
まあ103系自身もまさか令和の時代に2両編成で走ることになろうとは、昭和の時代には思いもしなかったことだとは思いますけど。
もっとも内外装はかなりアップデートされていますし、この播但線の103系が特に古く見えたりはしませんね。
これは先月人生を見つめ直す一人旅(笑)に出た際に姫路駅で撮影した一枚ですが、でもホームには結構な人数のお客さんがいらっしゃいましたよ。
高頻度運転をするための短編成なのでしょうか。
まあ、我が埼玉県でも30年前には大宮から高麗川までの川越線区間を3両で走っていましたけどね、103系。
旧国鉄の車両どころか平成年代に製造された車両の廃止も進む中、やはり昭和30年代から50年代くらいまでの間に設計、製造された車両は耐久性が現代のそれよりも優れていたのでしょうか。
修理して使い続けるというのが前提なんですかね、昭和の車両。
今は耐用年数を短く設定して、なるべく新しい車両を導入する考えなのでしょう、特に首都圏では。
きっとそのほうが省エネ性にも優れていて、経費的にもかからないのかなー、なんて思うところもありますが、確かに趣味性を排した毎日の通勤にはなるべく新しい車両のほうが快適ですからね。
首都圏のお古の車両が行く地域においては、ちょっと微妙だなー、なんて部分もありそうですけどね。
しかし、私は今出勤途中でE231系に乗車中なのですが、初期型なので平成12年に東急車輛製造となっていますね。
今が31年とすると19年前、2000年製造とはギリギリ20世紀時代の車両なのかぁ。
車内の表示版がオレンジと赤しか表示出来なかったり、さすがに古さも感じるようになってきましたね。
ま、それも贅沢な話でありますな。
私は通学、通勤時の電車における非冷房車の地獄をギリ知っている世代でもあります。
話がそれましたが103系、関連情報URLのところに10年前の自分のブログをリンクしました。
京都在住の頃に奈良線の103系に萌えー、という内容です。
前面に白いラインを入れた旧山手線色の103系4両編成は、これはなかなか味わい深いと思ったものです。
今はもう新型車両になっているのでしょうか。
京都も気がつけば随分訪れておりませんが、もうそろそろ遊びに行きたいものです。
あ、そうか、昨日はそういえば五山の送り火だったんですね。
京都のオフィスからは4つくらいは見えたんだよなー、ああ懐かしい。
何度も申しておりますが、人生の中でほんの一時期だけでも京都に住めたというのは、日本人としてやはり良かったなー、というところでしょうか。
あの4年間は公私ともに充実していましたからね、まだまだ若かったしなぁ。
若気の至り的な行動、行為も多かったと思いますが、それも後になって思い出せば貴重な何かがあったよね、みたいな。
もちろんそういうのって、少し良い感じに補正されちゃうものですが(汗)
いやだなー、もう老人みたいなことを言っていますね、私。
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Posted at
2019/08/17 09:08:20