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ATSUP_HARDのブログ一覧

2023年02月18日 イイね!

【洲本城】播磨・淡路・阿波の城めぐり⑤

【洲本城】播磨・淡路・阿波の城めぐり⑤結局、アップ⤴️までに2ヶ月も掛かるという体たらく😅
城めぐりのラストを飾るのは、続日本百名城のひとつ洲本城🏯へ🚐💨

洲本城🏯は、淡路島北東部に聳える標高133mの三熊山の麓の「下の城」、山頂の「上の城」を東西の登り石垣で繋いだ平山城で、東西800m、南北600mと西日本最大級の総石垣造の曲輪が遺されている👏
築城は室町時代、紀州熊野水軍の頭領であった安宅治興(安宅冬康の養父)によるもので、羽柴秀吉の淡路攻め以降、仙石秀久〜脇坂安治〜藤堂高虎〜池田輝政〜蜂須賀至鎮と錚々たる面々が淡路を治めたことから、大阪湾、紀淡海峡防備の重要拠点だったことが伺える😳

先ずは下の城☺️

石垣や堀は蜂須賀氏が淡路支配の拠点を由良城🏯から洲本城🏯に移した寛永年間(1630年代)以降の築造と云われる🤔

打込接の石垣が見事な東隅櫓👏

大阪の陣の戦功により淡路をも支配下に置いた徳島藩の蜂須賀至鎮の筆頭家老 稲田示植は当初の由良城🏯から洲本城🏯に本拠を移し、下の城に政庁機能を集約した🤔
この移転は城下町ごとの大移転となり「由良引け」と呼ばれている😳

石垣と堀に守られた下の城には、洲本市立淡路文化資料館、検察庁、裁判所、税務署、法務局などがあり、現在の洲本の政庁の中心でもある😳

西隅櫓👏

洲本八幡神社⛩
千年以上の歴史ある神社⛩で、御祭神は誉田別尊、配祀神として比咩神・大帯姫神・闇靇神を祀る👏

手水舎の吐水龍🐉は腕も角もなく蛇みたいだ😳

隋神門👏

拝殿☺️

金天閣は洲本城🏯下の城にあった御殿の一部、玄関と書院のみを移築した建築遺構だ👏
玄関の唐破風と建物のアンバランス感がハンパない😅

洲本八幡神社⛩境内から望む三熊山の頂には、洲本城🏯模擬天守が聳える👏

車で上の城へ🚐💨

上の城は連郭式と梯郭式を合わせた様な自然地形を巧みに活かした縄張で、「賤ヶ岳七本槍」の一人である脇坂安治が城主の時代、大阪湾・紀淡海峡の防衛のため、豊臣秀吉の居城大阪城🏯の出城として、天守の増改築に加え、山城と平城を繋ぐ登り石垣を築いた🤔

手前の駐車場に駐め、車道を進むと見事な野面積みの石垣が現れる😳

腰曲輪の二段石垣👏
低い石垣を二段に築くことで高く見せようとしたことが伺える😁

大手門☺️

この先はヘアピンカーブになっている😳

先ずは水の手郭へ🚶‍♂️

山城の生命線である水💧
洲本城🏯の本丸の南東の谷には、枯渇することがない水源「日月の池」がある🤔

近くには底に日月☀️🌕の彫り物があるとされる「日月の井戸」も掘られている😳

水の手郭を後にし、ちょっと戻り大手筋へ🚶‍♂️

南の丸隅櫓👏
南の丸南東部の石垣は、4mほど拡張されていて、稜線が二重になっている😳

櫓門跡👏

振り返って見る櫓門と南の丸隅櫓👏

山里郭は工事中🚧

本丸石垣👏

山城とは思えぬ立派な本丸石垣👏

洲本城🏯の大石段👏

戦国時代の城でありながら、規模が大きく見事な大石段は往時の洲本城🏯の威風を感じさせる👏

大石段を上がった本丸虎口は、本丸への直進を拒む屈曲した内枡形を構成している👏

礎石が遺っている😳往時は門を構えていたのであろう🤔
大石段を下りて本丸外周へ🚶‍♂️

南の丸☺️

本丸石垣を南の丸側から📸

洲本城🏯では、本丸・天守台の石垣に慶長時代の穴太積みが用いられている👏

な、なんと‼️通行止め😱
西登り石垣が見られない😭

2021年8月の豪雨☔️によって崩落した石垣の修復作業をしている☺️
400年以上もの間、風雨に耐えて来た石垣を崩してしまうとは、近年の豪雨☔️は異常なんだと改めて思わせられる🤔

搦手口の石垣👏

搦手口から見る模擬天守☺️

やっぱ模擬でも天守があるっていいな😊

嘗ての洲本城🏯本丸には、大天守と小天守を続櫓で繋いだ連結式天守が聳えていたと考えられている🤔

天守台の石垣も穴太積みの堅牢なつくりだ👏
乱積みと異なり横目地の模様が入る🤔

搦手虎口👏
正面の石垣には大きな鏡石が見える😳

右に折れて本丸へ🚶‍♂️

搦手虎口・天守台を振り返る☺️

徳川幕府によって脇坂安治が伊予に転封される際、洲本城🏯天守を伊予国大洲城🏯へ移築したという
説もある😳
大洲城🏯と洲本城🏯の本丸石垣の大きさに加え、大天守・小天守の配置が同じであること、古文書に「大津」の地を脇坂安治が「大洲」に読み替えたとあることから、信憑性は高いとも言える🤔

本丸の小さな社は「佐渡の団三郎狸」「屋島の禿狸」と並んで「日本三名狸」に数えられる「洲本の芝右衛門狸」を祀る「芝右衛門大明神」⛩

小天守台👏

三熊山の北面の断崖絶壁に建つ天守台の石垣からは紀淡海峡の絶景を一望出来る😆
なお、天守台からの眺めは「大浜を大観」として「洲本八景」に認定されている👏

西に目をやると、眼下には碁盤の目のような城下町が広がり、遠方には「淡路富士」と称される「先山」を望むことが出来る👏
この淡路島は『古事記』でイザナギ・イザナミが最初に作った島、国生みの島として紹介されているが、この「先山」は最初の山とされている😳

天守台に聳える竜宮城の様な展望台は、昭和天皇の即位式「御大典」を記念して、1928年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート製の模擬天守だ😳

現在は中に入ることが出来ない😅

天守台から搦手と本丸虎口を望む👏

小天守台からは山里郭と奥には東の丸の二段郭が望める☺️

樹洞に祀られるお地蔵様🙏

山里郭下の八王子木戸☺️

山里郭の石垣を左に折れると、本丸小天守台の北東隅に「欠け」を見ることが出来る😳
鬼門除けの石垣だ🤔

ズラッと十二支の干支が祀られている神社⛩が並ぶ😳

見上げると山里郭の石垣👏

鬼門除けの石垣の下、『君が代』でお馴染みの「さざれ石」の巨石に押し潰されそうな岩窟に鎮座する八王子神社⛩は、1526年に安宅治興が城を築く際、祇園五男三女の神を祀り、城郭の鎮守としたと『淡路国名所図絵』に記されている🤔
因みに、五男三女神とは、天照大御神と素戔嗚尊の誓約の際に生まれた五柱の男神(天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命)と三柱の女神(多紀理毘売命・市寸嶋比売命・田寸津比売命)のこと、即ち「八王子」を云う☺️

厳かで神聖な雰囲気が漂う八王子神社⛩タマらん😆

東の丸の石垣👏

東の丸二段郭👏

二段郭からの絶景😆

二段郭の石垣👏

仙石秀久の時代に築かれたとされる城内最古級の東の丸二段郭の石垣👏
どこか小諸城🏯の天守台を彷彿とさせる😆

武者溜へ🚶‍♂️
本丸以外の場所は誰も居なく貸切状態😁

東二の門👏
本丸と水の手を守る重要な石垣と門だ🤔

武者たちが勢揃いした武者溜🚶‍♂️

断崖絶壁に沿って2m程度の低い石垣で囲われている👏

石垣の角は通常90度だが、鈍角に築かれた鎬角が多く見られる👏

東一の門☺️

淡路水軍の出兵する門であったとされる👏

武者溜から望む東の丸高石垣👏

東の丸高石垣👏

文禄・慶長初期の石垣とされる😳
ただ、この巨石はどこから来たのだろう🤔

「東登り石垣は危険だから見れない」「西登り石垣も工事で見れない」と思って意気消沈していた所、東の丸高石垣の先を覗いたら、東登り石垣が見えた😆
洲本城🏯には、上の城と下の城を結ぶ登り石垣が現存する👏

洲本城🏯には東西に2条の登り石垣があり、攻め寄せる敵の横移動を妨害する役割の他に、補給や逃走経路の確保の目的があると考えられている🤔
松山城🏯・彦根城🏯・洲本城🏯と全国で3カ所しかない数少ない遺構で、朝鮮出兵の際の倭城築城の経験から脇坂安治が洲本城🏯に採用したと考えられている👏
洲本城🏯の登り石垣だけは二十数段の階段状に築かれている😳

秀吉の大坂城🏯守護のために築かれた総石垣の城郭はまさに圧巻で、特徴的な登り石垣がより強固な城へと昇華させている😆
洲本城🏯お見事でした👏

新幹線🚄で「神戸のすき焼きとステーキ弁当」を食しながら、一人悦に入って城めぐりの成果を愉しむ😆
Posted at 2023/04/14 20:39:00 | コメント(2) | トラックバック(0)
2023年02月18日 イイね!

【徳島城】播磨・淡路・阿波の城めぐり④

【徳島城】播磨・淡路・阿波の城めぐり④勝瑞城🏯から20分ほど、日本百名城のひとつ徳島城🏯へ🚐💨

徳島城🏯は、吉野川から分流する助任川・福島川・新町川・寺島川を外堀とする梯郭式平山城で、山城部分は標高61.7mの渭山山頂に本丸を置き、西に三の丸・西二の丸、東に東二の丸を置く連郭式になっている🤔
築城には豊臣秀吉の命で小早川隆景、長宗我部元親らが手伝い、600日と日を限った突貫工事🚧だったと云う😳

阿波国藩祖 蜂須賀家政公の像☺️
四国征伐の恩賞として、阿波十七万五千石を与えられた蜂須賀正勝より家督を譲られた家政は、要害堅固な一宮城🏯から平地の徳島城🏯を新城地に選んだ際、平地の不利を諫めた重臣の武市信昆に対し「今より百年後、世は泰平となり、武備の要もなくなる。地の利を頼むより、むしろ人の和を頼むにしかず」と武市を諭したと云う😳
「阿波踊り」は家政が「城の完成祝いに好きに踊れ」とお触れを出したのが発祥という説もある😳
徳川家光の御伽衆も務め、伊達政宗からは「阿波の古狸」と評された家政は、人心掌握に長けていたのだろう🤔

城の北側を護った天然の堀、助任川🤔

往時は隅櫓を置いていた櫓台👏
内堀である堀川には数寄屋橋が架かる🤔

数寄屋橋☺️

嘗ては、右手に隅櫓、左手には旗櫓が建っていた👏

数寄屋橋を渡ると大きな桝形がある😳

桝形の先には内堀沿いに土塁が続く☺️

数寄屋橋をもう一度渡り、内堀側へ🚶‍♂️

徳島城🏯の石垣に使われている石のほとんどは一宮城🏯と同様に「阿波の青石」だ😳

屏風櫓の櫓台👏

南東の隅には月見櫓が置かれていた☺️
空と水堀の青さで石垣の青石が一層青く見える😆

「鷲の門」は、明治の廃城令後も残されていたが、1945年の徳島大空襲✈︎によって焼失🔥
1989年に復元された🤔

丸瓦には蜂須賀氏の家紋「卍」万字紋と「鷲」を象った飾り瓦もある👏

城の大手にあたる下乗橋☺️
下乗橋の名は、橋の前で駕籠などの乗り物から降りて歩いて渡ったことに由来する🤔
現在の花崗岩製の橋は、明治41年に架け替えられたモノだ👏

下乗橋の右手の石垣👏
石垣の一部には「赤石」として知られる紅簾片岩も使われ、青石と赤石が織りなすコントラストと野面積みの荒々しさの調和を愉しむことが出来る☺️

下乗橋の左手、太鼓櫓の石垣は大手らしくキレイな打込接ぎだ👏

大手門の桝形👏

巨大な青石が用いられている🤔

月見櫓を御殿側から☺️

屏風櫓も御殿側から☺️

城山の貝塚🤔

東二の丸下の石垣👏

弁天池☺️

まるで御殿の様な徳島城博物館へ🚶‍♂️

江戸時代に徳島藩主が使用した船で、現存する日本最古の和船「千山丸」👏
船首に龍が浮き彫りされ、側面には金箔を施した上に色漆で軍配やうちわが描かれている豪華絢爛な船だ😳

往時の徳島城🏯を再現した模型☺️

表御殿の庭として、1600年頃造営と伝わる豪壮な桃山様式の庭園👏
枯山水に架かる全長10.35mの青石橋は中央で折れているが、蜂須賀至鎮が踏み割ったという伝説も残る😳

庭園から見る城山「渭山」☺️
本丸を目指す🚶‍♂️どこから登るんだ🙄

嘗ての寺島川はJR徳島駅🚉になっている😳

徳島城🏯の旧寺島川沿いの石垣面から突き出ている石は、屏風折塀の支柱石「舌石」と呼ばれる😳

屏風折塀は、塀の一部を屏風のように折り曲げて堀川の方向に突き出させたもので、ここに狭間を設けることで、鉄砲や矢で横矢を掛けることが出来る😳
徳島城🏯には約32m間隔で6個の舌石が遺っていて、全国的にも類例の少ない貴重なモノだ👏

城跡といえば…のSL🚂

駅のホームの様になっているのは珍しい😳

やっと見つけた❗️城山の石段😅
この石段がけっこう急で長い💦

至る所に石垣が遺り、目を楽しませてくれる☺️

東二の丸虎口の石垣👏

東二の丸の天守跡😳
創建当時の天守は元和年間(1615〜1624年)に取り壊され、間も無く、城山中腹の東二の丸に天守代用の御三階櫓が構えられた🤔

東二の丸の石垣先端😨

さらに登ると本丸石垣が見えてくる😳

阿波の青石を用いた本丸の高石垣👏
この積み方でよく崩れずに遺ったものだ😳

野面積みの荒々しさが堪らないっ😆

本丸😊

本丸に鎮座する「清玄坊」
城山に祈祷所を建てていた修験者「清玄坊」は、築城に際して、蜂須賀家政より移転を命じられるが、これを拒んだため家政に謀殺された🙏
その後家中に変事が相次ぎ、祟りを鎮めるために石碑を建て供養すると誓ったところ変事が止んだと伝わる😨

眺望はかなり悪いが、辛うじて吉野川が見える👀

本丸北側の虎口👏

山城部分の石垣はほぼ完全な状態で遺っている👏

見事な高石垣👏

名残惜しくも時間が無いので、本丸を後にする🚶‍♂️

西三の丸下の石垣😳

平地にありながら、石垣がよく遺っている👏

1600年の関ヶ原合戦の際、出家した家政は領地を豊臣家に返納したが、嗣子至鎮が東軍徳川方に参陣したことで所領は安堵され、蜂須賀至鎮が徳川幕藩体制下における初代藩主となった🤔
1615年、大坂の陣に活躍した功により淡路一国が加増されて二十五万七千石の大藩となり、蜂須賀氏が十四代続いて明治を迎える☺️

城山原生林にある最大の楠「竜王さんのクス」の樹齢推定600年の古木で、1934年の室戸台風🌀で倒壊した😳凄い迫力だ👏

戦国時代の面影を色濃く遺す山城と泰平の世を見越しつつも、いくさの防備は欠かしていない平城を併せ持つ徳島城🏯お見事でした👏

⑤へ続く
Posted at 2023/03/26 18:25:21 | コメント(1) | トラックバック(0)
2023年02月18日 イイね!

【勝瑞城】播磨・淡路・阿波の城めぐり③

【勝瑞城】播磨・淡路・阿波の城めぐり③まだまだ仕事が忙しく、ブログアップ⤴️が大幅な遅れ😅
一宮城🏯から20分ほど、続日本百名城のひとつで、「織田信長に先駆けた天下人」こと三好長慶のルーツ勝瑞城🏯へ🚐💨

暴れ川「四国三郎」こと吉野川😳
三大河(日本三大暴れ川)は、坂東太郎(利根川)・筑後次郎(筑後川)・四国三郎(吉野川)と云われている🤔

勝瑞城🏯は、旧吉野川の南岸の自然堤防上に位置し、三好氏の巨大館跡とされる「勝瑞館跡」 と水堀と土塁が遺る詰城「勝瑞城跡」から成る複郭式平城で、鎌倉時代から安土時代まで、「淡路」「讃岐」「阿波」三国の政治・経済・文化の中心地として、「天下の勝瑞」と名を成したほどの城で、その城下は東西約2km、南北1.5kmもの規模を誇り、27ヵ寺があったとされる中世城郭の中では珍しい平城だ😳

左から三好長慶・三好実休・安宅冬康・十河一存の三好四兄弟☺️
『南海治乱記』には、「三好長慶は智謀勇才を兼て天下を制すべき器なり、豊前入道実休は国家を謀るべき謀将なり、十河左衛門督一存は大敵を挫くべき勇将なり、安宅摂津守冬康は国家を懐くべき仁将なり」と三者三様に記されている☺️

因みに四男の十河一存は、「鬼十河」、「夜叉十河」と恐れられ、兜と一緒に装着する面頬は一存の顔がモデルとなったという説もあるほどだ😳

広大な勝瑞館😳
もともとは阿波国守護細川氏の居城だったが、下剋上によって、東四国・畿内で絶大な権力を誇った三好氏の阿波国における拠点となり、三好長慶の弟 三好実休(義賢)の居城だ🤔

濠跡👏大規模な濠によって複数の曲輪が区画され、濠の規模は幅10~15m、深さ3~3.5mにもなったと云う😳

どうにも想像力を必要とする館跡だ😅

続いて…

車で1分程度の勝瑞城🏯へ🚐💨

三好氏の菩提寺である見性寺の境内に勝瑞城🏯は位置する☺️
1553年6月に三好実休が弟の十河一存と謀って、主君であるはずの阿波守護 細川持隆をここ見性寺にて自害に追い込み、更には持隆の妻、絶世の美女と云われた小少将を継室とした😨
そんな三好実休も1562年「久米田の戦い」で根来衆に狙撃されて討死した🙏
実休は鉄砲で討ち取られた日本初の武将ともされている😳

往時の勝瑞城🏯の姿を現在に遺す水濠👏

平城でありながら、ここまでの水濠が遺っているのは素晴らしい😆

一周してみよう🚶‍♂️

なかなかに良い雰囲気☺️
ただ、一周は出来なかった😅

水濠を渡り境内へ🚶‍♂️
なかなかモダンな見性寺本堂😳

見性寺境内には阿波三好氏の盛衰が漢文で彫られている「勝瑞義家塚碑」が建つ😊
絶大な権力を誇っていた三好政権も盛者必衰の理からは逃れられない😔
1561年:弟 十河一存病死(松永久秀による暗殺説あり)
1562年:弟 三好実休討死
1563年:嫡男 三好義興病死(松永久秀による毒殺説あり)
1564年:弟 安宅冬康を三好長慶が誅殺(松永久秀による讒言説あり)
1564年:三好長慶病死(晩年は鬱に苦しんでいた)

水濠に架かる橋☺️

橋からだと北側の水濠を見ることが出来た😊

境内奥には土塁も遺る👏

1582年に織田信長が討たれると長宗我部元親は勝瑞城🏯に向けて進軍🐴中富川の戦いで大敗した十河存保は讃岐へ逃れ、勝瑞城🏯はその歴史に幕を閉じた😔

続日本百名城でありながら、若干の物足りなさを感じる城跡だったが、往時の面影を遺す水濠は素晴らしかった👏

④へつづく
Posted at 2023/03/18 07:57:29 | コメント(1) | トラックバック(0)
2023年02月18日 イイね!

【阿波一宮城】播磨・淡路・阿波の城めぐり②

【阿波一宮城】播磨・淡路・阿波の城めぐり②出張🚄のついでに神戸にもう一泊🏨

夜には神戸牛🐂の鉄板焼を食べて、翌日の城めぐりに備える☺️

本日の相棒、ニッサンノートをレンタル😊
もちろん喫煙車🚬

初めての明石海峡大橋🚐💨

淡路SAから望む明石海峡大橋👏
初上陸の淡路島☺️
さらに淡路島を縦断🚐💨

大鳴門橋🍥を越え、徳島に初上陸😊
目指すは続日本百名城のひとつ一宮城🏯

正面の山が一宮城🏯だ🤔

一宮城🏯は東竜王山の北東に延びた枝尾根の最先端、比高120mの天険に築かれた梯郭式山城だ👏
北に鮎喰川、東に船戸川、園瀬川といった天然の濠を擁した要害で、本丸を置く北城と明神丸等の曲輪を置く南城の二城から成り立つ徳島県内最大級の山城だ👏

5〜6台停められる駐車場だが、カーブの途中のため、出庫する時が大変💦

岩壁に穴がある😳
意外に深いが何だろう🤔

史跡一宮城址の石碑☺️

一宮神社⛩入口脇の岩壁は青く見えるが、有名な阿波の青石なのだろうか🤔

一宮城🏯は、南北朝時代1338年、小笠原長宗がこの地に城郭を築いて移り住み、一宮氏を称したのが始まりだ🤔
戦国時代、1585年の豊臣秀吉の四国攻めでは主戦場の一つとなった長宗我部方の一宮城🏯は、川を挟んだ対面の山に陣取った羽柴秀長勢4万に対し、1万の兵でよく守ったが、やがて開城した🥲
長宗我部元親が豊臣秀吉に降伏すると、蜂須賀家政に阿波国を与え、家政は一宮城🏯を居城とした🤔

一宮神社⛩の「神橋」なる太鼓橋は稀に見る急角度でほぼ半円😳
「国が丸く治りますように」という願いを込めて徳島藩主の蜂須賀家が奉納したものらしい👏

巨大な石燈籠😳

1100年以上の長い歴史を持つ一宮神社⛩の御祭神は大宜都比売命と天石門別八倉比売命の2柱🤔
大宜都比売命(オオゲツヒメノミコト)を主祭神としてお祀りしている神社⛩は徳島県にしかないらしい😳

拝殿の前には狛犬と同様に対になった「神馬」が😳
一宮神社⛩の本殿は1630年の建立で、国の重要文化財に指定されている👏

駐車した際には初穂料が必要とのことなので、納めてから攻城開始‼️

登城道はしっかりと整備されている☺️
この石段がけっこう足🦵にくる😅

神宮寺跡の経筒出土地🤔
本丸まで500m💦

竪堀😳

右手には苔生した古い青い石積みも見える😳

曲輪への虎口🚶‍♂️💦

曲輪🤔

倉庫跡🤔

湧水があるが、近年のモノらしい😅

振り返ると物凄い急斜面をクネクネと九十九折に登ってきたのが分かる💦

才蔵丸と明神丸を分断する堀切👏

才蔵丸🤔

本丸は後のお楽しみにして、小倉丸を目指す🚶‍♂️

かなり道が険しくなる🚶‍♂️💦

主に本丸南斜面にあるという投石用の石😳
豊臣秀長軍に対して投げられたモノだろうか🤔

城内最大級の堀切👏

竪堀👏

鉄塔の脇を抜け🚶‍♂️💦

青石❓で造られた土橋🤔

小倉丸下の空堀👏

山中を只管進む🚶‍♂️💦

水の手丸☺️

これは珍しい😳
城内に残る「陰滝」👏
ここに辿り着くまでに鎖場の難所があるのだが、無我夢中で写真を撮り忘れる😱

椎の丸☺️
少し戻って🚶‍♂️💦

小倉丸の虎口☺️

小倉丸の土塁👏
小倉丸は本丸の南方防御の重要拠点だ🤔

土塁の上を進む🚶‍♂️💦

土塁の先端は櫓台になっている👏

いざ本丸🚶‍♂️💦

本丸石垣が見える😳
あれ❓搦手側だった😅
本丸は最後のお楽しみにする為、正規の順路に戻る🚶‍♂️💦

石段の遺る門跡👏
本丸と明神丸を結ぶ長さ64mの帯曲輪への門だ👏

明神丸の虎口☺️

明神丸☺️

井戸跡🤔

キターッ😳一宮城🏯本丸虎口👏
1585年に蜂須賀家政の行なった大改修により、本丸は石垣を巡らした近世城郭の姿になった👏

本丸の周囲を廻って見る😊

本丸を固める石垣は高さ5m近くの立派なモノだ👏

苔生す野面積みの石垣がタマらない😆

一宮城🏯の石垣の最大の特徴は、徳島県産出の「阿波青石」として有名な緑泥片岩を用いた青い石垣だ😳
そう言えば、埼玉の小倉城🏯でも緑泥片岩の石垣を見たが、青というよりも緑だったなぁ🤔

2018年1月2日の小倉城めぐりを参照

本丸北西側の石垣😆
板状に割れやすい青石を用いながら今日まで崩れずに往時の姿を留めていることにただただ驚きだ👏

本丸北西の崖側では石垣が段々になっている😳

釜床跡🤔

本丸の搦手😆

本丸南西の石垣👏
青い石垣は野面積みながらも整然とした印象を与えるから不思議だ😳

本丸南側には一部崩落が見られる🤔

本丸南側の石垣👏

一周して本丸虎口😆

本丸虎口の石段👏
嘗ては櫓門が建てられていたと云う🤔

左手には鏡石と思しき大きな青石👏

本丸は北側を頂点にしたオニギリ🍙型をしていて、
北→東の辺は36m、北→西の辺は23mほどあり、発掘調査の結果、東西4 間、南北6 間の本丸御殿跡の礎石が確認されている😳

本丸虎口を振り返って見る🤔

一宮大明神の大宮司 小笠原長宗公から11代の城主を祀る若宮神社⛩
1586年、蜂須賀家政は徳島城🏯を築き、一宮城🏯には家臣の益田持正を城代として置き、徳島城🏯の重要な支城「阿波九城」の一つとして位置づけていたが、一国一城令によって1638年に廃城となった😔
廃城後は若宮八幡宮⛩と呼ばれていた🤔

本丸石垣下は急傾斜となっている😨

標高144mの本丸からの眺望👀
「一宮城の戦い」では鮎喰川を挟んだ正面の辰ヶ山⛰に豊臣秀長軍4万が陣を張ったと云う😨

中世の土の城と近世の総石垣の城を同時に楽しむことができ、珍しい青い石垣をたっぷりと満喫出来る
阿波一宮城🏯お見事でした👏

③へとつづく
Posted at 2023/03/04 16:12:55 | コメント(2) | トラックバック(0)
2023年02月16日 イイね!

【姫路城】播磨・淡路・阿波の城めぐり①

【姫路城】播磨・淡路・阿波の城めぐり①
久々の出張にワクワクしながら、いざ姫路へ🚄💨

先ずは穴子づくしで精をつけて💪
姫路城🏯へ

取引先さんと一緒だったので、ガッツリ城攻めとはいかなかったので、宜しければ過去の攻城ブログをご参照ください🙇‍♂️

2017年12月10日の姫路城めぐりを参照

入口を間違えて隣の「好古園」に入ってしまったが、初めて入るので良きかな☺️

古地図『姫路侍屋敷図』を基に1618年造営の西御屋敷・武家屋敷等の遺構をそのまま生かして作庭された総面積3.5haの池泉回遊式庭園群だ🤔

間違えて入ったけどなかなかの風情👏

雰囲気抜群の路地☺️

姫路城🏯内堀😊

好古園を出て、大手門から城内へ🚶‍♂️

ズン

ズン

国宝 姫路城🏯

一緒に来た後輩くんたちもその規模に感嘆する☺️

菱の門👏
柱、長押、舟肘木などが、桃山時代そのままの状態で現存し、国の重要文化財に指定されている「菱の門」は、城内に現存する城門のうち最も大きい🤔

「菱の門」の特別公開が行われていて、2階にある櫓が初公開されていた😳ラッキー🤞

菱の門の2階へ🚶‍♂️

石落とし🤔

敵が丸見えだ😳
頭上に石や熱湯を落としたらイチコロだ😨

400年の重みを感じさせる屋根裏👏

平蒔絵の葵紋が描かれている黒漆塗長持👏

金があしらわれた美しい華頭窓👏

まだまだ天守は遥か先😆

どこから見てもハッとする美しさ👏

まるで迷路の様な登城道には数多の罠が仕掛けられ、美しさだけではない戦う城の姿を現在に遺す😳

現存建築物の内、大天守・小天守・渡櫓等8棟が国宝に、櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟が重要文化財に指定されている👏

現存天守の中へ🚶‍♂️

現存天守ではお馴染みの急角度の階段☺️

床が冷えてて足🦶が冷たい🥶

大天守を400年支える心柱「東大柱」👏

大天守最上階☺️

五七の桐と揚羽蝶の紋🤔

至る所に設えてある武具掛けが戦う城の証だ👏

武具庫も公開されていた👏

広大な姫路城🏯の模型👏
嘗ての姫路城🏯は東西950~1600m、南北900~1700m、周囲4200m、面積70万7千坪を誇り、外濠はJR姫路駅の近くまで達していたと云う😳

小天守からの眺望👀

備前丸から見上げる連立天守👏

やっぱカッコいいわ😆

圧倒的迫力の天守👏

この角度が個人的に一番好きだな😆

とにかく写真を撮りまくる📸

このアングルも好き😆

名残惜しくもお仕事があるので、姫路城🏯を後にする🥲

で、翌早朝に往復4kmのお散歩🚶‍♀️

鯱鉾のオブジェ🤔

二日酔いも吹き飛ばす早朝の姫路城🏯の荘厳さ👏

内堀も朝の静寂に包まれている☺️

大手門は1938年に再建されたモノだ🤔

昼間とはまた違う雰囲気😆

朝日🌅に照らされる姫路城🏯もカッコいい👏

西の丸の高石垣とワの櫓とカの櫓も朝日に染まる👏

早朝のことで中には入れず、最後にもう一枚📸
仕事があるので、ホテルに急いで戻る🚶‍♂️💦

何度見ても素晴らしい姫路城🏯に拍手👏

②へと続く
Posted at 2023/02/25 01:37:19 | コメント(3) | トラックバック(0)

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「@はらペコ星人 さん
ん〜全く分からずです😅
今夏は越前攻めしたいですね😆」
何シテル?   04/23 19:13
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
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