
コロコロコミック、今でも小学生に大人気のマンガ雑誌ですし、息子たちも当然のごとく読んでいたなぁ。
創刊は1977年5月、私が小学4年生の時かしら、ええ、私も読んでいましたとも。
最初の頃はほとんどが藤子不二雄先生の作品で占められていたような記憶がありますが、Wikipediaを見るとあながち間違いではなかったようです。
あと、同時期にはどっかんVという学研が出しているマンガ雑誌もあって、創刊号を買うとバット形のボールペンが貰えたんだよなあ、ああ懐かしい。
ちなみにコロコロコミック、そしてどっかんVが創刊された1977年、昭和52年はあのスーパーカーブームが一番熱かった時ですね。
どんな書籍や記事にもそのように書いてありますが、自分の記憶を紐解くと翌年昭和53年もまだ熱かったかな。
当時は父の転勤で福岡に住んでいた私ですが、あ、小学校は新庄監督と同じところ、4学年違いだから間違いなく校内ですれ違っているはずです、私が5年生の時のピカピカの1年生だったわけですからね新庄監督は、って話が脱線しましたが、当時福岡にもスーパーカーショーは来ていたんですよね。
過去ブログでネタにしたこともあるかと思いますが、ランチアストラトスの助手席に乗って会場の回りを一周、なんて経験も。
確かあれも有料だったような気がしますが、でも、今考えると結構レアだよなー。
その時はストラトスかぁ、なんて少しガッカリしてしまったように記憶しておりますが。
で、コロコロコミックから随分離れてしまいましたが、チンクちゃんか56565km到達ということでコロコロということであります。
つまんねー、というところですが、ま、一応ゾロ目でもキリ番でもありませんけど、ちょっと写真に収めてみたくなったオドメーターの並びだったということでご容赦くださいませ。
うーむ、コロコロコミックはやっぱりマンガ雑誌の入り口だったよなぁ、私世代にとって。
もちろん学研の科学と学習にはマンガは載っておりましたが、マンガ雑誌としてはコロコロからというケースが圧倒的に多かったかと。
その後はみんな「少年○○」に移行していくわけですが、そこでその後の人生観が形成されていくようなところもあったんだよなぁ、大げさではなくて。
王道は今も昔も変わらずジャンプであることは誰も異論を挟むことはないかと存じますが、私は覇道とも言うべきチャンピオンを選んでしまったからなぁ。
(作品単体のサーキットの狼は別として)
チャンピオンは当時はジャンプをもある意味上回る勢いがあったとですよ、圧倒的パワーで押し切る強力連載陣によって。
ドカベンしかり750ライダーしかり、忘れてはならないブラックジャックしかり。
さらにそれを上回るインパクトを私に与えた作品は、もう何度もネタにしておりますがマカロニほうれん荘だったわけで、この作品をベースに私の人格が形成されてしまったのは良かったのか、悪かったのか。
いや、長くなりました(汗)
でもこの辺の話題、語りてー、な私であります。
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Posted at
2024/12/30 18:47:16