鶴岡八幡宮との土地貸借契約完了により、鶴岡八幡宮境内にあった神奈川県立近代美術館は閉館。その鎌倉館は修復され鶴岡八幡宮に無償譲渡、鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとなって今年の6月にオープン。
鎌倉別館、2年間の改装工事が終わり、10月11日から『鎌倉別館リニューアル・オープン記念展 ふたたびの「近代」』が開催。少し落ち着いてきたのでは思って鎌倉別館まで行ってきた。鎌倉まで行くので鏑木清方記念美術館も。
ドライブだけの時は行き帰りは全て下道で往復するけど、今日は往路だけ高速。本当に久しぶりに圏央道の入間から乗った。中央道、そして東名に繋がった頃は路面は本当に滑らかで素晴らしい道だったけど、やはり交通量が当時とは遥に多くなってしまったので、あの滑らかさは何処かに行ってしまった。東名と繋がった頃、ナビの画面は何もない所をマーカーが動いていた。
鎌倉別館までは藤沢ICまで走った方が速そうだけどやはり国道134号を走らないのは違反。茅ヶ崎海岸ICで降りて国道134号に、国道は空いていました。鵠沼のモスでお茶して鵠沼海岸に、風が強くて早々と退散。波もいつもと違って荒れていた。
鶴岡八幡宮までの道もスムース。鶴岡八幡宮の駐車場に停めて八幡宮に参拝。鎌倉文華鶴岡ミュージアム、きれいになっていて脇にカフェまで出来ていてびっくり、改修工事中の時は何度か遠目に眺めていたけど、カフェ、今度入ってみよう。
参拝後、拝殿脇から鎌倉別館まで。目につくのはやはりカフェ、グリーンモスでお茶してしまったので今度ね。
展示概要と
パンフレット。
牛田鶏村「早春賦」、藤田嗣治「ちんどんや職人と女中」、麻生三郎「人のいる風景」、阿部展也「R50」。「早春賦」火鉢に当たりながら本を見るおかっぱ頭の少女、遠くからでも存在感のある「ちんどんや職人と女中」、何故だかこのような画風が好き「人のいる風景」、見続けているとその独特な立体感に引き寄せられる「R50」、面白かった。
鎌倉別館、ロビーにあった図録をめくったらジャコメッティも収蔵品との事、その図録は買ってきたけど展示されたら見に行こう。外に出たら庭に展示されている彫刻がガラスにきれいに映っていた。
小町通に行って鏑木清方記念美術館へ。ほとんど見ることのない下絵、「新富町」「築地明石町」「大川端」。美術館の中にアトリエが再現されているけど、そのアトリエで色々な下絵を描いて推敲を重ねていたんでしょうね。
豊島屋で「鳩サブレ」を買って終了、小町通は賑やかでした。帰路、今日はナビの指示のまま帰ったけど失敗、何でそんな所を通るのかと・・・、勝手に走ればよかったと反省。そう言えば、いつも「つるがおかはちまんぐう」とナビに叫んでも「ありません」、ふと気が付いた、ナビのデータ(漢字)的には「つるおか」ではと思って「つるおかはちまんぐう」と叫んだら「これですか」と出た。そうなんだと。
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圏央道青梅辺り。いつもは相模原愛川⇒厚木は良く利用するけどこの辺りは本当に久しぶり。
高速から降りて国道134号。
モスでお茶してから海岸にでて。風が強くて早々と退散。
いつもの鎌倉高校前。そのあたりで海を見たら、荒れていた。
着いた。
鎌倉文華鶴岡ミュージアム、カフェまで併設されてきれいになってびっくり。
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館。庭の彫刻がガラスにきれいに映ってた。
鏑木清方記念美術館へ。鳩サブレを買って小町通り。
帰路、鎌倉街道を少しだけ走る。
満月の時間になってしまいました。
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神奈川県立近代美術館『鎌倉別館リニューアル・オープン記念展 ふたたびの「近代」』。
牛田鶏村「早春賦」
藤田嗣治「ちんどんや職人と女中」
麻生三郎「人のいる風景」
阿部展也「R50」
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鏑木清方記念美術館。展示されていた下書きではないけど。
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帰り、FMを聞きながら走っていたらとある番組の中で「私は、それを取ったら何も残らないプロがあこがれ」というような事をしゃべっていた。その道のプロ、豊富な知識がそれを形作っている事を知らないのかな?あなたが考えるほど甘くない世界。
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中村哲氏、合掌。国連憲章でも「戦争放棄」は謳われているし、「平和」「戦争放棄」を謳う国家は日本だけでは無い。アフガン人は日本の九条を知るからと「九条の会」の方々は言うけど、アフガン人は国連憲章やほとんどの国家が憲法で謳っている「戦争放棄」について知っているのかな。アフガン人は本当に日本国憲法を知るから日本人を襲わないと。
民主党が潰そうとした青年海外協力隊、彼らの努力、そして中東を駆けまわっていた誠実な日本員ビジネスマン。彼らが日本の評価を支えていた、決して九条が支えていた訳では無い。中村哲氏「医者は命を救う」とい事を実践しているとおっしゃっていた。「救う」、それが氏のバックボーン。現実を見ようとしない「九条の会」(と言うより、それを支えている共産党の方々)、氏の活動の原点を知る事はしないんですよね。氏が何故そちらに流れて行ったのか不思議だ。
外国人が九条を語る
中村哲氏、下の動画のように目の前の現実を自分の出来ることで救う事が医師としての役割だとおっしゃっていた、諄いけどそれが原点だと思う。
Real Life Heroes - Bikers Helping Others - Faith In Humanity Restored 2018
中村氏と同じように台湾の嘉義にダムと水路を作り嘉義を穀倉地帯に変えた八田 與一氏、台湾と同じようにフィリピンにもと依頼され、フィリピンに調査に行く途中に米軍の魚雷攻撃で沈没、八田氏の夫人、それを嘆いて八田氏が作った嘉義の水路に身を投げた。
Posted at 2019/12/13 15:57:48 | |
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