
82年6月、渡米することに。
期待と不安に包まれながらLAから小さな飛行機に乗り継ぎようやく辿り着いた先はド田舎。
想像していたよりもクルマがなければ生活がかなり不便なところであることに気づき、早速父に国際電話し泣きつくと「バスに乗れ!」と突き放されました・・・。
実はその3か月前に免許を取得し、中古のジェミニ1800LSクーペ(PF60)を買ってもらったものの、納車後11日目に雨の中でドリフトの練習をしていたら失敗して中央分離帯に突っ込んでしまったので・・・今にして思えばお灸をすえる意味も父にはあったのでしょう。
しばらくクルマ無しで頑張ったのですがやはりどうしようなく再度父に頼んだら『4000ドルまでなら…』と言ってくれました。
当時はまだプラザ合意前でしたから、1ドル=250円前後。
ジェミニの時は『70万円まで』と厳命された中で可能な限り自分好みのクルマを探し、今度はそれを上回る100万円の予算をくれたことに感謝したものの、超円安ゆえ選択肢は限られていました。
また中古車屋へ見に行くのにもなんとか知人を拝み倒して乗せていってもらうしかなく、寂れた店の在庫車から時間を掛けずに選ばねばなりませんでした。
そして購入を決意したのが、'78 Honda Accord HB 1600LX-5でした。クルマに趣味性を求めるよりも、とにかく実用的な足が欲しかったこと、それと既に6万マイル(約9.6万キロ)走行した4年落ちの中古でも日本車だから信頼性は高いだろうと思ったわけなのです。
もっと本当のことを正直にお話すると、ジェミニの事故以来すっかりFR恐怖症になってしまい、今度はFFにしようと('◇')ゞ
行動範囲が一気に広がった嬉しさに包まれながら走り出し、『FMでも聴くかなぁ~♪』と思いきやカーステレオが壊れていることに初めて気づき、、、しかたなく近所のK-MARTで安いラジカセを買ってきて、リアシートに載せ、KIIS FM@102.7がお気に入りでありました。
1速がかなりローギアードでそこそこの出足を見せるのですがその直後に失速してしまい歯がゆい思いをしました。最高速アタックもLas Vegasへ向かう15号線の長い直線で挑んだこともありますが90マイル+(約144km+)が限界でした。
パワステが小指で回るほど異様に軽く操舵感ゼロでしたが、かといって退屈なハンドリングではなく、近所に2~3速全開で気持ちよく抜けられる広いコーナーがあり、そこでタックインの練習をしていました。確かタイヤが155SR13あたりのローグリップタイヤでしたので挙動が大人しく、リアがスライドすることに対する恐怖心を克服するのにはもってこいでした。
スピンターンを学んだのもこのクルマ。深夜に大学の駐車場で練習していて、時々キャンパスポリスに捕まりエライ剣幕で怒られたものです。
当時のクルマとしては画期的なパッケージングであり、室内も広くて使い勝手が良く、友人達を乗せ色々なところへ出かけました。
時々リアシートを畳んで、いつかは2シーターのクルマに乗ってみたいなぁ~と夢物語を描きながら走りましたね(笑)
突然思い立ち以前のブログに加筆した理由は、『名車再生』で初代シビックの回を観ていたら、
たまらなくボクにとって2番目のクルマであった初代アコードが懐かしくなってしまったのです(^^)
このクルマでのリハビリ期間がなかったとしたならば、自信喪失したままだったでしょうし、感謝の気持ちでいっぱいです!
・・・というわけでこちらの曲↓を聴いちゃいましょうか!
Posted at 2018/01/19 02:02:19 | |
かつてのクルマ | 日記