介護 ~週7days耐久~ 
父が末期癌を告げられた(こっち参照)のが4月末。あれから3カ月が経った。当初の余命宣告は外れたようで,もう少し持ちこたえそうだ。
父の長期入院で,今までと生活のリズムが代わって長期戦になりそうなのは家族の方。例えば,父がやってた母の介護。
母は糖尿病を患っており,朝夕にインスリンの注射が必要。昨今,素人にもインスリン皮下注射ができるようなキットが開発されている。
ペン型注射器のキャップを外す…
針は滅菌密封されたものを使い捨て。
開封してペン型注射器の先に取り付け。
ものすごい細い針。最近のは痛くないように5面カットになったようだ。でも,肉眼では確認できないぐらい細かな加工。どうやってカットするんだろ…。
薬液の注入量は,処方された分だけクリックして針を刺し,後端のボタンを押すと適量のインスリンが押し出される仕組み。
当初は母親の腹部に針を突き刺すことを躊躇したのだが…,最近は平気でプスッと(笑)。
小生よりも負担増は御台所。疲れが目に見える日,そこまでではなくても不機嫌な日。不機嫌にならずともぶっきらぼうな日。
介護はゴールのない耐久レースである。
引導を渡す ~お前は快復したが~ 
調子を崩した親爺の車(こっち参照)は,持ち主に似ず(苦笑)バッテリー充電で簡単に快復。
とはいっても,一度完全放電してしまったバッテリー。本来ならば交換するのが望ましい。
だが,父が再びこの車に乗ることはたぶん無いだろう。バッテリー交換するまでもない。いっそ車を売っぱらってやろうか?
だが,父が生きてるうちはなんだか気がひける。川向うに逝ってからだな(笑)。
とりあえずはこの車,チョイチョイ乗ってバッテリーの延命を図ってやろう。それには,まず車内の掃除。ゴタゴタと不要なモノを積んでいる。
全部引きずり出してやれ…
なして鉈や鎌が車に6丁も常備されてる?
カマキリだって,鎌は2丁しか持ち歩いちゃぁいねぇぞ(笑)。
んなもん検問でひっかかった日にやぁ,銃刀法違反でお縄だ(笑)。
クロックスから革靴にトレッキングシューズと,履物が9足も積んであるのはナゼ?
ムカデか?
お風呂セットが積んであるのはわかるにしても,災害用ヘルメットに雪路でスタックした時の脱出用ラダー。持ち歩く必要がなさそうなグッズが出てくる出てくる(笑)。
人間は本来無一物。さらりと逝きたいものじゃねえか。オレが捨てといてやっぞ!
引導をわたす ~オマエも弱ってきたのか?~
引導を渡す ~今夜は浄土に詣らせてもらうよ~ 
煩悩の塊みたいな小生と違い,奥能登には信心深い者が多い。小生の祖母もそうだった(こっち参照)。
この祖母の祖母(小生から見たら4代前,父の曾祖母)もまた,悟ったひとだったという。その臨終を父が書いて(こっち参照)いるのだ。
父によれば…
曾祖母よみは文久三年(1863年)生れ,昭和28年(1953年)4月に死んだ。享年90歳,村内の最高齢者であった。よみが死んだとき,私は高校2年生になったばかりであった。
私にとって物心ついてからの最初の家族の死ではあったが,そのことより,いつもの寺詣りに出かけるときと同様に,何かいそいそと死を迎えたということの方が強く心に残っている理由である。
あの晩は,能登の春にしては暖かった。よみが隣室にいる私を呼んでいるのに気付いたのは,10時ころであったか。よみは「今夜は,間違いなく浄土に詣らせてもらうよ」といって,自分の寝ている藁ぶとんの下から大切にしてきた胴巻きを引き出させて,取って置けと私に合図する。息をついで,年長である私が妹三人の手本となるように,貧乏にひがむことのないように,父母を大切に等々珍しく遺訓めいたことを語り出す。
日ごろとは違う物言いに驚いている私に,「死ぬということは,少しも特別なことではないがやぞ」「人は,阿弥陀さんの所から来て,また阿弥陀さんの所へ帰る」「浄土では皆いっしょになれるがや」と,諭すように,ゆっくりと話す。
しばらくして,よみは母を呼べと言う。藁ぶとんに半ば身を起して,母の手を自分の両手で包んだ。
「もうそろそろ浄土へ詣らせてもらう。あねさに一言礼が言いとうて。あねさは,おらの子ではない。孫でもない。孫の嫁や。それがなにこの婆をよう世話してくれた。ほんとうに大事にしてくれた。寒い夜は,いつも湯タンポやった。皆がイワシを食うとき,この婆だけがカレイやった。ひ孫の4人の子供も,この婆を大事にせよと,良くしつけてくれた。有難いこと,有難いこと」
よみは礼を繰り返す。
母は,よみの耳に口を寄せて,父が兵隊に取られた留守中には特に婆さまに力になってもらったこと,他村から嫁に来た母をかばってくれたこと,4人の子供の子守のこと等,よみに重ね重ね,感謝の心を述べている。
母は,よみの子で存命の一男二女が折角近くに住むのだから呼びに行くという。しかしよみはそれを目で制した。
「子供とて,もう70歳を過ぎた者たち。どうせ,浄土でいっしょや」
「さあ,一足先に詣らせてもろうさかい。浄土で待っているさかい」
よみと母と,後で入ってきた父と3人が,いつしか念仏を称えていた。よみの念仏が止み,深い息をしたとき,「婆さまが詣らしたぞ。仏壇に燈明をあげよう」と父の声。母と私たちも,父に従って深夜の勤行が始まった。
父は87歳,よみのような死を迎えられればと,そんな私の思いは,父に通じると思う。
出典: 『完本 うらやましい死に方』 文藝春秋 2014年
父の願いがその父(小生の祖父)に通じたかどうかは知らぬが,既に故人である。
今度は父自身に順番が回ってきている。末期癌だ。
そして,小生には臨終を語る役目が回ってきたのである。父はどのような死を見せてくれるのだろうか。
引導を渡す ~臨終やからと騒ぐことはない~ 
標題は小生の祖母の言葉である。
縁があって書籍に掲載(こっち参照)されているのだ。
臨終間近に出た言葉らしい。小生の祖母の臨終を,父がこのように書いている。
平成八年三月十六日,母やよがリウマチによる多臓器不全のため亡くなった。享年八十一。
数年前から,関節の変形で歩行ができなくなって入院していた。週の半ばと週末には,母を見に行くことが習慣になっていた。
老衰も加わり,モルヒネと輸血もそろそろ限界にきたと聞かされながら,半年がたっていた。三月十四日,昼食をとっている職場へ,病院から危篤を知らせる電話が入った。
「また来たか,もう来るなと言うて置いたがに。おらの年取った妹たちも来たし,お前ら子供も,また来てくれた。何度も危篤や,それ臨終やと,県境を越えて氷見の病院まで駆け付けてくれて,生きている者の方が,おらよりも大変やなあ」
「前から話して置いたとおり,臨終やからと騒ぐことはないぞ。平生業成やぞ。お文さまにあるやろ。おらは,もうお念仏のお陰で正定聚や。だからして,臨終に良いも悪いもない。ひとの臨終をとやかく言うもんでないぞ。
おらの臨終は阿弥陀さまにまかせたがや。さあ早う家へ帰って休んでくれ,運転には気をつけてな」
-「なむあみだ,なむあみだ…」母はこう言い終えると念仏を唱えながら,目をとじた。春の入日が窓に映えているせいか,顔色がよい。つぶやく念仏の声には,まだ張りがある。昏睡というより熟睡にみえる。-
「俊,お前,まだおったがか。あ,この前,会いたい者がおったら呼ぼうかと言うてくれたが,それはいらぬぞ。会う縁にある者にはまた会える。ほんとうに誰も呼ばないでくれ。どうでもよいがやが葬式の事や。葬式は供養ではないぞ。それは娑婆の習いやから,見栄を張らんでな,つつましいがにな」
「これは大事なことやが,お念仏や。お念仏は人それぞれが戴くもの,無理せんでいい。お前もご縁はいただいているのやからな。お念仏がひとりでに湧いてきて,それに押されて親さまの懐にとぼしこむ(とびこむの意),そんな心になるものや,おらは,そうして阿弥陀さまにすっかりまかせてしもうたがや」
母の言に従い十四日の深夜に病院を出た。十六日の朝,病院にいた妹から,六時三十九分に往ったとの電話があった。
母の念仏を耳にしながら,所用で妹が枕辺を離れた間のことであったと。
母の臨終には誰も立ち会っていない。
出典 『完本 うらやましい死に方』 文藝春秋 2014年
父がこの文章を書いたのは8年前。8年後に,息子の小生から末期膵臓癌の引導を渡されるとは,想像だにしていなかっただろう。
その父も,祖母が亡くなった年齢を既に超えている。父は小生にどんな臨終を見せてくれるのだろうか。
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