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Area13のブログ一覧

2023年12月30日 イイね!

ハワイ行ってますた。


 ✿ALO~HA☀!⊂((・▽・))⊃

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✿ALO~HA☀!⊂((・▽・))⊃

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✿ALO~HA☀!⊂((・▽・))⊃

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すみません。しつこくて。。。

とゆー事で、しばしワイハー行ってました。
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日本と比べたハワイの車事情は・・・
軽自動車は当然皆無で比較的トラック多めです。
たまに上のような車や日本でも既にお目にかかれない日本の旧車も見ます。
ハワイでそのような旧車を維持するのはめちゃハードル高そうです。。。
スーパーカーの類はほぼ見ませんが、今回初めてハワイでランボのウラカン見ました。
(画像なし)
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まずは軽く腹ごしらえして・・・・
お・・結構イケますよ。
軽くはありませんが。思いのほか旨いじゃん。
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カカアコのウォールアートを見に。
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数年前に来た時と替わった絵もあれば替わってないのもありますね。
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もし自分ちにウォールアートしたらこんな感じになりそう。。。(ーー;)
フェンスとかがウチの雰囲気に近い。
この日、全行程が歩きだった為・・・もう足パンパンです。
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夜はクリスマスシーズンって事もあり、街中至る所がイルミってます。
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そんでディナーは有名店のウルフギャングへ。
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海鮮。旨し!
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シーザーサラダ。旨し!
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そして肉!
コレは。。。旨すぎる~。
オリジナルソースはボク的にイマイチなので塩コショウで。
・・・・
てかね。高いんだから旨くて当然だろ。
何にでも対コストパフォーマンスを考えてしまうので付き合いじゃなきゃこんなお高いディナーを食べるボクじゃありません。
だって。。。10、いや20分の一のコストでも同じくらい旨いモン沢山あるし!

あ~。。。
旨い米に赤味噌の旨い味噌汁くいてぇ~。。。
さらにべったら漬けか辛子明太子か塩辛とかあれば充分なんすけど。。。
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翌日はパールハーバーへ。
おなじみの戦艦ミズーリ。
雨降ってきたので艦内にとっとと入ります。
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今回二度目なので個人的に特に真新しい部分はありません。
ここの食堂でもクリスマスツリーがピカピカしてました。
同行してた者が言ってましたが、この戦艦は太平洋戦争から就任してますが食堂にドリンクバーとかが既にあって時代を感じさせない。。。と。
あ~、確かに!
もし。。。「大和」や「武蔵」がこのような形で残ってたら見比べてみたいもんです。
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博物館内へ。
言わずと知れた零式艦上戦闘機「ゼロ・ファイター」です。
低空低速の旋回性能は抜群であります。
ベテランパイロットはそのような空戦に引きずり込み特に戦争初期は目覚しい活躍をしました。敵軍の上官は「ゼロとは空戦するな」と言うしかないとゆ~。。。
ま~、コレは人命を尊重するアメリカ軍ならではですな。
日本だったら・・・
「旋回性能なんぞ気合いと根性でカバー出来る!イザって時は体当たりじゃ!F4Fはそれに耐える強度があるしこちらには神がついとる!」って感じでしょうか?
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F4Fワイルドキャット。
見た感じずんぐりしてて、引込み脚とか、真ん中から生えてる主翼とか・・・
イマイチ垢抜けないイメージの戦闘機ですが。。。
被弾に強く機体強度もあるので急降下性能は結構高い。
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シャークマウスと言えば!のP40。
あれ?
描かれてないじゃん。
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前回来た時には無かったこちらのシュミレーター?ゲーム?機には描かれておりました。
機動時のGを疑似的に体感する為、プレイヤーの乗った箱がギッコン・バッコンと動いとります。順番待ちの人が結構いたのでやりませんでした。
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場外に出て。。。
トップガンでお馴染みのF14トムキャット。
可変後退翼、前縁スラット等のギミックや、大型機でありながら格闘戦も強く人気の戦闘機ですね。F15との模擬空戦で圧勝したのも有名な話。
運用コストがバカ高く退役に。。。
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長らく最強戦闘機の名を欲しいままにしてきたF15イーグル。
え?さっきのF14との模擬空戦の話は??なんて言いっこナシすよ。(^_^;)
空戦なんてのは色んな要素が組み合わさった結果ですから・・その時の条件ではF14が勝った。って事です。
強力なエンジン、優れた拡張性、で、今なお現役。KINGっす。
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F16ファイティング・ファルコン。
双発のF14,15と比べるとコンパクトですね。
機動性が良くて運用コストも比較的安価という事で採用国の多い傑作機です。
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今回、新たにF/A18ホーネットが加わってました。
ブルーエンジェルスの機だったみたいです。
・・・・
この隣にF22が並ぶ日は来るのでしょうか?
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出来れば・・・
F4U、F6F、P47D、P51Dも置いて欲しいな~。
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帰りにちょっくら「日立の木」へ。
前も来てるし閉園時間も近かったので外から眺めただけ。
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夜飯は田中オブ東京にてパフォーマンスを愉しむ。

あ~。旨い米と旨い赤味噌の味噌汁くいてぇ~。
御茶漬けくいてぇ~。。。
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翌日はダイアモンドヘッド登山。
クレーターを眺めつつ。。。
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登頂。
初日から歩き回ったのでもう足パンパンっす。
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下山してワイキキあたりをブラブラ。
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ハワイでよくみかけるこういう木ってスゴイよね。
木の枝がまた地面に伸びて根っこになってる感じ。
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店で提供されるビールは旨い。
泡をあまり立てないのがハワイ流。
ビーチで呑めれば1日中ビーチでゴロゴロしてるんだけどな~。(=_=)
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ガーリックシュリンプ。
それなりに旨い。

あ~。永谷園の茶漬けくいてぇ~。
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翌日はゴルフ。
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前回プレーしたゴルフ場もだったけど。。。
ハワイのゴルフ場ってコースのすぐ脇に住宅あります。
しかもネットとか無いし。(ーー;)
おまけにココは場所によってすぐ脇に高速走ってるし!
コントロールに自身の無いボクレベルだと怖いっす。
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とゆー訳で。。。
スコアは決して聞かないで下さい。
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プレー後は軽くオニオン&ポテトで。

あ~、もう贅沢は言いません。
玄関開けたら2分でごはん、とセブンの白菜の浅漬け、永谷園のひるげ、ください。
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これでハワイの旅も終了です。
今回もレンタカー借りるつもりでしたがハイシーズンに差し掛かってるという事もありホテルの近場はどこも空きが無くて断念しました。なので北のほうは行きませんでした。
前回まではこんな事無かったのに観光客も増えてるんですかね?
ただ、日本人や中国人は少なかったように思います。

そして・・・
何と言っても痛感したのが物価!
全てがメチャ高いっす!((+_+))
例えば・・・コンビニで売ってる
コーラやコーヒー(300~500ml)=3ドル前後
ビール=4ドル前後
クソまずいサンドイッチ=6ドル前後

あと酒のつまみに良いと思って買ったRVINS EGG SPICY CHIPって言う鮭皮を揚げたチップス。。。日本で売ってるドリトス位の大きさの。。。
12.99ドル。。。
で、食べたらね・・・ち~っとも旨くない。(T_T)
おまけに内容量の3分の一はただのパウダーに砕けており食えたもんじゃない。
ハワイで失敗の無い手頃なツマミはやっぱビーフジャーキーかマカダミアナッツ塩味ですね。
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ん~。。。もはや今のハワイって。。。
平均的な金銭感覚の日本人が遊びに行く所じゃない気が。。。
日本も物価は上がってますが諸外国とは比べ物にならない。
海外はこんだけ物価も所得も上がってるのに・・・日本、大丈夫か?
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帰りの空港にてコッペパンサイズのサンドイッチを買う。
レジの人に使う?と言って渡されたマヨネーズとマスタード付けて食ったら・・・
あら!旨いじゃないの!!
そ~か。分かった。
ボクが毎回ハマって失敗するABCストアのトマトのサンドイッチ・・・
必ず食べてる途中から罰ゲームになるあのサンドイッチ・・・
アレはマヨネーズやカラシやケチャップ等があれば絶対旨くなりそうだ。
何でこんな事に今まで気付かなかったんだ!(゜o゜)

ま、日本のサンドイッチは何もせずに最初から旨いからね。。。
・・・・
おもむろにレシート見てぶったまげました。
このサンド、1500円近いっす。
日本じゃせいぜい300円くらいじゃね?
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あ~もう帰国です。
さむ~い日本が待ってます。
日本みたいに寒かったり暑すぎたりしないハワイの気候は良いですがね・・・・
やっぱ日本ってイイ国だなぁ~と改めて思いますね。
治安はイイし、食いモンは安くて旨いし、車好きなら色々出かけて走り回れる国土の広さもある。
サーフィンもフラダンスもしないボク的にはやっぱ日本がイイですなぁ。

あ、帰ったらお茶漬け喰おう(^^)

























Posted at 2023/12/31 07:30:33 | コメント(4) | トラックバック(0) | 戦闘機 | 日記
2021年08月29日 イイね!

河口湖自動車博物館・飛行館

 
 ついに来ました。
河口湖自動車博物館と飛行館。
一昨年は8月のみ開館というのを知らずに閉館中。
昨年はコロナで閉館中。。。
さすがに今年は学習しまして・・ちゃんとHPで開館してるのを確認してから来ました。
仕事で日常的に河口湖町は来てますのでもはや自分的には観光地という感覚はありませんがさすがに週末だと他県ナンバーの車が多いです。
もともと他県ナンバーの多い地域だし自分も他県ナンバーではありますが。

まずは腹ごしらえ。
来たのは「風林」さんです。
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コシが有って固い麺が特徴の吉田うどん。
そして素朴な味わいは人によって好き嫌いが出そうですが自分は好きです。
味は店によって当然違いますがココは自分が好きな店の一つです。
吉田うどんの中でもかなり麺が固めです。
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赤味噌ベースのつゆは味濃いめでパンチが効いてます。
辛子のすりだねを入れて辛めにするのがおススメ。
玉子をトッピングして箸で混ぜればまたマイルドになりますし天婦羅もありますので色々試すのもイイですね。塩分高めと思いますが旨いです。
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さて、到着しましたのでさっそく入館です。
まずは自動車博物館へ。
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ベンツの・・自動車の市販第一号!です。
もう既にスリーポインテッド・スターがあります。
どこかのメーカーの、今さらブランディングしようとしてる・・にわかグリルとは訳が違います。
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う~ん。。。
クラシカルです。。。スリーホイラーも有りますね。
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こちらのブガッティは結構カッコいいと思いました!
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ご先祖様に会いました。アルファロメオ。
時代を考えるとかなりモダンだったんじゃないでしょうか?
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コレは何だ?
ライトがトヨタ2000GTぽい。
説明見るとセントラル自動車の試作モデルみたいです。
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コクピットが!!(゜_゜)
コレ、乗ったら顔からフロントウィンドーまで30Cm位しかないですよ。
鼻息だけでフロントが曇りそう。。。やだな~こんな車。。。
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ようやく何となく馴染みのある車たちになってきました。
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アルピーヌ・ルノー。
元祖は小さいですね!
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フェラーリ275GTB。
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デイトナ、512BB、F40。
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F50も有ります。
先日、珍しく山梨で走ってるフェラーリ見ましたがF50でした。この暑さで乗れる位だからエアコン完調なんでしょうね。
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こちらはオープンスポーツコーナーですね。
カニ目、トライアンフ、S800、フェアレディ。
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ランチア・ラリー037。
一番好きなグループBカーです。
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古くからDOHCを採用したアルファ。
バルブ挟み角が大きいですね~。オイルパンも。
きちんと整備すれば156あたりよりこの頃のアルファのほうが壊れないでしょう。多分。
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カウンタック。
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チゼータV16T。
一度乗ってみたいすね。
動画とかで見るかぎりそんなに音は良くないけど・・・多分、エンジンが大き過ぎて排気系を理想的な取り回しに出来てないと思います。
クライスラー傘下時代でガンディー二のデザインが手直し?されたディアブロよりむしろこっちのほうが原案に近いですね。

続けて飛行館に入ります。
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いきなり一式戦闘機「隼」が出迎えてくれます。
吊るされてる2翅プロペラのが1型、下にある3翅プロペラ未塗装のが2型。
猛禽類の隼は高い高度から優れた視力で獲物を発見、高速で急降下して獲物を狩りますがこちらの「隼」は蝶のように舞い蜂のように刺すって感じの戦闘機です。
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栄12、空冷星形14気筒エンジン。
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零式艦上戦闘機「ゼロ戦」21型。
陸軍の「隼」、海軍の「ゼロ戦」とも翼面荷重が低く特に低速での旋回性能が抜群に良くコントロールも容易な戦闘機です。戦闘機というのは基本、戦う事に特化し研ぎ澄まされた機体ですので発展性がありません。大戦中の航空機の進化は早かったので性能面ですぐに後れをとるようになりますが後続機の開発が難航した事もあって大戦末期まで使われました。
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よく、「ゼロ戦最強」とかってブログや雑誌を目にしますが。。。
こんな話を信じちゃいけません。
いや、好きなのは分かるんですよ。同じ日本人として。
何たって防御面がその名の通りゼロなゼロ戦や隼(隼は一応の防御鋼板は装備したが重量が増えるのを嫌がったパイロットが外す事も多かった)には防具を付けず刀身ひとつで戦う剣客のようなカッコよさがある。
大戦初期に目覚しい活躍をしたのも事実。
でも後にバサバサ落されたのも事実。
逃げる事は出来ても攻撃も出来ない。熟練パイロットならそのような状況でも少ないチャンスを逃さず敵機を撃墜する猛者はいたですが冷静に見れば欧米機に対して遅れをとっていた訳ですよ。
影響力のある雑誌やそれなりのメディアがゼロ戦最強!なんて謳うのは感心しません。
一般の人は簡単に信じちゃいますよ。
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特にゼロ戦マニア、ウザいす。
発想が短絡的なんですよ。
抜群の旋回性能→小回りして後ろをとる=強い!
長大な航続距離→粘れば勝てる=強い!
威力抜群の20mm機関砲→一撃必殺=強い!
オーストラリアでスピットに勝った→スピットはメッサーに勝った=最強!!
と・・なる訳です。。。
旋回性能は機動性の一部。加速や上昇・降下、ロール・・色々ありますから。
航続距離も遠い作戦空域までや洋上の艦隊を守るためチンタラ長時間飛ぶ必要があった訳です。通常ありえない距離を飛んで作戦出来たのは事実ですが燃料を多く積むのは逆に弱点にもなります。20mm機関砲、弓なり弾道になって命中させるのは難しいし弾数が少ないので新米パイロットじゃすぐに無くなります。
欧州では前線基地から飛び立つとすぐに会敵、空戦。地上からの攻撃も。
なのでゼロ戦のような戦闘機は要求されなかったし逆に欧州の戦闘機は洋上の戦闘では役立たず、です。アメリカ陸軍のP47やP51が航続距離が長いのはやはり長距離を飛ぶ必要があったからですし。
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旋回性能が空戦で何より重要であればこのような複葉機が最強になってしまいますわね。

「じゃあオマエは何が最強戦闘機と思ってるんだ!?」・・・って?

・・・知りませんよ。そんな事。。。(-_-)

戦闘機の優劣なんて闘いの局面や作戦でいくらでも変わってしまいますので。
それにパイロットの技量が大きいですので。
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ゼロ戦のスケルトン展示。
限られたエンジンパワーを生かす為に軽量化や複雑な生産工程が必要なゼロ戦。
これも主力戦闘機としてはネガな部分です。
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メッサーシュミットE型に積まれたDB601の国内ライセンス生産版、ハ40。
液冷V12気筒エンジン。三式戦闘機「飛燕」等に搭載された。
後部に大きなスーパーチャージャーが見える。
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さすが航空機用エンジンだけあって全ての部品がデカい。
当時の日本の工業力ではDB601に使われてる部品ほどの加工精度は得られず、また液冷エンジンの整備に不慣れな事も手伝ってトラブルが続出した。
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外にはF-86Fセイバーが。
ブルーインパルスの機体だったみたいです。
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加藤隼戦闘隊。
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一式陸功。
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その後部。
戦闘機がこのような機を攻撃する際は最もリスクの少ない位置から・・です。
ドイツ空軍のエースパイロット、エゴン・マイヤーやゲオルグ・ペーター・エダーが考案、実施した爆撃機に対する正面攻撃を「正々堂々と勇敢に戦った!」なんて勘違いしてる人いますが?単にソコが一番成功する確率が高かったからです。
敵機との相対速度が高く危険なので勇敢なのは間違いないですけどね。
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特攻ロケット「桜花」。
一式陸功に吊るされて攻撃目標を定めたら切り離されます。
一体誰がこんな兵器を考案したんでしょうか?
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ふ~。8月のみの開館の河口湖自動車博物館・飛行館。
イイもの見させて頂きました。
恐らく採算度外視の施設。
オーナーがどういう方なのか気になります。






























Posted at 2021/08/29 18:27:19 | コメント(6) | トラックバック(0) | 戦闘機 | 日記
2020年03月08日 イイね!

エースパイロット列伝①ミッキーなエース

つい先日、TV観たらこんなのやってました。↓

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ディズニーマニアのクイズ番組?。
結構いるもんなんですね。
ディズニーマニア。ミッキーマニア。
ミッキーマウスってもう90歳位じゃないの?
それが今でも人気あるのがスゴイ。

あ・・そー言えばこの番組に出てるマニアよりずっと昔のマニア、知ってた。
それは第二次世界大戦、ドイツ空軍のエースパイロット。撃墜王。
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アドルフ・ガーランド中将。
世界的にも最も有名なエースの一人だ。
「また戦闘機ネタかよ!車と関係ないじゃん!」
と・・・言われそうですが。<m(__)m
意外と第二次大戦の戦闘機と車って関係あるんですよ。
日本の零戦は三菱(エンジンは中島)だし隼や疾風は中島飛行機、つまりスバルの前身です。
それにメッサーシュミットのエンジンはダイムラー・ベンツ。
空冷のフォッケウルフのエンジンはBMW。
スピットファイアのエンジンはロールスロイス。
過給器はそもそも酸素の薄い高高度を飛ぶための技術でした。
え!?フェラーリは?アルファは??・・・
それは言っちゃいけません(汗)
ラテンの血は兵器には向かない様です。
イタリアの戦闘機はベンツのエンジンでようやく戦闘力を得たレベルだった・・・(=_=)

しかし自分は兵器マニア・ヲタクではありません!!多分。
戦闘機はもちろん好きですが、それ以上に好きなのがパイロットの逸話とか物語なんすよ。特にドイツ空軍は面白い。
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さて、このガーランド、他の多くのパイロットと同じように第一次大戦のエースパイロット、「レッドバロン」ことリヒトホーフェンとかに憧れ空を飛ぶ事に憧れ戦闘機パイロットを志願しました。
事故の影響で視力を落し戦闘機パイロットとして不適と見なされるも視力テストの答えを暗記したりして何とか戦闘機パイロットになりました。

※リヒトホーフェン=乗機を部隊色の赤で塗装したフォッカーやアルバトロス戦闘機を駆った第一次大戦のトップエースで「紅の豚」や機動戦士ガンダムのシャアのモデルになったと言われてるドイツの撃墜王です。

第2次大戦の前哨戦となったスペイン内戦でドイツが介入し第88戦闘機隊(コンドル軍団)の第3中隊長になり自らの隊を「ミッキーマウス中隊」と名乗った。ちなみに第2中隊長はギュンター・リュッツォウ(メッサーシュミットBf109で初の戦果をあげ最終的に108機撃墜)でガーランドはBf109が配備される前に戦果をあげること無くヴェルナー・メルダースに中隊長職を引き継いでいる。
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「ミッキーマウス中隊」を引き継いだメルダースとBf109初期型。
機体にはっきりとミッキーが描かれてる。
メルダースはリュッツォウらと空戦技術を磨き2機一組のロッテ戦術、それを2組並列させたフィンガー・フォー(シュバルム)等、近代航空戦術の礎を築いた。この戦術はやがて連合国にも知れ渡っていった。

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左:ガーランド、右:メルダース
やがてバトルオブブリテンになると第51戦闘航空団司令のメルダース、第26戦闘航空団司令のガーランド、第2戦闘航空団司令のヘルムート・ヴィックはぐんぐんスコアを上げて3羽ガラスと称された。
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シェブロンと呼ばれる楔マークに横棒は航空団司令のマーク。
ガーランドの機のコクピット脇には拳銃と斧を持ち葉巻をくわえたミッキーマウスが描かれた。
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爆撃機隊の護衛任務で直庵(爆撃機に寄り添うように飛ぶ事)行動をとってない戦闘機隊に不満を漏らした空軍トップのゲーリング元帥(写真左)がメルダースとガーランドの2人に「何か必要なモノは?」と聞いた時、
軍人として模範的解答をしたメルダースに対しガーランドが「スピットファイアの1個中隊をくれ」と言ったのは有名な話だ。
 メッサーシュミットは高速で機動する戦闘機だ。爆撃機のチンタラしたスピードから機動するならせめてスピットのほうがマシだよという皮肉だ。
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その後、メルダースが事故死すると戦闘機隊総監を引き継いだ。
英雄の死を避けたかった軍上層部は以後、ガーランドに戦闘機で軍事行動する事を禁止した。しかし彼はちょいちょい空戦し、ちゃっかり撃墜までしている。
ミッキーマウスがトレードマークのガーランドだが鉄道模型と葉巻好きでも知られる。だから彼の写真は葉巻くわえてる絵が実に多い!
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これも。
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これも。

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これも。。
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吸ってますねぇ~。
戦闘機にさえ灰皿を付けてもらってます。この人。

やがてストレートな物言い、歯に衣着せぬ発言でゲーリングと取り巻きの爆撃機隊との確執が深くなっていった。
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ヒトラーに賞を授与されるガーランド。
最新鋭のジェット機、メッサーシュミットMe262を試験飛行し戦闘機としての可能性を大いに感じたガーランドだったがヒトラーは爆撃機として開発するよう指示。
総統の頭にはもはやベルリンを空爆された復讐しか無かった。。。
Me262のような小型機に爆弾積んでも搭載量たかが知れてるのに・・・
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やがて戦闘機隊をののしったゲーリングにガーランドはブチ切れ・・・
「もうあなたにはついていけない。こんなモノはもういりません!」
軍人としての最高名誉賞のダイアモンド剣付き柏葉騎士鉄十字賞を床に叩きつけた。
これによりガーランドは戦闘機隊総監を懲免された。
しかし!これを阻止しようと立ち上がった者たちがいた!

ギュンター・リュッツォウ、ワルター・クルピンスキー(167機撃墜のエース)等、戦闘機パイロット達だ。
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ギュンター・リュッツォウ大佐。
リュッツォウは航空団司令時に自軍を訪ねてきたナチス親衛隊に
「何か手伝えることは?」と聞いたところ、親衛隊員に「ソビエトやユダヤのクズ共を処刑する為の兵員が欲しい」と言われた。
これに怒ったリュッツォウは部下全員を正装で集めナチス党員に、彼らのしている行為が愚かで嘆かわしいこと、もし部下のうち一人でもそれに志願する者がいたら職を辞すと啖呵をきった。
 
この事は親ナチ派のリュッツォウに対する圧力を強くした筈でガーランドはその矢面から守る為に彼を戦闘機隊総監に引き入れてたのだ。
だからガーランドが解任される事態で黙ってはいられなかったのだろう。
 しかしこの事はゲーリングを激怒させ反乱と見なされ銃殺刑にされてもおかしくない事態となった。(結果的には総監の任を解かれイタリア方面の事実上、窓際族?にされた)

さて、ガーランドだが・・・
ここでヒトラーの温情ともとれる一言がかかった。
「君が戦闘機にと言い続けてるMe262で敵を阻止したまえ。人選は任せる」
かくして、戦闘機隊トップの座から1飛行機隊長に成り下がったガーランドのもとに各地から名だたるエースたちが、ある者は呼ばれ、またある者は自ら志願し集まった。有名なJV44ジェット戦闘機隊である。
この中にはリュッツォゥ、クルピンスキー、負傷中から駆けつけたドイツ第2位のエース、ゲルハルト・バルクホルン(301機)、第8位のハインツ・ベーア(220機)などがいて、最後の戦いに飛び立っていった。
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JV44でのガーランド乗機。白の3。
さすがに敗戦濃厚な戦争末期で余裕が無かったのか?
ミッキーマウスは描かれてません。
ガーランドはMe262でも数機撃墜し最終スコアは104機。
最後は負傷し病院のベッドで終戦を迎えた。
戦後はアルゼンチン空軍顧問やコンサルタントとして働き、各国エースパイロットとも親交を深めた。

*****************************
さて・・・
実はドイツ空軍にはもう一人、ミッキーマニアがいます。

それが極北のエース、ハインリッヒ・エールラー、テオドール・ワイゼンべルガーと共に戦ったホルスト・カルガニコ大尉(60機)です。
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このミッキーのパーソナルマーク、かなりデカいです。
ミッキーがブーツを2個引きずってるのはカルガニコが戦闘不能になって不時着、前線から基地に逃げ帰ってきた際、ブーツが脱げて無くなってたからみたいです。
無くさないようにとのユーモアでしょう。
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元祖・隠れミッキー?
機首にも小さなミッキーが描かれてた時もあります。
こんなカワイイ戦闘機、照準器に入っても撃つのためらってしまいそう。
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撃墜スコアとしてはドイツ空軍の中では目立たないですが・・
マークが映える為プラモにもなっています。
モデラーの方ならご存知かもしれません。。。
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戦争という極限下の中、敵国のキャラクターをパーソナルマークとして戦った二人のエースパイロット。
日本軍じゃ考えられません。
日本では戦争末期、錬度の低い若いパイロットが「神風特攻」という狂気の作戦を命令された。
ドイツ空軍では一部で爆撃機とかを相手に体当たり攻撃が行われたが戦闘機隊総監のガーランドはこれを禁止した。

その他のエースパイロットも撃墜した敵機と並走してパイロットが無事なら「早く脱出しろ」と合図を送ったり戦闘不能になった敵機にトドメを刺さなかったり。
撃墜して捕えたパイロットの安否をわざわざ敵陣に知らせに行った者もいました。
当時のドイツ空軍には地上の戦いでなかったからこそかも知れませんが「騎士道精神」が残されていたのです。














Posted at 2020/03/10 23:27:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 戦闘機 | 日記
2019年09月16日 イイね!

スピットファイア。

ちょっと前の事ですが・・・

コンビニで買い物中に見つけた雑誌。
デイトナ誌9月号。
「む?スーパーカーブーム再び?」
・・・こいつは見逃せない。
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サクッと内容を確認のためページをパラパラ・・・
んん?
オカシイな。そんな記事載ってないじゃん。。。
!!あ。。。
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早とちりでした・・・(-_-;)
スーパーカーではなく・・・スーパーカブ。。。
ふ~・・・紛らわしい。
いや、雑誌は悪く無いんですけど。
でもおかげで面白い記事を見つけた!
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所さんが最近見つけて入手したというメタルモデル。

「おお~っ!スピットファイアじゃないですか!!」
これはカッコいい。MkⅠかMkⅡですね。
実機はこんなにキレイじゃない(風圧で表面が凸凹してる)のでプラモの上にアルミテープを貼って実機さながらに再現するという企画。
P47サンダーボルトを使うあたり分かってます。
そして、さらにページを捲ると!!
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おおっと!!
何じゃ!?このスピットファイア!!
さっきの模型というか・・・まるでP51Dムスタングのようなジュラルミン素地のボディー!!
カ・・カッコ良すぎる。
何でもレストアしたこのスピットファイアが世界一周のフライトをする企画があるらしい。日本にも来るとか!
 スピットファイアは個人的に第二次大戦機で最も美しい戦闘機とは思っていたが、ココでは「世界で最も美しい航空機」と形容されてる。
・・・確かに、納得。。。
何故ならスピット以上に美しい機を挙げろと言われても何も浮かんで来ないのだから。それにしても見慣れたRAF(イギリス空軍)の迷彩塗装からシンプルな仕上げになった事で本来の美しさが際立ってる事!

大英帝国の守護神、「スピットファイア」とは一体どんな戦闘機だったのか。
記事でも書かれてはいますが少し補足しときます。
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設計者はレジナルド・ジョセフ・ミッチェル。
22歳でスーパーマリン航空機製作会社に入社、25歳で若くして主任設計技師となった。当時、同社は水上機の開発・生産が主でありヨーロッパ各国では航空機の速度記録のエアレースが盛んで、当然その技術は各国の空軍も活かそうと目論んでいた。ミッチェルが設計した機は1927~1931年のエアレースで3連覇を成し、イギリス空軍が1934年に出した時期戦闘機の要求仕様書の競作に挑みスピットファイアの試作機が見事採用された。
それは非常に洗練された機体であり、同じエンジンを搭載した他の機より最高速で60Km上回り570Kmに達していた。
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この時、実はミッチェルは癌を患っており医師からもこのままのペースで働く事は余命をさらに縮めると宣告されていたのだ。
しかし休暇旅行で訪れたオーストリアでナチス・ドイツの増大した軍備を目にし、彼は自らの命を削る覚悟でスピットファイアを完成させたのだ。
エンジンはロールスロイス・マーリン液冷V12(1060hp)。
空軍はその高性能から300機あまりの発注をしたが1937年12月、ミッチェルは42歳の若さで生産1号機を見る事無くこの世を去ってしまった。

イギリス空軍にとって幸運だったのはスピット開発の跡を継いだジョセフ・スミス技師が有能だった事だ。
彼はミッチェルの元で働いていたがスピットを熟知していた。
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スピットファイアの特徴である、流れるようなボディーと楕円形で幅の広い、薄い翼は高速と旋回性能を両立させた。

まるで蝶のように美しい戦闘機だ。
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そして世界最大規模の航空機戦「バトルオブブリテン」でドイツ空軍と熾烈な戦いを演じた。とりわけメッサーシュミットとは性能が拮抗しており、上昇・急降下の縦の機動に優れるメッサーに対し旋回性能に勝っていた。
ルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)のパイロット達もスピットとその勇敢なパイロット達には敬意を持っていた。
ドイツ空軍の厳格な気風とは違いイギリス空軍には強大な敵に対する一致団結したチームワーク、風通しの良い家族的な雰囲気があったという。
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決して、スピットファイアだけの勝利ではない。
ハリケーン戦闘機も爆撃機相手によく戦った。
そしてイギリス空軍にはダウディング空軍大将により確立された当時世界最高峰のレーダー網と戦闘機隊を一元管理する管制システムにより限られた兵力を効果的に運用できたのだ。
 一方、ドイツ空軍はロッテ戦法という後に各国が参考にする戦闘機動を持って最強といえる空軍だったが総統ヒトラー及び空軍元帥ゲーリングの度重なる作戦変更や作戦そのもののミスによりこの戦いに敗れた。
 多くの兵器マニア?はバトルオブブリテンにおけるドイツの敗北の原因をメッサーシュミットBf109Eの航続距離の短さにあったと言うがこれは正確ではない。ヒトラーの作戦変更がなければ実際、イギリスは結構ヤバかったのだ。


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しかし何はともあれRAFはルフトヴァッフェの脅威からイギリス本土を守り切った!
空爆された施設の復興、官民一体のチームワーク。
スピットファイアは勝利の最大のシンボル。
メッサーシュミットも零戦も自国を守る事は出来なかった。。。

スピットファイアはその後も進化を続けエンジンも当然パワーアップ、翼端形状も高高度用の延長翼や低高度用に切り詰めたタイプと様々な派生型が生産され
た。MkⅤでは完全にフォッケウルフFw190Aにやられたが進化を休みなく続けた。
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そして名機、ロールスロイス・マーリン系エンジンからよりハイパワーのグリフォン系エンジンへと進化。
機首は武骨になりパワーも1700~2000hp超に。
高速は得たが操縦性には難しさがあったらしい。

ドイツ空軍が守勢にまわり弱体化する中、連合国の主戦力はアメリカ陸軍
の高高度爆撃機とその護衛戦闘機になっていった。
スピットファイアでは航続距離が短すぎたのだ。
その任務は主に偵察や地上爆撃になったが戦闘力は最後まで一線級で主力戦闘機の座は明け渡すことはなかった。

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さらに進化を続けスーパー・スピットファイア
と呼ばれたMk21,22ではレシプロ戦闘機としては究極の730Kmにまで達する。
 ジェット戦闘機の台頭でその存在価値は急速に無くなってしまったが・・・

スーパーマリン・スピットファイア・・・

自国を守り切った、最も偉大な戦闘機でありジョンブルが誇りに思うのは当然なのだ。








Posted at 2019/09/16 21:40:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | 戦闘機 | 日記
2019年01月27日 イイね!

エースパイロット


今週は自宅に戻り。

ここの所、戦闘機ネタ使ってたんで。
久々に読みたくなった昔集めた本。。。
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コレ、持ってた本の3分の1位。
取引先の従業員が戦闘機好きだったんで本貸したら返ってきませんでした。。。
で、本人いなくなって⤵・・・
そー言えば別の人に貸したCD50枚位も返って来なかったなぁ~~。
残念。

幼少の頃は戦争の悲惨さなんて知りもしないので撃墜王とかの話はワクワクしたもんです。
体験した訳でもないので知らないのは今も同じなんですけどね(汗)

よくバルサみたいな樹脂素材の戦闘機のおもちゃ飛ばしてたっけ。
あ!そうだ!
昔、ヒマな時に集中して作ったプラモ、あったな~。
どれどれ。。。タンスの中の段ボールにしまってあったハズ。
・・・あった!けど、あちこち
壊れてますわ。
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メッサーシュミットBf109F ヴェルナー・メルダース大佐機。
機体としては好敵手のスピットファイアーのほうが美しいけど、武骨なメッサーシュミットのほうが好き。カラーリングもイギリス機みたいに地味じゃなく、かといってアメリカ機のように派手過ぎず丁度いい塩梅。
 メルダースは第53戦闘飛行団の中隊長から第51戦闘飛行団司令となり戦闘機隊総監に登りつめた。人格者として知られており数々の戦闘機運用法を考案し立場的に戦闘飛行を禁じられたがこっそり出撃し最終的に115機を撃墜した。
 空軍技術局長、ウーッデット大将(第1次大戦の撃墜王)の葬儀に参列する為、本国帰還中の輸送機の故障による墜落事故で死亡。
 第51戦闘飛行団(JG51)には後、”メルダース”の名が冠せられた。

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メッサーシュミットBf109E。アドルフ・ガーランド中将機。
メルダースの戦友でありライバルの彼の逸話は枚挙にいとまがない。
拳銃と斧を持ち葉巻をくわえるミッキーマウスがトレードマークで大の葉巻好きの彼は戦闘機にさえ灰皿を付けさせた。JG26司令。
軽量だが武装が貧弱なF型を好んだメルダースに対し、より武装が強力な機を好んだという。メルダースの死後、戦闘機隊総監をまかされ前線に出る機会は減ったが彼もちょくちょく命令違反してこっそり出撃している。
 戦闘機運用法や政治的な部分で空軍トップのゲーリング元帥(第1次大戦の撃墜王)としばし対立し・・・戦闘機隊トップの座を辞し、有名なJV44、メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機隊を率い終戦まで戦った。この戦闘機隊は各地から名だたるエースパイロットが集められたトップガン集団である。
 最終的に104機撃墜したガーランドは戦後どこかの国(忘れました)の空軍顧問になっている。

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メッサーシュミットBf109E、ヘルムート・ヴィック大尉機。
西部戦線、バトル・オブ・ブリテンでメルダース、ガーランドとスコア争いをしていたヴィックは第1次大戦のトップエースである有名な「レッド・バロン」ことリヒトホーフェン
の名を冠した第2戦闘航空団の司令として戦った。
 スピットファイアと交戦中、英空軍のエース、ジョン・ダンダス大尉(16機撃墜)に被撃墜され機から脱出したものの行方不明となった。
また、ダンダス大尉も同じ空戦で別のメッサーに撃墜されている。
最終56機撃墜。

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メッサーシュミットBf109F・trop、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉機。
 「アフリカの星」の異名を持ち、映画化もされた。
天才的な操縦&射撃技術を持った彼はバトル・オブ・ブリテンから地中海、アフリカ戦線で実に158機の戦果を強敵の英米機で挙げた。
曲芸のような失速寸前の急旋回、敵機の動きを予測した見越し射撃の名手でエースの中のエースと呼ぶに相応しい。
またイケメンでもあった彼は当時の女性の憧れの的でもあり任務中に女の所行って戻らなかったりかなりの問題児だったようだ。
 トラブルの出やすい新型機は好みではなかった彼だが、その新型機(メッサーG型)の搭乗中、エンジントラブルが発生、自軍地内に戻った時はコクピット内が煙で充満しており機から脱出したものの自機の尾翼に接触、パラシュートが開かないまま転落して死亡。
 第27戦闘航空団の彼の隊は彼に頼りっぱなしだった為、彼の死後、ガーランド中将が使い物にならないと判断、休暇を言い渡している。この頃、英米機と独機の割合は10対1にまで拡がっていた。

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メッサーシュミットBf109G、ヘルマン・グラーフ機。
 大戦中、初めての200機撃墜を達成し最終的には第52戦闘航空機団司令となったグラーフ機は赤いチューリップ(機首の模様)が非常に派手だ。フォッケウルフFw190でもも同じようなカラーリングの機に搭乗した。
主に東部(ロシア)戦線でスコアを重ねていった彼はナチスのプロパガンダもあり有名であった為戦後ロシアの捕虜となったが、この際早く解放される為、積極的にロシアに協力したとされ戦友会からハブにされてしまった。
 最終212機撃墜。尚、ドイツ空軍の撃墜数が他国に比べ圧倒的に高い事から戦後様々な調査が行われたがむしろ他国より撃墜判定は厳格で正確な事が分かっている。自軍に対して連合国の機が遥かに多かった事、出撃回数が多かった事、陸続きで被撃墜されても比較的生還率が高かった事が要因と言われている。著名なエースパイロットも何度か撃墜されてる事が多く日米の戦闘では太平洋上がメインなのでこうはいかなかっただろう。

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メッサーシュミットBf109G-14、エーリッヒ・ハルトマン大尉機。
 G型の最後のほうの機種で冬季迷彩。
前人未到の352機の撃墜数は今後も破られることはないだろう。
機首に黒いチューリップ、コクピット脇にハートを射る矢を描いた機で東部戦線を戦ったハルトマンは敵軍から「南部の(またはウクライナの)黒い悪魔」と恐れられた。
メッサーの特質を活かした一撃離脱戦法に徹し、高速で敵の見えない位置から接近して非常に少ない弾薬で撃墜を重ねていったが、やがてハルトマン機を見ると敵機が逃げ戦果が落ちたので黒いチューリップは描かなくなった。
 東部戦線での撃墜評価は低くなる傾向だが彼が戦地に赴いたのはマルセイユの死後の大戦末期でロシア機との性能差は僅かでしかなく、この短期間に驚異的な撃墜数を上げた。クレバーな戦闘だけをして僚機を一度も失わない事を身上としていた。
敵国から恐れられたエースも実はあどけなさの残る若干20歳で自軍からは「坊や」
「金髪の騎士」と呼ばれてた。
 大戦末期、ガーランドからJV44ジェット戦闘機隊に召集されるもこれを断り、最後まで東部戦線を戦った。敗戦間近に首脳陣から戦地を脱出して西側国に投降するよう言われたが部下や戦友を見捨てる事は出来ないとして上官のグラーフと残り米国に部下とともに投降したが勝戦国間の取り決めで結局ロシアに引き渡され長年、戦犯として抑留された。

*****************

キラ星のごとくエースが大量にいるドイツ空軍・・・
他にもハルトマンの兄貴分であり301機を撃墜したゲルハルト・バルクホルン(史上2位)、上官だったギュンター・ラル(275機で3位)、無敵の4機編隊を率いたヴァルター・ノボトニー、ジェット戦闘機のトップのハインツ・ベーア、ノルマンディー上陸作戦時に僚機とのたった2機だけで機銃掃射に向かったヨーゼフ・プリラー、強大な重爆撃機への正面アタックで恐れられた「白いスカーフの男」エゴン・マイヤー、夜間戦闘のみで121機もの連合機を落した「サントロンの亡霊」ハインツ・ヴォルフガング・シュナウファー・・・
非人道的なナチスドイツにあって空で祖国の為に戦った多くのパイロットたちは実は純粋にただ空に憧れた青年たちでした。

戦地に散った者。葛藤の中で屍を築いていった者。。。

そんな当時に思いを馳せて・・・
まだ作ってないフォッケウルフ黒の13、プリラー機でも作ろうか。。。

あ、いや、そんな時間無いわ。。。












 




Posted at 2019/01/27 16:56:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | 戦闘機 | 日記

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「通りすがりの者ですが某コンビニで答え見つけました。ロー●●でハピろー!」
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