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ATSUP_HARDのブログ一覧

2020年03月06日 イイね!

【小倉城】弾丸城めぐり①豊前編

【小倉城】弾丸城めぐり①豊前編福岡出張✈️に合わせて有給休暇を取って、弾丸城めぐりツアー😁働き方改革ってありがたいね😊
前日にレンタカー🚐を借りて朝一から攻城開始‼️

今日の相棒はコイツ🚐
コンパクトで乗りやすいが、急ハンドルなど「急」のつく動作やスピード超過をすると何度でも注意して来るのが煩い😅
峠道で全てのカーブで叱られて、1日の間に100回以上怒られた…😱

続日本百名城のひとつ、細川忠興が大改修した近世城郭、小倉城🏯へ

小倉城🏯は、東を流れる紫川を天然の堀とした輪郭式平城で、石垣・堀などの遺構が遺る☺️

嘗ては平櫓117基、二重櫓16基、櫓門12基、狭間3271箇所を備えた連結式層塔型四重五階の大天守と平の小天守を擁し、城下城内に町を取り込んだ総構えの大城郭だった👏

紫川の対岸から見る小倉城🏯大天守👏

現在、城跡は勝山公園として小倉区民の憩いの場となっている☺️

先ずは、外周を斥候👀

大天守から見て寅の方角にあることから名付けられた虎ノ門跡🤔

右へ折れると、侍屋敷へと通じている🤔

侍屋敷の一部は、小倉城庭園として整備されており、細川氏のあとを継ぎ234年にわたって城主をつとめた小笠原氏の別邸を復元したものだ🤔
因みに、小笠原氏の初代、小笠原忠真の母は松平信康の娘、登久姫である🤔
ということは、忠真は徳川家康の孫であり、織田信長の孫である人物だ😳

外周に戻り、堀の対岸から侍屋敷側を望む👀

古絵図を見ると北側に架かるこの橋は無かった様だ😅

櫓の様な建物が見える😳

大天守正面👏この位置の堀だけが天守側に喰い込む形になっているのは、細川忠興がインスタ映えを狙ったのか⁉️😁
手前の櫓っぽい意匠の建物も良い味出しているが、これは北の丸に鎮座する八坂神社⛩の小倉祖霊殿という納骨堂💀だ🙏

その八坂神社⛩の楼門👏
1617年、細川忠興公により創建され、豊前総鎮守小倉祇園八坂神社⛩と称えられる🙏

小倉祖霊殿の裏手から東側に進むと内堀越しに大天守が見える👀

北の丸と本丸を隔てる内堀は空堀になっている🤔

北の丸と侍屋敷を繋ぐ北口門🤔

八坂神社⛩拝殿側に戻る🚶‍♂️

拝殿の脇を抜けると、多聞口門の冠木門がある☺️

多聞口の土橋から見る本丸北側の空堀👏
石垣には埋め殺しされた算木積みが遺る😳
元々は櫓台だったのだろう🤔

多聞口門の虎口👏

虎口は右に折れ、左に折れるクランク状になっている👏

振り返ると復元された着見櫓が見える👏
「月見櫓」ではなく、「着見櫓」なのは、嘗てはこの櫓から海を望み、沖を行き交う船を監視していたことに由来すると云う🤔
そのまま本丸に行きたいところだが、ガマンして外周に戻る🚶‍♂️

八坂神社⛩の社務所も城郭の雰囲気を壊さない意匠だ☺️石落としまでついている😳

西側の堀👏

多聞口門の土橋と着見櫓も見える👀

本丸西側の堀と石垣👏

西の口門‼️

西の口門の橋から北側を見る👀

南側の堀は埋められてしまっている😥

西の口門を入り、すぐ左手には本丸へと続く鉄門がある👏左右の石垣の色が異なり、右側は再建されたものだろう🤔

松の丸‼️

松の丸の南に「あゝ白洲燈台」と書かれた変わった建物がある😳
明治初頭、響灘の荒波🌊に洗われ、西海一の魔の海と恐れられた岩礁「白洲」での遭難を嘆き、私財を投げ打って白洲燈台を建設した岩松助左衛門の顕彰碑だ👏

また外周に出る🚶‍♂️南側の北九州市庁舎脇の石垣🤔

南北に突き抜ける広い通りは、古絵図でも同様のつくりとなっている🤔

高石垣の上には、白洲燈台も見える👀

細川忠興の自慢だったといわれる大手門付近の石垣👏川から運ばれた石をそのまま積み上げた野面積みが荒々しくてカッコイイ 👏

大手門‼️重厚な野面積みの石垣の中、一際目立つ鏡石は大手門の名に恥じない巨大なものだ👏

大手門を右に折れると大天守が見えてくる👀

藩主、公儀役人、家老や主な寺の住職のみが通行を許された槻門🤔

槻門と鉄門の間の石垣には卍の刻印された石材がある🤔

槻門から見る大天守👏

細川忠興によって築かれた天守は、四重五階の大天守と一重の小天守からなる連結式層塔型天守で、最上層の入母屋破風以外に破風が無い簡素な外観をした層塔型かつ最上階が下層より広い「唐造り(南蛮造り)」という稀有な構造だったが、江戸時代後期に焼失🔥
観光目的に、現在のRC造の連結式望楼型四重五階に改悪された😱だが、頭デッカチな「唐造り」は残されている😅

本丸の脇にある宮本武蔵と佐々木小次郎の像😳

別の角度から👀凄い躍動感だ👏
小倉は武蔵が生涯最も長く滞在した地で、1612年 佐々木小次郎との試合の許可を得るため、滞在していたという🤔

逆サイ👏

因みに武蔵と小次郎の決闘の地、巌流島と小倉城🏯の位置関係はこんな感じだ🤔

外観復元された着見櫓を本丸側から👀
現在はぬか漬け屋さんになっているが、コロナウィルスの影響で入れない😢

附櫓的な小天守も本来一重のところ二重で再建された😥とは言え、やっぱりカッコイイ👏

天守の中もコロナで入れない😭

大手門を出て大天守の東側に進むと大手先門の石垣も遺る👏

大手先門から見る大天守👏

野面積みながら、一直線の勾配を描く大天守の石垣👏

黒と白のコントラストと野面積みの荒々しさの対比が美しい👏

築城の際、運んでいた巨石が動かなくなると、頭であった富岡某を細川忠興が手打ちにしたというほど、こだわり抜いた野面積みの石垣は、戦国乱世を生き抜いた忠興の自慢の一つだったと云われる👏
小倉城🏯お見事でした👏
Posted at 2020/03/10 23:31:48 | コメント(2) | トラックバック(0)
2020年03月06日 イイね!

【佐賀城】弾丸城めぐり⑤ 肥前編

【佐賀城】弾丸城めぐり⑤ 肥前編弾丸城攻め第五弾は、日本百名城のひとつ佐賀鍋島藩35万石の城、佐賀城🏯へ🚐💨

『慶長佐嘉小城内絵図』を加工☺️
佐賀城🏯は、佐賀市の中心に位置する典型的な平城で、本丸を北西側から防御するような輪郭梯郭複合式平城だ🤔

九州で唯一の下剋上大名、龍造寺隆信の居城であった佐賀龍造寺城🏯
龍造寺隆信の戦死を機に実権を握った龍造寺家臣の鍋島直茂が拡張・改修し、その子勝茂が佐賀城🏯を完成させた🤔

佐賀の七賢人の一人、第10代肥前国佐賀藩主鍋島直正公の銅像‼️
個人的には鍋島直茂の像にして欲しかった…😌

無料駐車場の脇、鯱の門へと続く本丸北石垣は往時のままの姿を現在に遺すものだ👏

本丸の表門、櫓門に続櫓が接続された現存「鯱の門」👏
佐賀城🏯は幾度も火災🔥に見舞われ、1726年には、天守以下本丸建造物の大半を焼失🔥した😱
鯱の門は、1836年の再建時に建造され、屋根にのる青銅製の鯱に因んで命名された👏

先ずは外周🚶‍♂️本丸石垣と天守台👏

見事な天守台👏

天守台と鯱の門のツーショット👏

頑張って全景😅

本丸内堀🤔埋められてしまっているが、僅かに窪みが見て取れる😅

西門‼️

本丸西石垣👏

本丸内部は土塁になっている🤔

打込接ぎの石垣👏
本丸御殿の復元に伴い整備された🤔

佐賀城🏯と言えばコレ😎

切り石による「亀甲乱積」という手法で復元された南西隅櫓台👏

佐賀城🏯は別名「亀甲城」とも呼ばれるが、この石垣に由来するのかは分からない🤔

幅70mを超す本丸内堀😳
嘗ては、幾重にも外堀を巡らし、八反井樋と今宿江を堰き止めて意図的に決壊させることで、天守と本丸の一部など主要部を除く城郭・城下が湖水化し、敵の侵入を阻む仕組みになっていたことから「沈み城」とも呼ばれていた😳

一説には、城下を少し遠ざかると、土塁に植えられた松や楠に城が沈み込んで見えなくなるためだとも云われている🤔

二の丸を通り一周🚶‍♂️

鯱の門より本丸へ🚶‍♂️

本丸側から見た鯱の門👏番所が設けられている🤔

本丸御殿👏
第10代佐賀藩主・鍋島直正が再建した本丸御殿を一部復元🤔
本丸御殿の一番奥にある直正の居室「御座間」は天保期の現存建物だ👏

現在、本丸御殿は 『佐賀城本丸歴史館』 となっている😊

青漆塗萌黄糸威二枚胴具足😳
鍋島勝茂が島原の乱で着用した具足の写し🤔

長い畳敷の廊下‼️

一之間から四之間まで320畳分の外御書院の大広間👏雛人形🎎が飾られていた☺️

本丸御殿の模型😊

床下にある江戸時代後期の礎石も見ることが出来る👀

現存する鍋島直正の居室「御座間」は柱も風格が違う👏室内には鍋島直正がっ😅

本丸から見る天守台👏

大迫力の天守台👏
ん⁉️天守台への虎口が無いっ😯
当時はまだ本丸に主家にあたる龍造寺氏が住んでいたため、本丸側ではなく、二の丸側に虎口を儲けたらしい🤔

そのため、佐賀城🏯の天守は珍しいことに本丸側からは入れず、二の丸側からしか入れない構造になっている😳
当時は、写真の舗装部分が犬走り🐕で、その左手は内堀だった😳

この狭い犬走を抜けなければ天守に辿り着けない構造だった😳

狭い犬走りを抜けると枡形、そして喰違虎口が待ち構える強固なつくりだ👏

枡形から右に折れる🤔

さらに左に折れ石段😳
天守台の表側の石垣は表面を平らに整えられた打込接ぎだが、このあたりの石垣は野趣溢れる野面積みだ👏

石段を登って、また左に折れると天守台となる🤔

虎口を振り返ってみる🤔

上から枡形方向を見降す👀
「狭い犬走り→枡形→喰違虎口」を全て上から狙い撃ち出来る👏寄せ手を一網打尽にする罠だ👏

天守台‼️
嘗ては、福岡藩の黒田如水から提供された小倉城🏯天守の図面を基に、高さ38mを誇る外観四重内部五階建ての天守も聳えていた👏

『佐嘉小城内絵図』に描かれた五重の天守🤔この絵図は慶長年間 (1596~1614)に描かれた天守で、天守脇には平屋の付櫓が続いていて、そこの石垣は現在の鉤型状ではなくL字状をしているように見える😳

『寛永御城并小路町図』には四重の天守が描かれている😳 寛永3年 (1626)に描かれた天守で、天守脇には部分的に二階建ての付櫓が続き、石垣形状についてははっきりしないが、前者とは明らかに形が違う🤔
何れにせよ、最上部の破風以外の屋根装飾が一切描かれていないのが共通点として挙げられ、これは参考にしたとされる小倉城🏯天守の特徴と一致する👏

天守台は高さ約9m、南北31m×東西27mと規模も大きく、そこに聳え立つ天守も相当な規模だったことは想像に難くない😊

天守台から見降ろす本丸御殿👀

「佐賀城天守台址」の石碑‼️

関ヶ原以降の築城ながら、戦国の風合いを色濃く遺す佐賀城🏯お見事でした👏
Posted at 2020/03/21 14:50:11 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年03月06日 イイね!

【久留米城】弾丸城めぐり⑥ 筑後編

【久留米城】弾丸城めぐり⑥ 筑後編弾丸城めぐりのラストを飾る✨のは、続日本百名城のひとつ有馬氏二百五十年の府城、久留米城🏯へ🚐💨

久留米城🏯は、宝満川と筑後川が合流する水運の要衝の南、標高20m・比高15mの丘陵に、本丸から二ノ丸・三ノ丸・外郭を南北に配置した連郭式平山城で、別名は笹原城・篠山城・篠原城・久留目城・来目城・雨城と呼ばれ、現地では「篠山城」と呼ぶ場合が多い🤔

当初は地方土豪の砦程度の小城だったが、九州を席巻した島津氏を降した豊臣秀吉より、久留米城🏯を与えられた毛利秀包によって近世城郭に整備された🤔

九州の関ヶ原、「石垣原の戦い」で大友軍を破った黒田官兵衛は、安岐城🏯、富来城🏯、臼杵城🏯、香春岳城🏯、小倉城🏯を味方に加えながら降し、鍋島直茂らを含めた総勢三万二千の大軍で、城主秀包不在の久留米城🏯にも攻撃を開始した😱
秀包は「東軍が攻めてきたら城を枕に討死せよ、黒田官兵衛が攻めてきたなら降伏せよ。さすれば城兵の命を助けてくれるであろう」と家老に言い含め、その言葉通りに城を明け渡した🤔
その後、海津城🏯を降し、黒田官兵衛と加藤清正の説得により柳川城🏯の立花宗茂が降伏し、立花宗茂も加えた総勢四万の大軍で、島津征伐に向けて進軍開始するも、徳川家康からの停戦命令を受けて進軍停止、撤退した🤔
あっという間に島津氏を除いた九州一円を制覇してしまった黒田官兵衛は、僅か三月ほどの間に八つの城を降した👏

関ヶ原の後、入城した田中氏は無嗣子により改易、久留米城🏯は廃城となった😳
1620年には、有馬豊氏が大阪の陣の戦功により、久留米城🏯を拝領し、懇意だった黒田長政の指導を受け、筑前堀の工事🚧、城下町を整備するとともに、城の構築整備は代々継続して続けられ、最終的には1691年になって城郭が完成したと云う😳

本丸の東側にあった腰郭、蜜柑丸に駐車🚐
蜜柑🍊の木が植えられていたことからそう呼ばれていた🤔

蜜柑丸から見る月見櫓の櫓台👏
久留米城🏯の本丸には毛利秀包時代の蜜柑丸側の虎口と、有馬豊氏時代の冠木御門側の2つの虎口がある😳
櫓台の石垣は打込接ぎだが、本丸の石垣は無骨な野面積みだ👏
いつもなら外周を斥候するのだが、ちょっと本丸を摘まみ食い😅

本丸虎口の石段が遺る😊
櫓台側は切込接ぎに積み方を変えている😳
美しい切込接ぎと荒々しい野面積みのコントラストが素晴らしい👏
積み方の異なる石垣を併せ持つ城というと、福岡城🏯が有名だが、なるほど…黒田長政が絡んでいる🤔

石段の一部に丸石が積まれた箇所がある😳これも遺構なのだろうか🤔

本丸東隅に築かれていた三層櫓、月見櫓跡😊 嘗てはここに東御門があり、月見櫓御門とも呼ばれていた🤔

月見櫓跡から見降ろしてみる👀怖っ😨

何故か聖徳太子像がっ😅
久留米の地名の由来になった聖徳太子の弟、来目皇子(くめのみこ)と関係があるのだろうか🤔

艮櫓跡👏 本丸の北東隅、即ち丑寅の方角に建てられたので「艮(うしとら)」
嘗ての三層櫓は無く、かなり崩壊が進んでいる😨

艮櫓脇の石垣👏

久留米城🏯本丸には、これでもかってくらいの石碑が建ち並ぶ😅
石碑の背後には土塁が築かれている👏

本丸北側の土塁‼️

こちらは本丸の北西、つまり戌亥の方角に置かれていた三層櫓、乾櫓跡🤔

瓦が大量に埋まっている😳
熱田神宮⛩の「信長塀」を思わせる☺️塀が倒れて埋まっているのだろうか🤔

本丸北側を流れる雄大な筑後川👀

井戸👀本丸には嘗て三つの井戸があり、現在は二つ残っている😳固い岩盤を繰り抜いて作られていたらしい🤔

矢穴のくっきり遺る石材が展示されている🤔
本丸の摘まみ食いはこのくらいにして、再び蜜柑丸へ🚶‍♂️

月見櫓の見事な石垣👏出来れば駐車場は少し離れた場所にしてもらいたいものだ😅

本丸の北東、大迫力の艮櫓の櫓台👏
往時はこの櫓台の上に三層の艮櫓が聳え立っていたのだから圧巻だろう👏
櫓台下は月極駐車場😥この上の櫓台跡は、かなり崩壊してたが、大丈夫なのだろうか🤔

本丸の北から西にかけては石垣は無く、筑後川が近くを流れているから櫓も少なく簡素な造りだったらしい🤔

ぐるっと廻り、本丸南側の内堀👀
右手の二ノ丸・三ノ丸はブリヂストン久留米工場の敷地となっている😢

久留米城🏯の本丸には二層の多聞櫓を隙間無く周囲に築く、他に類を見ない特徴的な造りで、更に「巽櫓」「艮櫓」「坤櫓」「乾櫓」「西下櫓」「太皷櫓」「月見櫓」の七基の三層櫓が建ち並んでいた😳
天守は無いが、大手の東南にある巽櫓がズバ抜けて大きく、天守代用だったと考えられる👏

内堀と高石垣👏
白鷺🕊が飛び立つ瞬間もバッチリ👍
左から西下櫓、坤櫓、太鼓櫓の櫓台だ👏

圧巻の高石垣は布積みで、築城に長年掛けた城郭だけあって、細部にまで拘って、丁寧に築き上げたことが窺える👏

明治6年頃のほぼ同アングルのショット📸
左から坤櫓、太鼓櫓、巽櫓と並ぶ👏
巽櫓は天守の様に壮大だ👏
カッコイイ👏

冠木御門に架かる土橋から再び本丸へ🚶‍♂️

左手の高石垣👏

右手も内堀が続き、奥の石垣は二段になっていて、上段は巽櫓の櫓台だ👏

冠木御門‼️
枡形を形成していて、往時は正門である冠木御門、そして二重多聞櫓に行く手を阻まれ、右手には三層の巽櫓、左手にも三層の太鼓櫓に囲われていたのだから、その防御力の高さは計り知れない😳

枡形から左に弧を描く🤔

左手には冠木御門を堅める三層櫓、太鼓櫓跡😊

右に折れると本丸御殿跡‼️

歴代藩主が政務を執っていた本丸御殿跡🤔
1874年の廃城令の際、本丸御殿も解体された😱
本丸御殿跡には現在、篠山神社⛩が鎮座する🤔
明治時代創建で、ご祭神は久留米藩の歴代藩主、五柱の神様が祀られている🤔

東側の石垣上を南下して行く🚶‍♂️

城内の七櫓の中で最大規模だった巽櫓の跡👏
1620年頃に建てられ、建築面積は六間×七間と天守と言っても過言ではない規模だった😳

二段構えになっている巽櫓の石垣👏
周囲を多聞櫓で堅められた雄大な巽櫓の在りし日の姿を想像して悦に入る☺️

巽櫓の石垣を横から見る👀
石垣が二段になっているのが、よく分かる👏

往時を偲ばせる石垣がそのままの姿で遺る久留米城🏯二層多聞櫓と七基の三層櫓を是非、木造復元してもらいたいものだ☺️
久留米城🏯お見事でした👏
 
博多に戻る頃には真っ暗に🌃

給油⛽️しようとしたら、高っ😳
まぁ電光掲示板の故障だったが…😅

レンタカー🚐を返却し、居酒屋で一人飲み放題🍺🍸🍶🍷🍹
戦利品の弾丸城めぐり写真を眺めなら一人悦に入る☺️

遅い時間の飛行機✈️で羽田に飛び、深夜に帰宅🏡
小倉城➡︎大野城➡︎基肄城➡︎吉野ヶ里遺跡➡︎佐賀城➡︎久留米城と廻った弾丸城めぐり🏯大満足でした😊
Posted at 2020/03/29 01:07:24 | コメント(1) | トラックバック(0)
2020年03月06日 イイね!

【吉野ヶ里遺跡】弾丸城めぐり④ 環濠集落編

【吉野ヶ里遺跡】弾丸城めぐり④ 環濠集落編弾丸城めぐりの第四弾は、古代城よりも更に時代の古い「日本の城のルーツ」、日本百名城のひとつ吉野ヶ里遺跡へ🚐💨

吉野ヶ里遺跡は、紀元三世紀頃の弥生時代後期、吉野ヶ里丘陵一帯に分散していた小規模なムラが統合拡大され、約40haを超える国内最大級の環濠集落へと発展した🤔現在は吉野ヶ里歴史公園として整備されている😊

入口😳
ん〜🤨もう少し雰囲気を壊さない造りに出来ないものか…😅

敷地内を流れる田手川☺️

全てを見るには時間が足りないので、南内郭と北内郭に絞って廻る🚶‍♂️

集落の外周を囲う外環濠☺️

外環濠には、土塁、逆茂木や乱杭が併設して築かれている👏

吉野ヶ里の最盛期、集落をはじめ、周りのムラを治めていた王やリーダー層の人々が住んでいたという南内郭へ🚶‍♂️

まるで弥生時代に迷い込んだ様な雰囲気だ👏

周囲を環壕と城柵で囲まれた吉野ヶ里集落を狙う外敵を見張ると同時に権威を示すシンボル的役割も担っていた物見櫓がある🤔

冠木門はこの頃からあったのだろうか🤔

竪穴式住居もある😳当時としては極めて貴重な一部の有力者しか持つことができなかったと言われている鉄製品が数多く見つかっていること等から、南内郭の居住者達は祭司者的性格を持ち、且つ政治・行政を司った者たちであったと想定されている🤔

中にも入れる🤔左手には鎧もある👏

櫓から南内郭を見渡す👏

酒造りの家…休憩所になっている😳

北内郭の虎口‼️

北内郭は、吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって最も重要な政や祭祀の場所とされる🤔

柵内には環濠が掘られている🤔

環濠を渡ると折れがあり、枡形を形成している👏

正面には門があり、厳重な構えだ👏

環濠は二重になっている🤔

城のルーツというのも頷ける🤔

吉野ヶ里環壕集落内で最大規模の建物、主祭殿👏
その主軸が北墳丘墓と南墳丘墓を結ぶ南北軸に一致する建物であることから、北内郭の中でも祭祀の中心となる建物とされる🤔

高床式倉庫‼️

シルエットで見ると、城の原型というのも納得だ😌

甕棺(かめかん)
九州北部特有の棺で、大型の素焼きの土器に亡くなった人の手足を折り曲げて入れ、土の中に埋める埋葬方法で、吉野ヶ里では丘のいろいろな場所にまとまって埋葬されており、想定では15,000基を超える数が埋められていると考えられている🙏

吉野ヶ里集落の歴代の王の墓とされる北墳丘墓👏
人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められている👏
ん⁉️大野城🏯・水城🏯の版築土塁と同じ工法の様だ🤔

北墳丘墓は、弥生時代の中頃、紀元前1世紀のもので、吉野ヶ里の全盛期には、祖先の霊が眠る場所として大切にされていたようだ🙏
墳丘墓からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもあった🤔
が、ここも新型コロナウィルスで入れず😱

V字形に掘削された総延長約2.5kmの環濠👏で集落を囲み、

さらに土塁と柵も築かれていた🤔
魏志倭人伝の邪馬台国の描写にある、宮室、楼観(物見櫓)、城柵などを備えていて、平成元年の発見当時は、「遂に邪馬台国発見🙌🙌🙌」 って大盛り上がりだったのを憶えているけど…その後の調査で邪馬台国とは築造年代が違うことが判明したってオチ😅

物見櫓や土塁、城柵、環濠など、防御的施設を持つことから、我が国の「城」の始まりと看做され、日本百名城にも指定されているんだけど…どーしても整備され過ぎてる感が否めない😭
Posted at 2020/03/16 19:24:03 | コメント(2) | トラックバック(0)
2020年03月06日 イイね!

【基肄城・木山城】弾丸城めぐり③ 古代城編

【基肄城・木山城】弾丸城めぐり③ 古代城編弾丸城めぐり第三弾は、続日本百名城のひとつ基肄城🏯へ🚐💨

基肄城🏯のある基山⛰

基肄城🏯は、標高405mの基山、414mの北帝、さらに327mの東峰にまたがり、南に向かって開く谷を取り囲むように尾根づたいに土塁や石塁が総延長約4㎞に及ぶ巨大山城だ👏

基肄城🏯は、663年、百済再建の救援のため、朝鮮半島に出兵した倭国水軍が唐軍とその属国新羅軍に白村江の戦いで大敗を喫し😭、大宰府防衛の
ひとつとして、大野城🏯・水城🏯と併せて築かれた日本最古の古代山城だ👏

基山⛰山頂に向かう山道の途中には、基肄城🏯の出入口の1つ、水門跡(南門跡)があるが、2018年の西日本豪雨☔️の被害により、ちょうど南門跡で通行止🚧になっている😢

基肄(椽)城阯の碑も倒れたままだ😭

水門に渡る橋の欄干もポッキリ折れ、豪雨の爪痕が生々しい😱

水門跡👏
谷を塞ぐように築かれた石垣に、川の水を流すための水門がある😳

土石流によって、水門前にあった神社⛩は消失😱現在は倒壊した鳥居⛩や狛犬などが置かれている😅

水門跡の石垣は高さ8.5m、長さ26mを誇る👏
水門は築かれてから1350年以上経つが、最近まで、山の水を城外に流し続けていた👏が、水路が土砂によって堰き止められ、水門も枯れてしまった😭

石垣は2008年から解体・組み直しが行われ、2015年に保存修理事業が完了した👏幸い、土石流の被害も免れた☺️

排水口の中を覗いてみるが、暗くてわからない😅

水門も覗いてみよう👀

水門は反対側まで繋がっている👏水も流れてないので、潜り抜けてみよう😊

水門を抜けると立派な石垣がある😳

沢を渡った側から見る👀

石垣の上は猿田彦大神⛩になっている😳

よ〜く見ると三猿🙈🙊🙉もいる☺️
通行止🚧のため、ぐる〜っと迂回して草スキー場を目指す🚐💨途中、麓の集落を抜けたが、かなり狭い道で、コンパクトカーをレンタルして良かった😊

草スキー場側も途中で通行止🚧だったが、徒歩🚶‍♂️では通してくれた😊
ん🤨一台🚙駐まってるぞ‼️

草スキー場⛷の上が頂上だ‼️

このゲレンデを直攀🚶‍♂️💦

ふぃ〜💦ただただ真っ直ぐ登るってのは、かなりシンドい😅

キター‼️頂上に到着😊
「特別史跡 基肄(椽)城跡」の石碑‼️

頂上からの眺望👀

基肄城🏯の城壁である尾根づたいの土塁👏

往時は尾根上に建物を配置されており、これまでに40棟余りの建物の礎石群や建物に葺かれた瓦、土師器・須恵器なども出土されている🤔が、今回は華麗にスルー😅

基肄城🏯の南端部の一角は、中世の頃には「木山城🏯」として再び使用されたが、築城時期や築城主は不明だ🤔南北朝時代の1372年に北朝方の武将今川了俊が「城山御陣」として、室町時代に1478年に周防の大内氏と筑前の少弐氏との間で起きた抗争の舞台ともなり、1489年、1497年には少弐政資と九州探題渋川氏・大内氏がこの城で合戦に及んだと伝わる🤔

木山城🏯の北側の防御施設「いものがんぎ」👏
芋畑の畝に似ているからだと云われているが、漢字表記では「芋の雁木」となり、「雁木」とは、雁🦆が斜めに並んで飛ぶ様子が階段の形に見えることから、階段状の構造物を指すので、「芋の階段」が正解🙆‍♂️なんじゃないかな🤔

いものがんぎは高台や土塁を4条の堀切で縁切られ、全方向からの敵を迎え撃てる構造だ👏

木山城🏯の主郭
急勾配な切岸と横堀に囲われ、中央の虎口は深く抉られている👏
表現は悪いが尻みたいだ😅

主郭へ🚶‍♂️

ここまで細く深い虎口だと、簡単に狙い撃ちされてしまう😱

虎口を上から見るとこんな状態だ👏

いものがんぎを見降ろす👀
まさに「芋🍠の階段」だ👏

ここにも石碑が倒れている😅
ん⁉️「本城址 三養基郡基…」と彫られている🤔

タマタマ石🤔
第37代孝徳天皇の御代(645~654)に建てられた荒穂神社⛩に祀られる神々の磐座がこのタマタマ石であったと伝わる🤔

タマタマ石のそばには基肄城🏯の築城主を尊び敬う「天智天皇欽仰之碑」が立つ🤔

主郭の下からタマタマ石を見上げる😳
よく落ちないものだ👏

主郭南の竪堀👏

主郭の切岸下の横堀👏

いものがんぎを通り、基肄城🏯・木山城🏯を後にする🚶‍♂️

大野城🏯・水城🏯と時を同じくして築城され、1300年を超えて、往時の在りし姿を現在に遺し、悠久の歴史の流れを感じさせてくれる基肄城🏯
そして、少し時代は下るが、中世城郭の雰囲気を色濃く遺す木山城🏯
お見事でした👏
Posted at 2020/03/15 21:31:44 | コメント(2) | トラックバック(0)

プロフィール

「@はらペコ星人 さん
ん〜全く分からずです😅
今夏は越前攻めしたいですね😆」
何シテル?   04/23 19:13
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
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