どうも、峠×シビックです
原作を無視したドラマを放映したことで原作者が自殺してしまうという事件は記憶に新しいところですが、放映したテレビ局と原作漫画の出版社が経緯を確認してまとめた報告書がまた物議を呼んでいますね
物議の詳細はネット記事に譲りますが、まだまだ日本には悪しき権威主義のようなものが、様々な分野で蔓延っているんだな、と感じます
コンプライアンスとか言って、表向きはクリーンなイメージを装っていますが、内情の黒さと外面の白さのギャップに中の人は四苦八苦なんでしょうね
さて今日話したいのはそんなことではなくて
タイトルの通り、「原作クラッシャーは悪なのか」についてです
最初にわたしの意見を書いておくと、「おもしろければOK」です
この問題はひとつに、「原作を先に体験するか原作を元に作った作品を先に体験するかによる」と思います
わたしは昔から漫画が好きなので、原作が漫画作品のドラマや映画は大体、原作を先に体験しています
そうすると、原作が先入観となり、違いを感じると過剰に拒否反応が出る(笑)
でも、ドラマ化、映画化作品を先に体験して、原作に遡った場合は両方の肩を持つ感じになるから面白いです
原作に遡ろうと思うのは、ドラマ化、映画化した作品が面白かったからだし、遡って読んだ原作は、やはり作品の大元としてリスペクトがあります
人気原作のドラマ化、映画化というのは、その作品をどう見るかによって評価は異なってきます
原作に思い入れが深い場合は、原作に忠実なほど心地よい作品になりますし、キャスティングも「イメージ通り」が高評価に繋がったりします
逆にドラマ化、映画化された作品から触れる場合、原作に引っ張られるバイアスはないので、あくまで作品が面白いか面白くないかが評価になりますね
70年代80年代の洋画作品なんかはほとんど原作を知らないで映画のみを見ていますので、原作クラッシュかどうかもわからなかったりします
今回、原作者が自死を選んだこともあって、いろんな所で「原作の根幹となる大事な部分は変えるべきではない」というような論調を見かけます
わたしはそうは思いません
例えばスティーブンキング原作、スタンリーキューブリック映画化作品の「シャイニング」は、キングの原作を読んでまったく別の着想を得たキューブリックが、自分の作りたい作品としてキューブリック版シャイニングを生み出しました
キングはこれを作品に対する侮辱だ、として当時相当揉めたみたいなんですが、今世に知られるシャイニングはおそらくキューブリック版だと思いますし、それが作品を楽しむ側の評価なんだと思います
原作愛があるから、原作リスペクトが感じられる、というのは原作ラバーの側の視点であって、やっぱり作品というのは、「製作者自身がどんな作品を作りたいか」という情念の有無や大きさで決まるのだと思います
原作改変しても、製作者の思いが作品として結実すれば、一定以上の評価は得られるのではないかと思います
脚本がすでにある漫画作品を使って手っ取り早く商売にしようとするから薄っぺらい作品になるのであって、原作から大きくかけ離れても面白い作品は面白いんです
ただ、原作がある作品をドラマ化、映画化するなら、タイトルは変えるべきだと思うんですけどね
ジブリ作品なんて、中身もタイトルもまったく違うけど面白い作品多いです😊
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2024/06/05 00:14:15