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堅雪かんこのブログ一覧

2015年06月30日 イイね!

気取りカッペは許されない   その2

気取りカッペは許されない   その2  昔、歌のうまい成功した黒人歌手がいて、酒場で当日に知り合った長い黒髪の女性を自分のフェラーリで自宅まで送って行こうと申し出た。ところが送り狼に変貌したその男は、モーテルに連れ込み関係をもとうとした。女は嫌がり、男がシャワーを浴びている隙に追って来られないように男の衣類を持ってその部屋から逃げ出した。それに気づいた男は裸にオーバーコートを羽織り、モーテルの管理室に女が逃げ込んでいないか確かめにいった。ただ、その時に怒りまくって強引に管理室に突入し、管理人の黒人のおばさんにも暴力を振るったため、おばさんは身の危険を感じ、所持していた小型拳銃を男に向かって撃ち、弾が心臓を貫通して男はフリチンのまま絶命した。男は33歳だった。





  この話は最近ネットで偶然知ったのだが、男の名はサム・クック。事件は1964年に起きた。いまだにファンがいる知る人ぞ知る有名な歌手のようで、その時に乗っていたフェラーリが250GTカリフォルニア・スパイダー。管理室に行く前にクルマに乗って近くを探して戻ってきて、エンジンはかけっぱなしだったという。公民権運動がらみの暗殺説というものもあるらしいが、やはりこれは金、フェラーリ、女という世界の男が夢見、今現在もありそうな象徴的な出来事だと思う。





  つまり、フェラーリにあってレクサスにないものとは、こういう絡みの歴史なのである。





   
Posted at 2015/06/30 15:54:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ
2015年06月30日 イイね!

気取りカッペは許されない

気取りカッペは許されない   話題としては新鮮味がないが、先日の再放送でのTopGearでThe Worst Car in the History of the Worldで選ばれたレクサスSC430。なぜ彼らがわざわざこれを選出したかは興味深い。久しぶりに観るTopGearはメーカーに媚びない、価格に恐れをなさない、貸し出したメーカーが嫌がるようなタイヤがちぎれるくらいのスライドをさせながら加速や操縦安定性の評価をする。TopGearのクルマの評価というのは、言うなれば社会人として、あるいは業界人としてあるまじき行動の上に成り立っていたから、視聴者も面白く観れていたのだと思う。





 そういう野蛮人にとってのSC430が最低のクルマに映ったのは、このクルマが「気取りカッペ」だったからではないだろうか。気取りカッペというのは、私が大学に入った頃、横浜出身の友人ができて、彼は東北人にはない都会的センスを部分的には持っていたが見栄張りで、それを強調する割にはどこか田舎臭い愛嬌も残していた。それを名古屋出身の1年先輩が「彼は気取りカッペ」と言い切ったのである。言われた本人は悲しそうな顔をしていたが。





 SC430は確かに前も横も後姿も酷いデザインをしている。ラグジュアリークーペなのに、プロポーションは旧ダイハツ・コペンに似ているし。軽自動車ならキュートなバランスの良いデザインとして評価できるが、リッチな人達がコート・ダジュールやモナコでSLやZ4に混じって乗るには???な形だ。
 さらに評価を下げたのはその走りだ。これはソアラ誕生以来の国内だったらこんなもんでいいだろうという、ハンドリングや足の煮詰めの甘さがそのまま受け継がれていたようで、評価に値しないレベルだった。




 ワーストカーの候補にはボロいイタリア車、大雑把なアメ車等数多く出てきたが、クルマ好きからすると、実のない欺瞞的な高級車コンセプトが許せなかったのかも知れない。一方ではレクサスLFAなどのような世界最高峰のクルマを作る技術を持っていながら、トヨタが国内市場の一般的ユーザーをなめ腐って作ったクルマの延長で、ついうっかり世界市場にSC430を出してしまった。その結果がこれだったような気がする。









Posted at 2015/06/30 11:55:56 | コメント(6) | トラックバック(0) | クルマ
2015年06月25日 イイね!

最近のメルセデスはひろゆき顔

最近のメルセデスはひろゆき顔  最近のメルセデスは下位クラスから上位クラスまで、クルマの顔であるフロントデザインが統一されている。悪くはないが、個人的にはヘッドライトよりフロントグリル枠の方が優先されていて、そのためヘッドライト内側が削られており、「目」の主張が弱いのである。
 2ちゃんねるで有名になったひろゆき氏がメディアに露出するようになり、顔をみたらなんかこのメルセデスを連想してしまった。












   しかし、ひろゆき氏も相当に頭のいい人だ。下記の勝間和代氏とのディベートでは圧倒的にひろゆき氏が上回っていた。「ちゃぶ台返し」とはこういうことで、漠然としたイメージ、自分に都合のよい偏った統計学的なデータを援用しながらの底の浅い主張は、すぐに論破される。



     https://www.youtube.com/watch?v=maLb8-Qk404






Posted at 2015/06/25 09:37:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ
2015年06月23日 イイね!

ジャズは「ちゃぶ台返し」のはずだったのに

ジャズは「ちゃぶ台返し」のはずだったのに  映画『燃えよドラゴン』で少林寺の師匠に「お前の技能は、肉体的なものだけではない。何より非凡な洞察力がある。そこで訊こう。究極の技とはなんだ?」と聞かれたら、ブルース・リーは「を持たぬことです。」と即答した。
 この型とは、なんでもそうだが最初はこれを目標に努力するのだが気づくと逆に自由な精神を拘束してしまうという足かせにもなりうる。





  ジャズは最初はわからなくとも、いい演奏に接すると心が勝手に反応する。「え?そんな演奏ありか」みたいに。それはカーレースでの予想外のオーバーテイクやサッカーの衝撃的なゴールシーンを観て、ルールの細則がわからない素人でも充分に感じとることができるのと同じ。
 そういう演奏の一つにライオネル・ハンプトンの「スターダスト」の演奏がある。前半のまったりしたソロに続き、9分50秒あたりから突然入ってくる。1947年という古い演奏ながら今でもこれをやられたら皆口をあんぐりさせるだろう。










これも以前に紹介したことがある、クリフォード・ブラウンが歌の間奏で放った名演(2分7秒から)。ジャズ喫茶「ベイシー」のオヤジが若い娘にジャズの手ほどきをする時に聴かせる曲でもある。







  とまあ、こういうのをとっかかりとしてジャズに新鮮味を求めてのめりこんでいくわけだが、やっぱり何十年も経つとマンネリはまぬがれない。そして多くの演奏家は型に囚われて自滅していった。もちろんライブにも何度も行っていたが、そこでの演奏は何も意外性のない予定調和的な雰囲気で、段々と飽きてきている自分がいた。




  例外的なミュージシャンはマイルス・デイビスである。彼は型にはまることが音楽の生命力を奪うことを知っていた。そして亡くなる直前までその進歩を止めなかった。まずは1959年にニューヨークのコロンビアスタジオで録音された「So What」。彼は全体の音楽空間の広がりを常に考慮し、そこにいかに効果的なフレーズを入れられるかに神経を集中させる。
 ここは奇しくもその4年前の1955年にグレン・グールドがデヴュー作「ゴールドベルク変奏曲」を録音したスタジオでもあり、まさにクラシックとジャズの歴史的名盤が同じ時期に誕生した。









 そして、晩年の演奏。頭皮や服装、音楽の形式が変化しても、空間を切り裂くようなフレーズで次元の異なる音楽を創出する姿勢は変わっていない。最初の数分間の演奏だけでも彼の本質が感じ取れる。










一方、今の主流をなす型にはまった悪しきジャズの例。マイルスが亡くなって20年も経つのに、スーツにネクタイ、音楽もそんな感じだ。






   マイルスが生きていた頃は、この驚異のトランペッターと言われたウイントン・マリサリスとは相容れなかった。マイルスのステージに飛び入りで参加しようとしたウイントンを追い払ったというエピソードもある。お互いジャズトランぺッターであっても、方向性が違っていた。
 

   
  表現というのは文字でも音でも、その限界を超えてその先にあるものを伝えたい場合がある。そうすると今ある表現媒体自体が邪魔になる。あまりうまくない例えだが、ある数式を書いた時、それが鉛筆で書いたものかボールペンで書かれたものかは重要でなく、まして整った字かへたな殴り書きかも関係なく、その数式の表すものこそ本質といったように。



  マイルスはそういう世界に向けて音を出していた。簡単に言うと芸術とはちゃぶ台返しなんだね。型にはまって停滞してしまっている我々の認識を更新させるための。その演奏が始まる前と聴き終わった後では、自分の中で何かが変化している。ジャズに限らずいいモノとはそういうものだ。




Posted at 2015/06/23 18:48:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 音楽/映画/テレビ
2015年06月22日 イイね!

友達いらずのジャズ

友達いらずのジャズ  ビートルズが1960年代初頭、センセーショナルなデヴューで世界を震撼させていたその裏で、あるサックスフォン奏者が未曾有の演奏を繰り広げていた。しかしその音楽はヒットチャートに載るはずもなく、一部のオタクのみ知る音楽だったのである。
 ジャズファンというのはポップスやクラシックより少数派だと思う。やはり耳が慣れるのに相当な時間を要するし、走り込みならぬ聴き込みをある特定の環境で一人でしないといけない。





 私も本格的に聴くようになったのは大学に入った時で、過去の名盤をひたすらジャズ喫茶に行って聴くことだった。自分の部屋でも聴けないことはないが、音量をほとんどMAXで聴けるのはジャズ喫茶で、当時はそういう環境も整っていた。音量を上げて聴くということはドラムスとベースがよくわかるということで、ここが主旋律だけ聴ければいいという他の音楽とは異なっている。
 入学したてのクラスの自己紹介で「ジャスを聴けるようになりたい」とわざわざ言った人が数名いた。当時は日本ではフォークから荒井由美(松任谷由美)などのニューミュージックが流行り始めた頃で“軟弱派”と“硬派”に分かれた。




 自らもギターを弾いてフォークに心酔していた友人にジャズのテナーサックスをちょっと聴かせたら「おっ、ムードミュージック」と言われてしまったが、そんなもんだろう。ジャズを聴くことに挑戦して、ボサノバ止まりの人もいた。彼はバーデン・パウエルが好きだったのでそこが音楽的嗜好のベースだった。ボサノバもジャズの一角でレコード売り上げに貢献はしたがジャズの核心ではない。





ジャズをひたすら聴きまくっていると、自然に音楽のクオリティの優劣がわかってきて、音楽や演奏の限界を追求しある高みに達するミュージシャンがわかるようになる。それがマイルスであったりジョン・コルトレーンだ。大体この辺りが平気で聴けるようになるといっぱしのジャズファンと言えるだろう。特にコルトレーンは911好きの中でのGT3RS的存在で、サーキットを限界で責めるレーシングカーのような演奏をする。今現在も唯一無二の存在である。




 ところが、そうやって聴けるようにになったジャズであるが、クルマの中で聴くにはヘヴィだし、まして同乗者がいる時は嫌がられるだろう。部屋でもジャズなんか分かる彼女や家族は皆無で、そういうわけで聴く機会が段々と減ってくる。
 最近はなんとスマホのYouTubeで聴くぐらいになってしまった。



        それでも名演は光る!









Posted at 2015/06/22 16:59:22 | コメント(4) | トラックバック(0) | 音楽/映画/テレビ

プロフィール

「@terry997 人のクルマにのせられる時それを少し意識します。自分の運転の時はしないけど。(^_^;)」
何シテル?   05/02 14:49
  2007年型カレラ4に乗っています。オールシーズン、日常の足として使用し、すでに10万キロを越えました。  カレラ4の乗り味は、ゆっくり走ればメルセデス、...
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