今や、北陸新幹線「かがやき」が、
最速2時間27分で結ぶ金沢と東京。
東京から北陸新幹線金沢までの、
営業キロは450.5km。
かつて金沢と上野を、上越線回りで10時間以上かけて結ぶ、客車急行「能登」が走っていました。
営業キロは511.3km
10系寝台急行「能登」、より詳細には、
スハ43系座席車(ハザ)+グリーン車スロ62(ロザ)+10系寝台車(ハネ+ロネ)+荷物車スニ41
で構成される、いわゆるフルセット客車急行。
この編成で走っていたのは1975年から1982年まで。
これに食堂車オシ17かビュッフェ車オシ16が加われば、究極のフルセット完成なのですが、客車急行の食堂車は1972年の「急行きたぐに北陸トンネル火災事故」でオシ17の洗面台配電盤が火元と見られ、事故翌日より全車編成から外され全廃...。
今回の参考書はコチラ。
鉄道ピクトリアル別冊「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」
第二次世界大戦の戦後を脱却し、高度成長に向かう昭和30年代の日本。
増加する輸送需要に対応し編成両数を増やすため、スイス国鉄の客車を参考に国鉄車両設計事務所が軽量化に取り組んだ10系客車。その後の国鉄車両の設計思想に大きな影響を与えました。
これは3段式B寝台緩急車のオハネフ12。(表紙から)
初の軽量客車寝台車ナハネ10を冷房化改造し、さらに車掌室を拡充して緩急車とした車両。10系客車末期の1982年頃まで使用されました。
巻頭グラビアで、スハ43系+10系時代の急行「能登」が紹介されています。
終着上野に向けてラストスパートする、EF64-1000番台牽引の急行「能登」。
1982年4月の姿。
![alt](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/855/889/880d40d589.jpg?ct=3f8e6b1bf6f8)
実は、ほぼ同じ1982年(昭和57年)の5月、急行「能登」の座席車に揺られています。
東京の大学に進学した高校の同級生を尋ね金沢から、行きは信越線回りの急行「越前」の座席車に乗車。下宿に泊めてもらい、上野発金沢行の急行「能登」で金沢に帰りました。
行き帰り車中2泊、現地1泊の強行スケジュールでしたが、地方の高速バスもあまり無い時代、夜行列車の座席車は貧乏学生の大切な足だったのです。
上越線回りの急行「能登」は1975年に登場。
高崎線上越線の当初の牽引機は、前面窓のつらら切りのひさしが特徴の長岡区EF58でした。
新鋭 EF64-1000番台が牽引するようになるのは、1980年頃からです。
長岡と金沢間の牽引機は、直流1500Vと、交流20000Vで2周波数50Hzと60Hzの三電源対応の万能機、EF81です。列車は上りも下りも長岡停車中に機関車を付け替え、進む方向が変わります。
急行「能登」の名称は、東京から東海道線米原経由で金沢へ向かう列車に与えられていました。その後、東海道線回りを止め、上越線回りの金沢、上野間急行「北陸」を増発する形で「北陸1号、2号」となり「能登」は一旦消滅。
1975年急行「北陸1号」が20系の寝台特急「北陸」に格上げされ、残った「北陸2号」は「能登」と名を変えて復活。
この頃、「北陸」と並走して、信越線回りで福井と上野を結んでいたのが、43系+10系寝台の急行「越前」でした。北陸発、対首都圏の夜行列車は、上越回り2往復、信越回り1往復の体制が続きます。
1982年、20系および10系寝台車の老朽化と座席車の冷房化のため、寝台特急「北陸」は14系寝台車化。急行「能登」は14系座席車5両+14系寝台車3両の身軽な姿に置き換えられ、上越線からは撤退。「越前」の名を代えて信越線回りの新生「能登」となり、運転区間も金沢-長野-上野になります。
なので、上越線回りで43系座席車+10系寝台の急行『能登』というのは、7年間ほどしか走っていなかったのですね。今思えば意外…。
という訳で、今回も衝動買いしてしまいました。
関水金属KATOの「客車列車N製品」シリーズ。
150分の1スケールモデルです。
『10系寝台急行「能登」』基本セット7両 荷物車スニ41-2010,
A寝台車オロネ10-2051, B寝台車スハネ16-2257,B寝台車スハネ16-2244,
グリーン車スロ62-2056, 普通車オハ47-2067, 普通緩急車スハフ42-2067
そして、『10系寝台急行「能登」』増結セット6両
B寝台緩急車オハネフ12-2061, B寝台車スハネ16-2095, B寝台車スハネ16-2061,
普通車オハ47-2301, 普通車オハ47-2068, 普通車オハ47-2103
客車は荷物車含め金沢運転所所属の13両編成。
これに長岡区のEF58またはEF64-1000と、敦賀第二区または富山第二区のEF81が連結され、堂々の14両編成に。
在来線では新幹線のように列車を頻発できない時代なので、列車当たりの定員をいかに確保するのかが、重要だったのですね。
さて、北陸線牽引機のEF81ですが、
トワイライトエクスプレス色に続き、交直流一般色、いわゆるローズピンクのEF81を購入。
今回長岡区のEF64-1000とEF58は見送りました。
カプラーを自連タイプに交換し、ナンバープレートとメーカーズプレートを取り付けます。
(目が追い付かない…。)
ナンバーの種類には限りがあるので、敦賀第二機関区に配置されていたEF81-102号機を選びます。製造メーカは日立製作所。今回は吹っ飛ばしませんでした…。(危ない、危ない)
前後正面にもナンバープレート取り付け。
大阪-青森間の寝台特急「日本海」を牽引するEF81-102号機です。
そして、10系寝台車で忘れてはいけないのが、出入り台の等級表示の行灯。
20系以降の寝台特急客車では、出入り台の上部外側に、A寝台やB寝台など寝台等級を示す表示があります。
10系寝台車にもあるのですが、これが斜め下向きに角度が付けられ、何とも言えない情緒を醸し出しているのです。
付属品の行先表示と寝台等級シール。
幅0.8mm、長さ3.5mmの等級表示。
オルファカッターの刃を折り、刃先を新しくした状態で丁寧に切り離していきます。
グリーン車スロ62の出入り台にも等級表示の行灯があります。
左右2か所取り付けます。
これはA寝台車、オロネ10。
B寝台車、スハネ16です。
関水金属KATOの客車セットには、あらかじめ内装の座席やベッドが装備されているのですが無塗装のまま。またテールランプはあるものの室内灯は装備されていないので、ここら辺の仕上げが今後の課題ですね。
ここは、前回購入のトワイライトエクスプレスも同様。
モーリス★02Cさんから教わったメーカ【エヌ小屋】から内装仕上げ用のシールキットが販売されており、シートやベッドのモケットの赤や青、枕カバーやシーツの白などを再現できる、とのこと。シールを切り出し、ピンセットで一つ一つ張り付ける、超~地道な作業の連続になります。
これは本帰国後の楽しみに取っておきましょう。
改めて編成を確認。
時刻表巻末の編成表では、
さて再び、1975年から1980年頃までの高崎線、上越線牽引機 EF58。
これはセットの写真ですが、上野駅で発車を待つ下り急行「能登」金沢行と思われます。
座席車側が先頭で、寝台車が後方。最後尾は荷物車スニ41。
そして、もう一つの参考書。
1970年代から80年代にかけての急行「能登」と、当時の夜行列車の風情を克明に記した絵本があります。
福音館書店発行、西村繁男作
『やこうれっしゃ』
![alt](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/856/139/09c53fe55a.jpg?ct=6d0fbbd8d200)
この絵本、情景の説明や台詞が全くありません。
詳細な場面展開の絵だけが、淡々と続いていきます。
物語の始まりは、1970年代後半の上野駅。大壁画前の中央改札口。
改札口の上に、上野駅名物「列車案内板」がぶら下がっているのが見えます。
1980年頃の上野駅を描いているのが、ジブリアニメ「おもひでぽろぽろ」。
主人公が山形で農業体験するため、寝台特急「あけぼの」に乗るシーン。当時はまだ山形新幹線もなく、「あけぼの」は福島から奥羽本線に入り、秋田経由で青森を目指します。山形到着は午前4時頃でした。
☞【アニメでレビン②】ジブリアニメ 『おもひでぽろぽろ』 に見る鉄学の時間
現在の上野駅中央改札口です。改札駅員が手で引っかけて交換していた列車案内板は無くなり、スマートな液晶案内板になりました。大壁画は修復されています。
行き止まり式の終端駅上野。
絵本には、急行「能登」金沢行とは、どこにも書かれてはいないのですが、最後部の荷物車スニ41から「能登」と推測。
スニ41+スニ40の荷物車2両なら急行「鳥海」、荷物車がワサフ8000なら盛岡行の特急「北星」ですね。
A寝台車オロネ10と荷物車スニ41の連結部(その1)
A寝台車オロネ10と荷物車スニ41の連結部(その2)
オロネ10の台車です。軽量客車用に開発されたTR50系台車を空気ばねにしたTR55の改良型TR60を装備していました。
荷物車スニ41は高速貨物10000系の流れを汲み、これも空気ばねのTR203を履いていました。
![alt](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/860/513/5deb1dbc14.jpg?ct=6096530e0432)
絵本では、何故か荷物車スニ41の次が、B寝台車になっています。
連結部の向こう側に湘南色の115系か165系が見えてますね。
上野駅に到着した寝台特急「北陸」が停車中の14番線で捉えた写真。
絵本は上野駅の雰囲気をよく表しています。
こちらは大宮の鉄道博物館で再現された上野駅15番線。列車は485系「ひばり」。
初めて訪れ、パッと見、本物かと見紛うリアルさに感動しました。
さて絵本「やこうれっしゃ」、この頃ホーム上の売店は少なく、台車いっぱいに飲み物やお菓子、雑誌を載せた物売りがホームで商売していました。冷凍ミカンとか、ゆで卵も売ってましたねー…。
また10系寝台車の特徴は窓が開くことで、通路側は下降窓になっており、窓にもたれて見送りする人と別れを惜しむ様子は、どこかヨーロッパのような情感がありました。
「おもひでぽろぽろ」で、寝台特急「あけぼの」の入線を待つ17番線の様子。
上野駅は行き止まりホームなので、列車は尾久客車区から機関車が後ろから押す「推進回送」されて入線します。
「あけぼの」は24系で、本当なら1980年頃、当時の最後尾は電源車カニ24になるはずですが、視聴者の混乱軽減のためかB寝台緩急車オハネフ24になっていました。1990年に騒音とエンジン排気対策で編成の方向転換が実施されます。
また推進回送時は、貫通扉を開け、標識灯を点灯し、回送運転士が非常ブレーキ弁をブレーキ官に取り付けたうえで前方監視しているはずなのですが、ここでは省略されています。
(普通には子供への説明に窮するだろうと思います。いわゆるオトナの事情かと)
(閑話休題)
上野を発車した急行「能登」、A寝台車オロネ10の車内です。
B寝台含め、ゆかたとスリッパは常備されていました。寝台内は禁煙ですが、B寝台は通路に灰皿があり、A寝台にはこのような喫煙コーナーが設置されていました。
B寝台車です。台車がTR50に見えるので、2号車オハネフ12のようですね。
10系寝台車には、1979年の3月、函館から札幌まで急行「すずらん4号」に乗り、オハネフ12に乗車しました。それが最初で最後の乗車、夜行の「すずらん4号」廃止1年前になります。
ベッド幅52cmで3段寝台は、中学生の私でも窮屈でしたね…。
![alt](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/856/155/7bb80df269.jpg?ct=3c635796c3e4)
鮮明に覚えているのは、中学を卒業するタイミングで父親が函館から富山に転勤になり、急遽富山の高校を受験して、滑り込みで合格したから…。
卒業式のあと、家族で急行「すずらん4号」に乗って一旦札幌に向かい、小樽から新日本海フェリーで敦賀に渡って富山へ移動した、のでした。
グリーン車スロ62とB寝台車スハネ16の連結部(その1)
グリーン車スロ62とB寝台車スハネ16の連結部(その2)
スロ62やオハネフ12の台車TR50と、スハネ16やスハフ42の台車TR47です。
スハネ16は軽量客車の車体構造ですが、戦前の旧型客車の台枠を流用し車体を載せ替える更新改造車です。当初オハネ17を名乗りましたが冷房化で重くなりスハネ16になりました。食堂車オシ16やオシ17も車体更新改造車です。
![alt](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/860/496/f3231fd895.jpg?ct=fcad1100bb29)
夜行列車の、深夜のグリーン車の雰囲気は確かにこんな感じ。乗客は皆、深々とリクライニングさせて寝入っていました。
普通車オハ61から改造されたスロ62の窓割とシートピッチは完全には一致せず、斜端部では少しずれるのですが、絵本ではスロ54のように均等割りに描かれています。
まあこれも良しとしましょう。
台車がTR23なので普通車オハ47の車内とわかります。
昔の夜行列車は4人掛けボックスシートが当たり前。皆さん思い思いに座席に寝そべったり、身体を丸くしたり、何とか長い一夜を快適に過ごそうと必死でした。
空いているときはまだよいですが、年末年始やお盆だと4人掛けにキッチリ4人、さらに通路にも寝る人がいて大騒ぎ。
今では考えられない移動の姿が、1980年代まで見られたのでした。
TR23型台車です。スハ43系の台車TR47は振動が少なく乗り心地は良いのですが重いため、台車を軽量なTR23に振り替えて車両重量を下げる改造が行われオハ47を名乗りましたが、台車がTR23になると、線路から突き上げるような振動があり乗り心地からすればマイナスでした。
オハ46は、台車はTR47のまま車体構造の設計変更でス級からオ級に軽量化でき乗り心地もスハ43並みの重厚なものでした。
オハ47と同様の台車振り替えは、スハネ16の電気暖房搭載車や、車体更新サロンカーのオシ16、冷房改造したスロ54などでも見られました。
金沢行の場合、長岡、金沢間でしんがりとなる、普通緩急車スハフ42です。
ところが…、雪の長岡を走るあたりから絵本の描写にちょっと違和感が…!?
EF58の次が寝台車スハネ16になっており(台車がTR47です)、長岡で編成の進行方向が逆になったとしても、荷物車スニ41の姿が見当たりません。
上野、秋田間の急行「鳥海」の場合は、新潟の手前、新津でスニ41とスニ40を切り離すのですが、「能登」の荷物車スニ41は上野、金沢間全区間で連結されているはず。
しかも、長岡で付け替える機関車は交直流電気機関車EF81でないと、糸魚川から先の北陸本線交流電化区間を走ることができません…。
でも、列車の通過を見守る除雪の保線員の姿はいい感じですねー。
以前は人海戦術が多く、地元の女性もアルバイトで線路の除雪作業をしていました。
まさにこんな除雪作業が沿線で見られたものです。
結局、交流電化区間もEF58が牽引したまま、急行「能登」は終着金沢に到着します。
駅や車内の描写にリアリズムがある反面、こうした絵本ならではの割り切りが見られるのも面白いところですね。
さて編成というと、EF81の向きも気になります。
これはトワイライトエクスプレスのときもそうでしたが...、EF81の第1エンドが大阪方か、青森方なのか問題。
上の写真と見比べると、EF81屋上の抵抗器カバーの位置が逆になっています。
しかしこの写真では、模型での編成と同じ。
同じ敦賀第二機関区や富山第二機関区所属でも、向きが異なった車両同士が配置されていたのでしょうか?
ここはもう少し調べる必要がありそうです。
再び、長岡-金沢間下り最後尾の座席車スハフ42。
テールランプが装備されていますが、通電するレールがないので点灯させられません。
![alt](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/userstorage/000/060/855/879/259882b560.jpg?ct=6380ba916411)