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ATSUP_HARDのブログ一覧

2018年10月28日 イイね!

【青柳城】城&八百万の神めぐり

【青柳城】城&八百万の神めぐり仕事が忙しかったので、リフレッシュ✨🚐💨
目指すは以前から気になっていた青柳城🏯

青柳城🏯は、標高905m、比高250mの山上に築かれた連郭式山城で、この地の豪族で、もともとは伊勢神宮の麻績御厨の管理を任されていた麻績氏の一族である青柳氏の城だった🤔

1553年の第1次川中島の戦いでは、武田信玄がここに居城

上杉謙信は青柳城に放火🔥
青柳城は幾度となく戦乱に巻き込まれたため、青柳氏は、小笠原氏→武田氏→織田氏→上杉氏→小笠原氏と次々と主君を変え、所領を維持してきた😳

「青柳城址」の看板見落とさない様に山道を登っていく🚐💨と、ゲートに行く手を阻まれる😱
なーんて、実はここが青柳城の入口😅

櫓門と塀がある😳

模擬だが、なかなか、

良い雰囲気を醸し出している👏

斜面を降っていくと、先ず度肝を抜かれるのは、10mはあろうかという大規模な二重堀切だ😳

青柳城は7つの郭が連続しているが、殆どの郭は削平されてない尾根上にあり、少数の兵で守っていたと思われる🤔

郭→堀切→郭→堀切のアップダウンが続く💦

現地の案内板によると、五の郭からが城の主要部分となる🤔

五の郭に遺る土塁

四の郭を降り、三の郭に冠木門が復元されている🤔


冠木門の先、ニの郭、一の郭と続く部分は土塁と道の折れ、坂を用いていて厳重な守りとなっている👏


一の郭の西側には石垣が積まれている👏

西側は谷になっていて、更に足場が悪く、恐る恐る近づく💦

かなり、頑張って撮った石垣の全貌😅
2mほどの高さがある立派な石垣👏

一の郭への虎口‼️

一の郭
30m×10m程の広さだが、
標高905mの山頂の先端にあたるため眺望は最高だ‼️

廃城から430年余、遺構が色濃く遺る青柳城🏯
お見事でした👏

青柳城🏯を後にし、青柳地区のはずれ、麻績村への経路に、巨大な岩山を切り拓いた「大切通し」を目指す🚐💨
青柳城から近いのだが、道が狭い💦
対向車が来たら鬼バックするしかないっ‼️と覚悟を決めてズンズン進む🚐💨

大切通し前の駐車場に到着💦

道幅3.3m、長さ26m、高さ6m余の大切通し😳1580年に青柳頼長が切り拓いた👏

1843年に、美濃国今尾藩の城主竹腰氏の家臣の豊田庸園が藩務の余暇を利用して記録した善光寺道名所図會にも「是に依て、旅人并に牛馬の往来聊も煩ハしき事なく、野を越え山を越して麻績宿に到る」と記されている🤔

麻績側から
この工事🚧を戦国時代にやったというのだから驚きだ😳昔の人はホント凄い👏

帰途、安宮神社⛩の修那羅石仏に立ち寄る

とにかくキツイ坂道を登り🚶‍♂️💦

最後の山伏「修那羅大天武」が開いた聖なる場所の安宮神社⛩
思ってたより小さい境内に拍子抜けしていると…

別世界への入口を発見‼️

八百万の神々の石神仏が立ち並ぶ😳

大黒天

福禄寿⁉️

鎧武者⁉️

不動明王⁉️

お姫様⁉️

猪🐗⁉️

境内の裏手の山道にも無数の石神仏が並ぶ😳
ブナの巨木、八百万の神々、神々しい空気が漂う中、不思議なパワーを貰いました✨
Posted at 2018/12/12 00:44:40 | コメント(1) | トラックバック(0)
2018年10月18日 イイね!

【二条城】明智攻め城めぐり 番外編

【二条城】明智攻め城めぐり 番外編京都に宿をとり、前日のお酒🍶が残る中、ホテルのレンタサイクル🚲で、日本百名城のひとつ二条城🏯を目指す🚴‍♀️💨

その前に…明智攻めと銘打ったからには欠かせない場所

本能寺跡👏
本能寺は何度も火災にあったことから、「能」の字の旁(つくり)が「ヒヒ」と「火」を連想させることから、「火を去らせる」という意味を込めて旁に「去」という字を充てるのが慣わしとなっている🤔

先ずは外堀をぐるっと一周🚴‍♀️

江戸時代初期に建てられた東南隅櫓👏

南門
1915年に大正天皇の大典に備え、建てられたもので、本来の城門ではない🤔

西南隅櫓
東南隅櫓と共に1788年の大火でも焼け残った現存櫓👏

大政奉還を発表した徳川慶喜が城外に出たと言われる西門🤔

北大手門

東大手門から城内へ🚶‍♂️

現存する番所👏

日本史において「二条城」と呼ばれるものは複数ある🤔
①足利尊氏から義満まで3代の将軍の屋敷
②剣豪将軍こと13代将軍足利義輝の居城
③織田信長が15代将軍足利義昭に与えた城
④織田信長が在京中の宿所として整備した邸
⑤徳川家康が上洛時の宿所として造営した城

今回の明智攻めの流れで行くと、本能寺の変の際、妙覚寺にいた織田信忠が最期の決戦に選んだ④の二条新御所が正解だが、現在の二条城とは全く別の場所にあった🤭

現在の二条城🏯は徳川家康が1606年に築いた連郭式平城だが、様々な歴史の岐路の舞台となった場所でもある🤔
1603年の徳川家康将軍就任の祝賀の儀に始まり、
二の丸御殿での徳川家康と豊臣秀頼の会見では、身の丈6尺5寸、体重は43貫とされる秀頼の成長ぶりに脅威を抱いた家康が豊臣氏を滅ぼす決意をしたとされる🤔

1867年の大政奉還

二の丸御殿の正門にあたる唐門👏
今日の二条城が整ったのは、三代将軍家光が行った大改築によるものだ👏

二の丸御殿
「御殿」が現存するのは高知城・掛川城・川越城と二条城のみ👏

桃山時代を代表する池泉回遊式の二の丸庭園

奥に見えるのは桃山門

現存本丸櫓門👏
三代将軍家光によって造営された本丸内の建物のうち、1788年の大火では唯一焼け残った🤔

内側から見ると枡形虎口になっている👏

本丸庭園

天守台

洛中洛外図には、在りし日の複合式望楼型五重五階の二条城天守閣の姿が描かれている🤔

天守台から本丸櫓門を望む👀

内堀から見る天守台

本丸御殿
現在の本丸御殿は、京都御所にあった旧桂宮邸を移築したものだ🤔

土蔵

北中仕切門

鳴子門

江戸時代の幕開けと終焉、共にこの二条城が舞台となったのは何やら因縁めいたものを感じざるを得ないが、様々な歴史のターニングポイントになるほど、重要な地だったのだろう🤔

二条城🏯お見事でした👏


帰り道で発見した佐川急便😳
流石‼️京都‼️
Posted at 2018/11/15 23:57:08 | コメント(1) | トラックバック(0)
2018年10月18日 イイね!

【丹波亀山城】明智攻め城めぐり②

【丹波亀山城】明智攻め城めぐり②福知山城を後にし、時間がないので特急🚈に乗り、明智光秀ゆかりの亀岡市にある亀山城🏯を目指す‼️

亀岡市にある亀山城😵
ややこしいが、もともとは亀山藩だった🤔
1869年に三重県亀山市と混同するため、亀岡へと改称させられた😳

亀山城の外堀

お城ファンの間で「攻めづらい」と言われている
亀山城🏯
攻城魂に火がつく🔥

攻めづらいとされている理由は、亀山城の城郭は宗教法人大本の敷地となっているからだ😳

たしかに少し躊躇ってしまった😅

こちら側の方が入りやすい☺️

こちらの「みろく会館」で受付をすれば、見学が可能だ‼️
若干、緊張していたのを見透かされたのか⁉️
「普通の神社⛩と一緒ですよ」と温かい言葉☺️

このようなパンフレットも貰える👏
「みろく会館」の二階には亀山城の模型も展示されていた👀
ネットでの下調べでは、お祓いを受けなければならないとのことだったが、記帳だけで済んだ😊

内堀と復元石垣‼️
1919年に新宗教「大本」の指導者出口王仁三郎が丹波亀山城を購入した😳

急成長する大本に危惧した大日本帝国政府は1935年に徹底的に弾圧し、全施設を破壊・焼却した😱

太平洋戦争✈︎の敗戦により大本へ返還され、現在も宗教法人大本が所有し、石垣を積み直したという👏

1582年6月1日夜半、織田信長に羽柴秀吉の備中高松城🏯攻めへの援軍を命じられた明智光秀は、この亀山城🏯を進発し、沓掛で全軍を小休止、ここで進路を京都にとり、6月2日早暁に信長の宿所、本能寺を襲撃し、信長は自刃した🔥

日本史上、最大のミステリー「本能寺の変」は、ここ亀山城から始まった🤔
中国大返しで戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れた光秀は、小栗栖で落ち武者狩りに合い命を落とした🙏僅か13日で光秀の「三日天下」は終わりを告げた🤔

その後、亀山城は豊臣一門の羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝・小早川秀秋や前田玄以などが入り、徳川政権下で1610年に天下譜請で藤堂高虎が縄張りをし、今治城🏯の天守を移築した🤔

本丸の石垣には矢穴も見られるが、◻︎の刻印の入った刻印石も見られ、天下普請の痕跡が遺されている👏

本丸と二の丸に架かる石橋
ここも、嘗ての内堀らしい🤔

二の丸

天守に向かう門

信徒を動員して積み直したとは思えない見事な石垣👏

天守台の石垣👏
天守台の石垣も積み直したものだが、下3段は、破壊される以前の亀山城の遺構だ👏

天守台の石垣の工事🚧が行われていた👀

天守台の上は、大本教の聖地となっているため、禁足地となっている😱

「本能寺の変」に纏わる舞台のひとつ亀山城🏯
大本の方々が亀山城をとても大切にされているのを感じずにはいられなかった😭

亀山城🏯お見事でした👏
Posted at 2018/11/06 23:19:15 | コメント(1) | トラックバック(0)
2018年10月17日 イイね!

【福知山城】明智攻め城めぐり①

【福知山城】明智攻め城めぐり①そうだ京都へ行こう‼️
ということで、紅葉にはまだ早い京都へ🚄💨
京都駅から約2時間かけて、明智光秀ゆかりの続日本百名城のひとつ福知山城🏯へ

織田信長の命により、丹波一国を平定した明智光秀が築城した連郭式平山城で、築城にあたり付近の寺社などから墓石や五輪塔等を供出させていた為、大和郡山城🏯と並ぶ転用石を多用した城としても有名だ😱

福知山城は、亀山城とともに明智光秀の丹波経営の中心地として築城されたが、光秀本人は主に亀山城を丹波での居城とし、

光秀の甥で「明智左馬助の湖水渡り」の伝説で有名な明智秀満を置いた🤔

福知山市役所から見る市のシンボル福知山城🏯
先ずは周辺を斥候👀

北側の石垣👏

住宅街のど真ん中に聳える天守🏯
光秀は地子銭免除や河川の改修などの善政を敷いたとして、民衆の高い支持を得ていたので、今日でも市民に愛されている☺️

平山城だが、比高20mほどのちょっとした丘という印象🤔

太鼓橋越しの福知山城🏯
現在は福知山城公園として整備されている‼️

いざ、城攻め‼️
意外と急坂💦

「城壁の光と陰を知る桔梗」
深みを感じる🤔

釣鐘門を見上げる👏
手前に転用石がある様だが、分からなかった💧

天守閣が見えて来た‼️

いったん戻り、釣鐘門前の石段を登り、本丸石垣を堪能😊

見事な石垣👏
本丸の石垣には転用石はほとんど使用されていない様である🤔やはり、下から造っていったら天守台の途中で石が足りなくなったのか⁉️

見事な扇の勾配と小天守👏

発掘調査で出てきた転用石😳

歴史を感じさせる小天守の石垣👏
天守閣へ向かう🚶‍♂️

鉄筋コンクリート造の復元天守だが、やはり天守閣があるとワクワクする😊

キター‼️福知山城天守閣👏

3層4階の大天守に続櫓・小天守が連結された外観は、史実に基づき忠実に再現されたものだ👏
下見板張りの天守は、地味ながらも光秀の堅実さが伝わってくる😊

福知山城で唯一、現存している建築物である銅門番所👏
もともとは二の丸の登城路付近にあった銅門脇にあったが、大天守・小天守の復元に伴い、本丸に移築された🤔

大量に並べられた転用石😳

1873年の廃城令で天守台と本丸の石垣が遺されるのみとなった😱

天守閣南側の石垣は特に転用石の使用が多い‼️
「野面積み」の石垣の中に転用石がさらに荒々しさを加える😳

アップにすると、その異様さが際立つ😱
宝篋印塔、五輪塔、一石五輪塔、暮石、石仏、笠塔婆、石臼等の石造物が凡そ500点使用されている😰

寺社仏閣や墓、石仏を破却して石を転用するのは織田信長が二条城、安土城築城などで用いた方法だが、光秀もそれを踏襲したと見られるが、光秀は寺社に対し、「丹波を平定したら再建する」ことを約束して石を集めたらしい🤔

城郭本丸内の井戸としては日本一の深さ、地下50m、海面下7mにまで達する大井戸、「豊磐井」

釣鐘門

福知山初代藩主朽木稙昌の父・稙綱を祀った朝暉神社⛩

天守閣最上階からの眺望👏
天守閣の内部は郷土資料館になっている‼️

明智光秀と言えば「本能寺の変」を起こした「天下の大逆臣」のイメージで語られることが多く、ルイス・フロイスもその著書『日本史』の中で、
「才知、深慮、狡猾さにより信長に寵愛された」
「裏切りや密会を好む」
「謀略を得意とし、計略と策謀の達人であった」
「殆ど全ての者から快く思われていなかった」
などと書いている🤔

反面、
「築城に造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主」
「主君とその恩恵を利することを弁えていた」
とも書かれている🤔

織田信長の「比叡山延暦寺焼討ち」に強く諫言する反面、福知山城の石垣に転用石を多用する所を見ると、明智光秀という人物の理想主義と現実主義の二面性が見えて来る気がした🤔

それと同様に福知山城も見る方向によって、様々な表情を見せてくれる☺️

福知山城🏯お見事でした👏
Posted at 2018/10/29 23:28:09 | コメント(2) | トラックバック(0)
2018年10月06日 イイね!

【真田氏館・上田藩主居館】真田攻め城めぐり②

【真田氏館・上田藩主居館】真田攻め城めぐり②たまの休み☺️
以前にスルーしてしまった真田氏ゆかりの真田氏館を攻める‼️
武田信玄の砥石崩れの一年後、僅かな手勢で砥石城を乗っ取った真田幸隆の居館で、

現在はマレットゴルフ場⛳️になってる😱

駐車して自転車🚲で周囲を斥候👀

住所は、まさに上田市真田町‼️
真田一族発祥の地が売りに出されている😱

真田氏館は、地元では御屋敷と呼び、小字も御屋敷となっていて、更にマンホールにも真田十勇士が描かれていて、地元愛を感じる☺️

館跡は四囲に土塁を廻らしており、東西約150m、南北約130mの台形の敷地に築かれていた🤔

東曲輪の土塁
館の敷地は東側が高く、西に向かって緩やかな傾斜になっている🤔

東門
そのまま入らずに外に回る🚶‍♂️

大手門👏
館とは思えぬ土塁の高さ😳

東曲輪に遺る皇太神社⛩

真田信之の妻、小松姫の生家である本多家から贈られたと伝わる御手水石🤔

拝殿と本殿
1585年に真田昌幸が築城した上田城🏯に移る際、館敷地の荒廃を防ぐために勧進したと伝えられる🤔

土塁に囲まれた西曲輪

外側から見た西曲輪の土塁👏

西曲輪の北西に遺る厩屋跡
中世の居館跡で、ここまで明確に遺構が遺っているのは珍しい👏

搦手門

搦手の先は親水公園になっている‼️
堀の名残だろうか⁉️

続いて、真田昌幸の兄、信綱の墓のある信綱寺へ🚐💨

黒門‼️

黒門を潜った左手には第六天神社⛩がある😳
第六天魔王様にお参り🙏

アジサイの小径を抜けると歴史の丘と呼ばれるモニュメントがある🤔

青い部分は真田家の歴史
白い部分は真田家の源流
黄色の部分は真田丸
緑の部分は真田家の活躍した時代
を表しており、

その時代において関わりの深かった武将の花押が配されている🤔

信綱寺へ向かう🚶‍♂️

屋根の上には、不惜身命の六文銭👏

続いて、上田藩主居館へ🚐💨

関ヶ原の戦いの後、徳川家の真田への恨みからか、上田城🏯は外堀などを徹底的に破却された😱
その上田城を与えられた真田信之が、三の丸に居館を構えたのが、上田藩主居館跡だ🤔

上田市立第二中学校の門😳カッコイイ‼️

上田藩主居館の濠
現在、上田高等学校となっている😳

上田高等学校の校歌
「♪関八州の英雄をここに挫きし英雄の義心のあとは今もなほ松尾ヶ丘の花と咲く」
真田魂が継承されている感が堪らない😆

現在は校門となっている上田藩主居館表門👏
1789年に1度焼失し、その後、再建された薬医門

こんな学校に行きたかった😅

居館の周囲は石垣に囲まれている👏

真田氏、仙石氏、松平氏と、代々上田藩主の居館として役割を担い、役目は終わっても、在りし日の姿を現在に留めている‼️素晴らしい👏
Posted at 2018/10/24 00:17:56 | コメント(2) | トラックバック(0)

プロフィール

「@はらペコ星人 さん
ん〜全く分からずです😅
今夏は越前攻めしたいですね😆」
何シテル?   04/23 19:13
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
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