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DORYのブログ一覧

2011年12月16日 イイね!

Even Now

Even NowMINI専門店の前を通る度に視線を逸らしているものの、ホントは大好きなClassic MINI。

断腸の思いで昨年5月に手放した'97 Cooperは購入時乗り出し220万円也、その後メンテや適正化に費用として約100万円かけ、2年近く大切に乗って、同ショップでの買取が60万円バッド(下向き矢印)

思い出を引きずる生き方はしたくないので手放してしまいましたが、その時の寂しさといったら・・・涙

どこでも運転の楽しさを味わえ、またスポーツドライビングの基本をきっちり抑えればそれにちゃんと応えてくれる・・・そんなクルマでした。

昨晩、梅こぶ茶をすすりながら、現在のクルマ趣味生活は十分以上に幸せなのにも拘らず、Classic MINIとの日々は楽しかったなぁ~と思い出してしまいました。。。

・・・というわけで歌詞が心にしみるこちらの曲を↓をどうぞウィンク

Posted at 2011/12/16 10:38:37 | コメント(3) | かつてのクルマ | 日記
2011年08月07日 イイね!

Celica XX 2600G

Celica XX 2600Gボクが初めて運転したクルマは、初代セリカXX 2600G。

昭和53年5月、新聞広告の写真にトキメキ、家族でディーラーへ出かけ即決。アメリカ市場を意識したロングノーズに2.6Lの4M-EUを搭載。ホントは5MTを選んで欲しかったのですが、父親のクルマなのでATに。当時のカーグラ誌のテストデータではゼロヨン18.7秒、最高速170kmでしたが、昭和51年排ガス規制で牙を抜かれたクルマが多かった当時それでも国産車の中では速い方でした。

納車されてから1年経過した昭和54年夏、高一になったボクは運転したくてたまらず、父親に頼んで某水族館の休館日に駐車場で練習させてもらいました。今となっては時効ですがウィンク

父親から与えられた課題は、地面に置いた空缶を左前輪で踏んでみろと。今にして思うと、車両感覚を身につけるためのいい練習だったなぁと思います。

そして待ちに待った免許を取得したのが昭和57年3月。鮫洲で交付されるやいなや急いで帰宅し、車庫からセリカXXを出し、向った先が多摩川の河川敷。

当時の多摩川は巨人軍グランド付近から二子玉川あたりまで何箇所かクルマやバイクでも河川敷に入れるところがありました。そのあたりはバイクで熟知していましたのでひらめき

河川敷でいきなりドリフトの練習を始めました。カウンターのタイミングが遅く、スピンばかり。結局全く出来ず泥だらけのまま帰宅。そのままではバレるので車庫で慌てて洗車し、すっとぼけていたのですが、泥が下水につまって溢れているのが見つかり、こっぴどく叱れたことは言うまでもありませんもうやだ~(悲しい顔)

その後もこっそりセリカXXからガソリンを抜いて自分のクルマ(1号車のジェミニ)に入れたり等々、悪事も色々やりましたウッシッシ

昭和61年2月にW201 190Eの下取りとして査定価格5万円で引き取られていきました。こっそりお話しますと最後はATがダメでしたね。その原因はボクがよくニュートラルでブリッピングしてからDへ叩き込んでタイヤを鳴らしながら急発進するのを得意げにやっていたからなのです。若気の至りとはいえ、今更ながら悪事を深く反省しておりますです。。。

・・・というわけでこちらの曲↓をどうぞウィンク

Posted at 2011/08/07 19:28:05 | コメント(2) | かつてのクルマ | 日記
2010年09月26日 イイね!

'83 280ZX Turbo

89年11月。LA近郊の友人宅へ遊びに行くと、そこに綺麗な'83 280ZX turbo 2by2があったのです!

板金屋を営む親戚のクルマだそうで、既に10万マイル(約16万キロ)走破しているのにも拘らず、新たに黒くオールペイントされたボディが光り輝いていましたぴかぴか(新しい) 輸出仕様のL28ETはターボで武装され180hpを発揮し、発売当時はアメ車が排ガス規制により牙を抜かれていましたので激速のクルマだったのです。



本当は2by2のATではなく2シーターの5MTの方が良かったのですが、友人価格で超激安だったので譲り受けることにしました。

早速フリーウェイを走ってみて、Zがアメリカ人に愛される理由がよくわかりました。直進性が良くとても快適なのです。次に峠へ行ってみました。ステアリングレスポンスが悪く、フロントの接地感がまるで伝わってこない、挙動はゆったりとしているものの、すべてが大味なのです。これがアメリカ仕様のせいなのか、それとも既に16万キロ走ったクルマだからなのかはわかりませんが、鈍重なイメージでした。それでも当時はひたすらパワースライドで遊んでいました。クリップを過ぎたあたりからアクセルを踏み込むとブーストが一気に上がりリアがブレークするのが面白かったです。

友人の'83 TransAm (V8 5.0L LG4 165hp 4AT)と信号GPもやってみましたが、スタート直後はAT特有のターボラグでTransAMに先行を許しましたが、50mくらいで追いつき、その後は少しずつ引き離すような感じでした。

結局、このクルマは約1ヶ月で手放してしまいました。エアコンが壊れており修理代が予想以上にかかることも一因でしたが、なによりも一番の理由は峠で乗っても全然楽しくないので飽きちゃったのであります冷や汗

その後も別の友人から'77 280Z(S30)を譲り受けようかなぁ?と思い、試乗したこともあるのですがL28が想像していたよりも鈍重で、S30なら日本で240ZGが欲しいなぁ・・・と。

その後もZは何度も購入を検討したことがあります。90年にZ32をR32GTRと比較したもののGTRの魅力には勝てず、、、Z33は発売当初にすぐ試乗しましたが初期型だったせいかあまりいい印象が無く、380RSの良さに気づいた時は既に完売涙 Z34はいまひとつ馴染めず・・・。

そんなわけでボクが所有した唯一のZがS130 280ZX turboだったわけです。

↓は当時印象に残ったCMです。ボクも小学生の頃はこんな感じで240ZGを眺めていましたわーい(嬉しい顔)



Posted at 2010/09/26 22:31:03 | コメント(5) | かつてのクルマ | 日記
2010年04月01日 イイね!

’94 Hilux Surf SSR-G

’94 Hilux Surf SSR-G99年6月。ちょうど普段のクルマがなく困っていた時、親族から5年落ちのハイラックスサーフを譲り受けることになりました。

96年10月にF355Bを手放して以来クルマいじりを我慢していましたので、早速スーパーオートバックスへ出かけ、ステアリングを購入し自分で交換したり、0W40のオイルを入れてみたりして楽しんでみました。そんな些細なことでも嬉しかったのです。

3リッター V6ですからそれなりに余裕があり、また嬉しいことにオプションのLSDも装着されていました!パートタイム4駆なので2駆で遊ぼう・・・とウッシッシ

そして運命の99年9月25日。前年より親交があったきんぴかさんからジムカーナ練習会のお誘いを受け、こんなクルマで参加して良いものか?でもこれしかないし・・・とちょっと迷いましたが、思い切って参加させて頂くことにしましたわーい(嬉しい顔)

筑波ジムカーナ場へ到着し、当日のメンバー表を渡されると、なんとボクの名前が講師の欄にあるではないですかexclamation×2

うーむ、ここは一発かまさねばなるまい!と勝手に燃え上がり、スタートラインにつきました。合図とともに全開!久しぶりに走れる喜びを感じつつ、途中までは快走していたように思います。しかし運命の左タイトターンでサイドブレーキを引いた瞬間!な~んかフワッとクルマが浮いたにゃー!びっくらぽっぽー!と思ったら、横転しちゃいました冷や汗2


すぐさま参加者の皆さんが駆けつけてくださり、ヨッコラショとクルマを起こしてくださいました。車体の右側面はグチャグチャになってしまいましたが、幸い自走は出来る状態でした。カラダの方も、運転席側の窓が閉まっていたので、肘を擦りむく程度の軽傷で済みました。

初めて参加したきんぴかさんの練習会で、いきなり迷惑をかけてしまったこと、クルマを譲ってくれた親族に対し申し訳ない気持ち・・・等々がボクを激しく落ち込ませました・・・涙

結局Surfとは約3ヶ月でお別れとなってしまい、我ながらスットンキョーだったなぁと思いますです冷や汗
Posted at 2010/04/01 00:13:26 | コメント(5) | かつてのクルマ | 日記
2010年03月31日 イイね!

’83 Dodge Challenger

’83 Dodge Challenger渡米し最初に買った'78 Honda Accord LX5はトラブルが頻発し、信頼出来る足が必要となり、人生初の新車を購入することになりました。'83 3月のことです。





当初はセリカを考えていました。アメリカ仕様は2.0L DOHCの18R-Gではなく、2.2LのSOHCを積んでおりトルク重視型なのがちょっと残念でしたが、それでもオーバーフェンダー仕様GTSのカッコ良さに心ときめいたものの、完全に予算オーバーで断念涙


そこで代わりに寄ったDodgeのディーラーにあったのがChallengerでした。とはいっても往年の名車Challengerではなく’78から三菱ラムダの輸出仕様。営業マンが日系人で親しみやすく、またかなりの好条件だったので即決してしまいました。納車翌日にはPep Boysへ行ってアルミホイールを装着し、嬉しくて嬉しくてたまらなかったです。

2.6L SOHCのG54Bを搭載していましたが、日本ではデボネアに積まれていたエンジンだったと記憶しています。トルク型のエンジンで、パンチは無いものの扱いやすく、ミッションも節度感がありスパスパ入り気持ちよく三菱のクルマっていいなぁと思いました。それまでのAccordがオーディオが壊れていてラジカセを積んでいたので、AM/FMカセット+6スピーカーは夢のようでした。

当時のアメリカでは法規制によりスピードメーターの表示が85マイル(約140km)までだったのですぐに振り切っちゃいましたが、おそらく最高速は170kmくらいで、ゼロヨンは18秒前後のような印象でした。

このクルマでは近所のダートでドリフトごっこをよくやってましたね。今にして思えば、コーナー進入時にアクセルオンでテールを振り出し、カウンターを当て終わり・・・当時はそれがドリフトだと思ってました冷や汗

埃だらけになったエンジンルームは水をかけてジャブジャブ洗ってましたし、Pep Boysで怪しいケミカルを買ってきてはあれこれ試してましたね。

オイル交換、クーラント交換等の日常的なメンテナンスは全て自分でやってました。車載パンタジャッキだけで下に潜って作業していましたので、よくまぁ下敷きにならなかったものですげっそり

一度だけ大学の駐車場で開催されたジムカーナ大会に出場しましたが惨敗でした。。。

約3年間で5万マイル(約8万キロ)走り手放しましたが、クルマを振り回すことやイジることの楽しさをChallengerで学びましたわーい(嬉しい顔)
Posted at 2010/03/31 21:52:12 | コメント(2) | かつてのクルマ | 日記

プロフィール

国産・輸入車を問わず運転して楽しいクルマが好きです 2001年から大井貴之選手にそれまでの自己流の滅茶苦茶なドライビングを修正して頂こうと基礎から習い始...
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