
今日もお天気はイマイチですね。
夜の間にまた雨が降ったようで地面も濡れていましたし。
いや、今日は小5の次男の運動会なのですがグラウンドがグチャグチャっぽくてイヤだなぁ、なんて。
昨日の長男の場合は、屋内の競技場で観覧席から見ることが出来たので超ラクだったんですけどね、席取りも必要ないし。
うーん、今日は順延にしてくれて予備日の火曜日にしてくれれば良いのに、私、休み取ってるし(笑)
ま、そういう訳にもいきませんな。
ところで、本日のブログは懐かしく思う方も結構いらっしゃるんじゃないかしら?ということで、バブル期のスキーブーム真っ只中の頃の昔話でもしてみようかしら。
当時のスキーウェアってどんな感じ?というネタでいきたいと思いますが、大学時代の4年間でも、これが意外と変遷があったというお話しです。
ちなみにタイトル画像は以前懐かしさに負けてAmazonで高額で購入したホイチョイプロダクション編集の名著、極楽スキーの表紙スキャンであります。
この本は考現学の貴重な資料にもなるよなぁ、マジで。
80年代中盤くらいから90年代前半くらいまでに青春時代を過ごして、スキーにはよく行っていたよ、という方であれば、きっとこの本をネタに一晩中でも話題が尽きずに楽しく飲めるんじゃないかしら。
当時のスキーの、あるあるネタならぬ、あったあったネタとかで。
というわけで、本題のスキーウエアの変遷のお話に参りますが、ま、論より証拠ということで画像を何枚か見ていただくのが良いんじゃないかしら。
ではまず1枚目であります。
これは多分、88年か89年初頭くらいの志賀高原、もちろん格安バスツアーでありますが、まだ皆のスキーウェアも黒っぽいのが多いな。
バブル期のスキーウェアというと蛍光色のハデハデなタイプを想起しがちでありますが、まだこの頃は大人しかったですね。
ワンピースタイプのが主流だったのかな。
もちろん当時でもハデなタイプは発売されていましたが、当時の私たちのところまではそのムーブメントは到達していなかったのかもしれません。
そして2枚目になると・・・
これは89年か90年初頭の八方尾根だと思います、この時も無論バスツアーのはずですな。
見ていただくとわかる通り、上半身はだいぶカラフルになってきております。
そして下半身もデモパンのヤツが現れてきます。
ちなみに前列真ん中の紫のデモパンが私でありますが、今見るとギャグにしか思えんばい。
ああ、恥ずかしい。
そして3枚目が以下の画像であります。
おお、随分とカラフルになってきましたね、上下ともに。
これは昨日貼った画像と同じく、91年初頭の蔵王、これもバスツアーですが、これこそ当時のスキーヤー典型という感じではないでしょうか。
あ、この時は私はなぜか古い黒いワンピースに戻っておりますが、確か当時の彼女にもっこりしていてカッコ悪いからヤメて ! なんて言われたからのような気がするなぁ。
画像の向かって左端で、前のヤツのお尻を掴んで挿入ポーズを取っているのが私ですが、いや、将来見たときに絶対恥ずかしいというかバカっぽいからやめたほうが良いよ、と当時の私に言ってあげたい気持ちでいっぱいです(汗)
ということでいかがでしたでしょうか。
厳密に言うと写っているメンバーも若干違ったりはしているので、完全な比較写真というわけではありませんが、大体の雰囲気は掴めると思います。
四半世紀ちょっと前の日本のスキー場はこんな感じだったということであります。
ああ、私をスキーに連れてって、の世界よもう一度、というところですね。
本当は女子のウェアも紹介したいところでありますが、残念ながらそんなにモテるグループではなかった私たちは野郎だけで行くことが多く・・・
ゼミの女子と行った写真もどこかにあったかな? 今度もう少し探してみよう。
そうそう、極楽スキーによるとこの当時88年前後にはすでにスノーボードは日本でも普及しつつある、という記述もあるのですが、一度も見たことなかったなぁ、私は。
いずれにしても、ウィンタースポーツは楽しいですよね。
スキーブームも終焉を迎えて久しい訳ですが、最近は親世代が子どもを連れて戻ってきているとも言いますし、少しずつスキー場への人出も一時期に比べれば増えているようですから喜ばしい限りです。
私も今年50歳になりますが、まだまだスノーボードをやめる気はありません。
今から来シーズンの予定を楽しく妄想しております(気が早っ)
モロモロ考慮すると、行けて滑走日数数日間、ってところにはなっちゃうと思いますけどね。
でもオッサンですが、あと20年は頑張って滑りますよー。
バブル世代って、何でも良いけど生活の中に楽しみを見出さないとやっていけないんだよね、ってことで(爆)
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Posted at
2017/05/27 08:54:42