生きることってとてもしんどい。
ちょっと暗くて泣き言ちっく。
「あほかお前そんなこと書くな」
という人はこのままペラッとページを閉じて
おねーさんモリモリのところでも・・・・(寂)
こないだ家の段差で転んで落ちた。
ものすごい全身にショック受けて(身体も心にも)
そして、歯の詰め物までもがポロンと外れた。
とがった歯で食事をすることはモグモグするたび尖った歯の先が下にあたって痛い凹
そして薬を飲んでちょっと良くなった「ような気がする」ズルッ鼻もゴホン咳もいつまでたっても回復の兆しもなくかなり身体、しょうじきキツイ。
そんなこんなで最近いろいろでなぜかほんまに眠れなくて。
ぼんやりしてたらモノは落としまくるしミスが多い。。。。。。
「大丈夫凸」
とニッコリ立ち上がっていろんなことに感謝したりニコニコして過ごしているが、もしかしたら無意識で心のなかでは泣いてるような感じがする。 「もしかして」なので本当の事実かどうかは不明。
いつも一人で過ごしていて何をするのもどこへ行くのもたいてい一人。
家族もなければ身近になにかあったときに命綱になってくれるような友人もいないといつぞや書いた。 孤独死まっしぐらだと。
キチンとした定職もないし守るべきものが何もない、いや守るべきものがありすぎて逆にものすごい保守的になって。。。。
保守的で、そして上に書いた「
なにもない」ことが「
生きがいがない」ことになっているんだと改めて気づいてなおさら気力が落ちた。
そんなこと気にすることなくマイペースでヘラヘラと過ごして、お寺さんにお参りに行ってみんなの幸せを祈って過ごせりゃそんでエエ。
と開き直れない。
好きな人が多すぎて (基本的にはみんな好き) 、
しかし本当に心から愛することのできる素直に身を任せられる人がいない、いないというよりも自らあえて作ろうとしていないことにも気づいたのである。
誰かに喜んでもらえたら、うれしい。
誰かが笑ってくれたら、うれしい。
みんなが幸せでよくいてくれたら、もっとありがたい。
けれど自分のことにはまるきり。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。言えない、恥すぎて書けない(^o^;)
そんでも今日もお寺さんにお参りに行ってきた。
行くと、以前に何度かお会いして挨拶やちょっとしたおしゃべりをしていた親子連れに会えた。
「久しぶりですね」
と挨拶しあって話をきくとお嬢様が心臓の手術で入院していたり、退院したら今度は奥さまが甲状腺の病気かなにかでいろいろ大変だったとのこと。
いろいろと話しをしてお嬢さん、ものすごくかわいい・・・・・・・・・・お母様も穏やかでのんびり、お父さんはちょっと井筒監督に似ていて、けど穏やかでそしてかっこいい。
「あのおねーさん、どうしてるかなー」って話してたんですよ(笑)
といってくださること、ものすごく嬉しくてありがたかった。
すぐに家に戻って子供用のお守りなんかを持って親子連れのところに行くべきだったのかもしれないけどお参りをして、自分の用事を済まして・・・・
それからやっと家にあわてて戻ってお守りを持って出たけど、、、もうお帰りになった後でお目にかかれることがなくてちょっと落ち込んで反省した。
自分にはなんのちからもなくて
人の力や優しさに甘えさせてもらって
ものすごくありがたいと感謝はしているそんな気持ちはあるものの・・・・・・・・
「ありがとうございます」
としか言えない。
「それだけでいいよ」
といってくれる人もたくさんいるかもしれないけど、そうじゃない人もいる。
けれど私にはそれ以上のものをお返しすることはできない・・・・・・・・・・こう書くと、もしかしたらもう優しくもなんともしてもらえなくなるかもしれない。 けれど書いてしまう。
みんながみんな私のことをよく思っている訳でもない。
(人間みんなに言えることだが)
たくさんの人から悪意をもたれているし疎ましいとも思われている。
わがままで面倒で傲慢な身勝手なやつだとも。
身体が弱りまくってるときに例えば冷たくされたりすると、もっと身体には元気がなくなってく。
頼りにしてる人にちょっとでも期待して何かを求めようとして無視されたり拒否されたり否定されるとやはりかなりダメージはうける。
メールを送ってヘルプを求めても返事がずーーっとなくて、うんとしばらくしてから
「ごめんね、2時間もデンワしてた」
って言われたら安心するのと同時にちょっと不満にも思うし、やっぱり寂しい。
「いつも助けてほしい」
「すぐに連絡とれたらいいのに」
「いつも見守っていてもらえたら」
勝手なことばかり自分勝手なことばかり願って、そうじゃない人にはもしかしたら不満があるのかもしれない。。。。
だけど言えない。 友人でも家族がいたり別の友だちが居たり、男の人なら彼氏でもないし・・・・・・・・
恋人にも、彼女にもなれないなろうとしない、いや「
そうできない」。 そんな自分がいる。
お参りばかりして、自分の殻にバッチリ閉じこもって他の世界に出ていないことに気づいた。
パーソナルスペースが限りなく狭くて窮屈で誰も近寄ることができないようにしてる。。。。。。。。
近寄ってみても自分自身で自分の前に分厚いカベをどーん凸と立てて入れないようにしてるのかも。
自分はズカズカ土足で踏み込んでおきながら人が入るときはパタンと扉を閉じてしまう。
上に書いたとてもうらやましい親子連れとも、ほんとうはもっともっと仲良くなりたい。
けれど私は一人なので「家族ぐるみのおつきあい」なんてほのぼのした関係は築くことはできそうにない。 せいぜいお寺さんで会えたらちょっと世間話でもして「それじゃ」とお別れするのが関の山だろう。
また今日、お参りをしていたら声をかけられた。「よく来られるんですか」と。
その人ともちょっと話をしてニッコリ「またお目にかかれたら」と別れた。
会えば必ず挨拶はする、おしゃべり好きそうな人ならちょこちょこ話もする。
でも。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
外に出ていろんな人と話をしたいししなければいけないとわかってはいるものの・・・・・・
仲良くなれば、どうしても私は何かを求めてしまうのかもしれない。
それに応えてくれる人は、やはり少ない。
ネットではメールのやりとりとかブログとかいろんな手段はある。
けれど本当の気持ちを伝える、声を届けられることは難しい。 ←それは理解してもらうこと
今日もやはりほとんど眠れなくて正直ちょっと疲れてるのかもしれない。
朝からズルッ鼻で咳が止まらなくて口の中が切れて荒れまくってて・・・・・気持ちから弱ってたらダメじゃんよ、とお参りに行くもののあんなに幸せそうな親子連れにまた出会って。
うまくいえないけど混乱してるのか動揺しているのかとても不安なのか。。。。。。。。やはりそれとも寂しいのか。
自分を否定してばかりなのかもしれない。
「そんなことないよ」
という言葉が聞きたいのではない。
小さい小さい小鉢のような水の中にちゃぶんと浸かって「自分の世界」だと思って満足してる、大きな海に出てドボンとしようとしてないしそんな海があることすら、もしかしたら知ろうとしてないようにも。
「井の中の蛙大海を知らず」
むかーーーーーーーーーーーーしむかし、その昔にちょっと言われたことだった。
それを言った人は別の意味で言ったんだけど、、、、、今は自分でそう感じている。
大きい海にドボンと飛び込んで、そして一人で生きるのは難しいし大変だと思う。
それより以前に私は小鉢の中ですらうまく生きることができないで溺れかけている・・・・・・・・・
生きることって難しいな。。。。
眠れないままそうぼんやり思っていた。
だけどいいこともあるし、出会いもある、「ありがとう」って言ってもらえたり言えることはとてもありがたいし大切なことだと思う。
なによりも自分というカチカチの鉄面皮のような殻をどうやったら割れるのか。
うまく書けなくてものすごく感情的に書きなぐっているからわかりにくいし読んでくれても理解できない事も多いと思う。
そんなこんなでここんとこ自分で自分を傷つける墓穴なことが立て続けにあって弱音しかはけない。
これからもそんな感じの予感はモリモリある。
いつまで生きられるのかわからない。
安心してしっかり眠れるようになればまたちょっと元気になれそうな気もするが今の状態だと寝るのが怖いホンネ。
生き甲斐がないこと、自分がどうしようもなく弱いこと、なのに人にうまく甘えられないこと、認めてもらいにくいこと。。。。。。。。。
やはりそれってすべて自分のバリケードのせいなのか、と。
暗いことを書いてしまってちょっと反省もしてる。
なにかが足りない。
元気になれることに、なにかが、、、、足りない。
それがなんなのか、わかっていても自分ひとりの力ではどうすることもできずにちょっと挫折してるのかと思います。
だけどやっぱり笑えてる。
まだもしかしたら、もうちょっと大丈夫かも。