
なるほど、車両で69万円なのかぁ。
レストアは必須というか、内外装については多少なりとも手を入れなくてはいけない部分はありそうですが、このタイプのギャランが今まで残っているのは希少ですよね。
当時モノの2桁ナンバーで今まで走っていたということですが、東海地方の物件なので万一私が購入したとしても引き継ぐことは出来ません。
2桁ナンバーももはや貴重な文化遺産とも言えるべき存在でしょうから、ここはやはり当該ナンバーの地域の方に購入してもらいたいところでしょう。
ところでタイトルの件、子どもの頃を思い出すというか懐かしさでいっぱいの私なのですが、それはかつて父が乗っていた、すなわち家のクルマだったことがあるからであります。
ま、この話は今までにも何度かしておりますね。
余談ですが、ブログ開設11年以上経過して毎日1本のアップとなると、どうしてもネタ切れに陥ることがあるというか、本人は初めてのつもりでも実は以前にも同じネタをあげていたということがよくあります(汗)
とりあえず何度目かの画像をどうぞ。
別に子どもの頃の画像ですし顔を隠す必要もないのですが、以前の画像の使いまわしゆえご容赦ください。
当時は恥ずかしがり屋さんだったのね、私(爆)
このクルマが我が家にあったのは昭和49年から52年くらいだと思うのですが、父の転勤で福岡に行った時に会社から貸与されていたものでして、そういう意味で言うと純粋なマイカーではなかったわけですが。
ただ、普通にプライベートで使用しても良い決まりだったらしく、感覚的にはマイカーでしたからこのギャランでもいろいろとドライブや旅行に行った記憶もあるというところです。
もっともこのギャランの後に貸与されていた初代ギャランΣの思い出とごっちゃになっている部分はあるんですけどね。
これももう少なくとも数度はアップしている画像ですが、いずれにしても子どもの頃のクルマの記憶は、それが私がクルマ好きだったからかもしれませんが、大人の今でもいろいろと残っているよなぁ、というお話です。
我が家の愚息たちも、自分が家族を持った時に思い出したりするんですかね、自分の子どもの頃の家のクルマと、それにまつわるエピソードなんかを。
それなりに思い出作りには励んできたつもりもあるのですが、それを思い出してくれたらうれしいですね。
そして長男にしても、次男にしても、自分の子どもにまたそういう思い出を作ってもらえれば、なんて思う次第です。
あ、だけどまず結婚するのかな?
結婚しても子どもは作らない、なんて言うかもしれないしなー。
もちろん、それはそれでそういう選択をしたのであれは尊重するつもりではありますけどね。
Posted at 2020/12/07 06:19:46 | |
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