
自験の「実録」を「どぶろっく」バージョンでご紹介します。
――心が折れる。
きっと高尚な故事成語を語源に持つ、古い言葉であろうと思っていました。普通に慣用句として使え、一語でその精神状態を察することができる便利でいい日本語だと思います。心には、建造物と同様に、なんらかの支えが必要であり、そこがなくなれば、壊滅的状態になります。
あるとき、この言葉が広まった端緒が女子プロレスの試合にあったと知り、驚愕しました。ときは、1990年代、神取忍が、「ジャッキー佐藤の心を折ってやる」と試合前に喝破したのがルーツのようです。それまで、「心折る」のような用法は、あったのかもしれません。しかし、慣用句にはなっていませんでした。相手が戦意を失うまで完勝してやるという決意を語るのに、見事な形容だったとしかいいようがありません。骨の数本を折るだけでは気が済まないとの壮絶な気迫を感じます。
洋画でも似た表現があったのを思い出しました。親友が、吹替のモノマネを得意にしていたのです。「ロッキーが憎いんじゃねえ。やっとの思いで獲った(チャンピオン)ベルトだから、奪おうとする奴は、コテンパンにぶちのめしてやる」というようなセリフだったと思います。原作では、「I will destroy any man」と語っており、「destroy」という一語で済ませています。その代わり、鬼の形相になって威迫していますので、英語は全身で表現する言語であるのを端的に感じることができました。
自分の記憶に照らすと、「落胆」「失望」「絶望」くらいの危機はありました。「心が折れる」は、それらを超えたレベルの辛さなので、滅多に遭遇する出来事ではありません。
今思えば、一度だけ、心が折れたことがあったかもしれません。20歳のときの失恋でした。周囲の景色から色彩が消え、大好きなテニスをしても、筋肉の記憶力だけで打っている状態でした。裏切られた失望が深く、「恋愛なんてもうたくさんだ」と思いました。
それでも、3週間後くらいに、転機が訪れました。テニス部と野球部でレクレーションのソフトボールをする機会があり、そこで場外級の特大ホームランを打ちました。青空に吸い込まれる打球を見上げながら、「こんなに空が蒼いなんて知らなかったよ」と思いました。一瞬で色彩が回復し、精神状態も正常に戻っていました。
心が折れているのですから、その原因となった分野で再起するのは難しく、それくらいの傷心が、言葉の定義なのだと思います。無理に治そうとしないのが一番よいのかもしれません。
つい最近、いとしの菊池桃子さんが、仕事でスランプになり、「心が折れた」とファンに嘆いていました。お見舞いコメントが殺到している状態です。この本文で記したことを、多くても100字程度にまとめるのに苦労しています。こればかりは、言語の限界かもしれません。みんカラ用に撮影している画像はたくさんありますので、そこからセレクトして画像投稿しようと考えています。
実録は、以上です。
ここで、「どぶろっく」師匠の登場です。
――もしかしてだけど、俺とドライブしたいって、誘ってるんじゃないの~。
「2人だけの遠い世界へ。お前を抱いてランナウェイ」
俺とドライブすれば、世界一幸せになれるのになあ。
――俺がね。
Posted at 2024/07/27 08:13:11 | |
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