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ATSUP_HARDのブログ一覧

2019年10月17日 イイね!

【大和郡山城】天下分け目の城めぐり⑤番外編

【大和郡山城】天下分け目の城めぐり⑤番外編仕事前の攻城戦‼️筒井に宿🏨を取ったので、早朝🌄から攻城開始😁

「山崎の戦い」で「洞ヶ峠を決め込んだ」筒井順慶の城として有名な続日本百名城のひとつ大和郡山城🏯へ🚃💨今回二度目の攻城だが、前回は天守台が工事中🚧で入れなかったので、リベンジだ😎

筒井順慶にゆかりのある言葉は、「洞ヶ峠」だけではない‼️順慶の父順昭が死の間際、奈良の僧「木阿弥」を影武者に立て、順慶が成人するまで死を隠すことを命じた🤔木阿弥はその間、贅沢な暮らしができたが、順慶が成長すると、奈良へ帰され、元のただの僧の木阿弥に逆戻りしたことから生まれた故事成句が「元の木阿弥」だ😆

大和郡山城🏯は秋篠川と富雄川の中間に突き出た西京丘陵の南端に築かれた輪郭式平山城で、1162年に郡山衆が雁陣の城を築いたのが始まりとされ、「 信貴山城の戦い」で戦功を挙げた筒井順慶の本拠地として、 織田信長の命により明智光秀を普請目付に据え、大改修した🤔

大和郡山城🏯の中堀にあたる鷺池‼️対岸は郡山高校🏫になるが、よく見ると坤櫓の櫓台が見える👏

鰻堀池‼️南の搦手だった南門の櫓台👏

松蔵曲輪の石垣👏

麒麟曲輪と新宅曲輪の間の松蔭堀👏

松蔭門跡を過ぎる🚶‍♂️と天守台に入れるが、一旦スルーして外周へ😁
1583年に望楼型三重の天守が完成したが、1584年に順慶の死と共に、豊臣秀吉の命により、天守は伊賀・上野城🏯に移築されたと伝わる🤔

郡山高校🏫の入り口にある鉄御門跡☺️
1585年に豊臣秀長が、大和国・和泉国・紀伊国三ヵ国百万石の領主として入り、本丸、毘沙門曲輪、法印曲輪、麒麟曲輪、緑曲輪、玄武曲輪など、百万石に相応しい城に改修され、五重六階の二代目望楼型天守も完成したと伝わる😳

陣甫曲輪と近鉄🚃の線路🛤の間にある五軒屋敷堀☺️

線路越しに見る追手向櫓と追手東隅櫓‼️ちょっと見づらい😰

追手東隅櫓と十九間多聞櫓👏

桜御門🌸

また踏切を渡ると櫓台らしき石垣がある🤔

北側の空堀‼️凄い規模だ😳
ここで元に戻る🚶‍♂️💦

毘沙門曲輪の石垣と堀👏
輪郭式なので、堀が幾重にも巻いていて圧巻だ‼️

追手向櫓と追手門が見えて来た☺️

これぞTHE大和郡山城🏯というショット📸

追手東隅櫓‼️やっぱ見づらい😅

追手門から入城🚶‍♂️

追手門を内側から📸

追手東隅櫓は内側からならバッチリ👌

追手向櫓も内側から📸
ブルーシートが…😰

法印曲輪にある一際立派なこの建物は、日露戦争✈︎の戦勝を記念して建てられた、旧奈良県立図書館🤔

玄武曲輪には土塁らしき跡🤔

一旦、外に出て、メインディッシュの天守台を周りから攻めるため、中仕切門跡から新宅曲輪へ再入城🚶‍♂️

本丸の石垣と内堀👏

五捨間馬場跡から見る本丸石垣と天守台👏

厩曲輪から‼️最早ピラミッドだ👳🏽‍♀️

朝焼けに映える天守台👏左奥には追手向櫓が見える👏

まさに百万石の城👏
この天守台に五重六階の望楼型天守が聳えていたと想うと大興奮😆

内堀の規模も圧巻だ😳

素晴らしい👏毘沙門曲輪から周る🚶‍♂️

高い石垣だ‼️右手に見えるのは柳澤神社⛩

転用石発見👀
豊臣秀長の入城に伴う大改修の際、石不足に陥り、至る所から石材が接収されたことから、大和郡山城🏯の石垣は寺院の庭石や礎石、五輪塔、石地蔵、墓石などから転用した石が数多く見られ、見えるだけで約750個の転用石が確認されている😳

同じく転用石の多さで有名な福知山城🏯の石垣は、その異様さに寒気を覚えたのを思い出した😱

極楽橋跡👏往時は立派な橋が架かっていたことが想像に難くない😳

まるで渓谷の様な内堀だ👏

小さな門をくぐると…

柳澤神社⛩の参道に当たる🚶‍♂️

本丸虎口、竹林門跡👏

竹林橋から望む本丸石垣👏

転用石発見👀石仏の上半身だが、転用するほど役に立ってなさそうに見える😅
中には、反抗的な寺院を打ち壊し、見せしめのために寺院の墓石などを敢えて用いた例もある様だ🤔

立派な石碑

柳澤神社⛩

キターッ‼️天守台😊もともとの天守台は孕みが酷く、2017年に整備が完了した‼️

安全のため仕方ないのだろうが、柵は付けないで欲しかった😅

天守台側から見る本丸石垣と内堀👏

天守台西‼️野面積みの石垣が堪らん☺️

北西から
在りし日の天守閣を想像…😊

天守台北側の「逆さ地蔵」

左手に宝珠、右手に錫杖を持った約90㎝の石造地蔵菩薩立像が逆さに積み込まれている😳
大永三年(1523年)癸未七月十八日の刻銘があると云う🤔
石不足、築城を急いだなどの背景があるとは言え、衝撃的だ😰

北東の隅石の下三段の石は平城京羅城門の礎石の転用と伝わる😳😳

南東からのショット📸

天守台に登ってみる🚶‍♂️

天守台上は展望スペースとして整備されている😅

一部礎石が見える様になっている👏
豊臣秀長の死後、五奉行の一人である増田長盛が大和郡山城🏯に入り、堀と土塁で城下町を囲む壮大な「惣構え」を築いた🤔が、「関ヶ原の戦い」で、増田長盛が高野山に追放されると、大和郡山城🏯の建物は伏見城に移築された😱

天守台からのベストショット📸
奥に追手向櫓、追手門、追手東隅櫓、手前には本丸石垣、内堀の水面には雲海が映える👏

大規模な堀と野面積みの高石垣が百万石の隆盛を偲ばせる大和郡山城🏯お見事でした👏
Posted at 2019/11/03 01:36:36 | コメント(1) | トラックバック(0)
2019年10月16日 イイね!

【伏見城】天下分け目の城めぐり④

【伏見城】天下分け目の城めぐり④勝竜寺城🏯から伏見城🏯まで、🚴‍♀️で移動する計画だったが、レンタサイクルの返却までの道程22km😨且つ高低差88m😰という現実を前に、電車での移動🚃に変更😅

伏見城🏯と一口に言っても、
①1592年:指月伏見城(秀吉の隠居城として築城)
②1594年:指月伏見城(伏見城・城下を大拡張)
③1597年:木幡山伏見城(秀吉が再建)
④1601年:木幡山伏見城(家康が再建)
⑤1623年:木幡山伏見城(廃城後、家光が改修)
⑥1964年:伏見桃山城(近鉄グループが築城)😅
と6度(❓)築城された🤔

ライオンズマンション脇にある指月伏見城の復元石垣😳どーしても、ゴミ捨て場に見えてしまう😅

豊臣秀吉は25万人を動員して、淀古城🏯を移築して、僅か7ヶ月で指月伏見城🏯完成させた😳同時に、城の外郭まで宇治川の流路を引っ張って城の外堀にし、港や堤を築くなど、地形を変えてしまう大土木工事👷‍♂️を進め、琵琶湖、大坂、大和からの水陸の軍事・流通・交通を指月伏見城🏯で一手に支配することを可能にした👏

指月伏見城🏯が権力の中枢となり、諸大名も続々と城下に屋敷を建てたため、伏見には現在でも大名の名前の町名が多く残っている😆
お拾い(秀頼)も伏見に呼び、疑心暗鬼になった関白秀次が事件を起こしたのは、この時期で、秀次は切腹、一族郎等は処刑、秀次に与えていた豪華絢爛な聚楽第🏯は、すべて破壊され、埋められ、「聚楽第」は幻の城となってしまった😱

御香宮神社⛩の鳥居‼️

「酒は飲め飲め飲むならば 日の本一のこの槍を 飲みとるほどに飲むならば これぞまことの黒田武士」でお馴染みの「黒田節」発祥の地😳ということは、福島正則の屋敷跡なのか❓

福岡市博物館所蔵、母里太兵衛が福島正則から、🍶飲み取った天下三名槍のひとつ「日本号」

その名もズバリ桃山福島太夫町に遺る福島太夫段差🤔黒田節発祥地は御香宮門前町にあるのは何故だろう❓

翌1596年、慶長伏見大地震が起こり、
指月伏見城🏯は倒壊した😱謹慎中の加藤清正が誰よりも早く駆けつけた逸話が有名だ🤔

秀吉は、指月から少し北東に行った標高105mの木幡山に新たな伏見城🏯築城を命じた‼️
木幡山伏見城🏯は梯郭式平山城で、倒壊した指月伏見城🏯と取り壊していた聚楽第🏯の資材を転用し、地震から約1年弱で再建した😳

御香宮神社⛩の表門は、三間一戸、切妻造りの単層門で、本瓦葺きの屋根の両端に鯱を上げている🤔
秀吉時代の伏見城🏯大手門を移築したと伝わる👏

矢穴と🍡みたいな刻印が残る刻印石👏
御香宮神社⛩境内には、伏見城の残石がゴロゴロと遺る😅

秀吉の死後は徳川家康の居城となり、「関ヶ原の戦い」の前哨戦「伏見城の戦い」で伏見城は焼け落ちた🔥
石田三成ら四万の軍勢に対し、伏見城に立て籠もる鳥居元忠軍は僅か千八百👏

圧倒的な兵力差にも関わらず、鳥居元忠は13日間もの攻防戦に耐え、最期は雑賀孫一と一騎打ちの末に討死した🙏

鳥居元忠は、徳川十六神将のひとりに数えられ、家康とは今川家の人質時代からの仲である🤔
「伏見城の戦い」に際し、家康が会津に向えば、手薄になった伏見城🏯を三成が攻撃して来るが、三千の兵しか割けない旨を告げると、元忠は「天下が無事ならば自分一人で事足り、大坂方の大軍に包囲された時は討死するほかない。殿が天下を取るために一人でも多くの家臣を連れて出てほしい」と兵を1800まで削った😳
徳川家康は、元忠に深く感謝し、深夜まで🍶飲み交わして今生の別れを惜しんだと伝わる😭

三河武士のこうゆう無骨で愚直な所が堪らん😭
元忠はその中でも「三河武士の鑑」と称される👏

「関ヶ原の戦い」後には家康が藤堂高虎に普請奉行を命じ、天下普請として伏見城🏯を再建させた☺️

現在、城址付近は伏見桃山城運動公園として整備されている😅

1964年に開園した遊園地🎢「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設として建築された模擬天守だが、『洛中洛外図屏風』にみられる、徳川期木幡山伏見城🏯の天守が元になっているという👏

キャッスルランドは2003年に閉園となり、その際、大天守・小天守も取り壊される予定だったが、存続を求める市民の要望により、伏見のシンボルとして残されている☺️

現在、耐震基準を満たしていないことから内部は立入禁止🚧となっている😱

大天守には付櫓もあり、立派なつくりだ👏

やっぱお城🏯がある街に住みたい☺️

陽が傾いて来たので、そろそろ宿へ向かおう☺️
翌日は奈良で仕事なので、電車🚃で筒井まで移動し、仕事前の攻城戦に備える😁
居酒屋🏮で一人飲み放題🍺🍸🍷🍹🍾🍶を頼み、戦利品の写真を見ながら一人で悦に入った😆

豊臣・徳川の時代の岐路に立つ舞台、伏見城🏯
城跡もさることながら、街全体が歴史の息吹を感じさせる☺️伏見城🏯お見事でした👏
Posted at 2019/10/29 10:14:36 | コメント(1) | トラックバック(0)
2019年10月16日 イイね!

【勝竜寺城】天下分け目の城めぐり③

【勝竜寺城】天下分け目の城めぐり③太腿🦵がパンパンになりながらの城めぐり第三弾は、

淀城🏯から北西に約3km勝竜寺城🏯へ🚴‍♀️💨

勝竜寺城🏯は、京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に築かれた梯郭式平城で、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝に位置し、京都では山崎城🏯に次ぐ防衛拠点であり、南北朝時代から江戸時代初期に存在していた🤔

勝竜寺城の「外堀」の役目を果たしている小畑川に架かる勝竜寺城大門橋‼️通りは「ガラシャ通り」と呼ばれている🤔

大手門にあたる歩道には「勝竜寺城大門橋」の石碑がある🤔

勝竜寺城🏯に到着🚴‍♀️
本丸北側の堀と土塁😳
主郭部分は東西120m、南北80mの長方形をしてで、北、東側には水堀、北、東、西の三面に土塁を遺している👏

本丸北虎口‼️
勝竜寺城🏯は、戦国時代には淀古城🏯と共に、松永久秀や三好三人衆の属城となっていたが、1568年に足利義昭を奉じて上洛した織田信長軍5万に囲まれ、開城した😳

1571年には細川藤孝(幽斎)が勝竜寺城城主となり、二重の堀など大改修をした😳

1578年8月、織田信長の勧めで細川忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が、ここ勝竜寺城で祝言を挙げた💒

模擬隅櫓と高い土塁と堀👏
「本能寺の変」の後、中国大返しで迫る羽柴秀吉に対する明智光秀は細川藤孝に援軍要請をするも、藤孝は剃髪し、家督を忠興に譲って居城を田辺城🏯に移し、ガラシャを幽閉してしまった😳

北東からの隅櫓‼️
「山崎の合戦」で敗走した明智光秀は勝竜寺城🏯に帰城するも、羽柴秀吉軍の追撃を受け、坂本城🏯へ逃走する途中、京都伏見の小栗栖で落ち武者狩りに遭い落命した🙏

南東からの眺め👀
明智軍を破った羽柴秀吉も一時、勝竜寺城に入城している🤔

長岡京市は忠興よりもガラシャ推しだ😅
洗礼名であるガラシャは「Gratia」と表記し、ラテン語で恩寵や神の恵みという意味だ🤔

細川伽羅奢(ガラシャ)は、聡明で絶世の美女だったため、細川忠興はガラシャを溺愛していた😍
その証拠に、幽閉時代にも何人もの子供を出産している😳
だが、相当に強気な女性でもあったらしい🤭

ガラシャの美貌に見惚れた庭師を忠興が手討ちにした時、ガラシャは返り血を浴びた打掛を何日も着て忠興に無言の抵抗をした😱
忠興は、「蛇の様に執念深い女じゃ」と言い、それに対しガラシャは「鬼のような貴方の女房には蛇のような私がお似合いでしょう」と言い放ったらしい😳

関ヶ原の戦いに際し、石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうと兵に屋敷を囲ませた😨
キリスト教で自害は禁じられているため、家老の小笠原秀清がガラシャを介錯し、ガラシャの遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自刃した🙏
ガラシャの辞世の句は、
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」
ん〜カッコイイ‼️まさに烈婦👏

これぞ、勝竜寺城🏯というショット📸

櫓は管理棟になっている😅

復元された南門から本丸へ

本丸は公園として整備されている🤔

隅櫓を内側から見る👀ドリフのコントのセットみたいだ😅

東辺土塁👏かつては多聞櫓があった🤔

明智光秀が逃走する際にくぐったと伝わる北門には、往時の石垣の一部が現存している👏

本丸と沼田丸を隔てる高い土塁👏

沼田丸🤔

勝竜寺城🏯の石材は淀古城🏯の修築に使用されたと云う🤔

大山崎駅まで戻り🚴‍♀️💨
自転車🚲を返却して、次の城🏯を目指す🚃
Posted at 2019/10/26 02:11:34 | コメント(1) | トラックバック(0)
2019年10月16日 イイね!

【淀城・淀古城】天下分け目の城めぐり②

【淀城・淀古城】天下分け目の城めぐり②天王山⛰宝積寺から約5kmにある淀古城🏯へ🚴‍♀️💨

淀古城🏯は、淀城🏯の北500m程の木津川・桂川・宇治川の三川の合流点の北岸に築城された、3面を川に囲まれた天然の要害で、古くから水陸交通の要衝として、軍事拠点として歴史の舞台になった地だ🤔

城跡は現在、妙教寺卍となっており、遺構は全く遺っていない😱
1582年「本能寺の変」の後、明智光秀が淀古城を改修したとされ、「山崎の合戦」でも利用された🤔

淀古城は豊臣秀吉の側室、浅井三姉妹の長女茶々の産所として、秀吉が与えた城で、茶々が「淀君」と呼ばれる由来となった城でもある🤔

妙教寺と隣合う小学校の間には小さな川が流れ、かつてのお堀の名残りだろうか⁉️
淀古城🏯には、天守が存在していたが、廃城後、多くの資材は伏見城🏯建築に使用され、その後、新たな淀城🏯築城の際には、その伏見城から資材が流用された😳

続いて、淀城🏯へ🚴‍♀️💨
淀城🏯は、淀古城🏯の南方500mの宇治川・桂川の合流付近の川中島に、二代将軍徳川秀忠の命で松平定綱が築いた梯郭式平城で、縄張りは本丸と二の丸を中心とした「回」字形に、三の丸、西の丸、東外には東曲輪が配され、廃城となった伏見城🏯の資材を転用、二条城🏯の天守を移築したが、天守台に比べ、小振りだったため、余白を埋めるために、四隅に二重櫓を配し、多聞櫓または多聞塀で連結した🤔
築城にあたっては大坂城🏯の縄張りを参考にしたと伝えられている🤔

淀城の天守は、二重の大入母屋屋根の上に三重櫓を乗せた五重五階の連立式望楼型天守で、外壁は白漆喰総塗籠の壁であった👏

淀城🏯に到着🚴‍♀️
本丸西側の内濠と石垣👏

矢穴の残る石垣の石材が置かれている🤔

本丸北東隅櫓台👏
淀城🏯には、4基の三重櫓、9基の二重櫓、25基の平櫓と計38基の櫓があった😳

櫓台脇の虎口より本丸へ🚶‍♂️

櫓台は明治天皇御駐蹕之址になっている🤔

石垣の上を進んでみる🚶‍♂️

刻印石が置かれている👏

天守台‼️かなりの規模だ👏

鍵が閉まっていて、天守台には入れない😱
淀城は穴蔵式天守台の構造となっているが、中は草ボーボーで全く見えない😥

衛星写真だと、その構造がハッキリと見て取れる🤔

実際は、こうなってるらしい😳見れなくて残念😱

外から見ても、中がジャングル🌳🌳🌳🌳になってることがわかる😅

虎口から降りようとしたら鍵🔑が掛かっている😳
実は立入禁止🚧だったのか😅

虎口を戻る🚶‍♂️

別の虎口から降りられる様だ☺️

本丸から天守台を仰ぎ見る😳

二段構造が迫力を増してくれる👏

ん〜お見事👏

本丸を囲う石垣👏

淀城址の石碑‼️
内濠側から見るために外周へ🚴‍♀️💨

内濠南側の駐車場から見る本丸石垣👏

天守台と内濠👏

内濠側から見る天守台‼️圧巻だ👏
1626年6月には徳川秀忠が、8月には徳川家光が淀城の縄張りの検分に来城したようだ😳

天守台の石垣アップ😊

淀駅前にある水車🤔
淀城の特徴として、城の西と北側に直径九間の大型水車が2基設けられ、二の丸の居間や西の丸の園池に水を取り入れるのに使用されていたらしい😳当時、山城国の人々から「淀の川瀬の水車、だれを待つやらくるくると」と歌われた🤔

1756年の落雷⚡️により天守や建物の大半が焼失し、徳川幕府は再建に1万両を淀藩に貸し付けたが、天守や本丸御殿は再建されなかった😱

現在、城跡は桂川から100mの横にあり、川の流域が時代と共に大きく変化したことが分かる🤔

もともとの規模からは多くの遺構が失われたが、現在の本丸跡だけでも、往時の威容が伝わって来る☺️
淀城🏯お見事でした👏
Posted at 2019/10/24 19:31:28 | コメント(1) | トラックバック(0)
2019年10月16日 イイね!

【山崎城】天下分け目の城めぐり①

【山崎城】天下分け目の城めぐり①久々の奈良出張🚄という事で、気合いを入れて有給取って始発🌅で前乗り😅

大山崎駅🚉でレンタサイクルを調達😊今日の相棒はコイツだ‼️

本日のメインディッシュは…………天下分け目の天王山 ⛰山崎城🏯

山崎城🏯は、標高270.4mの天王山⛰山頂に築かれた山城で、山城と摂津の国境、宇治川・木津川・桂川が合流し、淀川に注ぐ、軍事、経済、交通の要所に位置し、古来より幾度となく戦の舞台となっている🤔

天王山⛰の登山口‼️
この坂がホントにキツイ😱チャリ🚲を押しながらせっせと登る💦

途中、「いざ天王山」のマンホールを発見👏

宝積寺卍に到着💦仁王門‼️
宝積寺は、724年、聖武天皇の勅命を受けた行基による開基とされている🤔

宝積寺は山崎の戦いの際に、羽柴秀吉が本陣を置いた場所だ🤔

境内に聳え立つ三重の塔👏
山崎の戦いの戦没者を供養する為に、秀吉が1日で築いたと伝わる「豊臣秀吉 一夜之塔」
それにしても、秀吉には「一夜伝説」が多いな😅

宝積寺の本堂

聖武天皇が夢で竜神🐉から授けられたという「打出」と「小槌」を祀っている「小槌宮」(大黒天神)😳

「打出の小槌」ではなく、正しくは「打出」と「小槌」という別々のお宝らしい🤔
当然、その御利益にあやかる様に、欲望の限りをお願い🙏

宝積寺裏の登城口から攻城開始‼️

イノシシ🐗が出るらしい😱

深い谷間が見える👀

大山崎の観光マップ

岩場と折れが気持ちを高揚させる😚

最初の石垣を発見👏

道はかなり整備されているが、結構な急坂だ💦

随分低い手摺りだなぁ、と思ったら農業用のモノレールみたいなものだった🤔

道脇に石垣を発見👏

「秀吉の中国大返し」
城跡には、「秀吉の道」と題した陶板画が展示されている👏
1582年6月2日の「本能寺の変」を受け、備中高松城を水攻めで包囲していた羽柴秀吉は、すぐさま毛利方と和睦し、一気呵成に中国大返し入る‼️

6月2日:「本能寺の変」により織田信長が横死
6月3日:凶報が届き、安国寺恵瓊と停戦交渉
6月4日:高松城主清水宗治の切腹を見届ける
※輸送部隊を先行させ、補給基地を準備👏
6月5日:中川清秀宛に信長無事の書状を送る
6月6日:2万の兵を率い、〜沼城🏯22 kmを踏破
※兵士達の武装を解き、高速移動に特化😳
6月8日:70kmを踏破し、姫路城🏯に到着
※鐚一文、米一粒残さずバラマキ士気高揚
6月9日:姫路城🏯〜明石間35 kmを踏破
※別働隊、洲本城🏯を攻略
6月10日:明石〜兵庫間18 kmを踏破
6月11日 :兵庫〜尼崎間26 kmを踏破
※栖賢寺で剃髪👨‍🦲
6月12日:尼崎〜富田間23 kmを踏破
※池田恒興、中川清秀、高山右近が合流
※神戸信孝、丹羽長秀が合流
6月13日:富田〜山崎間6 kmを踏破
※宝積寺に本陣を置く

驚異的なスピードもさる事ながら、瞬時に補給基地の兵站を整え、局地戦、情報収集、喧伝を同時並行で行う様は、まさに神懸かりと言える👏

酒解神社⛩の鳥居

秀吉が味方の士気高揚のため、老松の樹上高く「千成ひょうたん」の旗印を掲げた場所で、現在の松は7代目だ🤔

「山崎合戦之地」の石碑

展望台から山崎の合戦場を望む👀 写真中央左にある大山崎JCT🛣のあたりが両軍が対峙した場所になる👏

旧淀川に沿い、円明寺川(現小泉川)を挟んで、羽柴軍4万と明智軍1万6000が対峙した🤔

こちらは現在の小泉川(旧円明寺川)
本能寺の変から10日目の6月12日、圧倒的兵力で押し寄せる羽柴秀吉に対し、明智光秀は淀川と天王山に挟まれた隘路にて、4万の大軍を待ち構える策を採るが、秀吉軍は天王山で光秀軍と前哨戦を繰り広げ、勝利を収め天王山を奪取する😳

天王山を抑えられた光秀は、淀城🏯、勝竜寺城🏯への退却を余儀なくされ、翌13日 、天王山の裾野に布陣🤔
頼みの綱の細川藤孝は出家・忠興も静観、筒井順慶は洞ヶ峠を決め込み、光秀は孤立無援状態となった😱

写真中央のこんもりした男山⛰の少し奥が洞ヶ峠
最近では、筒井順慶は洞ヶ峠に出陣してないというのが定説となっている🤔

天王山の本陣から山崎一帯を一望していた秀吉は、手薄な川付近から一気に迂回攻撃をかけ、光秀軍は脇から突かれて総崩れとなり、僅か2時間で天下分け目の天王山の勝敗は決した😳

光秀は敗走中🏇、京都伏見の小栗栖で落武者狩りに遭ったとされ、明智光秀の三日天下は幕を閉じた🙏

小栗栖には、「明智藪」と呼ばれる光秀最期の地が残っている😳

石垣が遺っている👏

秀吉は大坂城🏯に移るまで、山麓の宝積寺も含めて城郭として利用したと考えられている🤔

天照大神・月讀大神・蛭子神を祀る三社宮⛩

素盞嗚尊を祀る酒解神社⛩

頂上を目指して更に登る🚶‍♂️💦

台風の影響か、木々が折り重なる様に倒れている😳

主郭に到着💦

礎石が乱雑に遺る😅

天守台へと向かう🚶‍♂️

僅かに遺る天守台👏

天王山山頂‼️

竪土塁👏

主郭下の野仏🙏

幕末の禁門の変で敗れた十七烈士の墓🙏

山崎城🏯は、「応仁の乱」以前から築かれていた城だが、山崎の合戦以降、大坂城🏯築城までの間、秀吉の本拠地として使用された🤔
山崎の合戦は「天下分け目の決戦」ということもあり、「天王山」や「三日天下」、「洞ヶ峠を決め込む」など現在でも慣用句として使われる言葉も遺した👏

歴史の大きな岐路で、その舞台となった山崎城🏯お見事でした👏
Posted at 2019/10/20 18:53:27 | コメント(1) | トラックバック(0)

プロフィール

「@danslemidi さん
ん〜🤔お城は遠目なので当てずっぽうですが、犬山城🏯のあたりかなと思ったんですが、子供旅だと違いますよね😅」
何シテル?   04/28 18:04
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
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奥様の元愛車ですが、4WDで荷物も沢山入るので、主にキャンプで使用してました❗️ リア ...

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