夜間飛行

　　まだ新米医師だった頃、よく大学の医局から遠隔地への出張命令が出された。大体150km～200kmの範囲に前線基地があるのだが、鉄道を利用する者、クルマを利用する者と分かれるが、私は当然後者である。

　その頃の愛機は二代目ホンダ・プレリュード。リトラクタブル・ヘッドライトが自慢で、ホイールをピレリ（タイヤでなくピレリのホイール）に替え、黒い小さなリアウイングもつけ、小型戦闘機といった感じだった。それであちこち“飛び回った”が、思い出深いのは青森県にある八戸出張である。週日は向こうで働いて土日に盛岡に戻ってくる。そしてまた月曜日に行くのだが、何度か往復しているうちに、夜間発つ方がよいことに気づいた。

　当時は高速道路もなく、ひたすら国道4号線を北上し、途中から八戸方面へそれる。時間にすると3時間近くかかった。間には二戸（にのへ）や一戸（いちのへ）、三戸（さんのへ）など“へ”のつく地名の町があり、そこを通過して行く。この地域には一戸から順番に二戸、三戸・・・九戸までの地名があり、ないのは四戸だけである。これは馬の生産地として牧場のある地域に順番に名前をつけていきこうなった。当直室の落書き帳に「教授の前で8回おならをしたら出張先が八戸になった」と書いたら大いに受けたが、もちろん放屁の回数ではない。ここは軍用馬の生産地として有名だったらしい。

　だが、そこはかつての蝦夷の地。夜は人家もまばらで漆黒の闇夜の中を、道路の照明灯だけを頼りに黙々とクルマを走らせる。行き交うクルマも少ない。中間地点の峠に深夜営業しているドライブインがあって、長距離トラックの運転手らが集まって休憩を取っていた。私はそこで味噌おにぎりを注文するのが楽しみだった。
　やがて、八戸の街の灯が見えてきて安堵とともに粗末な病院宿舎の脇にクルマを停め、明日の仕事に備え、冷え切ったせんべい布団に包まるのであった。

　今は高速道路を使えば50分ほどで行けるようになったが、当時は何かはるか彼方の地に意を決して離陸する飛行機乗りの気持ちで出発していた。だからそれだけ自分のクルマには愛着が湧き、苦労を共にした相棒みたいな存在だった。奇しくも馬の産地を走りぬけていたわけだが、馬を利用していた人々も、クルマ以上に一心同体的な感情を自分の馬に持っていたことだろう。

　　その若き日のパイロットも今は馬でなく蛙乗りになっている。岩手産の馬ならいざ知らずイタリア産の馬では岩手の冬は越せない。
　もちろん、牛さんなんて論外だよ～。名前は東北弁みたいだけど。