南米旅行5日目の朝。
この日は今回の最大の目的、
マチュピチュ遺跡に行きます。
いよいよです♪
1100以上ある世界遺産の中で、
「行きたいランキング」でも
「行って良かったランキング」でも
常に1位か2位の人気のマチュピチュ。
そんな人気のあるマチュピチュですから、
予約は早めが良いと思って
今年4月、ツアー会社のツアー募集と同時に即予約を入れました。
10月中旬出発のツアーですから6カ月も前のことです(笑)
日程に祝日が含まれていたこともあってか、
11日間という長期ツアーにもかかわらず、
GW明けには早くも定員に達して
キャンセル待ちの状態に(@@)
そのキャンセル待ちも多くなったのか
6月にはキャンセル待ちさえ受付中止に。
早く申し込んだお蔭で、
妻からの
「今年はマチュピチュよ」
との指令に見事応えることが出来ました(笑)
ポイントアップ間違いなし\(^▽^)/
その妻が
旅行出発5週間前に足の親指を骨折し、
一時はキャンセルも考えたマチュピチュ行き。
そんなことを経て、
飛行機を4回乗り継ぎ、
バスや列車に乗って
地球の反対側までやってきたのですから、
いよいよ世界の7不思議の、
天空の都市とも、
天空の遺跡とも呼ばれる
マチュピチュ遺跡にたどり着けるかと思うと、
胸の高まりを抑えられません♪
きっと人生の中でも忘れることのできない
思い出深い1日になるでしょうから、
その前に、
しっかりと腹ごしらえをしなければ(笑)
ホテルのレストランで朝食です。
目の前には幻想的な景色が♪

ジュラシックパークにも似た景色
このロケーションで朝食なんて幸せ。

もちろんガッツリ頂きました。
ホテルを7時に出て
マチュピチュ遺跡へのシャトルバスに乗ります。

観光客はこのバスか徒歩でしか
マチュピチュ遺跡には行けません。
バスの所要時間は約30分。
下の谷底からつづら折りの、
バス1台がやっと通れる細い道を
どんどん上がっていきます。
マチュピチュ遺跡の入口に到着。
残念ながら雨です。
これだけは自然のことですから仕方ありません。
一番手前のタータンチェックのポンチョは妻。
向かって右側が有料トイレ。
真ん中奥が遺跡への入場口。
左の建物が唯一のレストラン「サンクチャリロッジ」
マチュピチュ遺跡には、
その貴重な遺跡を保護するために
多くの禁止事項があります。
主なものとして
○ 傘の持ち込み禁止
○ 三脚、一脚、自撮り棒の類、杖禁止
(高齢者・怪我人が使用する先端がゴムで覆われた杖は可)
○ ペットボトル持ち込み禁止(水筒は可)
○ 40×35×20cmを超えるバッグ類の持ち込み禁止
○ 喫煙禁止
○ 水以外の飲食禁止
○ 寝そべる、裸になる、走る、大声は禁止
があります。
もちろんローピング区域は立ち入り禁止です。
いよいよ入場口から遺跡にはいります。
中に入るとトイレはありません。
4時間は中にいるので中に入る前に
外の有料トイレで済ませておくのが安全です。
入場システムはペルー文化省の規定で決められています。
以前は午前と午後の2部制とかあったようですが、
2019年現在は
4時間制限制で運用されています。
入ったその時間から4時間以内に出る、
という方法です。
一旦外に出たら
そのチケットでは再入場出来ません。
後ろを振り向くと
多くの人が並んでいました(汗)
ゲートから遺跡エリアに入場しても
直ぐにマチュピチュ遺跡は見えません。
見張り小屋と呼ばれる場所まで
10分ほど急な坂を登らなければならないのです。
これが結構きつい(><)
足の指を骨折しギブスを付けている妻には、
この急な坂はかなり厳しい様子でした。
で、
途中で何回か、
新婚以来
何十年か振りに、
妻の手を握り、
引っ張ってあげました(笑)
忘れていた愛が
日本を遠く離れた天空の遺跡で
蘇った瞬間(*´∇`*)
でも、
そんな奇跡は起こらず、
ただ淡々と上る2人(笑)
すると歓声が聞こえてきました。
マチュピチュです♪

学生時代から恋い焦がれたマチュピチュがそこに(^^)

マチュピチュは、
1438~1471年に在位したインカ皇帝パチャクテクの時代に造られ
そこから人が消え、
1911年にアメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムに
発見されるまでの約400年間以上、
静かに眠り続けてき謎の遺跡。
何のためにこのような高所に、
誰がこのような整然とした都市を設計し、
どのような方法で建設したのか、
そして人は何故忽然と消えたのか、
その人たちはどこへ行ったのか、
どうして400年以上も発見されなかったのか
ナスカの地上絵と同じように、
色々な疑問が出てきます。
それに対して様々な説があります。
でも真実は分かりません。
世界7不思議です。
それが人を引き付けるロマンですね。
この景色、
素晴らしいの一言しか出てきません。
まさに天空の遺跡
雲海が遺跡を流れて行きます。
マチュピチュの全体の景色を楽しんだ後は、
遺跡の中に入ります。
この門が遺跡の入り口です。
遺跡内
ますます強くなる雨。
現地ガイドさんのお話では
マチュピチュの天気は1日のうちで何度も変わるので
雨具は必ず必要とのことでした。
有名な「太陽の神殿」
5mの高さのカーブした石壁に囲まれ、
東の窓からは冬至の朝日が、
南の窓からは夏至の朝日が、
それぞれ差し込む造りです。
太陽信仰に基づいた造りだとか。
そんな施設を巡って行きます。

マチュピチュ遺跡の尾根の頂上にある石壁、
この石壁、左右に石がずれています。

その拡大写真。
大きく石がずれています。
アメリカ人の歴史学者ハイラム・ビンガムが
1911年にマチュピチュを発見した時の写真には
この石壁に隙間はまったくありません。
紙さえ通さないと言われるほどの
インカ帝国の緻密な石組み技術で造られ、
何度もあった地震でもずれることはなかったのに、
今、石がずれ始めているのです。
原因は、
驚くべきことに、
何と、
観光客の増加です。
マチュピチュの人気が高まり、
今は1日当たり5~6000人が
マチュピチュ遺跡を訪れているそうです。
その重みで地盤沈下が起き始め、
石がずれてきているそうです。
ガイドの説明では、
このことがペルーでは大きな問題になってきており、
遺跡を守るために、
今後は遺跡への入場制限を厳格にすることになるらしいです。
議論の中では
早ければ10年後には入場禁止にせよ
との声もあるとか。
いずれにせよ、
このままでは100年後には遺跡が完全に崩壊するので、
そうなる前に、
何らかの制限が設けられるのは間違いないようです。
そういう制限がかかる前に来られたことにホッとすると同時に、
恋い焦がれたマチュピチュの崩壊原因が、
自分たちにあることを知り複雑な心境に・・・
更に遺跡を回ります。

どこも素晴らしい雰囲気です。
500人ぐらいが住んでいたという説があります。

遺跡の最奥部で妻と記念ショット。
ツーショットでも愛は蘇りませんが
記念ということで(笑)

愛は忘却の彼方に消えても、
ポンチョは色違いのお揃い(笑)
分かりやすい現地ガイドさんの説明。
マチュピチュ遺跡の中で
1番写真に撮りたかった
「コンドルの神殿」
手前がコンドルの胴体、
奥の壁がコンドルの翼。
この全体を1枚に納めるため超広角レンズを持参しました。
段々畑。
段数も高さも半端ないです。
3時間半のガイドによる遺跡ツアーを終え、
段々畑を出口に向かいます。
出口から出て
サンクチャリロッジのレストランで昼食です♪
レストランはビュッフェスタイル。
種類が多くて美味しくて最高のビュッフェです。
高いだけあります(笑)
噂によると五つ星をとったことのあるレストランのシェフが
作っているとかいないとか。
取りあえずの一皿目!
午前の疲れを取り、
午後に向けたエネルギーを補給するため
ガッツリ頂きました。
念願のマチュピチュにいるのだから
ここは(でも)ワインは外せません。
さっそくワインを注文です。
すると「24ドル」とのこと。
高いのでボトルかと聞いたら「ボトル」だと。
ところがそのボトル、
タフマンの瓶ほどのボトルじゃありませんか(@@)
ひとくちサイズのワインボトル(笑)
ワンカップよりも小さい
そんなものに24ドルも払えません。
注文はキャンセル(笑)
このサンクチャリロッジ、
宿泊代は10万円前後から20万円台まで。
何もかもお高い(^^;
そんなことはどうでも良いとして、
午前の部はこれで終わりです。
午後は自由行動。
恋い焦がれたマチュピチュを
もう一度楽しみます♪
コーヒーを2杯飲んだ後、
再びマチュピチュ遺跡へ。
午後のマチュピチュは、
午前とは違った顔を見せてくれました。
はるばる日本から来たことへのご褒美かも♪
南米旅行その6へ続く
南米旅行その1 1日目:出発の日@羽田から成田までレクサスのタクシーで移動
南米旅行その2 2日目@儚いハーレムの夢+リマからナスカへ10時間のバス移動
南米旅行その3 3日目@ナスカの地上絵を空から見る
南米旅行その4 4日目@リマ→クスコ→オリャイタイタンボ→マチュピチュ村へ飛行機、バス、列車で移動
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Posted at
2019/10/31 22:04:48