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レッズレノンのブログ一覧

2018年10月07日 イイね!

江戸城の御殿が現代にある、という奇跡。

江戸城の御殿が現代にある、という奇跡。

昨日は人間ドックのあと、

時間があったので

喜多院とその周辺を散策。



(「人間ドック」専用レストランは

相変わらずおいしくて、ゆったりできます)







1時間ほどで

「喜多院」着。





今回の参拝の目的は

お寺用御朱印帳の購入。


いまの寺院用御朱印帳がいっぱいになったので、

喜多院で3度めの購入です。


いままで購入してきたなかで、

喜多院の御朱印帳の紙質が一番いいようです。

裏写りもしにくいし、

書き手の方からも

すごく書きやすいとほめられたこともありました。


値上がりはしていましたが、

いままでは1,000円でしたので、相場より安すぎでしたね。









「多宝塔」をじっくりじっくり眺めたあと

「江戸城の御殿(現在は、客殿・書院・庫裡)」に向かいます。


(「庫裡」でご朱印帳を購入)




「喜多院」の歴史は、奈良時代にまでさかのぼれますが、

平安時代には、勅願所、

その後、慈恵大師(元三大師)をお祀りし

関東天台宗の中心となりました。


正安3(1301)年には

東国580カ寺の本山に。


................. そして、慶長4(1599)年。


天海僧正(慈眼大師)がご住職となることで

幕府にとって重要な

非常に格式の高い寺院となるのでした。

(↑これ、江戸城の御殿の移築にあたって重要!!)



寛永15(1638)年1月、

川越に大火が起こります。


これにより、

現存の山門(寛永9〈1632〉年建立)を除き

堂宇はすべて焼失



そこで3代将軍・徳川家光は

堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、

江戸城・紅葉山の別殿を移築して、

客殿、書院等に当てました。


家光誕生の間春日局化粧の間があるのはそのためなのです!


この「家光誕生の間」。

いつ見ても

異次元に引き込まれるような威厳を放っていて、

たぶん一日中ここにいても飽きないと思います。

(格天井には、狩野派による81枚の花の絵、

お庭は「紅葉山」を模した立派な庭園です)


今回初めて、家光が使った

「厠(トイレ)」と「湯屋(お風呂)」も見ましたが、

昔から公開してたかなーー??


建物内での写真撮影は厳禁ですので

ぜひ、400円払って見てみてください。

歴史好きの方ならば、決して後悔しません。

(わたしならもっと払います!)


そして、

「春日局化粧の間」。


こちらも柱の目の通り方や

四隅の面取りなどに気品の高さが感じられます。

(万が一の際に使うと思われる

中2階に通じる、取り外し階段も必見です)


ん~~、住みたい!


(家光誕生の間は左端の奥です)


(江戸城・紅葉山を模した庭園)


(ちなみに、「川越氷川神社」境内にある「八坂神社」は

寛永14(1637)年に建てられた「江戸城二の丸東照宮」

移築したものです。)

江戸城内の宗教的建造物の遺構としては

全国唯一の存在として、

その歴史的価値が高く評価されているそうです。

ここにも、もう一つの軌跡が...)








「山門」(国指定重要文化財)。

1632年建立の

喜多院では現存する最古の建物。






「鐘楼門」(国指定重要文化財)。

建立年代ははっきりしていませんが、寛永10(1633)年に

東照宮の門として建立されたことが記録にみえます。


7世紀初頭の古墳の上に建つ

「慈眼堂」(国指定重要文化財)。



「仙波東照宮」(国指定重要文化財)へ。


元和2(1616)年、

駿府城で徳川家康が亡くなると

一旦久能山に葬りましたが、

元和3(1617)年、日光山に改葬の途中、

3月23日から26日までの4日間、

遺骸を喜多院に留め

天海僧正が導師となり大法要を営みました。


そのことから境内には東照宮が祀られ、

寛永10(1633)年には立派な社殿が造営されました。


ところが、寛永15(1638)年の川越大火により類焼したため、

徳川家光の命により直ちに再建に着手。


寛永17(1640)年に完成したものが現在の社殿です。


(昨日は鉄の門が閉まってましたー)


日本三大羅漢のひとつ「五百羅漢」へ。

天明2(1782)年から

文政8(1825)年の約40年間にわたり建立されたものです。

全部で538体が鎮座。


前回来たときは時間がなく

ゆっくり見られなかったので、

今回は一体も漏らすことなく

じっく~~りと

対話するようにお参りしました。






(今日は暑いぐらいのいい天気じゃのぉ)


(ですなー)


(これ、ヤフオクで3千円で落としたった...)


(スマン。ゆるしてくりやい)


(んーーン。まんだむ。

この羅漢さんの手元の水面には

繊細な線で水紋が彫ってあり、ちょっと感動)


(なんか、このお参りの人、

世俗の邪念だらけじゃノォ)



この「五百羅漢」さんたち、

今にも動き出しそうな(話し出しそうな)

本当に生き生きとした彫刻で、


子どもの頃はコワイ印象でしたが、

人生経験を積めば積むほど

味わい深く感じられてきます!




「喜多院」を離れてのお散歩中、

「喜多院」発祥の地を発見しましたので

行ってみました。


が。


古墳は削られ、

碑が建っているだけでした。



かつて

「北院(現在の喜多院)」「中院」「南院」のなかで

一番の勢力をもっていた「中院」へ向かいます。


途中の「南院」跡。

廃仏毀釈の影響で

こんなんになっちゃってます。


(先ほどの「仙波東照宮」、

これから行く「日枝神社」も

神仏分離令により、喜多院とは別管理に...)


「中院」。


島崎藤村ともゆかりの深いお寺です。





喜多院山門、前方にある、「日枝神社」。

日枝神社というと

「東京」のものを思い浮かべるでしょうが、

こちらが本家本元、

国の指定重要文化財(ご本殿:1611年以前に建立)です。






(ここにあった古墳も、県道を通すために削られています。

喜多院境内に現在ある多宝塔は、そこから移築されたものです)


現在の赤坂・日枝神社は、

文明10(1478)年に

太田道灌が江戸の地に城を築くに当たって

ここから江戸城内・紅葉山に分祀したことにはじまります。

ここでも、紅葉山つながり―!!


最後は

「成田山 川越別院」へ。







バリウム飲んだ後でしたが

元気に歩き回りました......。




Posted at 2018/10/07 12:05:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 神社仏閣 | 日記

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