今回はご報告があります。
すでにご存じの方も多いかとは思いますが、実は歌舞伎号を降りました。
歌舞伎号が大好きすぎて、まったく立ち直れていなかったので今頃書いています。
何が起こったのかといいますと、遡るは5月19日。
富士チャンピオンレースのN0第二戦のことです。
だいぶ報告がおそくなってしまい、すみませんでした。
N0第二戦、予選が振るわずに結果28位中15位となってしまいました。
理由はスリップを上手く使えなかったこと、前に自分よりも遅い車がいるのにオーバーテイクに手こずって予選の時間を無駄に使ってしまったことが原因でした。
そして、いざ決勝が始まると、その焦りは空回りに変わります。
そもそも、レースとしてはこれまで3戦を経験して、4戦目でした。
K4GPなどもいれると、そろそろレース経験も2桁にさしかかろうかという時期。
でも全然甘かったです。
1週目、スタートで何とかポジションを守るものの、周りの車にヘアピンコーナーで当てられます。
自分のラインを守って走っているだけなのにラインを被されて左フロントをヒットさせられ、その流れで右フロントも同じくヒットさせられます。
この時点で冷静さを欠いていた僕の負けでした。
そのままレースは3週が過ぎたものの、スタートから同じぐらいの位置で、ストレートの速いNBとまだやりあっていました。
しかし、タイム的には同じぐらいで走行しているNBのため、インフィールドやコーナーではこちらの方が早い・・・どんどんと先頭集団と離されていく様子にフラストレーションが溜まり、1コーナーでスリップから出てブレーキング勝負を挑んだところ、更に前に居たNBのおしりにヒットさせてしまいました。
4年近くモータースポーツをやっていて、初めて他人の車に当ててしまった瞬間でした。
その時の方には本当に申し訳ないことをしてしまいました。
何度謝ったかわかりませんし、相手の方も許して頂いたのですが、未だにこの時の申し訳なさは心の中に残っています。
スピンしておしりを当ててしまった結果、自分と相手のマシンがスピン。
そこに運悪く後ろに居たNA6の方が当たってきてしまい、そのレース4度目のクラッシュとなってしまいました。
当たってしまった箇所は、左リアのクォーター。
この時のNA6のドライバーさんにも申し訳ないことをしてしまいました。
これで前後バンパー、左フェンダー、左リアクォーターが破損してしまいました。
結果、タイヤがバンパーに当たってしまうために、レースは棄権。
完走できずに4週でリタイアとなってしまいました。
そもそも、クラッシュが4年近くモータースポーツをやっていて初めての経験。
当ててしまったのも、当てられてしまたのも初めてでした。
いつかはあること・・・と思っていましたがまさか本当になるとは。
結果、歌舞伎号は修理に出すと相当の金額が取られてしまうことから、金銭に余裕の無かった私は歌舞伎号を廃車にすることしかできませんでした。
毎日駐車場に行って、カバーをちょこっと捲ってニヤニヤする。
大切だからあんまり街乗りはしないようにする。
自分の家族の家族のような存在でしたから、ショックが大きすぎました。
結果、今頃の報告となってしまったわけです。
すみません。
今、私は歌舞伎号を売ったお金でN1のロードスターレースに出場しています。
もともと、N1ドライバーの師匠に憧れて入ったレースの世界。
このタイミングでN1に行った方がいいというコーンズ社長からのアドバイスもあり、その道を選択しました。
間違ってはいなかったと思っています。
でも、このわだかまりは死ぬまでずっと残りそうです。
今の愛車ですでに1度レースをしました。
8月10日のFCR、N1デビュー戦。
予選は11台中7位と振るわずでしたが、決勝では11台中6位でフィニッシュをすることができました。
N0のときは毎回レースが無事に終わるかヒヤヒヤしていたのが本音ですが、N1は全くそういう不安がありませんでした。
N0の時よりも車同士を側にしても、全然安心感が違います。
その差が何なのかはわかりませんが、走っている楽しさは断然N1でした。
悔しいですが、実際はそう感じてしまいました。
歌舞伎号は最高の愛車でした。
それを上手く生かせずに死なせてしまってごめんなさい。
でも、僕をレースの世界に連れてきてくれてありがとうと言いたいです。
めげずにこれからも頑張って、もう一度歌舞伎号のようなマシンを今度は僕が作れるようになるまで続ける事が僕なりの責任のとり方だと思うので走り続けます。
また、今回の一件で僕の周りには支えてくれたり、真剣に考えてくれる人がたくさんいることを学ぶ事ができました。
師匠、コーンズの社長、メカさん、レース仲間の皆さん。
励ましてくれたり、一緒に考えてくれたり、ありがとうございました。
心の底から、「この人達が居てくれたから今の自分がある」と痛感しました。
まだまだ未熟ですが、それが10年後には「あの時は若かった」って笑えるように頑張りますので、今後ともよろしくお願い致します。
絶対もっと、誰よりも上手くなってやる!