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2014年07月13日

「旧陸軍桶川飛行学校 」で...。(3/3)

「旧陸軍桶川飛行学校 」で...。(3/3)
「旧陸軍桶川飛行学校 」では、

「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の

ボランティアガイドの方々が案内をしてくれます。


実際に当時、ここで働いていた方もいらっしゃいます。




「兵舎」に入ると、ちょうど記録映画のDVDが始まったところということで

約1時間弱、この学校に関わった方々の証言などを

見ました。

(この部屋で見させていただきました)



その中にも出ていらっしゃった

「柳井さん」が

なんとテレビの横に座っているではありませんか。




DVDのあと、

柳井さんがご遺族の方々から聞いたお話の数々を

お話してくださいました。



「インパールの話」、

「シベリア抑留の話」、

「南方戦線では食料が尽き、

木や雑草などの植物を食べざるを得ませんでしたが、

まずは馬に食べさせて、下痢をしなかったら

人間も食べるが、栄養がなく

やはり餓死してしまう」、

「満州での看護婦さんの話
(重症の患者さんから看護婦さんが消毒の原液を注射し、
その看護婦さんは兵隊さんに切られ、
切った兵隊さんたちは車座になって手榴弾で自爆していく)」、

などなど、極限状態に置かれた人間の姿を

目に涙を浮かべながら

話してくださいました。



目の前で

目と目を合わせ

お話を聞いていると

涙を我慢するのに精一杯でしたが、


同時に柳井さんがおっしゃる

「戦争なんて格好のいいものじゃない」

「いかなる理由でも戦争はあっちゃいけない」

「知りうる限りのことを伝えるのが自分の義務」

というのが、ひしひしと伝わってきて

『自分もまず、家族から、

自分が知った事実をしっかりと伝え

戦争に突き進むような社会を作ってはならない』と

気持ちを新たにしました。



お話を聞いているあいだ中、
部屋の中の大型扇風機の
ブーーンという低く唸る音が
戦闘機の音に聞こえて仕方ありませんでした。





扇風機の奥には、鉄がなくなったので
陶器で作った地雷。

近所の神社にあって、しばらく何なのかわからなかったが
自衛隊の方が来たときにかつての地雷だとわかったそう。



前列右側が柳井さん。


左から3人めが、柳井さん。





柳井さん、手記より。

『戦況がいよいよ険しくなってきた昭和20年4月5日、
特攻隊員12人が知覧(ちらん)から出撃することになった。
整備のため、私たちも99式高練に同乗するよう言い渡された。

指名されたのは、整備担当の藤原曹長と整備員5人であった。
隊長の訓示、別れの酒のあと、12機のうちの6機の後部座席に乗った。
特攻隊が出発することは秘密のはずであったが、
うわさを聞きつけて周りの堤防の上には、見送りの人たちが来ていた。

荒川の上流に沿い、北に向けて飛び立った。
眼下には、冬枯れの薄茶色の地面の中に、黒く蛇行する荒川が見え、
太郎衛門橋の上では、おじいさんらしき人が大きく日の丸を振り、
ほかにも数人が手を振っているのが見えた。

旋回して戻り、飛行場の上を超低空で飛んで
見送りの人たちに左右の翼を振って別れの挨拶をしたのち、
12機は、西に向けて飛んで行った。

戦争に行って死ぬのは当然と思っていた当時、
私はどんなことを思ったか、今思い出すことはできない。
途中、各務原(かがみがはら)飛行場に一泊し、
下関に近い小月(おづき)飛行場に向かった。


私は、京都出身の山本少尉の飛行機に同乗したが、
京都の町に入ったとき、大きな煙突だったので風呂屋だと思うが、
2階の物干し台の上で家族らしい人たちが大きく日の丸を振っていた。

私の飛行機は、驚くほど超低空飛行で煙突の周りを2、3回まわり、
翼を大きく振って別れの挨拶をした。

学徒出陣で、学生からいきなり特別操縦見習士官1期生として入隊し
将校となった22歳の青年が、故郷の空をどういう思いで飛んだのか、
胸中を察するに余りある。

小月飛行場に着いた私たちは、
翌日朝、試運転を終わって飛行機を隊員に引き渡した。
アクセルを吹かした飛行機の爆音の中、
山本少尉は、車輪止めをはずし終えた私を操縦席に呼んだ。

「柳井、世話になったな。整備班に帰ったら、みんなによろしく伝えてくれ」。

私たちは列車で帰ってきたが、
隊員たちは鹿児島県の知覧基地に向かい、
記録によると、4月16日、第79振武隊として、沖縄の海に散ったということである。』



山本少尉が京都のご実家上空で超低空飛行をする前、

後席の柳井さんに

笑顔で振り返ったそうです。


そして、

柳井さんは、実際に手を振るご家族の顔がはっきり見えた、と

わたしに語ってくださいました。



柳井さんが同乗した特攻機の山本研一少尉。








伍井芳夫(いついよしお)大尉の話をされる柳井さん。

このあと、藤井中尉の質問もさせていただきました。
(藤井中尉は、桶川に来られたことはないそうです)





お母さんに抱っこされている
伍井大尉の次女・臼田(旧姓伍井)智子さんが、
現在、「旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会」の会長をされています。

最初に見たDVDの中で、この「旧陸軍桶川飛行学校 」の保存について
熱い思いを語られていました。

『形があれば、それが自ずと語ってくれる』

保存でも復元でも、方法はどうであれ、
この形を後世に残していきたいと。


戦後、お母様は、
戦争のこと、お父様のことを決して語らなかったそうです。

でも、臼田さんは、お父さんとの最後の別れの時のことを
どうしても聞きたかった、聞いておけばよかったと
DVDの中で、おっしゃっていましたね。


この写真、わたしに訴えてくるものがあります。

「私たちを含め、多大な犠牲を払ったうえで築かれたその平和。
大切に守り、育んでいますか?」







あの時の空と、この空。

つながってるのかな?













最後に柳井さんから握手を求められ、

最初ちょっとびっくりしましたが

しっかりと握手をさせていただきました。


大きくて、分厚くて、ふっくらとした

温かな手の感触、一生忘れません。






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Posted at 2014/07/13 21:52:48

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