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2025年01月18日 イイね!

【リバイバル・リバイバル企画】35年前の学生の標準的デートプラン ?(絶対むーりー)

【リバイバル・リバイバル企画】35年前の学生の標準的デートプラン ?(絶対むーりー)タイトル画像は私の大学生時代のバイブルのひとつだった「東京クルージングデートブック」でありますが、インターネットもナビもなかった昭和後期から平成初期にかけては、こうした本や雑誌の存在感って今よりもはるかに大きかったですよね。
大学生の立場からすると、特にあまりおしゃれではない学生御用達の「Hot-Dog Press」とイケてる学生が好んだ「POPEYE」が双璧だったんじゃないかしら、まあポパイは今もありますけど。
埼玉県人の私は、もちろん前者のおしゃれではない学生ですからホットドッグプレス大好きでした(笑)


そんなホットドッグプレス編集のこの本、首都圏近郊のトレンディ(死語)なデートスポットを、クルマで行くことを前提に紹介している内容なのですが、ここに掲載されているいろいろなお店の現在の存続状況を今までにも何度か調べていることは、私のブログをご覧の皆さまでもご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
ちなみに「昔話」カテゴリで意外に気合を入れて調べたりしているので、ぜひご覧ください !
それでですね、この「東京クルージングデートブック」、いくつかデートのモデルコースというか、こういうプランがおすすめ ! 的な特集が掲載されておりまして。
これも今までにもネタにしてご紹介しているのですが、未だになぜか2014年の記事「アウディ90でリッチなデートに出発だ(笑)」へのアクセスがポツポツあるんですよ。
へー、なんでだろう ? という部分もあるのですが、折角ですから少し内容を変えて再度(実は再々度)ネタにしてみようと思った次第です。
まあ、まずは下記をご覧ください、ツッコミどころ満載ではありますが大真面目なんだと思います、モデルさんも編集者さんも。







うーん、大学3年生の小林くん、アウディ90がマイカーなんだ。
家のクルマという説もありますが、でも小林くんもお金持ってそうだもんなぁ、スカーフなんか巻いちゃってるし。
よく見えないけどエルメスっぽくない ?
しかしアウディのリアウィンドウに輝く黄色いヤナセステッカーが眩しいですね。
彼女の美香さんもいかにも、という雰囲気ですが、まあお嬢様なんですかね、確かにこんな感じの女子もいたような気がするなぁ。
さて、それではデートの細かい内容は画像でご確認いただくとして(以前も書いてますからね)、ここでは小林くんは本日のデートに一体いくら使ったのよ、という視点で考えてみましょう。
あくまでも想像、妄想込みであります。


えー、まずはセンチュリーハイアット(今はハイアットリージェンシー)でのランチ、これがランチのコースでサービス料込みで一人6,000円の設定でよいかしら。
あれっ、平成元年ってもう消費税って導入されていました?
お次がプール、ビジターは一人6,000円なのね。
それでもってその後は乗馬ですか。
これも一人6,000円ね、というかそもそも会員審査が厳しそうですな。
優雅に身体を動かしたあとはセンスの良いセレクトショップでお買い物、ここでは文中にも出ているジタンのブルゾンを小林くんが自分用に買って、さらに美香さんへのプレゼントに何か小物を購入したという前提で30,000円くらいかな。
ディナー前のプールバーはどうやらディナーを予約している人は無料かな、とすると上海蟹のディナーで、アラカルトで頼んでいるっぽいけど、二人で20,000円はかかってそうですよね。
本文中ではここまでで終わってますけど、やっぱりお泊りだろうなぁ。
インター沿いのラ○ホということはないだろうから、どこかのシティホテルとして、ひょっとしたら最初からセンチュリーハイアットの部屋を取っていたのかしら。
いずれにしても新宿区、渋谷区あたりをウロウロしていることから、ここは当時まだ出来てそんなにたっていないヒルトン東京に宿泊したと仮定しましょう。
ホテルのバーくらいはコトに及ぶ前に行きそうな気もしますし、翌朝はルームサービスでチップなんかもカッコつけてあげそうな小林くんですから、もろもろ込みだと40,000円はかかっているんじゃないでしょうか。
まだ価格比較サイトも一休.comの影もカタチもない時代でありますからね、お得プランを比較検討してということもないでしょうし。
さあトータル金額は・・・
おお、「126,000円」かぁ。
小林くん、お金持ちだなー。
(あ、共通の趣味がゴルフ、なんて書いてあるからひょっとして翌日はどこかでラウンド?もっとお金かかっちゃうじゃん)
もちろん極端過ぎる例ですし、私の周囲にはこんな小林くんのような野郎はおりませんでしたが、とりあえず夢はあった時代だったよね、というとでオッケーでしょう。
こんなの、我ながらくだらないなーとは思いますけどね(汗)


ということで今日も個人的には既視感だらけのブログでありますが、私、この小林君ネタ好きなんですよ。
文中にもある通り元々は2014年にアップしたネタのリバイバル版、2018年の記事をちょっとだけ内容アップデートでお届けした次第です。
だって今日も半ドン出勤でもないのに会社行っちゃって、ま、午後からは資格取得のために通っている学校があるのでせいぜい4時間程度ではありますが、無駄に時間外手当を稼いでしもうたばい。
いや、当初想定していたよりも全然忙しいじゃんか。
なので今日も新ネタ考えられんばい。
うーむ、私はもうひっそりと社会人生活としての余生を過ごそうと思っていたとに。
ただ、私は非常に他人からどう思われているかを気にするタイプなので、力を抜いていると思われるのは良いけど、手を抜いていると思われるのは嫌なんですよね。
他には要するにあのオジサン使えるじゃん!って思われたいというかね、そんなのもう良いじゃんという感じかとは思うのですが。
結果として、それくらい全然余裕っすよ、まだまだ全然力余ってますぜ、みたいにして自分で自分の首を絞めてしまう、要するにええかっこしい、かつ気にしいのアホなんです。
いつまでもこんなスタンスではいけませんな、というわけでリバイバル・リバイバル企画をお楽しみくださーい!
Posted at 2025/01/18 19:28:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2025年01月17日 イイね!

リバイバル企画「最高級のミッドナイトストーリーがはじまるぞ」 副題:FCにはユーロビートが似合う。

リバイバル企画「最高級のミッドナイトストーリーがはじまるぞ」 副題:FCにはユーロビートが似合う。私、クルマから見る夜景が大好きなの、ってことで、今日は「あれから35年経ちました」企画をやっちゃう?
時は1989年、そう平成が始まった年であります。
日本中がバブルで盛り上がっていたその時代の、ちょっとヤンチャ系カップルがお届けするミッドナイト・クルージングのお話です。
まずは表参道のカフェ・ダンスで19時に待ち合わせ。
五十嵐君の白いFCが夜に映えるぜ!
さあ、お茶を済ませたらR246を晴海へ向かおう!


ちなみにタイトル画像は現在のお台場から東京タワー方面を望んだフリー画像なのですが、これをよーく覚えていてくださいね。
で、晴海に向かった五十嵐君、お台場海浜公園から大都会東京の夜景を眺めるべく愛車のFC型サバンナRX-7を走らせます。
東京タワーの照明が消える瞬間はちょっと切ない気分なんだよね。



え、東京タワーの消灯時間って21時だったの?
今はもっと遅くまでライトアップされてませんでしたっけ?
調べてみたら今は24時に消灯とのことですから、昔はかなり早く消えていたんだな。
で、それよりも注目していただきたいのが、上の記事中のお台場から東京タワー方面を眺めた光景ですよ。
あれっ、なんかあっさりしているぞ?
何か非常に違和感が・・・って見ただけでわかりますけど、35年前にはまだレインボーブリッジはなかったんですね。
1987年着工、1993年完成ですから、この当時は建設中、きっと五十嵐君と岡村さんも「レインボーブリッジが出来たら、また2人で見に来ようね♡」なんて言いやがっていたんだろうな。
高層ビルも少なくてちょっと寂しい感じのする1989年の夜景ですけれど、ある意味今よりも東京タワーの存在感がクローズアップされていてロマンティックだったのかもしれませんな。



ハイ、あとは手抜きですけど、要する若い2人は夜通し遊んでも充分に体力が残っているというか、きっとこの時間からよろしくやっちゃうんだろうなぁ、という雰囲気がうらやましくもあり、うらやましくなくもあり。
港の見える丘公園で2人寄り添って朝焼けを眺める、おいおい、君たちハタチそこそこでそんなに充実した恋愛しちゃダメだよ、10年早いぜ、というところではありますな。
その当時の学生は、まあ大体皆そんな感じだったわけですが。
うーん、改めて見ると五十嵐君のスーツも岡村さんの派手なピンクのお召し物も、何というか時代であります。
でもオジサンたちの青春は間違いなくここにあったわけで、相対的に昔ほどにはクルマに興味がないといわれる現代の若者を憂う気持ちでいっぱいです。
ま、そんなの余計なお世話だと言われてしまうのがオチでしょうけどね(汗)


あれっ、今日のブログ、何か既視感があるぞ私には。
というわけで、ちょっと忙しくてイチからネタを書き起こす時間も気力もなかったので、2014年の記事をタイトル画像を差し替えて、本文をちょっとだけアップデートしてお送りいたしました。
でもこういう大昔の青春物語もたまには悪くないってことで。
あ、副題についてですが、私の勝手なイメージだとFC型のRX-7に乗っている方って、大音量でユーロビートを響かせている率が高かったよなー、みたいな。
はい、単なる偏見ですが大学時代のゼミの友人にそうやつがおりまして、彼の記憶が強烈に残っているんだよなー。
久しく会っていないけど元気かな。
Posted at 2025/01/17 22:42:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2024年11月29日 イイね!

昔は10円玉を何枚も用意して彼女の家に電話していたもんじゃ。

昔は10円玉を何枚も用意して彼女の家に電話していたもんじゃ。昭和42年生まれの私、中学生で初めて彼女、は言い過ぎですがちょっと仲の良いお互い意識しあうような女子のお友達が出来まして。
もちろん昭和の中学生レベルですからね、本当に微笑ましいくらいのお付き合いだったわけですが、まあ、毎晩でもお話したくなってしまうわけですよ。
中学2年生の時は昭和56年、1981年でありますから、当然携帯なんかがある時代ではなく、家電(いえでん)でかけるか公衆電話でかけるかしかなかったわけで。
ああ、懐かしい昭和だなぁ。


ちなみにテレホンカードが発売されたのは私が中3、昭和57年の12月だとWikipediaに書いてありました。
でも街中の公衆電話が全てテレカ対応になるのには、それなりの時間はかかったような記憶もありますけど。
つまり、中学生時代はタイトルにあるように10円玉を何枚も用意して公衆電話から彼女の家にかけていたというお話です。
え、何で公衆電話からだと申しますと、家からなんてかけられないじゃん、恥ずかしくて。
塾の帰りに公園の公衆電話からかけていたとですよ、友達にも付き合ってもらったりもして。
一応何時にかけるね、なんて約束は取り交わしていたのでお父さんが電話に出て切られてしまう、なんて家電(いえでん)あるあるはなかったのですが、でも毎回緊張していたよなぁ。
当時は10円玉1枚で3分話せたのかな、市内だと。
だから10枚用意して30分、ま、それくらいが限界でもありましたからね、彼女がおうちの人に怒られない時間と言うか。
あ、何で100円玉じゃないかと言うと、お釣りが出ないからもったいなかったからであります。
常に30分話せるとは限りませんでしたからね。


と、そんなことを思い出してしまったガチャガチャを回してしまったよね、みたいな。
タイトル画像の緑の公衆電話はテレホンカードが使える初代の製品らしいですが、やはりここは黄色いのが欲しかったなー。
ピンクよりもむしろ黄色いほうが懐かしく感じるんですよね。
赤電話ならまた別ですけど。



黄色い公衆電話は100円玉が使えますが、当時は10円玉しか使えない青い公衆電話もあったように思います。
今考えると昭和の若者は不自由な環境の中、何とかいろいろ工夫していたんだなぁ、と思うと感慨深いものがありますね。
生まれた時から携帯があったというか、スマホさえあった令和を生きる若者の環境が羨ましくないと言ってはウソになりますが、いずれにしても好きな女の子とは一晩中電話していても飽きないし、時間が足りない!なんて気持ちはいつの時代も変わらないということでしょう。
いやー、私はこういう話題が大好きな老害ですが(爆)、今度は時代を少し下ってまだ公衆電話からテレホンカードで「0990」にアクセス出来た時代に、ダイヤルQ2の帝王と言われた友人N君の話をブログネタにしたいものであります。
クルマもちょっと出てくるお話なのでいずれ!
Posted at 2024/11/29 06:02:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2024年07月27日 イイね!

私の青春の1ページがまた閉じられてしまうようです。

私の青春の1ページがまた閉じられてしまうようです。この世の中、ずっと変わらないものなんてないわけですけどね。
でもこの記事なんかを見ると、ああ、昭和は遠くになりにけりだよなぁ、と思わずにはいられません。
春日部のヨーカドーが閉店するという記事ですが、記事にもある通りクレヨンしんちゃんとは切っても切れない存在のお店でしたからね。
そして、私にとっても春日部のヨーカドーには少なからぬ思い出はあるというか。
別に大した内容ではありませんけど。


昭和58年に天下に冠たる埼玉県立越谷北高校、古市憲寿君と佐藤健君の母校でもありますが、に入学した私、春日部は学校までの中間地点でしたから結構学校帰りに遊んだ街でして。
ちなみに草加方面から通ってくる連中は新越谷が同じような位置付けの街でしたが、まあどうでも良いお話であります。
それでですね、そんな春日部のヨーカドーは反対側にロビンソン百貨店が出来るまでは街の顔、ランドマークだったんだよね、みたいな。
今やロビンソン百貨店もない春日部ですが、春日部に限らず日本全国AEONの影響を受けない街はないよなぁ、なんて思うところでして、イトーヨーカドーそのもののパワーが低下していることも事実でありますが、何というか寂しい限りでありますな。
あの頃の春日部ヨーカドーのそばには、エーワンバーガーというハンバーガーショップに、その横によく通ったゲーセン、バンドやっていた高校生には必須のヘアジェルの走りであるDEPを販売していたコスメのお店、インドカレーのラホール(今あるラホールとは違う気がするんだけど)、そして極めつけは学生服でも入れてくれた鮒忠、ああ涙が出るくらい懐かしかばい。
あれっ、ヨーカドーそのものの思い出ではないな。


春日部は今や駅も絶賛工事中で、ずっと昭和の雰囲気を醸し出していた平面駅舎も遠からず高架化されてしまうことでしょう。
新春日部駅が完成した暁には、私が過去何度もアップしている野田線もといアーバンパークラインホームの東武ラーメン、通称春日部ラーメンも終焉を迎える日も近そうです。



ちょっと前の自分のブログからの再掲画像ですが、なくなる前に急いでまた食べに行かないといけませんね。
しかし、新しい春日部駅になってもクレヨンしんちゃんの駅メロは続けて欲しいものですが、さあどうなることでしょう。
しんちゃんはいつまでも春日部市民と共にいますからね。
Posted at 2024/07/27 06:32:50 | コメント(3) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記
2024年07月15日 イイね!

さすがマクドナルド!もう一生ビッグマック食べ続けるばい。

さすがマクドナルド!もう一生ビッグマック食べ続けるばい。というわけで感涙にむせぶ私でありますが、タイトルでもう予測のつく方もいらっしゃることでしょう、きっと。
今流れているマクドナルドのCM、ビッグマックのコマーシャルの体裁を取っておりますが、間違いなくバブル期に青春を過ごしたオッサンは皆泣いていることと存じます。
ちなみに私は関東人なのでマック呼びですが、関東人の矜持として京都赴任中もマクド呼びは一度もしなかったのが自慢です。
まあ、それはどうでも良いお話ですが、もう本当に反射的に飛び起きてしまいましたもんね、イントロ聴いただけで。
どうやら世間的にも私と同世代のオッサン、オバサンの反応は同じような感じですね、SNSとかに流れてくる情報を見ていても。
やっぱり日本が最高に輝いていた時代だったんだよな、あ、あくまでも個人の感想ですが。


論より証拠、百聞は一見に如かずということで、とりあえずYouTubeにアップされている動画を貼ってみましょう。
マック公式のロングバージョンのこれが良いかな。
きっと今の若者が見てもグッとくるというか、心に響くCMになっているんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。



ああっ、マジで泣けてくる。
この佐藤竹善さんの声がまた素晴らしいではありませんか。
当時は鈴木雅之さんバージョンもあって、こちらもまた素晴らしいので第二弾として制作してくれないかなぁ。
で、このCMの素晴らしいのは当時のCMの雰囲気をうまく取り入れているというか、やっぱり敬意をもったオマージュであるところかしら、なんて。
ここで当時のCMを貼っちゃうと、いかにもな感じもしますのでやめておきますが、あれっ、私以前何度かネタにしていたような気もするな。


ということで、こんなCMを見てしまうとどうしても昔を懐かしんでしまう56歳ですが、もちろんマックのこのCMの意図はバブル期のオッサン、オバサンを喜ばせることではないであろうことはわかっております。
いや、ちょっとはそういうのもあるかもしれませんけど。
元々のコカ・コーラのCMが流れていたのは昭和の最後期、昭和62年とか63年だったと記憶していますが、当時の日本の勢いは正直今はもはや残っていないのが実情かもしれませんけど、ひとつひとつの事象をとらえていくと当時よりも今のほうが格段に優れている、良くなっている部分だって多いわけですし。
ハラスメント関連然り、個人情報関連然り、ワークライフバランス関連然り、LGBTQ関連然り、SDGs関連然り、あ、後は禁煙がスタンダードになったこともそうですね、つまり、昔よりも良くなっているところも多い今の日本ですから、これからの日本においても夢も希望もたくさんある、ってことでありますね。
このCMの「あしたも、笑おう。」というコピーも素晴らしいではありませんか。
私もオッサンなりに、何かそういう未来の日本に貢献出来れば良いなぁ、なんて、何と大きく出てしまったことでしょう(汗)
さて、今日はこれから久しぶりにMスポちゃん登場、高崎まで有名な高崎パスタを食べに行ってこようと思います。
宇都宮餃子と迷ったんですけどね。
Posted at 2024/07/15 07:16:53 | コメント(6) | トラックバック(0) | 昔話 | 日記

プロフィール

昭和42年生まれのサラリーマンです。 見た目も含めてまだまだ若いつもりでいるのですが、そう思っているのはひょっとして私だけかも・・・なんて思う今日この頃です。...
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