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2022年03月03日

【Nゲージで鉄旅】 懐かしの43系座席車+10系寝台急行『能登』

【Nゲージで鉄旅】 懐かしの43系座席車+10系寝台急行『能登』

今や、北陸新幹線「かがやき」が、
最速2時間27分で結ぶ金沢と東京。
東京から北陸新幹線金沢までの、
営業キロは450.5km。



かつて金沢と上野を、上越線回りで10時間以上かけて結ぶ、客車急行「能登」が走っていました。
営業キロは511.3km


10系寝台急行「能登」、より詳細には、
スハ43系座席車(ハザ)+グリーン車スロ62(ロザ)+10系寝台車(ハネ+ロネ)+荷物車スニ41
で構成される、いわゆるフルセット客車急行。
この編成で走っていたのは1975年から1982年まで。

これに食堂車オシ17かビュッフェ車オシ16が加われば、究極のフルセット完成なのですが、客車急行の食堂車は1972年の「急行きたぐに北陸トンネル火災事故」でオシ17の洗面台配電盤が火元と見られ、事故翌日より全車編成から外され全廃...。

今回の参考書はコチラ。
鉄道ピクトリアル別冊「国鉄形車両の記録 10系軽量客車」
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第二次世界大戦の戦後を脱却し、高度成長に向かう昭和30年代の日本。
増加する輸送需要に対応し編成両数を増やすため、スイス国鉄の客車を参考に国鉄車両設計事務所が軽量化に取り組んだ10系客車。その後の国鉄車両の設計思想に大きな影響を与えました。

これは3段式B寝台緩急車のオハネフ12。(表紙から)
初の軽量客車寝台車ナハネ10を冷房化改造し、さらに車掌室を拡充して緩急車とした車両。10系客車末期の1982年頃まで使用されました。
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巻頭グラビアで、スハ43系+10系時代の急行「能登」が紹介されています。
終着上野に向けてラストスパートする、EF64-1000番台牽引の急行「能登」。
1982年4月の姿。
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実は、ほぼ同じ1982年(昭和57年)の5月、急行「能登」の座席車に揺られています。
東京の大学に進学した高校の同級生を尋ね金沢から、行きは信越線回りの急行「越前」の座席車に乗車。下宿に泊めてもらい、上野発金沢行の急行「能登」で金沢に帰りました。
行き帰り車中2泊、現地1泊の強行スケジュールでしたが、地方の高速バスもあまり無い時代、夜行列車の座席車は貧乏学生の大切な足だったのです。

上越線回りの急行「能登」は1975年に登場。
高崎線上越線の当初の牽引機は、前面窓のつらら切りのひさしが特徴の長岡区EF58でした。
新鋭 EF64-1000番台が牽引するようになるのは、1980年頃からです。
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長岡と金沢間の牽引機は、直流1500Vと、交流20000Vで2周波数50Hzと60Hzの三電源対応の万能機、EF81です。列車は上りも下りも長岡停車中に機関車を付け替え、進む方向が変わります。
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急行「能登」の名称は、東京から東海道線米原経由で金沢へ向かう列車に与えられていました。その後、東海道線回りを止め、上越線回りの金沢、上野間急行「北陸」を増発する形で「北陸1号、2号」となり「能登」は一旦消滅。
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1975年急行「北陸1号」が20系の寝台特急「北陸」に格上げされ、残った「北陸2号」は「能登」と名を変えて復活。
この頃、「北陸」と並走して、信越線回りで福井と上野を結んでいたのが、43系+10系寝台の急行「越前」でした。北陸発、対首都圏の夜行列車は、上越回り2往復、信越回り1往復の体制が続きます。
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1982年、20系および10系寝台車の老朽化と座席車の冷房化のため、寝台特急「北陸」は14系寝台車化。急行「能登」は14系座席車5両+14系寝台車3両の身軽な姿に置き換えられ、上越線からは撤退。「越前」の名を代えて信越線回りの新生「能登」となり、運転区間も金沢-長野-上野になります。

なので、上越線回りで43系座席車+10系寝台の急行『能登』というのは、7年間ほどしか走っていなかったのですね。今思えば意外…。


という訳で、今回も衝動買いしてしまいました。
関水金属KATOの「客車列車N製品」シリーズ。
150分の1スケールモデルです。

『10系寝台急行「能登」』基本セット7両  荷物車スニ41-2010,
A寝台車オロネ10-2051, B寝台車スハネ16-2257,B寝台車スハネ16-2244,
グリーン車スロ62-2056, 普通車オハ47-2067, 普通緩急車スハフ42-2067
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そして、『10系寝台急行「能登」』増結セット6両
B寝台緩急車オハネフ12-2061, B寝台車スハネ16-2095, B寝台車スハネ16-2061,
普通車オハ47-2301, 普通車オハ47-2068, 普通車オハ47-2103
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客車は荷物車含め金沢運転所所属の13両編成。
これに長岡区のEF58またはEF64-1000と、敦賀第二区または富山第二区のEF81が連結され、堂々の14両編成に。
在来線では新幹線のように列車を頻発できない時代なので、列車当たりの定員をいかに確保するのかが、重要だったのですね。
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さて、北陸線牽引機のEF81ですが、
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トワイライトエクスプレス色に続き、交直流一般色、いわゆるローズピンクのEF81を購入。
今回長岡区のEF64-1000とEF58は見送りました。
カプラーを自連タイプに交換し、ナンバープレートとメーカーズプレートを取り付けます。
(目が追い付かない…。)
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ナンバーの種類には限りがあるので、敦賀第二機関区に配置されていたEF81-102号機を選びます。製造メーカは日立製作所。今回は吹っ飛ばしませんでした…。(危ない、危ない)
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前後正面にもナンバープレート取り付け。
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大阪-青森間の寝台特急「日本海」を牽引するEF81-102号機です。
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そして、10系寝台車で忘れてはいけないのが、出入り台の等級表示の行灯。
20系以降の寝台特急客車では、出入り台の上部外側に、A寝台やB寝台など寝台等級を示す表示があります。
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10系寝台車にもあるのですが、これが斜め下向きに角度が付けられ、何とも言えない情緒を醸し出しているのです。
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付属品の行先表示と寝台等級シール。
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幅0.8mm、長さ3.5mmの等級表示。
オルファカッターの刃を折り、刃先を新しくした状態で丁寧に切り離していきます。
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グリーン車スロ62の出入り台にも等級表示の行灯があります。
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左右2か所取り付けます。
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これはA寝台車、オロネ10。
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B寝台車、スハネ16です。
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関水金属KATOの客車セットには、あらかじめ内装の座席やベッドが装備されているのですが無塗装のまま。またテールランプはあるものの室内灯は装備されていないので、ここら辺の仕上げが今後の課題ですね。
ここは、前回購入のトワイライトエクスプレスも同様。
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モーリス★02Cさんから教わったメーカ【エヌ小屋】から内装仕上げ用のシールキットが販売されており、シートやベッドのモケットの赤や青、枕カバーやシーツの白などを再現できる、とのこと。シールを切り出し、ピンセットで一つ一つ張り付ける、超~地道な作業の連続になります。
これは本帰国後の楽しみに取っておきましょう。
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改めて編成を確認。
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時刻表巻末の編成表では、
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さて再び、1975年から1980年頃までの高崎線、上越線牽引機 EF58。
これはセットの写真ですが、上野駅で発車を待つ下り急行「能登」金沢行と思われます。
座席車側が先頭で、寝台車が後方。最後尾は荷物車スニ41。
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そして、もう一つの参考書。
1970年代から80年代にかけての急行「能登」と、当時の夜行列車の風情を克明に記した絵本があります。
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福音館書店発行、西村繁男作
『やこうれっしゃ』

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この絵本、情景の説明や台詞が全くありません。
詳細な場面展開の絵だけが、淡々と続いていきます。


物語の始まりは、1970年代後半の上野駅。大壁画前の中央改札口。
改札口の上に、上野駅名物「列車案内板」がぶら下がっているのが見えます。
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1980年頃の上野駅を描いているのが、ジブリアニメ「おもひでぽろぽろ」。
主人公が山形で農業体験するため、寝台特急「あけぼの」に乗るシーン。当時はまだ山形新幹線もなく、「あけぼの」は福島から奥羽本線に入り、秋田経由で青森を目指します。山形到着は午前4時頃でした。
 ☞【アニメでレビン②】ジブリアニメ 『おもひでぽろぽろ』 に見る鉄学の時間
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現在の上野駅中央改札口です。改札駅員が手で引っかけて交換していた列車案内板は無くなり、スマートな液晶案内板になりました。大壁画は修復されています。
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行き止まり式の終端駅上野。
絵本には、急行「能登」金沢行とは、どこにも書かれてはいないのですが、最後部の荷物車スニ41から「能登」と推測。
スニ41+スニ40の荷物車2両なら急行「鳥海」、荷物車がワサフ8000なら盛岡行の特急「北星」ですね。
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A寝台車オロネ10と荷物車スニ41の連結部(その1)
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A寝台車オロネ10と荷物車スニ41の連結部(その2)
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オロネ10の台車です。軽量客車用に開発されたTR50系台車を空気ばねにしたTR55の改良型TR60を装備していました。
荷物車スニ41は高速貨物10000系の流れを汲み、これも空気ばねのTR203を履いていました。
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絵本では、何故か荷物車スニ41の次が、B寝台車になっています。
連結部の向こう側に湘南色の115系か165系が見えてますね。
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上野駅に到着した寝台特急「北陸」が停車中の14番線で捉えた写真。
絵本は上野駅の雰囲気をよく表しています。
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こちらは大宮の鉄道博物館で再現された上野駅15番線。列車は485系「ひばり」。
初めて訪れ、パッと見、本物かと見紛うリアルさに感動しました。
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さて絵本「やこうれっしゃ」、この頃ホーム上の売店は少なく、台車いっぱいに飲み物やお菓子、雑誌を載せた物売りがホームで商売していました。冷凍ミカンとか、ゆで卵も売ってましたねー…。
また10系寝台車の特徴は窓が開くことで、通路側は下降窓になっており、窓にもたれて見送りする人と別れを惜しむ様子は、どこかヨーロッパのような情感がありました。
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「おもひでぽろぽろ」で、寝台特急「あけぼの」の入線を待つ17番線の様子。
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上野駅は行き止まりホームなので、列車は尾久客車区から機関車が後ろから押す「推進回送」されて入線します。

「あけぼの」は24系で、本当なら1980年頃、当時の最後尾は電源車カニ24になるはずですが、視聴者の混乱軽減のためかB寝台緩急車オハネフ24になっていました。1990年に騒音とエンジン排気対策で編成の方向転換が実施されます。

また推進回送時は、貫通扉を開け、標識灯を点灯し、回送運転士が非常ブレーキ弁をブレーキ官に取り付けたうえで前方監視しているはずなのですが、ここでは省略されています。
(普通には子供への説明に窮するだろうと思います。いわゆるオトナの事情かと)
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(閑話休題)





上野を発車した急行「能登」、A寝台車オロネ10の車内です。

B寝台含め、ゆかたとスリッパは常備されていました。寝台内は禁煙ですが、B寝台は通路に灰皿があり、A寝台にはこのような喫煙コーナーが設置されていました。
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B寝台車です。台車がTR50に見えるので、2号車オハネフ12のようですね。
10系寝台車には、1979年の3月、函館から札幌まで急行「すずらん4号」に乗り、オハネフ12に乗車しました。それが最初で最後の乗車、夜行の「すずらん4号」廃止1年前になります。
ベッド幅52cmで3段寝台は、中学生の私でも窮屈でしたね…。
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鮮明に覚えているのは、中学を卒業するタイミングで父親が函館から富山に転勤になり、急遽富山の高校を受験して、滑り込みで合格したから…。
卒業式のあと、家族で急行「すずらん4号」に乗って一旦札幌に向かい、小樽から新日本海フェリーで敦賀に渡って富山へ移動した、のでした。



グリーン車スロ62とB寝台車スハネ16の連結部(その1)
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グリーン車スロ62とB寝台車スハネ16の連結部(その2)
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スロ62やオハネフ12の台車TR50と、スハネ16やスハフ42の台車TR47です。
スハネ16は軽量客車の車体構造ですが、戦前の旧型客車の台枠を流用し車体を載せ替える更新改造車です。当初オハネ17を名乗りましたが冷房化で重くなりスハネ16になりました。食堂車オシ16やオシ17も車体更新改造車です。
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夜行列車の、深夜のグリーン車の雰囲気は確かにこんな感じ。乗客は皆、深々とリクライニングさせて寝入っていました。
普通車オハ61から改造されたスロ62の窓割とシートピッチは完全には一致せず、斜端部では少しずれるのですが、絵本ではスロ54のように均等割りに描かれています。
まあこれも良しとしましょう。
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台車がTR23なので普通車オハ47の車内とわかります。
昔の夜行列車は4人掛けボックスシートが当たり前。皆さん思い思いに座席に寝そべったり、身体を丸くしたり、何とか長い一夜を快適に過ごそうと必死でした。
空いているときはまだよいですが、年末年始やお盆だと4人掛けにキッチリ4人、さらに通路にも寝る人がいて大騒ぎ。
今では考えられない移動の姿が、1980年代まで見られたのでした。
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TR23型台車です。スハ43系の台車TR47は振動が少なく乗り心地は良いのですが重いため、台車を軽量なTR23に振り替えて車両重量を下げる改造が行われオハ47を名乗りましたが、台車がTR23になると、線路から突き上げるような振動があり乗り心地からすればマイナスでした。
オハ46は、台車はTR47のまま車体構造の設計変更でス級からオ級に軽量化でき乗り心地もスハ43並みの重厚なものでした。
オハ47と同様の台車振り替えは、スハネ16の電気暖房搭載車や、車体更新サロンカーのオシ16、冷房改造したスロ54などでも見られました。
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金沢行の場合、長岡、金沢間でしんがりとなる、普通緩急車スハフ42です。
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ところが…、雪の長岡を走るあたりから絵本の描写にちょっと違和感が…!?
EF58の次が寝台車スハネ16になっており(台車がTR47です)、長岡で編成の進行方向が逆になったとしても、荷物車スニ41の姿が見当たりません。

上野、秋田間の急行「鳥海」の場合は、新潟の手前、新津でスニ41とスニ40を切り離すのですが、「能登」の荷物車スニ41は上野、金沢間全区間で連結されているはず。
しかも、長岡で付け替える機関車は交直流電気機関車EF81でないと、糸魚川から先の北陸本線交流電化区間を走ることができません…。


でも、列車の通過を見守る除雪の保線員の姿はいい感じですねー。
以前は人海戦術が多く、地元の女性もアルバイトで線路の除雪作業をしていました。
まさにこんな除雪作業が沿線で見られたものです。
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結局、交流電化区間もEF58が牽引したまま、急行「能登」は終着金沢に到着します。
駅や車内の描写にリアリズムがある反面、こうした絵本ならではの割り切りが見られるのも面白いところですね。
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さて編成というと、EF81の向きも気になります。
これはトワイライトエクスプレスのときもそうでしたが...、EF81の第1エンドが大阪方か、青森方なのか問題。
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上の写真と見比べると、EF81屋上の抵抗器カバーの位置が逆になっています。
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しかしこの写真では、模型での編成と同じ。
同じ敦賀第二機関区や富山第二機関区所属でも、向きが異なった車両同士が配置されていたのでしょうか?
ここはもう少し調べる必要がありそうです。
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再び、長岡-金沢間下り最後尾の座席車スハフ42。
テールランプが装備されていますが、通電するレールがないので点灯させられません。
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これはやはり内装と室内灯を整備したうえで、雪の北陸線や上越線の風景のレイアウトを、思い切り『ゆっくり』したスピードで走らせてみたい…、
ですねー!? 


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ブログ一覧 | 鉄学 | 日記
Posted at 2022/03/03 06:27:14

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この記事へのコメント

2022年3月3日 9:54
こんにちは😁

急行【能登】の新製配置おめでとうございます。

上野〜長岡間のEF58だと、峠越えにEF16が必要になっちゃいますが、旧型電機同士の重連運転がまた見応えありますな😍

敦賀の81は抵抗器カバーが青森寄りだった気がしますが、愛知の64だと向きがバラバラですからね・・・

鉄道の絵本で真っ先に思い出したのが、震災後の石油輸送で磐越西線回りした【デーデー】を思い出します。
コメントへの返答
2022年3月3日 10:20
こんにちは(^^)/
ありがとうございます。衝動買い気をつけないと…。

スハ43系+10系急行『能登』、思い入れのある列車です。私が乗った頃はEF64-1000牽引と思いますが、絵本を再現するなら水上-石打のEF16も重要ですね。カシオペアクルーズの上越線回りが、EF81単機でなくEF64-1000を前補機で重連になるのもまた隔世の感、感慨深いものがあります。
敦賀二区は向き統一されてるのですね!? この写真は富山二区なのかも?
『デーデ』は名作ですねー。初めは積荷の大きいタキ1000が認可されず老兵タキ38000をかき集め、26時間かけて磐越西線迂回。DE10が後補機する場面は涙ものです…。
(イイね,もよろしくお願いします<(_ _)>)
2022年3月3日 10:50
いいですね『TMS』〜LEN吉さんならわかりますよね!
フル編成揃えちゃったらかなりリアルに再現できますね😊
10系客車はB寝台と車輌側面に表示している感じが昭和なノスタルジックな雰囲気を感じます♪
昨夜のTV相棒(水谷豊さんの)は久しぶりに米沢さん(六角さん)が登場して鉄道がふんだんに出てくる話しでした。
コメントへの返答
2022年3月3日 12:40
久々にTMS買ったら感情が抑えられなくなってしまって…。こっちでレイアウトまで展開すると、帰国の時にとんでもないことになりそうで…、自重します。
10系寝台、乗車回数は「すずらん」1回だけなのですが、小学生の頃、伊丹の祖母に会いに行くとき、大阪駅で福知山線の旧客に乗ると(牽引機がまだDD54やDF50でした)、隣の3,4番線に、20系に混じって、山陽、九州方面の10系寝台急行「雲仙」「西海」「日南」etc.が発着していたのを思い出します。
昨夜の「相棒」ですか!? こちらの配信サービスでは、4週間振り返り録画が見られるのでチェックします。
<(^^;) 
2022年3月3日 13:02
いかんいかん。仕事中にハマってしまいました!文章も写真も絵も。母方の実家が、東海道線の柏原駅の目の前で、夜中に必死で起きてブルートレイン等を見てました。貨物列車も家の前に停車して、動き出すときの感動的な音、、
ちなみに材木屋をやっており、その先の醒ヶ井よりのカーブの写真はよく愛好家が撮りに来てました。
また後でゆっくり読ませてもらいます!
コメントへの返答
2022年3月3日 13:30
あははは<(^o^;)
そう言っていただけると何とも。私も仕事の合間に書いてました。
柏原から醒ヶ井ですかー、伊吹山のふもとで開けた風景を走る列車はいいですねー。今も長編成の貨物が雄大なカーブをゆっくり曲がる光景が目に浮かびます。近江長岡のセメント専用線も忘れられません。
ありがとうございます。よろしければ感想も、お待ちしております。
f(^_^)
2022年3月3日 15:20
こんにちは。
また増車ですね。
実は、私も最近165系の電車を増車しつつ(ヤフオクなので)あります。
目指すは八王子在住当時の中央東線急行アルプス12連です。
現在8両までゲットしました。もちろんモハ164は800番台の低屋根仕様です。
編成中の車両の向きは、牽引機を含め、やはり気になりますね。
何年何月何日の何線の何駅~何駅間の下りor上りのどの列車という風に特定して、それを再現するのは考古学的楽しみなので、非常に同感します。
コメントへの返答
2022年3月3日 15:46
こんにちは(^^)/
ステイホームとエンゲル係数上限生活で調子に乗ってます。あと1,2種くらいまでにして、以降は帰国後の楽しみに自重したいと思います…。
中央東線「アルプス」の165ですかー。モハ164-800はお決まりとして、結構バリエーションありますね。ビュッフェをサハシ153改造車にすると、台車はTR69でなくTR59になりますし。サハシの代わりに売店車サハ164にするとかも。付属編成は最後までサハ代用クハが連結のクモハ+モハ+クハ+クハですね。西線の神領にはサハあり4両編成がありました。
「能登」はKATOの完成車ですが、実際はオハ47でなくオハ46のときもありました。「越前」だと福井-富山の牽引機はEF70だったりしますが、運用変更など調べると果てしない話になりますね…!?
2022年3月3日 18:22
懐かしい上野駅の風景 電車をおりて
頭がぶつかりそうな通路を歩いて
改札を出た頃よく思い出します
当時は特急ひばり・やまびこ・はつかりで
仙台-上野間3時間58分でした
はつかり号のカツサンドを食べるのが
楽しみでした。
思いでぽろぽろの仙山線は今も昔も
基本変わりませんね(≧▽≦)
コメントへの返答
2022年3月3日 18:37
石川啄木も「ふるさとの訛り懐かし」と詠んだ上野駅。上野発の夜行列車下りた時から、雪の中なのは青森だけでなく、秋田、山形、新潟、富山、金沢、時には仙台も…。
昭和40年代は「ひばり」「やまびこ」「はつかり」、全列車食堂車営業していました。
仙山線はもう少し都市間鉄道や通勤路線として開発されるかと思いましたが、車両は変わっても昔の雰囲気が残っているのですね…。
<(^^;)
2022年3月3日 19:11
Nゲージのみならず、絵本やアニメまで引っ張り出しての細かな検証…恐れ入ります。。。
しかしこのNゲージのあまりに小さくも見事に再現されてる表示板は…指先が震えたら終わりですね(汗)でも今回はメーカーズプレートを飛ばすことなく無事に終えられたようで…これは忍耐のひとことに尽きますね。呼吸を止めて慎重にピンセットでつまみ上げる…考えただけでこっちまで緊張しますよ(笑) 予備なんてないんでしょうかね、これには???
で、絵本は…作家さんも重度のマニアと思われますね。細かな描写にも手が抜けないでしょうし。。。
いやぁ、お疲れさまでした!!

内装の仕上げ、是非頑張ってくださいませ!!

コメントへの返答
2022年3月3日 20:16
絵本「やこうれっしゃ」は、息子が保育園のとき購入しました。読み聞かせができない絵本なので情操教育になったのかどうか...。
EF81の連結方向からすると、絵本とは逆に金沢発上野行を再現することになるのですが、客車の行き先表示は「金沢行」になっていて、サボ(サイドボード)を張り替えないといけないのです。ドア上のA寝台B寝台等級表示は、カッターとピンセットで何とか取り付けました。「日立」のメーカーズプレートは予備がないので今回は力加減も慎重に!?
絵本作家西村繁男さん、ご健在です。
このほか「おふろやさん」「絵で読む広島の原爆」という無声絵本も代表作だそうです。
いやいや、これからですよ f(^_^)
2022年3月3日 19:57
こんばんは。
情緒溢れるブログですね。 その長岡駅界隈に住んでますが、私が住み始めた頃には、特急あけぼのの末期の頃で夜中に機関車のホイッスルがよく聞こえてましたが、ほどなくして廃止されたのが残念でなりませんでした。
荷物車スニ41は、空気バネ台車なんですね。荷物車にしては贅沢な足まわりを奢っていたとは驚きです。
因みに、その鉄ピク増刊号の最新号は『14系客車』です。



コメントへの返答
2022年3月3日 20:32
こんばんは(^^)/
ありがとうございます。旧客時代の「能登」は一度だけでしたが、14系や489系では何度もお世話になりました。
14系「北陸」は、10数年ほど前、日帰り扱いの関東出張でも前日発にして、B個ネのソロに毎月のように乗っていました。
上りが長岡で運転停車してEF81が切り離され、反対側にEF64-1000が連結される頃、隣に下り青森行の「あけぼの」が滑り込んできます。金沢発車前は「日本海」青森行が隣を追い越して行きます。寝台列車が減った頃とはいえ、いい時代でした。
スニ41の空気バネ台車は「フレートライナー」や「ぎんりん」「とびうお」の鮮魚列車など、高速貨車10000系に由来します。
今のコキ100系はコイルバネでも110km/hですから進化していますね。
はい、特急「北陸」の14系。早速注文しました~♪
2022年3月3日 23:23
こんばんは(#^.^#)
KATOの81&能登編成入線おめでとうございます。
旧客時代+10系寝台時代の能登いいですね~中でもスロ62がいいんですよね。同時代ですと鳥海も同じく印象深い列車でした。

1980年当時ですと上野駅の地平ホームは20番線までありましたので、今の上野駅はだいぶ変わってしまいましたね。
コメントへの返答
2022年3月4日 7:38
こんばんは(^^)/
またまた衝動買いで散財してます。
スロ62はスロ54と並んで10系寝台連結の急行には欠かせませんね。
鋼体化改造系列オハ61を二等車化して、さらに低屋根冷房化した、出世魚ブリのような車両ですね。シートピッチ1270mmは国鉄新性能系列標準の1160mmより広く魅力的でした。
残念ながらスロ62に乗ったことはないのですが、高校2年のとき北海道をテツ旅して、札幌から釧路まで夜行急行「狩勝」のスロ54に乗ったことがあります。東海道「つばめ」「はと」の特ロ生き残りのスロ54に乗れて、感動しました。
「鳥海」はスニ41+スニ40にマニ60(37)の荷物車3両連結でしたねー。寝台車は少なめでしたがオロネもスハネもスロもある、フルセット急行でした...。うーん、いい時代だ。
2022年3月4日 9:07
おはようございます。
感想、圧巻です!ここまで書ける知識の奥深さ。また構成がしびれます!
絵本(511km:10時間以上)→(450km:2時間57分) 
「きたぐに」トンネル火災
Nゲージいじり。
もろもろ勉強になります!
すいません、また仕事中にて(笑)
コメントへの返答
2022年3月4日 10:04
おはようございます(^^)/
独善的知識のひけらかしですが…、身に余るお言葉、恐縮します。
(すみません、無理強いしたみたいで…。)

ブルートレインの通路で補助椅子に座り、ボーっと外を眺めるのも好きでしたが、10系寝台車には、また別の情緒がありますねー。
2022年3月16日 20:39
こんばんは、お元気ですか。

いつのまにか、すっかり忘れていた記憶を手繰り寄せつつ・・・懐かしい気持ち拝見しました。😄

関水金属の高田馬場を訪ねたことがあり・・その当時、並びにはマツダオート東京があった筈です。

当時の僕のお小遣いでは、関水金属のモデルでは車輌が増やせないので・・・止むなくグリーンマックスの自作形の10系客車を買ったのでした。

まだまた、Nゲージが出始めの頃で・・ラインナップも限られていたのですね。

HOなんて、大人の趣味の世界で夢のまた夢で、現実感がまるで無かった事だけは間違いありません・・・銀座の天賞堂は、まさに夢の世界でしたね。😆

で、グリーンマックスです!
東上線の大山まで買いに行きましたよ。😊
10系は好みの車輌なので、あの時は丁度良かったのでしょう。

本稿を拝見していてもう一つ思い出したのが、急行 「能登」で、輪行で帰った事です。(能登半島ツーリングの帰りだと思う。恥ずかしい話ですが、忘れていて、我ながら怖くなります)

たぶん・・指定席か?寝台より割安と考えて、グリーンにしたか?記憶が定かで無いです。😂

懐かしいような、雰囲気ある絵本のタッチがとてもいいですね。🤔

EF58も好きな電機なのです。あの頃、近畿エリア集合の際には「銀河」を使いました。


本稿、とても面白かったです!😄


@ブルネロ

コメントへの返答
2022年3月17日 12:22
おはようございます(^^)/

70年代から80年代中頃までの北陸線というと旧客の宝庫で、普通列車もEF81やEF70が牽引する時代。
旧客の急行「越前」「能登」はそれぞれ1回ずつ乗った翌年、「越前」が廃止され「能登」が経路変更と14系化されました。
あの時乗っておいてよかったと思います。

『10系寝台急行「能登」セット』の名に釣られて、オトナの経済力で完成車セット買い。本当ならキットやペーパー、プラ板でコツコツ作り上げるのも楽しいのですが。

中学高校の頃はメルクリンのHOと16番の自作にハマってました。名鉄キハ8000系「北アルプス」や北海道向け781系-900番台など自作。地元の鉄道クラブの運転会で披露していました。

グリーンマックス、板橋ですね。
今、急行「きたぐに」に関心があるのですが、食堂車オシ17は関水金属のセットに含まれないので、グリーンマックスのキットが必須‼ 「十和田」や「瀬戸」のオシ16も気になっています。
作り鉄は、帰国後の楽しみに取っておこうと思います。

旧客「能登」上りは普通車2両が指定席でしたね。でもボックス4人掛けの指定席はかえって窮屈ですし、ここは意外にお得だったグリーン車スロ62に乗られたのでは?

「銀河」最後まで名列車でしたね。旧客時代は1等寝台車を2両連結し、その後、真っ先に20系急行化。24系25型になるも開放A寝台オロネ24は最後まで連結されていました。

「銀河」と「北陸」は社会人になっても出張でよく乗車していました。ほんの10数年前までですがいい時代でしたねー。

ありがとうございます。
<(^^;)

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