いつもの如く、アップ⤴️が遅い、いつもの如くの一人で城めぐり〜
埼玉県神川町にある金鑚御嶽城(かなさなみたけじょう)🏯へ🚐💨
国道462号沿いに聳え立つ大鳥居⛩が目印👀
金鑽御嶽城🏯のある御嶽山⛰の麓には県北屈指のパワースポット金鑽神社⛩が鎮座する☺️
駐車場の脇には御嶽川が流れ、見事な石垣が囲む👏
城の遺構なのかは不明だが、御嶽川が天然の堀の役割を担っていたのだろう🤔
堀底へ降りてみると、水がないっ😳
砂防ダムの跡だろうか⁉️
少し上流に登ると砂防ダムらしき遺構がしっかりと遺っている👏
もう少し上流の斜面には連続ダムダム😳
駐車場まで戻り、国の重要文化財、金鑽神社多宝塔を見上げる👀
重厚感のある美しい多宝塔だ👏
三間四面のこけら葺き、宝塔に腰屋根がつけられた二重の塔婆で、1534年に阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある👏
いざ、金鑽神社⛩境内へ🚶♂️
延暦20年(801年)に坂上田村麿が蝦夷平定を祈願し、永承6年(1051年)には、源義家が奥州征伐の戦勝祈願をしたという霊験あらたかな神社⛩だ🤔
社務所の横を過ぎると、「義家橋」と呼ばれる赤い欄干の橋の向こうに鳥居、その奥、正面に神楽殿が出迎えてくれる👏
義家橋の右手には石垣で固められた堀と砂防ダムがある😳
まるで別世界への入口の様な神秘的✨な佇まい👏
社伝によると、景行天皇41年(西暦111年)日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の帰途、東国鎮護のために、倭姫命から草薙剣に副えて、賜った火鑚金(火打石)を御霊代として、御室ヶ嶽に天照大神と素盞嗚命を祀ったのが創祀とある…って歴史のスケールが凄すぎる👏
因みに景行天皇は日本の第12代天皇で日本武尊の父親だ😳
手水舎🚰
その後、欽明天皇2年(541年)に、日本武尊を合祀し、祭神は天照大御神、素戔嗚尊、日本武尊と豪勢✨だ😳
神楽殿🤔
神楽殿から右手に折れると、安永7年(1778年)再建の切妻流造の拝殿が見える😊
神饌所🤔
拝殿の奥には当然、本殿が…と考えるが、ここ金鑽神社⛩には本殿は無く、1850年に再建された幣殿(祝詞舎中門)の背後の山、御室ヶ嶽全体⛰を御神体 としている😳
他に、旧官・国幣社の中で本殿が無いのは、奈良県の大神神社⛩と長野県の諏訪神社⛩だけだ👏
境内の左手、御嶽山へ向う途中に、長屋みたいな社が祀られている😳
調べてみると金鑽神社⛩の式内社は19社あるらしく、この長屋は15間口なので、
⚫︎伊勢大神社(天照大神)
⚫︎氷川神社(素盞嗚尊外二柱)
⚫︎熱田神社(日本武尊 外四柱)
の祭神と二の鳥居⛩の側にある蚕影山神社(稚産霊命)を除くと、
⚫︎祓戸神社(瀬織津比賣命 外三柱)
⚫︎伊弉諾日讀神社(伊弉諾尊外二柱)
⚫︎二柱神社(天児屋根命外一柱)
⚫︎五柱神社(石凝度賣命外四柱)
⚫︎火産霊神社(火産霊命外一柱)
⚫︎大山清水神社(大山祇命 外一柱)
⚫︎宮比神社(天宇受賣命)
⚫︎住吉神社(底筒之男命外二柱)
⚫︎稲荷神社(倉稻魂命)
⚫︎薬師神社(大名持命外一柱)
⚫︎諏訪神社(建御名方命)
⚫︎松尾神社(大山咋命)
⚫︎白山神社(菊理媛命外二柱)
⚫︎八幡神社(応神天皇)
⚫︎菅原神社(菅原道真朝臣)
の15社と考えられる🤔
こんな長屋タイプの式内社は初めてだ😳
イノシシ🐗の罠🪤が置いてある😳
金鑽御嶽城🏯のある御嶽山⛰、金鑽神社の御神体である御室ヶ嶽⛰への登山口‼️実は左右どちらからの道でも行ける☺️
因みに岐路の真ん中には日本武尊の石像が立っている😊
整備された長〜い長〜い階段😅
石像や句碑などが並ぶ🤔
何故か牛若丸までいる😳
金鑽御嶽城🏯側を仰ぎ見る👀
国指定特別天然記念物「御嶽の鏡岩」👏
約一億年前、白亜紀に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面であり、岩面の大きさや、断層の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている😳
高さ約4m、幅約9m、斜度約30度、岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に 光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯びている🤔
鏡岩が敵の目標となることから、金鑽御嶽城🏯の防備のため松明で燻したので赤褐色になったという伝説や、上野の高崎城🏯が落城した際の炎🔥が
映ったとも伝えられている😳
金鑽御嶽城🏯は南北朝時代、斎藤別当実盛の後裔、長井斎藤別当実永によって金鑚神社⛩の背後に聳える標高343.4mの御嶽山山頂の本郭を中心に東西南北と東北の5方向に伸びた尾根上に郭を置き、 尾根を堀切で断ち切って築かれた放射状連郭式山城だ👏
先ずは東尾根の先端に位置する東郭へ🚶♂️七十余体の石仏群が迎えてくれる☺️
文明12年(1480年)に阿保吉兼が放置されていた金鑽御嶽城🏯を再建したと云う🤔
金鑽神社⛩の奥宮がある岩峰を登る💦
天文21年(1552年)、安保泰弘の守る金鑽御嶽城🏯を北条氏康が金鑚神社⛩を含む全山を焼討ち🔥し落城させた😳
その際、近隣の平井城🏯を守り切れなくなった山内上杉氏は越後へ逃れ、降参した城主の安保父子は助けられたが、残りの数千人は討死😨更に雑兵数千は水の手を絶たれて乾死した🙏
この岩峰は、嘗ては法楽寺の回峰行場であり、護摩壇の跡が遺され、金鑚神社⛩の奥宮も祀られている👏
位置関係ではここが、金鑽神社⛩の御神体である御室ヶ嶽⛰に間違いなさそうだ☺️
岩峰の天辺からの絶景👏
眼下は包丁🔪でスパっと切った様な断崖絶壁だ🥶
弁慶穴🕳 その昔、入口にあった岩を弁慶が動かしたという云い伝えがある🤔
入ったんじゃないのね😅
とりあえず中に入ってみる☺️まぁ、こんなもんでしょ😅
尾根を伝い本郭を目指す🚶♂️
三国同盟の破綻により、武田信玄は碓氷峠を越え、金鑽御嶽城🏯を攻め落としたが、甲相一和を受け、武田信玄から北条氏康に返還された🤔
その後は、北条氏の家臣、斎藤別当実盛の末裔を称する長井豊前守政真が城主となり、その子、右衛門尉信実の代に、北条氏に抵抗したことにより城を追われ、越後の上杉景勝を頼った🤔
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、北陸勢として先鋒の功績を挙げた信実が再び城主に返り咲いた👏
尾根を隔てる堀切が幾条もあるが、藪が凄すぎてわからん😅
男坂と女坂の岐路🤔もちろん男坂‼️
ガッツリの男坂😳💦
金鑽御嶽城🏯本郭👏
本郭と二の郭を隔てる北尾根の堀切👏
二の郭から北東側の尾根を更に降ると、藪だらけの道にだんだん不安になってくる😑
オーッ‼️石積みを発見👏
戦国期の遺構だろうか🤔
急斜面をズリズリと降っていく🚶♂️💦
岩を掘削した堀切がある😳
尾根上に展開する郭と尾根を分断する堀切が金鑽御嶽城🏯の防御力の高さを物語る👏
さらに降るとまた堀切がある👏
その先には岩壁がある😳
御嶽山の豊富な岩が、急峻な山城でありながら、石積み遺構を今に遺す理由だろう🤔
西尾根は本郭下に大きな堀切がある😳
北側山腹に石積みがあるというが、藪に阻まれ発見できず😭
引き返し、南尾根を目指す🚶♂️💦
南尾根は急斜地で、何か遺構があるかもしれない‼️という期待を胸に崖を降る💦
が、なにもなかったので、戻ることに😅
結局、この崖を登るのか…💦
しばらく歩くと女坂に出てホッと一息☺️
東郭に向かう途中に法楽寺跡への道があるので、そちらから帰ってみよう☺️
途中に石垣を発見😳
これも城の遺構なのだろうか🤔
法楽寺跡☺️
少し降ると、最初の連続ダムのところに出て攻城終了😊
歴史の表舞台には余り出てこないが、上野国・武蔵国の境目に位置し、山内上杉氏、後北条氏、武田氏の間で激しい攻防戦の舞台となった金鑽御嶽城🏯
悠久の歴史と神秘性を併せ持つ金鑽神社⛩と合わせて巡れるお得スポットだ👏