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nonchan1967のブログ一覧

2025年01月28日 イイね!

あれから40年経ちました。(半分以上リバイバル企画)

あれから40年経ちました。(半分以上リバイバル企画)あのですね、今やシニアしかいないという噂のFaceBookには昭和を懐かしむグループなんてのがいくつもあるのですが、そこで117クーペとフィアットディーノが似ている、なんて投稿がありまして。
私が1980年式の117クーペXEを所有していたのは、確か1991年からの1年程度だったような気がしているのですが、最後は電気系統の不調によるバッテリー上がりが頻発して購入金額の1/10程度で売っぱらってしまい・・・
まあ、今となっては後悔もしておりますけど、先に立たないのが後悔でありますから仕方ありませんね。


で、私が乗っていた117クーペの勇姿、これは何度も過去ブログで掲載しているものと同じなんですけど、やっぱり何度見てもカッコいいぜ!ということで自車自賛を兼ねてまた貼ってみちゃったりします。
いや、しつこいとは思っておりますし、毎回同じ画像じゃねーか、という部分はあるんですけどね。
でもデジカメが普及する以前って、今ほど気軽には写真撮れませんでしたもんね。
もったいねーなー、という感じではありますが、やはりデジカメの普及はエポックメイキングというか、1991年時点にもあれば良かったのにと思わずにはいられません。
ちなみに最初の一般消費者向け普及価格帯のデジカメといわれるCASIOのQV-10の発売が1995年だったと思いますから、そうか、もう30年経ったんだな。
いや、まだ30年という感じでしょうか、むしろ。
というわけで購入時にグリーンに全塗装した我が117ちゃんをどうぞ!メッチャ使い回しですけど。



あー、やっぱりいいなぁ。
このスタイリングは狙ってデザイン出来るものではないような気もするなぁ。
何というか感性というか、そっちのほうの賜物というか、産物というか。
そうそう、それでタイトルのお話ですが、私がこの117クーペを購入したお店が練馬区の千川通り沿いにあった「ジェミニオートインコ」というお店。
以前も少しネタにしたことがあったと思いますが、イスズ車が大量に在庫されていた半分ディーラーのような、半分民間の中古車屋さんのような、そんな感じのお店でした。


はい、そしてタイトル画像は1985年のカーセンサーに掲載されていたジェミニオートインコのページです。
見開きでこれでもかと言わんばかりにイスズ車を紹介しているわけですが、よく見るとフローリアンが5台も在庫していたり、117クーペも8台、ピアツッアにいたっては16台ですもんね。
今のイスズ車ファンにとってみたら、もう時計の針を巻き戻したい衝動に駆られるようなお店じゃないでしょうか。
私もきっと一日中いても飽きない自信、ありますもんね。
私はここで117クーペの他にビッグホーンイルムシャーを新旧2台、ミューウイザードの新車、家族と共用のオペルベクトラのデモカー上がりと、計5台を購入しているんですよね。
ミューウィザードのあとに何を思ったのか中古のゲレンデに手を出してしまうという暴挙に出てしまったので、そこでこのジェミニオートインコさんとの縁は途切れてしまったのですが。
このお店、実はもはや存在せず10年前の時点ですでに跡地は某スーパーマーケットになっているようでした、ストリートビューで調べてみると。
このタイトル画像の展示場の後、多分30年くらい前に新しい展示場兼自社ビルに建て替えたと思うのですが、それも取り壊されて、ということなんでしょうね。
営業さんでひとり割と懇意にしていた方がその後埼玉県内で独立開業され、私も開店祝いを持って訪れた記憶もありますが、そのお店も今はなくなっているようです。
多分27年くらい前のことだと思いますが、なかなか厳しいってことなんですかねぇ、いろいろ。


ということで、本日も過去ブログの焼き直しでお届けいたしましたが、最初のFaceBookのところは今のお話であります。
しかし、FaceBookはもう何年も前から完全にシニアの巣窟になってしまった感がありますよね。
あ、決してディスっているわけではなく、いろいろ年代や属性によって住み分けがされているよね、SNSも、みたいなことであります。
最近は私もほとんどFaceBookへの投稿はしていませんが、何というか昭和の価値観と常識が未だに目立つというか、こりゃあ若者は逃げ出すよねー、なんて思う次第です。
え、私も昭和の価値観に縛られた人間かもしれないって?
そういう点は大いにあると思いますが、でもアップデートしていかないといけませんね、時代に合わせていろいろと。
正直なところを申し上げると、20年前くらいまでの私も多分にハラスメント気質があったような気がするもんね、深い意味ではなくて単に女子が好き、というくらいの意味ですが。
今はすっかり枯れ果てていますけど(笑)
うーむ、何のこっちゃという感じですな。
Posted at 2025/01/28 12:51:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2025年01月19日 イイね!

この曲がテーマソングだったのさ。(え?リバイバル?)

この曲がテーマソングだったのさ。(え?リバイバル?)いやー、やっぱり朝晩は寒いですねぇ。
昨日もお仕事だった私、オフィスのある歌舞伎町は土曜日でも、いやむしろ土曜日だからこそ混沌としているというか、中国語と韓国語と英語とあとはちょっとわからない言語が渦巻いていてカオスだなぁ、と。
見渡す限りインバウンドの皆様がいらっしゃるのは、ま、私はインバウンド肯定派ですからどんどん消費してほしいよなぁ、なんて思うところではあります。
日本人のほうが肩身が狭い感じではありますけど。


しかしなぁ、冬、だよなぁ。
今は冬だって何だってお仕事をしなくてはいけないわけで、本当に遠い昔の思い出となってしまった気ままな学生時代が懐かしいぜ、ってな感じです。
若かりしあの頃、今考えるとひとつひとつの行動が青春していて赤面してしまうんですけどね、まあ、当時はそれなりに恋愛や人生を語っていた、ような気がしなくもないです。
んー、人生は語っていないか。
でも、頭の中の9割は女の子のことが占めていた20代前半ですけど、でもそれだけじゃなくて今後の人生のことなんかをみんなで話していたような気がするなぁ、カラオケなんかをオールナイトでやりながら。
当時はこんな自分になるなんて想像していませんでしたし、あ、でも決してネガティブな意味だけじゃないですけど。
でも、途中まではそこそこうまくいっているほうではないかな、とも自分では思っていたものの、その後転職したり無職ニートになったり、思い描いていた将来像とはちょっと違っていた、という部分はあるよなぁ。


画像はこれはバイト仲間とのカラオケボックス、かな?
季節感がなくて申し訳ないないのですが、冬のバイトよりも夏のバイトのほうが思い出深かったのでこちらを。
(私は後列右から3番目のサムズアップしている人w)
以前もネタにしましたが、夏は豊島園のプールでバイトしてたんですよ、私。
プールといっても監視員ではなくて「ハイドロポリス」の係員。
でも、水着ギャルは見放題だったし、バイトのコも水着でしたしね、もちろん派手じゃないワンピースのヤツだったけど。
男女ともに大学生が中心でしたけど、女子高生もいましたから、やっぱり楽しかったよなぁ。
うん、楽しかったですよ、いろいろ楽しいこともありましたもん。
で、本題なんですが、まさにこの曲が流行っていて、勝手に自分たちのテーマソングだ、なんてバイト仲間で言っていたんですよね。
調べてみると、もともとは87年の発売らしいのですが、その後89年に再リリースしてからヒットしたということですから、この写真にプリントされている年月とも合致しますね。



もうこんな時代というか、楽しいことが自分に再びやってくることはないのかな。
バブルでしたしね、バイトの時給も35年前で1,000円超えてたし、普通に常識の範囲内で遊ぶ分には軍資金も充分足りたしなぁ。
当時の愛車スタリオン(中古だけど)にも、乗ってくれるコを探す努力なんてあんまりしなくても良かったもんね。
今は土下座して頼み込んでも、私のチンクちゃん、あるいはMスポちゃんの横に乗ってくれるギャルなどいないことでしょう、きっと(涙)
いや、最近仕事も忙しいし、何となくストレスが溜まっているんですよ。
私の場合、それを発散するのがお酒やギャンブルや、あるいはもっと健全にスポーツで解消、なんてことはなくて、思い出話に逃げ込んだり、妄想の世界で遊んだり、つまり本質的にネクラなんですね。
でも、思い出話や妄想にはお金も必要ありませんし、とっても安上がりなストレス解消法だと思うのですがいかがでしょう?
(これ、バレないよね・・・)


おまけ。
11年前の自分のブログから。
わっかるっかなぁ、わっかんねえだろうなぁ、イェイ。



しかし、今日もブログアップギリギリだったなー。
でも毎日アップは譲れんばい。
なんちゃって。
Posted at 2025/01/19 23:30:22 | コメント(5) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2025年01月18日 イイね!

【リバイバル・リバイバル企画】35年前の学生の標準的デートプラン ?(絶対むーりー)

【リバイバル・リバイバル企画】35年前の学生の標準的デートプラン ?(絶対むーりー)タイトル画像は私の大学生時代のバイブルのひとつだった「東京クルージングデートブック」でありますが、インターネットもナビもなかった昭和後期から平成初期にかけては、こうした本や雑誌の存在感って今よりもはるかに大きかったですよね。
大学生の立場からすると、特にあまりおしゃれではない学生御用達の「Hot-Dog Press」とイケてる学生が好んだ「POPEYE」が双璧だったんじゃないかしら、まあポパイは今もありますけど。
埼玉県人の私は、もちろん前者のおしゃれではない学生ですからホットドッグプレス大好きでした(笑)


そんなホットドッグプレス編集のこの本、首都圏近郊のトレンディ(死語)なデートスポットを、クルマで行くことを前提に紹介している内容なのですが、ここに掲載されているいろいろなお店の現在の存続状況を今までにも何度か調べていることは、私のブログをご覧の皆さまでもご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
ちなみに「昔話」カテゴリで意外に気合を入れて調べたりしているので、ぜひご覧ください !
それでですね、この「東京クルージングデートブック」、いくつかデートのモデルコースというか、こういうプランがおすすめ ! 的な特集が掲載されておりまして。
これも今までにもネタにしてご紹介しているのですが、未だになぜか2014年の記事「アウディ90でリッチなデートに出発だ(笑)」へのアクセスがポツポツあるんですよ。
へー、なんでだろう ? という部分もあるのですが、折角ですから少し内容を変えて再度(実は再々度)ネタにしてみようと思った次第です。
まあ、まずは下記をご覧ください、ツッコミどころ満載ではありますが大真面目なんだと思います、モデルさんも編集者さんも。







うーん、大学3年生の小林くん、アウディ90がマイカーなんだ。
家のクルマという説もありますが、でも小林くんもお金持ってそうだもんなぁ、スカーフなんか巻いちゃってるし。
よく見えないけどエルメスっぽくない ?
しかしアウディのリアウィンドウに輝く黄色いヤナセステッカーが眩しいですね。
彼女の美香さんもいかにも、という雰囲気ですが、まあお嬢様なんですかね、確かにこんな感じの女子もいたような気がするなぁ。
さて、それではデートの細かい内容は画像でご確認いただくとして(以前も書いてますからね)、ここでは小林くんは本日のデートに一体いくら使ったのよ、という視点で考えてみましょう。
あくまでも想像、妄想込みであります。


えー、まずはセンチュリーハイアット(今はハイアットリージェンシー)でのランチ、これがランチのコースでサービス料込みで一人6,000円の設定でよいかしら。
あれっ、平成元年ってもう消費税って導入されていました?
お次がプール、ビジターは一人6,000円なのね。
それでもってその後は乗馬ですか。
これも一人6,000円ね、というかそもそも会員審査が厳しそうですな。
優雅に身体を動かしたあとはセンスの良いセレクトショップでお買い物、ここでは文中にも出ているジタンのブルゾンを小林くんが自分用に買って、さらに美香さんへのプレゼントに何か小物を購入したという前提で30,000円くらいかな。
ディナー前のプールバーはどうやらディナーを予約している人は無料かな、とすると上海蟹のディナーで、アラカルトで頼んでいるっぽいけど、二人で20,000円はかかってそうですよね。
本文中ではここまでで終わってますけど、やっぱりお泊りだろうなぁ。
インター沿いのラ○ホということはないだろうから、どこかのシティホテルとして、ひょっとしたら最初からセンチュリーハイアットの部屋を取っていたのかしら。
いずれにしても新宿区、渋谷区あたりをウロウロしていることから、ここは当時まだ出来てそんなにたっていないヒルトン東京に宿泊したと仮定しましょう。
ホテルのバーくらいはコトに及ぶ前に行きそうな気もしますし、翌朝はルームサービスでチップなんかもカッコつけてあげそうな小林くんですから、もろもろ込みだと40,000円はかかっているんじゃないでしょうか。
まだ価格比較サイトも一休.comの影もカタチもない時代でありますからね、お得プランを比較検討してということもないでしょうし。
さあトータル金額は・・・
おお、「126,000円」かぁ。
小林くん、お金持ちだなー。
(あ、共通の趣味がゴルフ、なんて書いてあるからひょっとして翌日はどこかでラウンド?もっとお金かかっちゃうじゃん)
もちろん極端過ぎる例ですし、私の周囲にはこんな小林くんのような野郎はおりませんでしたが、とりあえず夢はあった時代だったよね、というとでオッケーでしょう。
こんなの、我ながらくだらないなーとは思いますけどね(汗)


ということで今日も個人的には既視感だらけのブログでありますが、私、この小林君ネタ好きなんですよ。
文中にもある通り元々は2014年にアップしたネタのリバイバル版、2018年の記事をちょっとだけ内容アップデートでお届けした次第です。
だって今日も半ドン出勤でもないのに会社行っちゃって、ま、午後からは資格取得のために通っている学校があるのでせいぜい4時間程度ではありますが、無駄に時間外手当を稼いでしもうたばい。
いや、当初想定していたよりも全然忙しいじゃんか。
なので今日も新ネタ考えられんばい。
うーむ、私はもうひっそりと社会人生活としての余生を過ごそうと思っていたとに。
ただ、私は非常に他人からどう思われているかを気にするタイプなので、力を抜いていると思われるのは良いけど、手を抜いていると思われるのは嫌なんですよね。
他には要するにあのオジサン使えるじゃん!って思われたいというかね、そんなのもう良いじゃんという感じかとは思うのですが。
結果として、それくらい全然余裕っすよ、まだまだ全然力余ってますぜ、みたいにして自分で自分の首を絞めてしまう、要するにええかっこしい、かつ気にしいのアホなんです。
いつまでもこんなスタンスではいけませんな、というわけでリバイバル・リバイバル企画をお楽しみくださーい!
Posted at 2025/01/18 19:28:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2025年01月17日 イイね!

リバイバル企画「最高級のミッドナイトストーリーがはじまるぞ」 副題:FCにはユーロビートが似合う。

リバイバル企画「最高級のミッドナイトストーリーがはじまるぞ」 副題:FCにはユーロビートが似合う。私、クルマから見る夜景が大好きなの、ってことで、今日は「あれから35年経ちました」企画をやっちゃう?
時は1989年、そう平成が始まった年であります。
日本中がバブルで盛り上がっていたその時代の、ちょっとヤンチャ系カップルがお届けするミッドナイト・クルージングのお話です。
まずは表参道のカフェ・ダンスで19時に待ち合わせ。
五十嵐君の白いFCが夜に映えるぜ!
さあ、お茶を済ませたらR246を晴海へ向かおう!


ちなみにタイトル画像は現在のお台場から東京タワー方面を望んだフリー画像なのですが、これをよーく覚えていてくださいね。
で、晴海に向かった五十嵐君、お台場海浜公園から大都会東京の夜景を眺めるべく愛車のFC型サバンナRX-7を走らせます。
東京タワーの照明が消える瞬間はちょっと切ない気分なんだよね。



え、東京タワーの消灯時間って21時だったの?
今はもっと遅くまでライトアップされてませんでしたっけ?
調べてみたら今は24時に消灯とのことですから、昔はかなり早く消えていたんだな。
で、それよりも注目していただきたいのが、上の記事中のお台場から東京タワー方面を眺めた光景ですよ。
あれっ、なんかあっさりしているぞ?
何か非常に違和感が・・・って見ただけでわかりますけど、35年前にはまだレインボーブリッジはなかったんですね。
1987年着工、1993年完成ですから、この当時は建設中、きっと五十嵐君と岡村さんも「レインボーブリッジが出来たら、また2人で見に来ようね♡」なんて言いやがっていたんだろうな。
高層ビルも少なくてちょっと寂しい感じのする1989年の夜景ですけれど、ある意味今よりも東京タワーの存在感がクローズアップされていてロマンティックだったのかもしれませんな。



ハイ、あとは手抜きですけど、要する若い2人は夜通し遊んでも充分に体力が残っているというか、きっとこの時間からよろしくやっちゃうんだろうなぁ、という雰囲気がうらやましくもあり、うらやましくなくもあり。
港の見える丘公園で2人寄り添って朝焼けを眺める、おいおい、君たちハタチそこそこでそんなに充実した恋愛しちゃダメだよ、10年早いぜ、というところではありますな。
その当時の学生は、まあ大体皆そんな感じだったわけですが。
うーん、改めて見ると五十嵐君のスーツも岡村さんの派手なピンクのお召し物も、何というか時代であります。
でもオジサンたちの青春は間違いなくここにあったわけで、相対的に昔ほどにはクルマに興味がないといわれる現代の若者を憂う気持ちでいっぱいです。
ま、そんなの余計なお世話だと言われてしまうのがオチでしょうけどね(汗)


あれっ、今日のブログ、何か既視感があるぞ私には。
というわけで、ちょっと忙しくてイチからネタを書き起こす時間も気力もなかったので、2014年の記事をタイトル画像を差し替えて、本文をちょっとだけアップデートしてお送りいたしました。
でもこういう大昔の青春物語もたまには悪くないってことで。
あ、副題についてですが、私の勝手なイメージだとFC型のRX-7に乗っている方って、大音量でユーロビートを響かせている率が高かったよなー、みたいな。
はい、単なる偏見ですが大学時代のゼミの友人にそうやつがおりまして、彼の記憶が強烈に残っているんだよなー。
久しく会っていないけど元気かな。
Posted at 2025/01/17 22:42:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2024年11月29日 イイね!

昔は10円玉を何枚も用意して彼女の家に電話していたもんじゃ。

昔は10円玉を何枚も用意して彼女の家に電話していたもんじゃ。昭和42年生まれの私、中学生で初めて彼女、は言い過ぎですがちょっと仲の良いお互い意識しあうような女子のお友達が出来まして。
もちろん昭和の中学生レベルですからね、本当に微笑ましいくらいのお付き合いだったわけですが、まあ、毎晩でもお話したくなってしまうわけですよ。
中学2年生の時は昭和56年、1981年でありますから、当然携帯なんかがある時代ではなく、家電(いえでん)でかけるか公衆電話でかけるかしかなかったわけで。
ああ、懐かしい昭和だなぁ。


ちなみにテレホンカードが発売されたのは私が中3、昭和57年の12月だとWikipediaに書いてありました。
でも街中の公衆電話が全てテレカ対応になるのには、それなりの時間はかかったような記憶もありますけど。
つまり、中学生時代はタイトルにあるように10円玉を何枚も用意して公衆電話から彼女の家にかけていたというお話です。
え、何で公衆電話からだと申しますと、家からなんてかけられないじゃん、恥ずかしくて。
塾の帰りに公園の公衆電話からかけていたとですよ、友達にも付き合ってもらったりもして。
一応何時にかけるね、なんて約束は取り交わしていたのでお父さんが電話に出て切られてしまう、なんて家電(いえでん)あるあるはなかったのですが、でも毎回緊張していたよなぁ。
当時は10円玉1枚で3分話せたのかな、市内だと。
だから10枚用意して30分、ま、それくらいが限界でもありましたからね、彼女がおうちの人に怒られない時間と言うか。
あ、何で100円玉じゃないかと言うと、お釣りが出ないからもったいなかったからであります。
常に30分話せるとは限りませんでしたからね。


と、そんなことを思い出してしまったガチャガチャを回してしまったよね、みたいな。
タイトル画像の緑の公衆電話はテレホンカードが使える初代の製品らしいですが、やはりここは黄色いのが欲しかったなー。
ピンクよりもむしろ黄色いほうが懐かしく感じるんですよね。
赤電話ならまた別ですけど。



黄色い公衆電話は100円玉が使えますが、当時は10円玉しか使えない青い公衆電話もあったように思います。
今考えると昭和の若者は不自由な環境の中、何とかいろいろ工夫していたんだなぁ、と思うと感慨深いものがありますね。
生まれた時から携帯があったというか、スマホさえあった令和を生きる若者の環境が羨ましくないと言ってはウソになりますが、いずれにしても好きな女の子とは一晩中電話していても飽きないし、時間が足りない!なんて気持ちはいつの時代も変わらないということでしょう。
いやー、私はこういう話題が大好きな老害ですが(爆)、今度は時代を少し下ってまだ公衆電話からテレホンカードで「0990」にアクセス出来た時代に、ダイヤルQ2の帝王と言われた友人N君の話をブログネタにしたいものであります。
クルマもちょっと出てくるお話なのでいずれ!
Posted at 2024/11/29 06:02:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記

プロフィール

昭和42年生まれのサラリーマンです。 見た目も含めてまだまだ若いつもりでいるのですが、そう思っているのはひょっとして私だけかも・・・なんて思う今日この頃です。...
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