
古いイタ車にしか見えないよなぁ、ということで7月に訪れたトヨタ博物館に展示してある初代ファミリアであります。
どこから見ても60年代のアルファ、あるいはフィアット、もしくはランチアあたりに見えてしまうという。
まあデザインはベルトーネということですから、当たり前といえば当たり前なんでしょうけど。
今これに乗っていたらカッコいいでしょうね、国籍不明感たっぷりですけど、少なくとも国産車とは思われないんじゃないかしら。
え、それはちょっと言い過ぎですか?
しかしマツダは昔からヨーロピアン志向が強かったのでしょうか。
私が免許を取得する頃も、MAZDA323だとかMAZDA626だとか、要するにファミリアとカペラなのですが、ヨーロッパで大人気だったというような記憶もありま す。
その後マツダが迷走していた時期のユーノスブランドの各車も、あれも結構日本車離れしたデザインだったような。
いずれにしても、今のマツダ車もアテンザなんかは本当に流麗でイケていると思いますし、各車に共通のフロントというかグリルのデザインも、ブランドとしてのアイデンティティーを充分に発揮していると思います。
ロータリーエンジンのこともそうですけど、マツダは本来相当に個性的なメーカーなんですかね。
あれっ、そういえばマツダってまだ正式社名は東洋工業のままなんでしたっけ?
調べてみたらもう違うんですね。
でも広島カープはまだ広島東洋カープなんだ、確かにそっちのほうが重厚な感じがしていいですね。
全然話は飛んでしまいますけど、カープの昭和50年のリーグ初優勝の時のことは何となく覚えていますね。
当時は親の転勤で福岡市に住む小学校2年生だったわけですが、にわかに「C」マークの帽子をかぶる同級生が増えたような気がしたなぁ。
もっともクラスのほとんどは「TL」マークの太平洋の帽子でしたけどね。
もうひとつ思い出しました、マツダ絡みで。
私、就職活動している時、えーと91年入社ですから90年ですね、平成二年かな。
結果的には現在も勤務している業界の企業ばかりを受けて、その中の第一希望に首尾よく受かって四半世紀以上その会社で禄を食んでいるわけですが、まだ業界研究の段階の時にマツダ本社の若手社員にOB訪問したことがあったような。
OB訪問というよりは先輩によるセミナーみたいな感じだったかも しれません。
当時はバブル期でしたから、駒大生でもディーラーじゃないマツダ本社への就職が出来た時代だったんですよね。
実際友人でも入社した人間もいますしね、もっともディーラーへの出向も経験しているみたいですけど。
ま、そんなことはどうでもよいことではあります。
そうそう、ロードスターベースのアバルト124スパイダーでしたっけ?
あれ、いいですね。
400万円弱の価格はもちろん安くはありませんけど、ベース車の素性とアバルトのブランド性を考えると相対的にはお買い得なんですかね。
何年か乗った後の残存価値も高そうだなぁ。
私はオープン志向はありませんので、ハードトップがあればそれを装着して乗ってみたいですね。
でもオープンカーに常にハード トップというのは、やはり邪道なんですかね?
Posted at 2016/09/05 11:40:44 | |
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自動車博物館 | 日記