• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ATSUP_HARDのブログ一覧

2018年08月08日 イイね!

【飯山城】越後攻めオマケ城めぐり

【飯山城】越後攻めオマケ城めぐり越後攻めの帰路、信濃攻めではあるが、上杉謙信ゆかりの飯山城🏯に立ち寄る🚐💨

飯山城🏯は1564年に、甲斐の武田信玄に対抗した越後の上杉謙信が、越後の防御・信濃攻略の前線基地として、千曲川左岸の比高20mの独立丘陵上に築いた梯郭式平山城で、千曲川の水を引き込んだ濠に囲まれた城郭の規模は東西300m×南北400mほどあり、『上杉輝虎書状案』によると、1564年10月2日には「飯山普請悉く成就候間、昨日馬を納め候」とあり、10月1日に謙信自ら普請完了を確認したことがわかる🤔

西曲輪下の石垣前に駐車🚐

綺麗な石垣だが、矢穴があるところを見ると、再建したものだろうか🤔

見事な石垣👏
この駐車場はもともと水堀だった場所😳

「長野県スキー発祥の地」

移築復元門
城下に移築されていた門を部材から推定復元したらしい🤔

礎石の遺る南中門跡

桜井戸
「桜井戸伝説」によれば、専横を極めた時の執権北条義時への謀叛が発覚した鎌倉幕府の御家人であり、伝説的英雄な泉小次郎親衡が追っ手を斬倒し、逃れたこの地で、桜の大木の幹に鶴岡八幡宮のお札をかけて祈り、桜の根元を掘ると清冽な水が湧き出て喉を潤すことが出来たと伝わる🤔

三の丸へと至る三年坂

三の丸

二の丸の土塁

二の丸から眺めた本丸石垣👏
本丸・二の丸間の段差は石垣で構築されている🤔

石垣と一体化した木の根が歴史を感じさせる☺️

苔生す石垣がタマらん👏

パズルの様に綺麗に組まれた石垣👏

本丸北西隅の桝形虎口👏

キレイな枡形👏

櫓台‼️ん〜お見事👏
謙信の死後、飯山城は武田に割譲されるが、1582年、武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れると代わって織田氏の森長可の支配下となり、織田信長が本能寺の変に倒れた後は、再び上杉景勝の支配するところとなった🤔

その後、関→皆川→堀→佐久間→松平→永井→青山と領主が変わるが、最終的には本多氏が入り、明治まで続く🤔
本丸は葵神社⛩となっていて、本多家の家紋立ち葵がある👏

現在、飯山城跡を整備する計画が立てられているが、史実に基づいて復元してくれることを期待している🙏

飯山城🏯お見事でした👏
Posted at 2018/09/04 23:30:39 | コメント(1) | トラックバック(0)
2018年08月08日 イイね!

【鮫ヶ尾城】越後攻め城めぐり③

【鮫ヶ尾城】越後攻め城めぐり③越後攻め第三弾は上杉三郎景虎終焉の地、続日本百名城🏯鮫ヶ尾城🏯

上杉三郎景虎は上杉謙信の養子で「三国一の美男」と言われ、謙信のお気に入りだった🤔
上杉謙信死去後に、上杉景勝と景虎の間で跡目争い「御館の乱」が勃発
激戦の末、景勝は景虎の本拠・御館を陥落させ、景虎は堀江宗親が城主を務める鮫ヶ尾城に逃げるも、宗親の裏切りにより、鮫ヶ尾城内で自刃した😱

鮫ヶ尾城🏯は、頸城平野を東に臨む標高187メートルの城山に築かれた連郭式山城で、築城時期や築城主は不明だが、信濃との国境近くに位置するため上杉謙信の時代に大規模な山城として完成したとみられる🤔

斐太遺跡駐車場に車を止め、いざ攻城‼️

鮫ヶ尾城は弥生時代の集落として著名な斐太遺跡と隣接しているが、今回は遺跡は割愛🙏

シンクロした松😅

「上杉景虎終焉の地 鮫ヶ尾城跡」の幟
総合案内所でオバちゃんから「最近クマ🐻が出るから」と脅され、熊避けの鈴🔔の付いた杖を借りた😄

登城口にある「鮫ヶ尾城跡」の石碑

少し歩くと高速道路の高架があり、いきなり興醒め😅

先ずはひたすら登り🚶‍♀️💦

鮫ヶ尾城には相当数の郭があるが、夏場でヤブが酷く、ほとんど見所が無いまま山登り🚶‍♀️💦

六合目で「景虎清水」のサインを見つけ、意気揚々と坂を降る‼️

えっ⁉️これ⁉️

再び山登り🚶‍♀️💦

かなり険しくなって来た🚶‍♀️💦 鮫ヶ尾城は比高はそれほどでもないが、主要部の斜面はかなり急峻で、堀切を多数築いた山城🤔

ヤブを抜けると本丸への虎口がっ‼️

ウェ〜イ本丸‼️

鮫ヶ尾城碑

本丸からの眺望を見ながらクールダウン☺️

山頂から東と南に伸びる尾根筋に主要な曲輪や堀切が連続的に配置されており、城の背後にあたる北西側には深い堀切が設けられていた🤔
大堀切…何も見えん😭

総合案内所に戻ったら「往復30分‼️随分早かったね」とオバちゃんに言われ、漬物とお茶🍵をご馳走になった☺️

鮫ヶ尾城は規模も大きく、御館の乱が収まった後に再利用された形跡がないことから、謙信時代の姿を忠実に留めている筈なんだが…もうちょっと力を入れてよ‼️妙高市さん‼️
Posted at 2018/08/31 23:40:00 | コメント(1) | トラックバック(0)
2018年08月08日 イイね!

【春日山城】越後攻め城めぐり②

【春日山城】越後攻め城めぐり②越後攻め第2弾は、ジャ〜ン🥁

日本五大山岳城のひとつであり、日本百名城🏯に数えられる軍神上杉謙信ゆかりの春日山城🏯

春日山城🏯は 600年以上前、南北朝時代に越後国守護である上杉氏が、越後の府中にある館の詰め城として築いたと言われる標高189mの春日山⛰とその麓を丸ごと城塞化した連郭式山城で、周辺およそ5㎞の範囲内に13もの砦や城が築かれた規格外のスケールを持つ大城郭だった👏

春日山城をバックにワンショット📸
先ずは上越市埋蔵文化財センターへ

上杉謙信の騎馬像‼️ん〜カッコイイ‼️

上越市のハイエース😳ラッピングの春日山城と背景が見事にマッチ👏

越後の龍🐉上杉謙信公この地に宿る‼️

地図に『番所から見る本丸は格別』と書いてあったので、大手道から攻める‼️

番所

本丸を望む👀なんも見えん…
地図をよく見ると『春先と晩秋が絶景』と書いてあるし…😅

気を取り直して、春日山神社⛩から攻める‼️

「毘」の前掛けをし、気取ったカエル🐸
春日山神社⛩一帯は何故か生物を象ったオブジェが多い😅

上杉謙信の座右の銘「運は天にあり 鎧は胸にあり 手柄は足にあり」と書かれた自販機😳
全文は「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり、何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし
死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり
運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり
武士なれば、我が進むべき道はこれほかなしと、
自らに運を定めるべし」
となる👏シビれる〜

上杉謙信の凛々しい銅像👏

春日山城🏯を望む👏

まさに「闘う城」という佇まい👏

マップを見ても、その防御力の高さが伺える🤔

但馬谷‼️

三の丸下の竪堀👏

三の丸を目指し、登る🚶‍♀️💦

三の丸

上杉三郎景虎宅阯

米蔵阯と土塁👏

まさに天然の要塞と呼ぶに相応しい💦

二の丸

二の丸から本丸を望む👏

下を見下ろすと、自然の起伏を巧みに利用していることがよく分かる🤔

本丸に近づくにつれ、より険阻な道となる💦

天守台と本丸を隔てる空堀👏

天守閣阯

かつて上杉謙信が眺めたであろう天守台からの眺望👏

本丸側を見ると空堀が行く手を阻む🤔

史蹟春日山城阯の石碑の建つ本丸

西側へ回る🚶‍♀️💦

400年の星霜を経て、今なお水をたたえる大井戸😳

ワクワクする雰囲気の虎口

天守台裏から景勝屋敷へ抜ける🚶‍♀️💦

景勝屋敷

お見事👏

関白近衛前嗣が通ったと言われる御成街道

柿崎和泉守宅阯

再び本丸側に戻る🚶‍♀️💦

「懸かり乱れ龍」の書かれた休憩所で暫しクールダウン☺️

毘沙門堂阯

謙信公が出陣前に籠って戦勝祈願をしたと言われる毘沙門堂が再建されている👏

直江屋敷

空堀🤔

塹濠阯

再び、春日山神社⛩に戻り、春日山神社記念館に入る‼️
上杉謙信使用の阿字の打物・上杉家伝来の軍旗3点(毘の字、龍の字、紺地日の丸)・祈願文をはじめとした上杉家関連の宝物が展示されている👏

さらに降り、春日山城史跡広場へ

監物堀

上杉謙信が7歳〜14歳まで修行した林泉寺に移動🚐💨

謙信によって移築され現存する春日山城唯一の遺構とされる惣門👏

謙信公タイプの単管バリケード😳

林泉寺山門

山門にある「第一義」の文字‼️表側には「春日山」の文字があり、宝物館には謙信直筆の実物が展示されていた👏
その他、

榊原康政所用の黒糸威二枚胴具足や

直江兼続所用の「愛」の前立ての兜が展示されていたがレプリカなのか⁉️

林泉寺には上杉謙信公のお墓もある
亡骸は漆を塗り鎧を着たまま甕に入れられ、この林泉寺に葬られたという🤔
謙信辞世の句は、
『四十九年 一睡夢 一期栄華 一杯酒』
と言われ、「四十九年の我が生涯は一睡の夢のようなもので、この世の栄華は一盃の酒に等しい」という意味で、いちいちカッコイイ👏

上杉謙信の神懸かりな強さと義の強さが相まって、春日山城を難攻不落の城へと押し上げたと思われる🤔

春日山城🏯お見事でした👏
Posted at 2018/08/27 01:20:31 | コメント(2) | トラックバック(0)
2018年08月08日 イイね!

【高田城】越後攻め城めぐり①

【高田城】越後攻め城めぐり①仕事が忙しく、燻っていたところにやっと取れたお休み‼️なのに、

台風13号「サンサン」がっ😱
ということで、台風🌀を避けて越後攻めを敢行‼️

愛読書である「捨て童子・松平忠輝」を読み、絶対に行きたかった城ということもあり、今回の越後攻めの第一弾は、続日本百名城🏯のひとつで、松平忠輝ゆかりの高田城🏯

高田城🏯は、新潟県上越市にある菩提ヶ原に伊達政宗を総監督に天下普請によって築かれた輪郭式平城で、約230m四方の本丸の外側に二の丸、東側に卍曲輪、北側に北の丸、東南に八幡丸、さらにその南側には三の丸があり、青田川、関川などを外堀として利用している🤔

三の丸の駐車場に停め、三重櫓とのツーショット📸…木🌳が邪魔でほとんど見えない😅

外堀はほとんど蓮に覆われて、アジア一と言われている👏

西二の丸の土塁🤔

南二の丸から本丸へ渡る極楽橋を渡り、いざ攻城‼️

本丸の土塁👏
本丸跡には上越教育大学附属中学校がある😅

高田城🏯初代城主、松平上総介忠輝は、1592年徳川家康の六男として江戸城内に生まれてすぐ、家康に捨てられ、更に勘当され、25歳の時、兄秀忠により改易・配流に処され、92歳、五代将軍徳川綱吉🐕の時代に病没した😳

ズラリと並ぶ高田城の歴史‼️
忠輝改易・配流の理由は、
①大坂夏の陣に遅参
②忠輝進軍中に乗打ちをかけた秀忠の旗本を斬殺
③朝廷への参内をせず、舟遊びをしていた
となっているが、いまいち決定打に欠ける気がする🤔

幼少期から文武に類稀なる才能を発揮し、民から「鬼っ子様」と慕われた忠輝が何故不遇の生涯を送ることになったのか⁉️

再び外周に戻り、南二の丸から見た三重櫓👏
新井白石の「藩翰譜」では『世に伝ふるは介殿(忠輝)生れ給ひし時、徳川殿(家康)御覧じけるに色きわめて黒く、まなじりさかさまに裂けて恐しげなれば憎ませ給ひて捨てよと仰せあり』と伝わる😳
要は、醜いから捨てろってこと😱

高田城の遺構としては、曲輪としては本丸とその周囲の水堀が現存している👏

西二の丸側から見た三重櫓👏
忠輝が7歳の時、忠輝と面会した家康が、『恐ろしき面魂かな、三郎(松平信康)が幼かりし時に違ふところなかりけり』と言ったと、同じ「藩翰譜」は伝え、鬼子と忌み嫌っていた家康の中の忠輝評に変化が出て来たことを窺わせる🤔

その後、伊達政宗の娘、五郎八姫と結ばれるが、これが忠輝改易の決定打だったと考えられる🤔
「玉興記」に、忠輝に関するこんな記述がある
『此人素性、行跡実に相強く、騎射人に勝れ、両腕自然に三鱗あり、水練の妙、神に通ず
故に淵川に入って蛇竜、山谷に入って鬼魅を求め、剣術絶倫、化現の人也』
その上、五郎八姫はキリシタンで、且つ忠輝は外国語に明るいため、地下に眠った10万のキリシタンを蜂起させる力を持ち、更に舅が伊達政宗ともなると、二代将軍秀忠からすれば、まさに脅威としか映らなかっただろう🤔

反面、家康は織田信長→豊臣秀吉→徳川家康と渡った「天下人の証」とされる「野風の笛」を忠輝に送ったり、200万両という大金を与えたりと忠輝の力を維持するかのような行動を見せている🤔
忠輝を江戸幕府の目付け役とし、幕府存続を図るという家康の策であったのかもしれない🤔

橋から見上げた三重櫓👏
当時の絵図を基に、建てられた🤔
築城を急いだためか、石垣が使われていないが、緑に囲まれた黒と白のコントラストがカッコイイ👏

いざ、三重櫓へ

派手さはないが、桃山期が色濃く残る美しい櫓👏

外観を松平光長「本丸御殿図絵」、規模を稲葉正通時代の「高田城図間尺」を基にして復興されている‼️内部は鉄骨構造ながら、随所に木材使用し、木造の風合いをしっかりと再現している👏

天下の名城番付が掲示されている🤔
番付のつけ方が面白い😊

最上階天井は本格的な木組みとなっていて、鉄骨造とは思えない造り👏

忠輝の赦免は忠輝の死後300年後に忠輝の菩提寺である貞松院の住職が忠輝300回忌での赦免を思い立ち、徳川宗家・十八代目当主である徳川恒孝に願い出て実現する👏

隣接する上越市立歴史博物館では「徳川四天王 榊原康政の遺宝」甲冑や武具、康政の書が展示されていた👏

展望台からの眺め👀
ん〜何も見えない…😅

現存する内堀、外堀に、土塁、復興された三重櫓も素晴らしい‼️
高田城🏯お見事でした👏
Posted at 2018/08/20 20:50:22 | コメント(2) | トラックバック(0)
2018年08月02日 イイね!

【荒砥城】城めぐり

【荒砥城】城めぐりたまの休み〜ということで、城めぐり😊

前々から気になっていた荒砥城🏯へ🚐💨

正面、冠着山の中腹が目指す荒砥城🏯

イメージキャラクターはアラトくん

荒砥城🏯 は、村上氏の支族にあたる山田氏により、1524年に築城されたと伝えられる連郭式山城で、標高1252mの冠着山から千曲川へ向かって伸びる舌状尾根の突端部、標高595mの地点にあり、荒砥小城や若宮入山城といった支城や、狼煙台と考えられる證城が同じ尾根上に連続して築かれている👏

因みに、冠着山は別名「姥捨山」とも言い、姥捨伝説の舞台ともなっていて、『古今和歌集』には「我が心慰めかねつ更級や、姥捨山に照る月を見て」とある😭

また歌川広重の『六十余州名所図会 信濃 更科田毎月鏡台山』にも描かれる日本三大名月🌕の里としても有名である👏

急坂を登りきった🚐💨所にある駐車場にアルを留守番させ、いざ登城‼️

登城口から九十九折りに登って行く🏃‍♂️

現在は城山史跡公園として整備されている

平石を積んだ美しい石積み👏近年のものだろう😅

荒砥城址碑の奥には案内所があり、入場料300円で入れる

冠木門をくぐると、削平された四の郭がある🤔

途中、古い時代のものと思われる石垣を発見‼️
ただ、パンフレットには何も書かれてなく、真相は分からず😅

皇紀2600年記念碑

三の郭から二の郭の櫓を見上げる👀

見張台付の二の郭の復元門👏

二の郭の虎口と復元櫓👏

櫓からの眺望👀これだけの城があるとはっ‼️👏

城内を見降ろすと、まるで戦国時代に迷い込んだような錯覚を覚える☺️

兵舎の中は、展示室になっていて、荒砥城の歴史や構造などを鑑賞出来る☺️

甲斐の武田信玄に佐久地方の城が次々と撃破される中、村上義清は武田軍と対峙し、上田原の合戦や戸石城の戦いで戦国随一と謳われた武田軍を2度も退けた👏

1553年、遂に居城葛尾城を攻められ、村上義清は越後の上杉謙信を頼り、これが世にいう『川中島合戦』の始まりとなった🤔
12年間に実に5回、戦いを繰り広げた川中島合戦の中で、荒砥城は武田軍の城となったり、上杉軍が支配したりと、奪い合いの渦中に‼️

二の郭から冠木門をくぐり、

本郭の復元門
門の目の前は崖になっていて、門から出ると空へ飛び出る感じで、岡山県の鬼ノ城を思い出した☺️

門をくぐると立ちはだかる様な石垣が進路を塞ぐ👏

右に折れると美しい弧を描いた石垣👏

上から狙い撃ちされたら、ひとたまりもない強固な構えだ👏

本郭、手前が兵舎で奥が館😅

小さな館の中には御座所がある😅

中世の城跡が良く復元されている荒砥城は、NHK大河ドラマ「風林火山」と「江〜姫たちの戦国」のロケ地にもなっている😳

少し降った所には、善光寺大本願別院がある🤔

すぐ隣には男女和合の神を祀る澳津神社⛩
撮影禁止のご神体は、ナニとアレを象ったモノ😁

帰路、上田道と川の駅おとぎの里に寄り、上田原合戦の舞台となった千曲川を眺め、暫し感傷に浸る😔


奇岩「岩鼻」
豚の鼻みたい…

という事で、豚の角煮丼を食し、今回の城めぐりは終了〜
荒砥城🏯お見事でした👏
Posted at 2018/08/14 22:30:49 | コメント(2) | トラックバック(0)

プロフィール

「@danslemidi さん
気をつけて行ってらっしゃ〜い😊
子供旅や行き先も謎の旅🤔楽しみですね😊」
何シテル?   04/28 12:33
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2018/8 >>

   1 234
567 891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

【潮干狩り】からの横須賀観光 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/05 21:57:48
大陸製 収納BOX 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/01/07 17:56:59
【光照寺・法輪寺・馬頭院・乾徳寺】寺社仏閣・史跡・城巡り 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/11/24 09:29:39

愛車一覧

ジープ グランドチェロキー プラグインハイブリッド グラッチェ號 (ジープ グランドチェロキー プラグインハイブリッド)
30アルファードからの乗り換え! 初めてのアメ車^_^ イカツイ外観に惚れました! 【 ...
トヨタ セリカ トヨタ セリカ
古い写真が見つかったので、やっと写真を更新出来ました☺️ 就職が決まった途端に気が大き ...
トヨタ カルディナ トヨタ カルディナ
長女誕生に向けて、ファミリー志向へと考えたけど、スポーツ志向を捨てられずに、買い替えた車 ...
スバル サンバー ディアス クラシック スバル サンバー ディアス クラシック
奥様の元愛車ですが、4WDで荷物も沢山入るので、主にキャンプで使用してました❗️ リア ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation