前回に続き、頭上に見えた関西ローカルネタ第二弾です。
今回の舞台は大阪市北区梅田1丁目付近、国道1号線終点・国道2号線起点の梅田新道交差点に面した大阪駅前第3ビルと、その北隣にある大阪駅前第4ビルの間の地下道です。
梅田の地下というと、日本で最大規模の地下ダンジョンでして、慣れない方はすぐに遭難しかねない状態だといえます。
この地図(注:外部リンク先はPDFファイル)を見てもらうと分かるかと思いますが、幾つかの地下街が繋がっています。これだけ見ても非常に複雑ですが、大阪駅前第1~4ビルの地下は1~2階の二層構造になっており、特にこの近辺は迷いやすいエリアです。
詳しくは後述しますが、様々な業態の店や事務所が入居しているので、様々な店が見受けられるのですが、昔は想像もつかない店が入渠していたりするのです。
それが前述の大阪駅前第3ビルと第4ビルの間の地下2階の連絡通路なのですが、上記の画像をご覧ください。
ただの地下道にしか見えないでしょう?見えないですよね??
でもそれだけで済ませてはいけませんよ。
何か違和感を感じないでしょうか?
そうです、何故か壁面埋め込みの広告枠が何もない区画がありますね。まあ、言われなければ気付かないようなものですよね。
私だってネットでこの事を知るまでは気付かずに素通りしていましたから(ぉ
では、どういうことなのか調べるため、ちょっと近づいてみましょう。
天井に何か見えますね…

壁際の天井に、なにか付いていた跡のような蓋が見えますね。
まあ、壁にあるスイッチなどを塞ぐカバーなのですが、これは他のビルと同様に店舗前の看板をぶら下げていた跡です。
ということはビルの間であるこの場所に
元々は店舗があったということですね。
元々店舗があったのでこのように看板の跡が残されていたり、出入り口などがあったために広告枠がなかったということになりますね。
でも、何故わざわざビルとビルの間に出店していたなんて、どんなお店かと気になりますよね?
実はここ、元々
銭湯があったそうです。
ビルができた当初の時期から1991~92年頃まで、
梅田一番湯という銭湯があったとの事です。
元々広い銭湯ではなかったものの、ビジネスマンが多く利用していて賑わっていたとのことです。
とは言え、ターミナル駅前すぐの、繁華街のど真ん中とも言えるこの場所に何故銭湯が出店していたの?と気になられる方もおられるでしょう。それは、この一角の歴史が関わってきます。
冒頭でも述べた梅田一丁目界隈、国道2号線より北、JR大阪駅前より南側、四ツ橋筋より東側、御堂筋良い西側…え、分かりにくい?じゃあ、地図を開いて地下鉄御堂筋線と四つ橋線とJR東西線と阪神電鉄本線に囲まれた一角…って、これでも分からない?!Google Mapでも開いてください(投げやり)
失礼、話が逸れましたね。で、この梅田1丁目界隈は戦後、闇市から始まり、住宅や商店が立ち並ぶ地域でした。国道2号線の桜橋交差点の北東(現在、大阪駅前第1ビルが建っている辺り)は繊維街が立ち並んでいました。
このターミナル駅前の一等地とも呼ばれる地域の再開発が始まったのは昭和36年のことでした(その時の画像は
大阪駅前第1ビルのホームページに掲載されています)。
再開発で駅前ビルのため立ち退きの際に、等価交換で新しいビルの地下に入居した店も多数あったとのことで、その中の一件が梅田一番湯だったのでしょう。他にも、地下ビルにとって珍しいテナントとしてはレコード店やら八百屋などもあり、それらは一部が今も尚営業しています。
とは言え、立地がよく売上が良いとしても、元々は個人商店なども多いからか、店主の高齢化などで閉めた店も多々あるようです。梅田一番湯もそうした中の一件なのではないでしょうか。
営業中の頃の情報が知りたくて色々調べてみたのですが、営業中の写真は一枚も見つかりませんでした…営業中がどんな感じの銭湯だったのか、とても気になるものです。
因みに、この大阪駅前第3ビルの地下二階に古書店街もあるのですが、ここもまた駅前の繁華街とは思えないような趣きです。近年は店が減りつつあるのですが、なかなかお目にかかれないような本を探すのも楽しいものです。
自動車関係だと、モーターファン別冊ニューモデル速報シリーズのバックナンバーもあったりします。
銭湯跡を探しに来られた際には、こちらにも来られることをお薦めします。
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関西ネタ | 日記
Posted at
2016/02/06 21:17:39