
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
1970年代の少年達は、替え歌が大好きでした。
全国的に流行ったものとして、最優秀賞は、「レインボーマン」で決まりだと思います。
――インドの山奥でっぱのはげ頭まんじゅう食いたい南京豆、(中略)だから行くのだ、レインボーマン。
以前にこのブログでとり上げたところ、2桁に上るコメントを頂き、地方によってバージョンがあることも分かりました。「でんでん虫」や「でん六豆」等、多数のバージョンが存在していたのです。
さすがに、この知名度に敵うものはありませんが、全国的に流行ったものは、ほかにもたくさんありました。インターネットがなかった時代ですから、TV、ラジオを含めたクチコミの力も馬鹿にできないと思います。
西城秀樹の「激しい恋」は、大人向けの歌謡曲ですが、何故か、当時の小学生に高い人気がありました。歌詞の意味は、誰も理解できていなかったと思います。
――やめろといわれて桃太郎さん、今では遅すぎ太郎さん、(中略)巻き込まれたら西郷さん。
親の前では披露できない下品な路線もありました。ドリフターズの影響だと記憶していますが、「ロンドン橋」の2つの替え歌は、オチが分かっていながら、何度も繰り返し歌いました。
同時期に、何故か、「クワイ河マーチ」も流行りました。
――サル、ゴリラ、チンパンジー。
この曲に関しては、口笛バージョンが主体で、訳詞がなかったことから、カラオケ的要素があり、替え歌が流行りやすかったのかもしれません。
微かに記憶に残っている曲として、「瀬戸の花嫁」があります。
――瀬戸ワンタン、日暮れ天丼、夕波小な味噌ラーメン。
童謡の「お正月」や「ひな祭り」等にも、小学生向けの替え歌がありました。「七つの子」の「カラスの勝手でしょ」は、志村けんの出世作だったと思います。
のちに嘉門達夫が登場し、替え歌が本格的に笑いのネタになりますが、それ以前のものは、友人同士で創作自体を楽しむ遊びのようなものだった気がします。
こうした国民的文化の影響を受けたのかどうかは分かりませんが、桑田佳祐の作詞には、その流れを感じる部分があります。一例として、名曲「ボディスペシャルII」に、上述「ロンドン橋」の息吹を強烈に感じずにはいられません。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、クワイ河マーチの桃子バージョンがあるんじゃないの~。
「MOMO、MOMOKO、MOMONOKI、MOMO、MOMOKO、MOMONOKI、MOMO」
燃える君が妙にSexyで
When I fall in love with you.
「ボディスペシャルII」が発表された年に、菊池桃子はデビューしました。
Posted at 2025/04/18 08:47:49 | |
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