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とっし~@63のブログ一覧

2020年03月13日 イイね!

水戸訪問記 ~尊王攘夷思想の故郷~

水戸訪問記 ~尊王攘夷思想の故郷~自分が住んでいる所以外で一番好きな街はどこか?

私の場合は「水戸」です。
同じ関東圏ということもあり、少なくとも年一回は家族で泊まりがけで訪れています。

もともとの由縁は、妻が「水戸八幡宮」の宮司さん家族とお友達になったこと。



それをきっかけに息子の名付けの際にも八幡様には大変お世話になりました。

久々にC63でロングドライブ。

相変わらず疲れ知らずです。



八幡宮でのお参りの後は、梅祭り開催中の「偕楽園」へ。


当然ここでも新型コロナの影響が…

一年で最も来訪者があるであろうこの時期でも、人は少なめでした。
感染の危険性がない屋外イベントなどには積極的に出かけて心ばかりの支援をしてあげたいところです。



梅は満開~散り始めといったところ。


散策の合間に、水戸藩第9代藩主 徳川斉昭公が建てた「好文亭」で一休み。


しかし水戸はいつ来ても落ち着いた気分になれます。
今後も定期的に訪れるつもりです。


さて、ここからは息子のお勉強の時間(笑)

水戸と言えば、誰もが真っ先に思い浮かぶのが「黄門様」こと徳川光圀。第2代藩主です。
彼は当時の日本にきちんとした日本の歴史書がないことを憂い、藩の一大事業として歴史書の編纂に取り組みます。それが「大日本史」です。



その編纂過程において、光圀は天皇制の重要さを改めて認識し、健全な国家を形成してゆくためには天皇を中心とした政治が欠かせないとし、こうした「尊王思想」が後まで続く水戸藩の思想の源流となります。

時は流れ、第9代藩主 斉昭の時代となると、江戸幕府始まって以来鎖国を保っていた日本は諸外国からの圧力を受け始めるようになります。外国に屈しない、文武ともに優れた若者の育成の必要を感じた斉昭は、いわば総合大学とも言える最大の藩校「弘道館」を設立します。




こうして、従来の「尊王思想」に、諸外国に屈しないという「攘夷」思想が加わった、いわゆる「尊王攘夷」思想が幕末の水戸藩の中心的考え方になっていきました。


吉田松陰、真木和泉、久坂玄瑞ら長州をはじめとする尊王攘夷派の面々も水戸を訪れており、彼らに大きな影響を与えたようです。徳川御三家たる水戸から生まれた尊王攘夷思想が討幕運動の原点となった訳で、これはなんとも皮肉なものです。

斉昭は名君主であり、水戸藩の教育も当時としては革新的なものでしたが、その一方で、過激な思想に走る若者も多く輩出しました。

桜田門外で殺害された幕府大老 井伊直弼。彼は攘夷派を徹底的に弾圧し、多くの攘夷派から恨まれました。彼を暗殺したメンバーは主に水戸藩出身者でした。

また、井伊大老の死から程なくして斉昭も水戸で没してしまいますが、一部の尊王攘夷派はますます過激化し、世に言う「天狗党の乱」を引き起こします。これは幕府により鎮圧され、多くの藩士が処刑されました。さらに、これを良い機会とみた水戸藩内の反尊攘派(諸生党)が水戸に残った尊攘派の家族を次々と処刑してしまい、藩内は完全に乱れていきました。
やがて倒幕活動が盛んになり、幕府が劣勢に立たされると、天狗党と諸生党の立場が逆転、諸生党藩士の多くが命を落とす結果となりました。



(斉昭公の教育に対する考え方は現代にも通ずることが沢山あります)

新時代の思想の源流を生み出しておきながら、明治新政府の中枢に水戸藩出身者が殆どいないのは、こうした悲劇の内乱により良き人材が失われたためとも言われています。

何事もほどほどが大切なんですね。。。

徳川幕府最後の将軍 徳川慶喜。彼は徳川斉昭の子として生まれ、弘道館で学び育ちました。優秀で将来を期待されていたといいます。
その彼が水戸思想を原点とした討幕派に敗れ、徳川の歴史に終止符を打ったというのも皮肉に感じます。
ただ、よくよく考えると260年の歴史を自らの意志で終わらせるというのも並大抵のことではなく、「慶喜にだからこそできたのかも…」と考えることもできるかもしれません。

大政奉還後に彼が謹慎していたのは、まさに弘道館の中でした。

(慶喜公謹慎の部屋"至善堂")

子供や若者の教育は、道を誤ると思いも寄らない結果を招いていしまう。
そう感じた今回の水戸の旅でした。



なんだかとっても胸に刺さる父子像です。
Posted at 2020/03/14 10:32:46 | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史探訪 | 旅行/地域
2019年11月25日 イイね!

歴史検定試験

歴史検定試験息子と一緒に「歴史検定試験」なるものを受験してきました。

英検、漢検など、検定試験は数多くありますが、「歴検」なるものがあるとは...

しかも東京の受験会場は老若男女で賑わっておりました。



歴検は1~5級ありますが、今回我々が受験するのは5級の「歴史入門」編。
レベル的には小学校履修レベル。歴史は高学年で習うので、必然的に高学年レベルになってしまいます。なので、小学2年の息子にとっては問題文に使用される漢字が一つのハードル。
例えば「正しいものを一つえらべ」はOKですが、「誤っているものを一つえらべ」だと「何この最初の漢字?」というレベル。
まあ、こればっかりは仕方がありません...

5級会場は7-80人くらいいたでしょうか。
その大半は小学生で、大人は私含めて3-4人(笑)


試験問題は縄文時代から戦後まで、浅く広く出題されます。
小学生レベルとはいえ、難しい問題がいくつかありました。

何はともあれ20年ぶり(?)となる試験を楽しんで来ました。



問題冊子は持ち帰り可、終了後に解答も配られたので、早速自己採点。
40問中、私は37問、息子は22問正解という結果でした。

合格基準は分かりませんが、息子の合格は厳しいかもしれません。

でも、室町時代に水墨画を大成させた雪舟、また江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎を知っていて正解していたのには驚きました。

戦国時代と世界大戦専門じゃなかったのね...(^_^;)

結果はともかく、息子の成長をこんな形で感じることができ、一緒に受験して良かったなと思っています。

これからも時間を見つけて歴史の旅に出かけたいと思います(^^)



Posted at 2019/11/25 08:31:00 | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史探訪 | 日記
2019年11月18日 イイね!

戦艦「大和」が遺したもの

戦艦「大和」が遺したもの戦艦「大和」の名前を知らない人はいないでしょう。

太平洋戦争末期に製造され、アメリが軍の攻撃により海の底に沈んだ戦艦です。

少し詳しい人ならば、製造当時は世界最大級の艦体、主砲を有しながら、殆ど活躍すること無なかった悲運の戦艦と認識していると思います。

自分もその程度の認識でした。
ここを訪れるまでは...



ということで、先週末はとある中国地方の都市に出張しており、少し足を伸ばして呉まで行ってきました。
家族同伴で(笑)


息子の強いリクエストで訪問した先は、「呉海事歴史科学館」、通称「大和ミュージアム」です。


入館するとまずお出迎えしてくれるのが戦艦大和の1/10模型。
実物の全長が263メートルなので、1/10とは言え26メートルもあり圧感。


最先端の機能性を取り入れたフォルム、圧倒的存在感の主砲、緻密に並べられた高角砲や機銃など...
その造形美は軍事ファンでなくとも感動します。
よくもまあ手書きの設計図でここまでできたものです。

昭和初期の世界的軍縮ムードにあった時代、限られた数の戦艦でいかに列強国と渡り合うか...
そんな背景のなかで誕生したのが「大和」でした。
世界最大となる46cm三連装砲を三基備えた超大型戦艦が完成したのは昭和16年でしたが、不幸にも戦艦対戦艦の時代は終焉を迎えつつあり、時の主役は戦闘機に移っていました。
そんな状況の中、大和はいくつかの海戦に出撃するも、目立った活躍をすることはありませんでした。
そうして敗戦の色が濃くなってきた昭和20年、アメリカ軍に占領された沖縄を奪還すべく海上特攻へと向かいます。
しかし沖縄に辿り着くことは叶わず、坊ノ岬沖でアメリカ軍艦上機の猛攻に遭い沈没してしまいます。
3000名を超える乗組員のうち、生還したのはわずかに276人だったといいます。

このように、単に大和の経歴を追っただけだと「時代遅れの無用の長物」を作って、案の定やられただけ...、ですよね。


とても綺麗な科学館で、呉の歴史を多く学ぶことができます。


生で初めて見た零戦。


ランチは併設カフェで、定番の海軍カレーを。
とても美味しかったです。


隣接するターミナルでは、こんなのがありましたので参加。


呉の湾内を観光船で巡ります。


ここで造られた原油タンカー。右側のはつい最近進水式が行われたタンカーだそうです。


クレーンが乱立する光景は呉ならでは。


約80年前、戦艦大和はまさにこの場所で産声を上げました。


海上自衛隊の護衛艦をこんなに間近で見れます。


潜水艦。


艦上では普通に自衛官の方が働いていて、旗を振ると手を振って返してくれるんです。


さて、大和の話に戻りますが、館内で紹介してあったある乗組員の海上特攻戦直前の言葉に思わず感涙してしまいました。

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚める事が最上の道だ 日本は進歩という事を軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義に拘って、本当の進歩を忘れてきた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺達はその先導になるのだ。 日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃあないか」
臼淵磐 海軍大尉(死後、海軍少佐)

大和は確かに時代遅れの無用の長物であり、当時すら「大和ホテル」などと揶揄されていましたが、日本が持つ最高の技術の結集体である大和は間違いなくその時の日本の象徴的戦艦でした。
それが沈むことによって日本は一から生まれ変わることができる。
そこに大和が戦う理由がある。
艦長一同、同じ思いだったのだと思います。

ちなみに、この臼淵大尉は当時21歳の若者。
凄すぎます...


戦争は二度と起こしてはいけない
軍隊ももってはいけない
憲法第九条改正などもってのほか
自衛隊すら必要ない

国内では色々な意見があります。

確かに戦争は起こしてはなりません。
でも、戦争が起こったことを忘れ、また戦争の過去に対して目を背けてはいけません。
臼淵大尉のように前線で戦いながら日本の将来を考えて行動した人も沢山いました。その方々の思いがあってこそ、今の平和な日本があります。

戦争は決して自分から起こすだけではありません。巻き込まれることだってあります。
その時、誰が我々を守ってくれますか?
ほんの一瞬でしたが、海上自衛隊の方々の働きぶりを見て、改めて自衛隊に対する感謝の念も湧いてきました。彼らも大和の乗組員と同じ思いで日本を背負ってくれているのだと思います。

戦艦大和の製造にあたっては、様々な革新的技術が用いられ、戦後の造船大国日本を生み出しました。

息子に言われるがままに訪れた呉でしたが、思わぬ収穫でした。
自分も日本の将来のために何か役に立つことをしようと心に誓いました。


ま、当の本人はどこまで感じているかですけどね(笑)
でも今日のことは時間をかけてしっかり教育していきます。


呉から広島に出て、ほんの少しだけここに寄りました。

平和に感謝
Posted at 2019/11/18 20:25:10 | コメント(8) | トラックバック(0) | 歴史探訪 | 旅行/地域
2019年10月28日 イイね!

皇国の興廃この一戦にあり!

皇国の興廃この一戦にあり!久々にゆっくりと休みが取れたので、息子のリクエストで横須賀の「三笠公園」へ行ってきました。

過去にも何度か訪れたことはありますが、息子と一緒に歴史を勉強し始めてからは初めてです。
最低限の予備知識は入れておきました。


自宅からはバビューンと50分くらいで着きます。


公園に着くと「アドミラル・東郷」こと東郷平八郎の像がお出迎え。
すでにこの時点で感動(笑)


「記念艦みかさ」
1899年にイギリスで産声を上げた、当時で最大級の戦艦です(当時の日本ではこれだけの戦艦を作る技術はなかったらしいです)。


戦艦三笠を一躍有名にしたのが日露戦争における日本海海戦。
この海戦の司令艦として出撃し、当時世界最強の艦隊と言われたロシアのバルチック艦隊を壊滅させました。


戦後、三笠は佐世保港内で爆発事故の憂き目に遭い、一旦沈没してしまいます。

その後復帰したものの、1921年のワシントン海軍軍縮条約にて廃艦が決定しますが、これまでの活躍を惜しんで保存活動が活発になり、ここ横須賀の地にて記念艦として残されることになりました。


迫力の主砲。


これは手動で動かせます(もちろん、撃てませんけど...)。


操舵室。


煙突。
もともと三笠は他国へ侵略する目的ではなく、いわば「自衛艦」として作られたため、さほど遠くへ航海できるような燃料は積めなかったそうです。


来ていた人みんなが感動していたのがこれ。
日本海海戦をVRで体験できるキットです。
本当に凄かった!


ゲームもあったけど、これはイマイチ(^_^;)

その他、艦内には三笠の歴史に関する様々な資料が展示されています。

東郷平八郎、秋山真之、山本権兵衛...
明治後期から大正にかけての海軍リーダーの面々ですが、今回の記念艦みかさ訪問で彼らの偉大さを改めて感じました。

タイトルにもある通り、彼らは常に日本と日本国民を背負って命懸けで戦っていました。戦争の是非はともかく、この心意気は失ってはならないものだと思います。
三笠を保存してくれた先人達には感謝あるのみです。



人生につまずいたら、またここへ来よう。
Posted at 2019/10/30 08:33:39 | コメント(8) | トラックバック(0) | 歴史探訪 | 日記
2019年09月30日 イイね!

外交官というお仕事

外交官というお仕事秋らしくなったとは言え、まだ強い日差しが照りつけた先週土曜日、先月他界した祖母の納骨式に家族で行って参りました。

場所は「鎌倉霊園」。
20年前に亡くなった祖父もここに眠っています。

さて、先週の話になりますが、息子が学校の図書館から借りてきて、こんな本を読んでました。


杉原千畝...
第2次世界大戦下のリトアニアに外交官として赴任していた杉原は、ナチスドイツに追われたユダヤ人難民に日本行きビザを発給(本国の外務省に無許可で)、その多くの命を救ったとされる方です(この漫画を読んで私も概要を知りました...(笑))。

映画もありますよ。

ちょうどNetflixで配信していたので家族で観ました。
涙なしでは観られない映画です。


この杉原さんの墓所、実は「鎌倉霊園」にあるんです。


広く勾配の激しい園内を喪服着て汗だくになりながら探していくと...


見つかりました。
普通のこじんまりとしたお墓です。
ここで手を合わせてお祈りすることができました。

なかなか思い出に残る納骨式となりました。


話は変わり、私の尊敬する歴史上の人物に「広田弘毅」という方がいます。
杉原千畝と同じ外交官出身で、太平洋戦争直前の激動の時代に内閣総理大臣(第32代)、そして外務大臣を務め上げました。
人格的にも立派だったとされる方でしたが、軍部の暴走そして太平洋戦争を食い止められなかったという責任で、戦後A級戦犯となり、そして唯一の文官として絞首刑に処せられました。


詳しくはこの本をお読み下さい。


息子には息子の希望する職業に就かせるつもりで、今のところ私の希望はありませんが、ふと「外交官」なんていいなと思ったりしました。

当然エリート中のエリートであり、誰にでもなれるような仕事ではないですが...
みん友さんの中に外交官の方いらっしゃらないかしら? 笑


さてさて、現実世界(笑)のお話。


先週、待ちに待った武装パーツがようやく届きました。

ちょいとバタバタしておりまして、取付が来週末になりそうなので、詳しくはその時に。

C63の半年点検でディーラー行ったら、隣の専売店に魅惑のクルマが...

今回後期C63に乗り換えてなかったら迷わずお買い上げしてたと思います(笑)

AMG GT Rは本当に素晴らしいクルマですよ。
間近で見ていてフェラーリに劣らない造形美があります。

なんでもGT Rの後継機はついに電動モーターの介入が入るらしいとのこと。
ターボ化したとは言え、純粋に内燃エンジンで楽しむAMGスポーツカーはこれが最後なのでしょう。

タイトルとは全く関係ない締めでした(^_^;)
Posted at 2019/09/30 10:06:04 | コメント(4) | トラックバック(0) | 歴史探訪 | 日記

プロフィール

「子供の受験も無事に終わり、久しぶりにコイツに火を入れました。」
何シテル?   02/12 14:49
とっし~@63のページを訪問下さり、ありがとうございます。 AMGに魅せられて5年、その熱は冷めることはありません。 通勤、レジャー、そしてサーキットで...

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