
吉田松蔭は「志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない。世俗の意見に惑わされてはいけない」と言った。今、桜宮高校での生徒の自殺を発端に、スポーツ界での体罰問題が注目されている。これに関しては教育関係者等の識者やコメンテーターがいろいろ言っているが、二人の奇人の極論が、この問題の本質を端的に言い当てている。
一人は、戸塚ヨットスクールの戸塚宏である。彼は自殺した生徒の方にも問題があると言って、世間の大顰蹙を買っているが、国内の多くのスポーツ校で体罰が蔓延しているのに、なぜこの生徒だけ自殺に至ったかを考えれば、そこは無視できない。彼の教育理念は子供に「生きる力」を蘇らせることである。殴られたら、殴り返す、あるいは退学する。場合によっては親をも裏切る。自分が生き延びるためなら他に方法はあったはずと思うのだが。
しかし、彼にはその選択枝がなかった。彼を死に追いやったのは、勝利至上主義に特化したスポーツ校という村社会の同調圧力だ。彼は母親には逐次、学校であったことを報告していた。母親もその時点では、殴ったコーチに抗議するつもりはなかったようだ。この辺は少し違和感を覚える。高校生の男の子って、普通親とも距離を置くのではないか。そして母親は自分の子供が怪我をして帰ってきたら、大騒ぎするのではないか?
そこで、そうなった根本原因に気づいたのが橋下徹である。体罰は体質から生じると。この問題はわかりやすくいうと、オウム真理教と似ている。その集団に属している人たちは、自分らがおかしいことをやっている自覚がまったく欠落しているのである。彼らは自分を向上させるために一所懸命だし、悪意もない。だからその後の「脱洗脳」に苦労した。
桜宮高校も同じで、言うなれば「スポーツ真理教」の信者の集まりだ。そこでは教育者も生徒も、父兄も皆これの信者になっている。
であれば、問題のコーチを辞任させるだけで済む問題ではない。学校そのものを解体し、ゼロから組み直さないとならないのである。
奇しくも、女子柔道の世界でも同様の問題があって、本日のニュースにも取り上げられていたが、全日本柔道連盟は、体罰を行った監督に対して戒告処分に留め、続投させると言っている。トップの選手15名が必死の覚悟で告発したのに、辞任すらさせない。これが体質なのである。
ほとんどのメディアは、この二人の奇人の意見には異を唱える。受験生がかわいそうだとか、在校生の身になって考えろとか。
しかし、国際大会の場で、自国の選手をビンビン殴っているところを他国の関係者から止めに入られたこともあるというのでは、韓国や北朝鮮の異常さを笑えないのではないか?そういう土壌が日本のスポーツ界にもあるということだ。これを改革するのは容易ではない。
最後にまた吉田松蔭の言葉で締めくくろう。
平凡で実直な人間などいくらでもいる。しかし、事に臨んで大事を断ずる人物は容易に求め難い。
★追補
週刊文春2月7日号の記事によると、自殺した生徒の母親は、バスケ経験者で、当該コーチの信奉者だった。体罰に関しても他の父兄から異議があっても「覚悟があって入部してきたんでしょ」と諌めたという。息子の毎試合をビデオに撮り、家に帰った生徒と一緒に何度もそれを観て反省会をしていた。生徒は「ビデオを正座で見せられるのが嫌で、家に帰りたくない」と部員に言っている。これだけバスケに熱心になる目的は、母親が息子を早稲田か同志社に進学させたかったからだ。生徒が自分からキャプテンに志願したのも進学に有利だと思ったからで、レギュラーとしては苦しい実力だったらしい。彼のように自分から立候補した者は過去にいなかった。
そういう状況の中、生徒はキャプテンを続けるかどうか悩み、コーチにその思いを伝える。コーチはなんでそこまでキャプテンに拘るのかと尋ねた。すると彼は大学進学のためですと答えた。だが、それは彼が母から言われたことであって、実際桜宮高校は、早稲田や同志社への指定校推薦の枠は持っていなかった。そこでコーチはそのことを彼に伝えた。つまり、無理してキャプテンをやっていても大学進学の保証にならないことを彼はそこで初めて知ったのである。こうして希望が潰えた。彼が自殺した本当の理由はここにあった。
週刊文春はアンチ橋下の記事に仕立てるため、学校擁護の側に立ったゆえ、このエピソードを公開したが、これが事実だとすれば、今回の自殺に至った理由がよくわかるのである。コーチに殴られたから死ぬというのは、通常は有り得ない。生徒を追い込んだのは本当は誰だったか?そしてそれに対して盲目的に服従してしまう自我の脆弱さ。これがこの事件の本質だったのではないか?体罰は見かけ上のきかっけに過ぎなかったということである。
Posted at 2013/01/31 01:05:29 | |
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