16世紀にインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで
5000年もの長きにわたって栄えた
南米大陸の古代アンデス文明。
その古代アンデス文明の栄枯衰勢、文化を
本物のミイラを含め約200点の貴重な資料で紹介する
「古代アンデス文明展」に行ってきました。
妻が骨折する前のことです(笑)
日本での「古代アンデス文明展」は
2017年の国立科学博物館での開催を皮切りに、
その後、日本各地で開催された後、
ここ鹿児島県の黎明館での開催が8カ所目になります。
そして鹿児島が日本で最後の開催になり、
今後、日本で開催される予定はないそうです。
であれば、これは行かなければ!
ということで愛車で行った「古代アンデス文明展」♪
嬉しいことに本物のミイラを除いて、
他はすべて写真撮影可です(^^)
館内は資料のほかにも多くの説明ボードがあって
アンデス文明の様々なことを知ることができました。
写真で見たことのあるものが色々ありました。
これは「自身の首を切る人物の象形鐙型土器」。
人体切断の進行中を表現した土器は極めて珍しいそうです。
この土器の人物は奴隷ではなく、
宗教指導者と考えられているとか。
自分で自分の首を切らなければならないとは、
宗教指導者も楽な仕事では無かったようですね(^^;
戦闘用の棍棒
儀式用の黄金のケープ
ネコ科動物を模したデザインだそうです。
ナスカ文明時代のナスカの地上絵。
来月にはセスナからこれを見ます(^^)
皆さん、熱心に見ておられます。
「髪の毛とスポンディルスの貝殻製ネックレス」
スポンディルスという貝は金よりも貴重なものだったそうです。
高位者のミイラを包んでいたマント
鮮やかなデザインと色使いに目を奪われます。
ネコ科動物を形ちどった儀式用香炉
右側はアンデスネコらしいです。
ネコ科動物を模したケープを作ったりと、
古代アンデスの人ってネコが好きだったようですね。
金の儀式用装身具
ミイラだけは撮影不可だったので写真はありません。
古代のミイラと言えども死者は死者ですから、
そこには死者への尊厳の念が求められますので、
撮影禁止は当然のことです。
本物のミイラを見るのは初めてでした。
驚いたのは保存状態が非常に良いこと。
少女のミイラの髪の毛はその1本1本が
生きている人間と同じ状態でした。
アンデスの人たちは家族が死んでも
死体をそのまま家に置き、
一緒に暮らしていたそうです。
乾燥地帯なので腐敗せず自然にミイラ化する条件があったとは言え、
死んだ家族の死体をいつまで近くに置き、
生きている人間かのように扱う
家族への深い愛情に根差した
アンデスの文化には感動しました。
金の胸飾り
1532年インカ帝国を侵略したスペイン人のピサロらは
アンデスの膨大な金を奪ってスペインに持ち帰っています。
そのため、このようにアンデスに残った金は、
墓に埋もれるなどしていたことにより略奪を免れた、
少しの金だそうです。
マチュピチュが映像で流れていました。
来月はここにも行きます。
妻の骨折が完治すればの話ですが(笑)
文字を持たなかったアンデス文明において
文字代わりであったキープ。
結び目などで識読するようですが
こういう独自性にアンデスの文化を感じます。
1532年スペイン人ピサロに捕らわれた
インカ帝国の皇帝アタバルワは翌年に処刑され、
同じ年に帝都クスコも陥落。
その後数十年にわたり抵抗運動はあったようですが、
実質的には1533年にインカ帝国は滅亡し、
5000年のアンデス文明は終焉を迎えたのでしょうね。
ちなみに侵略者ピサロは同じスペイン人によって
1541年に暗殺されています。
因果応報でしょうか。
そして時代は流れ、
1821年7月28日、ホセ・デ・サン・マルティンが
スペインからの独立を宣言し、
この日がペルーの独立記念日になっています。
アンデス文明の事前勉強はしましたので、
後は来月の南米行きの出発を待つだけです(^^)
いや、その前に
妻に骨折を完治してもらわねば(笑)
Posted at 2019/09/09 22:29:45 | |
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