
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
MOMOKO KIKUCHI 40th Anniversary FINALが終わりました。2日連続の興行で、のべ45曲を歌いあげた見事なステージでした。
自分は、菊池桃子公式ファンクラブMOMOCANS’に身を置き、旧親衛隊の流れには乗っています。しかし、近年は、桃子さんを見つめる自分の目が変わってきています。彼女から、元アイドルという経歴や印象を完全に消すことは難しいと思いますが、それでも、限りなく100%に近いレベルで、シンガー菊池桃子として見つめるようになりました。また、ビジネスマンとしても強いリスペクトの念を抱いており、とても敵わないと感じています。
こうしたなか、アイドル時代の仰天秘話を知り、益々敵わないなという気持ちが強まりました。1985年2月に行われた武道館公演は、当時史上最年少の17歳での単独公演となり、一説には、22,000人だったともいわれる観客動員数でも、ビートルズを抜いたと話題になりました。
武道館での桃子さんは、スパッツを穿いて歌唱しており、今にして思えば、とても不思議な話でした。ラ・ムーでのデビュー曲「愛は心の仕事です」でも、スパッツ姿に驚いた記憶もあります。それくらいスパッツとは縁がないアイドルでした。
当時の桃子さんは、多忙をきわめ、かなり疲弊していたといいます。武道館公演の直前に、足に火傷を負ってしまったときは、ラッキーかもしれないと思ったそうです。「サラリーマンでいう有休の感覚で、武道館休めますよね、って事務所に申し出たんですよ」とご本人が述懐していました。「休めるわけないだろ」と一蹴され、全身に熱感の症状があるまま、スパッツで患部を隠して公演したそうです。自分が17歳だった頃なんて、午後の授業をどうやってサボろうかとか画策していたような状況でした。背負っていた責任の大きさが違い過ぎます。
ところで、ビジネスの世界で、自分が若かった頃の仕事ぶりを真剣には振り返りたくないことがあります。当時の自分が、すごい業績だと思い込んでいたものが、実は全然大したことなかったというようなことがよくあるからです。吉川晃司は、「10代、20代の頃の作品をそのまま歌唱するのは辛い」と語っており、「サラリーマンでもそういう感覚ってあるでしょ」と付言していました。
スパッツに続けて、桃子さんにまつわる2つめの謎も解けた気がします。伝説の武道館公演のことを武勇伝のようには語りたがらないのは、未熟だった自分を振り返るようで、辛かったり、恥ずかしかったりする部分があるのではないかとみています。話の大半が過去の自慢話になるどこかの老害と違って、桃子さんは、とても偉いです。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、武道館での熱感は火傷の影響ではなくて、俺への想いからだったんじゃないの~。
つんとすまし顔。
君が歩けば、陽炎も色めくよ。
Posted at 2025/05/03 07:57:58 | |
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