えたら切なくなるよね。
「切ない」 から 「刹那」 なのかもしれん。
↑ ↑ なんてしたり顔で考えつつ調べたら
まっったく無関係だと改めて知り・学ばされる。
『切ない』は
「切ない」の「切」は、心が切れるほどの思いです。
「切なる思い」や「切に願う」など「親身な様子」に用いられる言葉です。
胸が締め付けられる思いで辛い様子です。
「切ない」の元は「大切に思う」ポジティブな言葉でした、「切実な気持ち」に用いられていましたが、時代と共にネガティブな意味に用いられるようになりました。
『刹那』は
極めて短い時間。
瞬間のことです。
でもさ、切ない瞬間。 それこそが心が切れそうに「切な」くないかい?
大切な人がいきなりいなくなった。。。。。切ない。 そこに「刹那」と「切ない」が混在してる気がする。
今日の短くて、けれどしっかり太い虹の残像がまだ頭に残ってる。
虹が朝からずーーーーーーーっと午後まで観えていたらどう思うだろう。
いつもそんな虹なら 当たり前、って思うかもしれない。 「また見える」とも。
「あ、虹だ☆彡」 そう気づいた瞬間になにかアクションを起こさないと、と慌ててしまうのはすぐ消えてしまうから。
刹那を知っているようで、けどほんとはわかってない。。。。。
死ぬことわかってても気づかないフリしてる、刹那が切ないから。
とりあえず直近の目標はこのあと2回の満月を見えるように頑張ること。
かな。
一年のうち、虹は何回くらい出会えるのかな。 今日は切なかったのぅ。
Posted at 2023/11/20 22:39:23 | |
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