
というわけで1992年の日本においては、こんな携帯が流行っていたとですよ。
もちろんアナログ携帯でありますし、電話番号も関東では030の時代。
通話オンリーの機能しかありませんが、それでもどれだけ憧れたものか。
私が携帯を持つようになったのは確か1995年からでしたから、この雑誌に掲載されているような機種を使うことはなかったのですが(最初からデジタルでしたからね)、何とも味わい深いよね、昔の携帯というところでしょうか。
私の記憶が間違っていなければ、この当時はまだ運転中の携帯使用に罰則がなかったように思うのですが。
法律が現実に追いついていない、という感じですかね。
なので、普通にみんな運転しながらカッコつけて携帯で通話していたような気がするなぁ。
1992年と言えば社会人2年目の、まあいろいろそういうことに興味のあるお年頃だった私ですが、実際に携帯を持つまでにはそこからさらに3年の月日が必要だったということは、やっぱり費用的に高価過ぎたということも大きかったんでしょうね。
このタイトル画像のIDOのトーキョーフォン、ものすごくお得みたいな表現になっておりますが、決してそんなことはないと思われ。
今の時代で考えると最初の契約料だったり毎月の回線使用料だったり、従量制の通話料金だったり、若手社会人にとってはまだまだ敷居が高いものでしたからね。
一部のヤンエグ(死語)以外が気軽に携帯を持てるようになるまでは、やはりここから2、3年後の安いデジタル携帯電話会社の登場まで待たないといけなかったということでしょう。
そして、何度も使い回しておりますが、マイファースト携帯。
京セラ製のツーカーセルラー東京TH-141だったかな。
大きくて重くて全然スタイリッシュではありませんが、今見るとしみじみ味わい深い感じがありますね。
タイトル画像のアナログ時代のトーキョーフォンもそうですが、それでも個性を出そうと各社頑張っていたような気がします。
私のこの最初の京セラは、アンテナが固定式で邪魔にならないというのがポイントだったような気がします。
しかし、あれですね、携帯電話が出てずいぶんと人と人のコミュニケーションのスタイルが変わったと言われますけど、それでもまたこの頃は「声」によるコミュニケーションだったんですよね。
そのうちメールが出来るようになって「文字」でのコミュニケーションが主流になってくるような部分もありますが、ま、それは正常進化と言うべきものなのでしょうか。
うーむ、私、まだたかだか57年しか生きていませんが、考えてみるといろいろと技術の進歩というか進化というか、その中を生きてきたんだなぁ、と思わずにはいられませんな。
ダイヤル式の電話や、ダイヤル式のテレビのチャンネルが普通だった時代が結構長かったわけで、それを考えると十年一昔という言葉もまさにそうだよなー、なんて思う次第です。
だけど、この重い京セラの携帯でこれ見よがしに通話しながら、二代目ビッグホーンイルムシャーを意気揚々と乗り回していた当時の私、きっと周囲からはものすごく滑稽に映っていたんだろうな、今考えるとホント穴があったら入りたいくらいですわ(汗)
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Posted at
2025/02/21 13:10:48