
まだガラケーの時代の話です。別稿「琉球のミスター・バーディ」で紹介した沖縄出張所の大西さん(仮名)との同行を終えた私は、日帰りで東京へ戻る計画にしていました。
帰路は、16:30那覇発のJALだったと記憶しています。空港までは、大西さんの営業車で送って頂きました。タクシー料金が非常に安いエリアのため、途中で降りればよかったのです。これが、痛恨のミステイクになりました。
大西さんは、得意先のトラブルが解決したことで、とても上機嫌でした。私が、この辺からタクシーを拾いますと下車を申し出ても、とっておきの沖縄料理をご馳走したいと言いだして引き下がってくれません。苛烈な台風が接近中だったため、できれば予約より1時間早い15時台の便に変更して羽田へ戻りたい気持ちでした。台風との追いかけっこなら、航空機の圧勝です。
大西さんは、自信満々でした。「もう沖縄在住5年ですからね。台風は、詳しいですよ。このくらいの天気ならまず問題なく飛びますね」と空港へ直行してくれません。「台風直撃の場合は、空の雰囲気と風で分かります。それに、レンタルビデオに行列ができるんです。ほら、そこのレンタルビデオ屋もまだ空いてるじゃないですか」
こうして案内されたのは、空港から遠く離れた浦添市にあるソーキそばの名店でした。「本物は美味しいでしょう」と連呼され、首肯するしかありませんでした。
ソーキそば一杯だけで店をあとにしました。那覇空港へ到着したのは、16:00くらいでした。この場でも、大西さんは楽観的でした。
「僕が言ったとおりでしょう。余裕で飛んでるじゃないですか。今日は有難うございました」
大西さんの車が走り去ると、小走りで空港ロビーに向かいました。嫌な予感がしました。――そして、的中してしまいました。
ロビーは、築地市場と化していました。帰路を断たれた観光客達が、寝床を確保すべく、ゴロゴロ床に転がっていたのです。
那覇発の全便欠航が決定された直後でした。
Posted at 2022/08/24 12:12:14 | |
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