• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ATSUP_HARDのブログ一覧

2023年08月18日 イイね!

【伊賀上野城】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑪

【伊賀上野城】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑪ブログ完結まで2ヶ月半を要した😅伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅もいよいよラストの第11弾‼️

日本百名城のひとつ伊賀上野城🏯へ🚐💨

伊賀上野城🏯は、上野盆地のほぼ中央、上野台地の北部にある標高184mほどの丘に築かれた梯郭式平山城で、北に服部川と柘植川、南に久米川、西には木津川の本流を擁する天然の要害にして、築城の名手、藤堂高虎の手による未完の城だ😳

城代屋敷跡🤔
伊賀上野城🏯には現在まで3つの天守閣が築かれたと云う😳

初代天守は、1585年に筒井定次がここ城代屋敷跡に三層の天守を築いたと伝わる🤔

裏門側から伊賀上野城🏯天守👏
1611年、藤堂高虎による大改修が行われ、本丸を西に拡張し、外郭には10棟の櫓と21間もの多聞櫓を載せた東西の両大手門、御殿を擁した大城郭に、高さ約30mの高石垣を廻らす五層五重の二代目天守を築いたが、1612年に当地を襲った台風🌀で倒壊してしまった🥲
大坂夏の陣によって、豊臣氏が滅ぶと築城が中止され、天守も再建されないまま未完成のままとなった😳

裏門に併設されていたと思われる柴小屋と米蔵跡☺️

左に目を移すと、炭小屋跡越しの大天守と小天守👏
三代目天守は現在の復興天守で、1935年、代議士の川崎克氏が支援を得ながら私財を投じて藤堂時代の天守台に建てた木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守だ😳

筒井時代の天守があった城代屋敷の石垣に沿って石段を降る🚶

見事な石垣👏

石段を上がると右に折れて表門へ🚶

表門👏
このまま進むと城代屋敷に至る🤔

城代屋敷から表門の虎口を見降ろす👀
筒井時代の本丸にあたるのだが、藤堂時代の本丸よりも高い位置にある😳
伊賀上野城🏯の最大の特徴で、筒井時代と藤堂時代で城下町、大手、防御上の力点の方向が全く異なる😳
これは敵が誰なのかでガラリと変わり、筒井時代は東の徳川家康を、藤堂時代は西の大坂城🏯を意識して築かれているからだ🤔
本丸を西に拡張し、南西隅から東北隅まで長大な高石垣を築き、五重五層な天守を置いたのも、大坂方に睨みを利かすためだ😆

一段下から見る城代屋敷の石垣👏

本丸東側から見る三代目大天守と小天守😊

本丸側から見る裏門の石垣👏
本丸から裏門〜炭小屋〜柴小屋〜米蔵を見上げるなんて、不思議な縄張だ😳

天守を南東側から📷
大天守の白漆喰の壁が一部剥がれてしまっている🥲

伊賀上野城🏯天守👏

どうせなら五重五層の天守を復元して欲しかった😆

門をくぐり天守内部へ🚶

小天守内部にある忍井戸🥷
深さ五十間の深井戸には四方に通ずる抜け穴があり、その出入口を忍びの者🥷に監視にあたらせたと云う🤔

大天守に入ると藤堂高虎と「た伊賀ーくん」が迎えてくれる😁

多くの歴史的展示物が展示されている☺️
よく見ると忍者🥷もいる😳

金箔押菖蒲前立頭形兜😳
こんなんが迫って来たら怖すぎ🥶

第十一代藩主藤堂高猷所用の鉄錆地六十二間筋兜👏

大天守内部には、多くの甲冑や刀剣などが展示されている😆

これが見たかった😆
藤堂高虎所用「黒漆塗唐冠形兜」👏
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜で、如何にも派手好きな秀吉好みの兜だが、ウサ耳🐇みたいな纓は約90cmもある😳
左右2m近くある兜だと、振り返るたびに誰かを傷つけそうだが、平均身長157cmと云われる戦国時代において、藤堂高虎は身長190cmを誇る大男だったため、その心配も無かったのだろう😁

展示物は非常に充実している☺️

カッコいいなぁ😆

伊賀十二人衆の一人で、天正伊賀の乱に散った森田入道浄雲所用の甲冑👏

松尾芭蕉の旅笠😳
芭蕉の形見の渋笠を埋めたとされる笠塚のある滋賀県彦根市の明照寺に伝わった笠だと伝わる🤔

大天守からの眺望👀
山々に囲まれた盆地であることがよく分かる🤔

天井絵巻👏
最上階の格天井には1m四方の色紙46枚が嵌め込まれている🤔

かの横山大観の色紙もある😳
中央の「満月」がそうだ👏

本丸南西から見る天守👏

「日本一、ニの高さで有名な高石垣」と微妙な表現が面白い😁

高石垣に到着🚶

高石垣の高さは30mで、正確には大坂城🏯の32mに次いで日本で2番目の高さとなる😊

高石垣と内堀の先には三重県立上野高等学校が見える👀
実は上野高校には伊賀上野城🏯唯一の現存建築物「武具蔵」が遺されている😳
学校の敷地内なので、上からでも見れないかと思ったが、木々に阻まれて見えず🥲

目が眩むほどの高さ😳

天守を西から👀

天守を北から👀
天守台下には石垣の裏込に用いられた栗石が大量に積まれている😳

もう一歩がなかなか踏み出せない😅

北面の高石垣はかなり蔦に覆われている🤔
やっぱ高石垣は下から見上げないと、ってことで下へ降る🚶💦

何か見えて来たので、寄り道☺️

立派な門😳
歴史ある建物に見えるが1942年築と意外と新しい✨が、これから見る俳聖殿と共に国の重要文化財に指定されている👏

松尾芭蕉生誕300年を記念して1942年に建てられた「俳聖殿」👏
特徴的な建物は芭蕉の旅姿を表現していると云う😳
・屋根は旅笠
・木額は顔
・八角形の庇は蓑と衣装
・廻廊の柱は杖と脚

隙間から中を覗いて見る👀
心柱の中心に置かれた伊賀焼の台座には、同じく伊賀焼の等身大松尾芭蕉座像が鎮座する👏

伊賀と言えば、忍者🥷
伊賀流忍者博物館にも寄ってみた☺️
忍者屋敷は、伊賀市高山にあった江戸時代末期の土豪屋敷を移築・改築したモノだが、案内人の話では、伊賀では、どの家にも数ヶ所のカラクリがあったらしい😆

忍者の忍び装束や忍具も展示されている☺️

本丸高石垣を北側から📷
モッサモサでほとんど石垣が見えない😅

本丸西面の高石垣😆
大坂城🏯に向けて威圧感剥き出しの高石垣はまさに圧巻👏

内堀の木々をもう少しどうにかして欲しい😅

大坂城🏯の高石垣は堀の上から見るからか、伊賀上野城🏯の高石垣の方が高く見える😆

天守が少しだけ顔を覗かせる☺️

見事の一言に尽きる😊

高石垣の普請には近江の穴太衆が動員されたと云い、400年の歳月を経てもその威容を崩さないとはっ😳当時の築城術に感服だ👏

未完成の城ながら、防御の部分だけはちゃんと仕上げられ、泰平の世になりつつも、まだまだ戦国が遠い昔ではない時代背景がよく表れている😆
伊賀上野城🏯お見事でした👏

大好きな味噌カツ丼を食べて、帰路へ🚐💨

まさか、ここから7時間もかかるとはっ💦

総移動距離1,300kmの夏の一人旅😅

おしまい😆
Posted at 2023/11/06 20:15:39 | コメント(4) | トラックバック(0)
2023年08月18日 イイね!

【多気北畠氏城館】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑩

【多気北畠氏城館】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑩伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅も第10弾‼️
夏のブログが2ヶ月半を経ても終わらないという為体😅
ミニ姫路城🏯を後にし、続日本百名城のひとつ伊勢の名門、村上源氏の裔、北畠氏の居城 多気北畠氏城館🏯へ🚐💨

GoogleMapあるあるのとんでもなく狭い山道を進む🚐💨

台風🌀の影響で、あちこち土砂崩れの痕跡がっ😳
引き返そうにも、Uターン↪️できる場所も無く、ビクビクしながらハンドルを握る💦

ヒエーッ😱
対向車‼️しかもトラック🛻

心身共に疲れ果てて、やっと「美杉ふるさと資料館」に到着🚐💦

美杉ふるさと資料館の歓迎門🤔
特に歴史もなさそう😅

資料館へ☺️

恒例の力石💪

北畠氏館想像復元模型🤔

多気北畠氏城館🏯は、多気盆地西部の山麓部、伊勢から大和へ通じる伊勢本街道を押さえる交通の要衝に築かれた城館で、館の正面を流れる八手俣川の対岸の城下町には六田館(東御所)や多数の寺院を構え、背後の山には詰城🏯、さらに西方の急峻な山には霧山城🏯を擁した、山岳地帯から城下まで含めた地域全体を固める城塞群だった👏

甲冑や武具も展示されている☺️

北畠神社⛩️
多気北畠氏城館跡は現在、北畠神社⛩️になっている🤔
南北朝時代1342年に北畠顕能が築いた北畠八代の本城で、伊勢国司北畠家八代当主北畠具教の代に、織田信長の侵攻に抗すも、信長の次男織田信雄を養子にすることで和睦したが、1576年、織田信雄の命で具教が暗殺された際、大軍で攻め寄せた織田勢の前に廃城となった😨

因みに、北畠具教は剣豪としても知られ、上泉信綱や柳生宗厳とも親交があり、塚原卜伝に剣や兵法を学び、奥義である「一の太刀」を伝授されたと云われる😳織田信雄の刺客に襲撃された際も、太刀を手に19人の敵兵を斬り殺し100人に手傷を負わせたと云う👏

太鼓橋を渡り🚶

嘗ての天然の堀であろう大宮戸川🤔

左手が霧山城🏯、右手が北畠氏館🏯

台風🌀後なので、霧山城🏯は断念😅

北畠神社⛩️へ🚶

北畠神社⛩️
建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持つと云う北畠神社⛩️は、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする🤔

北畠神社⛩️拝殿☺️

ん⁉️天狗👺

由来は修験道に発しているらしいが、天狗👺の面を掲げられているのは珍しい😳

奥には本殿🙏

花将軍🌸北畠顕家公の像👏
北畠親房の長男で、戦乱絶えない奥州では、荒くれ者たちを見事に服従させ、北条の残党を掃討し、京の都を占拠した足利尊氏を「中国大返し」ならぬ「奥州大返し」で追い落とすという歴史的快挙を成し遂げた人物😳

因みにこの「奥州大返し」では、5万の大軍を率いて、鎌倉にいた足利尊氏の弟直義を破り、さらに東海道の足利勢を蹴散らしながら約600kmの距離を約半月(一日平均約40km)で走破🏇している👏
豊臣秀吉の「中国大返し」が200kmを10日(一日平均約20km)で走破したことと比較すると、その驚異的スピードが解るだろう😳

足利尊氏が最も恐れた男、北畠顕家はその武勇だけでなく、見目麗しく、また幼い頃からその才覚を認められ、数え年12歳にして従三位参議に抜擢されるという異例のスピード出世を遂げた文武の才に秀でた才色兼備の美青年だ😳

「風林火山」と云えば、武田信玄のイメージが強いが、北畠顕家はそれよりも200年近く前に「風林火山」の文字を旗印にしていたと云われている😳

一度は顕家に敗れ、九州に落ち延びた足利尊氏が京の都を再び占領し、新田義貞を敗走させ、楠木正成をも敗死させたのは、顕家が尊氏を破ってから僅か半年ほどの出来事だった😳
討伐に向かった北畠顕家も高師直率いる軍勢に敗れ、弱冠20歳の人生に幕を閉じる🙏

土塁の名残りだろうか🤔

北畠具行・北畠満雅・北畠具教・北畠一族並に家臣、郎党、農民の戦死者を祭神とする留魂社⛩️
農民が祭神となっているのは初めて見た😳

城下、居館の背後に詰城を擁する山岳を構えた、まさに一大城塞だったのだろう🤔

嘗ては、石垣も積まれていたと云う🤔なんでも中世城郭としては日本最古の石垣とのことだが、現在では埋め戻されてしまっている😱

多藝神社⛩️

多藝神社⛩️の隣には庭園がある😊

北畠氏城館跡の最大の見どころ「北畠氏庭園跡」は、一乗谷朝倉氏庭園・旧秀隣寺庭園と並び「日本三大武将庭園」のひとつとされる👏

庭園は有料(300円)だが、「台風🌀被害で、見せられる状態じゃないからタダで良い」🙌と言われ、ドキドキ💓しながら庭園へ🚶

木っ端微塵に倒された門が、台風🌀の爪痕の大きさを物語っている😳

1521年頃、室町幕府三十一代管領 細川高国により築造された池泉観賞様式の武家書院庭園で、国の名勝に指定されている👏

盥水と彫られたこの石も400年前のモノだろうか🤔

台風🌀の影響で泥が流入してしまっているが、400年前から遺る庭園からは、往時の北畠氏の栄華を偲ぶことができる👏

⑪へ続く
Posted at 2023/10/29 16:35:10 | コメント(5) | トラックバック(0)
2023年08月18日 イイね!

【ミニ姫路城】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑨

【ミニ姫路城】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑨伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅の第9弾は、三重県に行ったら絶対に行こうと思っていた「ミニ姫路城」へ🚐💨

姫路城🏯が好き過ぎて自宅の庭に世界遺産を建ててしまったと云う、まさに浪漫を実現したお宅へ図々しくもお邪魔🚐💨

自宅の庭を開放してくれるなんて、なんと太っ腹な城主だ👏
城主の奥方に声をかけて、攻城開始⁉️

うぉーっ‼️凄い😳
表札かと思いきや「白鷺苑」と銘打ったミニ姫路城🏯が目に飛び込んでくる👏

縄張を表した鳥瞰図まである😳
ミニ姫路城🏯は1/23スケールで、驚く勿れ現存する姫路城🏯にはない門や櫓、西の丸の「千姫御殿」や「本丸御殿」などまでも昔の文献を調べ再現されている👏
鳥瞰図の青🟦と焦茶🟫の屋根の建物は1640年頃の建物を再現したモノだ👏

もともと西の丸に関する資料がなく、想像で作ろうとしていた矢先に、西の丸に関する古文書が大分県で発見され、それを基に「幻の千姫御殿」までもが、再現されている👏

奥方オススメのアングル📷
城内に配置されている武士や馬の置物、屋根の鯱などは奥方が焼いた陶作品だ👏

菱の門の奥には千姫御殿、化粧櫓、百間廊下も見える😆
屋根の部分はオリジナルの型枠で作ったFRP製とのこと😳

ちょっと角度を変えて二の丸方面👀
ミニ姫路城🏯築城のきっかけは、中学生時代に城主が購入した本📕綺麗な城の写真と立体図面の付録に感動したのが始まりだそうだ🤔

これを夫婦で手作りしたとかアンビリーバボー😳
天守閣までの高さは4.5m👏
瓦の色や白壁の色、石垣の風合いにも拘り、扇の勾配も再現されている👏

自宅の庭に姫路城🏯築城の夢を実現させるため、不動産屋に課した条件は3つ‼️
①近くに民家がないこと
②電信柱がないこと
③山が見えること

1989年に現在の土地を購入し、コンクリートの基礎を打ち、雨水が溜まらないような排水も計算されていると云う😳

材料費だけでも約1,800万円も掛け、19年の歳月を要したミニ姫路城🏯は、2007年4月に築城と相成った👏

本物と見紛うほどの素晴らしい出来栄え👏
本物ではドローンでも使わないと不可能なアングルからの撮影も出来る👍

方位については全く意識していなかったが、完成間際に方位磁針🧭で確認したら、ほぼ実物と同じ方角で建っていたと云う😳

子供の頃からの築城の夢を叶えた情熱❤️‍🔥、ハンパない👏まさに浪漫😆
ミニ姫路城🏯お見事でした👏
我が家にも安土城🏯建ててみたいなぁ😆

⑩へ続く
Posted at 2023/10/18 20:51:05 | コメント(4) | トラックバック(0)
2023年08月18日 イイね!

【伊勢神宮】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑧

【伊勢神宮】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑧伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅もやっと2日目💦
結局ネカフェで一夜を過ごし、早朝から行動開始‼️

やっぱり外せない「お伊勢参り」
先ずは伊勢神宮内宮⛩️へ🚐💨

伊勢神宮⛩️は、正式には単に「神宮」と云い、古来、最高の特別格の宮とされ、全ての神社の上に立つ神社であり、「日本国民の総氏神」とされる👏
神宮には天照坐皇大御神を祀る皇大神宮(内宮)と、豊受大御神をお祀りする豊受大神宮(外宮)を始め、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社があり、これら125の宮社全てを含めて神宮と云う😳

日本三大鳥居⛩️のひとつ伊勢神宮内宮の「宇治橋鳥居⛩️」
まだ早朝なので参拝者もまばらだ☺️

日常の世界と神聖な世界を隔てる五十鈴川に架かるのは、全長101.8m、幅8.4mの純日本風反り橋「宇治橋」👏

御厩🐴
伊勢神宮⛩️にはホントに神馬がいるらしいが、常にいる訳ではなく、限られた時間帯だけ御厩にいて、会えるとラッキー🤞なんだと😅

内宮神楽殿☺️

1978年築と意外と新しい🤔

御稲御倉☺️
茅葺き屋根に草🌱が生えているが、建物自体は新しい😳

外幣殿☺️
他の神社⛩️が、仏教建築の影響を受け、瓦屋根や朱塗りの建物に変遷してきたのに対し、伊勢神宮⛩️は「神明造」という弥生時代の高床倉庫を起源とする古代の建築様式を受け継いでいる👏

天照大御神荒御魂を祀る荒祭宮は、内宮に所属する十所の別宮のうち、第一に位する🤔

皇大神宮正宮👏御祭神は天照大御神☺️
天照大御神の孫「瓊瓊杵尊」が猿田彦神を先導として八百万神を従え、高天原から地上に天下った「天孫降臨」の際に賜った「三種の神器」、八咫鏡・天叢雲剣・八尺瓊勾玉のひとつ「八咫鏡」を御神体とする😳
約2,000年前、崇神天皇と垂仁天皇の時代(紀元前97〜紀元後70年)代々宮中で祀っていた八咫鏡を皇大御神の教えに従い、ここ伊勢の地に祠を建てて祀ったのが始まりとされる😳

伊勢神宮⛩️は飛鳥時代に天武天皇が定めた「式年遷宮」により、20年ごとに内宮・外宮の正宮を始めとする別宮以下の全社殿から鳥居⛩️、御装束神宝、宇治橋に至るまで造り替えられるので、正宮も古さを感じさせない😳
戦国時代の120年以上におよぶ中断などはあったものの、およそ1300年間行われていて、第63回目の式年遷宮は2033年の予定らしい🤔
出来たてホヤホヤの社殿も見てみたいものだ☺️

伊勢神宮⛩️の境内にある杉のうち巨大なモノを「神宮杉」と云う🤔
正宮脇に聳える神宮杉を撮った一枚🖼️
木漏れ日と射し込む光芒、緑のオーブ🟢が映り込むスピリチュアルな写真😆
乱反射と言う勿れ、緑のオーブ🟢は幸運の訪れを告げるモノらしい🤞

風日祈宮御橋へ続く参道☺️

別宮「風日祈宮」☺️

伊勢神宮外宮⛩️へ🚐💨

今から約1500年前、内宮の御鎮座から約500年後のこと、天照大御神から神託を受けた雄略天皇が、丹波国の真奈井原から伊勢山田原へ、天照大御神の食事を司るための神として豊受大神を遷座したことが起源とされる🤔

伊勢神宮外宮の第一鳥居⛩️

後になって調べたら、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのが慣わしらしい😅

別宮「土宮」☺️

別宮「風宮」☺️
内宮別宮の「風日祈宮」と同じく風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命を祀る🤔

別宮「多賀宮」😊
外宮に所属する四所の別宮のうち、第一に位し、豊受大御神の荒御魂を祀る😳
「荒御魂」とは、神様の荒々しく格別に顕著な神威をあらわす御魂の働きを云い、逆に御魂の穏やかな働きを「和御魂」と云う🤔

正宮が見えてきた👀
正宮に隣接するこの空き地は「古殿地」と言って、20年ごとの式年遷宮に際して新宮を造営するための場所だ😳

豊受大神宮正宮👏御祭神は豊受大御神☺️

これも後から知ったのだが、伊勢神宮⛩️の正宮ではお賽銭も願い事もしてはいけないらしい😳
正宮では感謝をするだけで、お賽銭と願い事をするのは、内宮では天照大御神の荒御魂を祀る「荒祭宮」、外宮では豊受大御神の荒御魂を祀る「多賀宮」だそうだ🤔
ただ、正宮には聖域が汚れないために白い布が敷かれていて、そこにお賽銭をすると思って勘違いしている人がほとんどだ😅

日本に約8万社以上あると云われる神社⛩️の頂点に君臨する伊勢神宮⛩️もう一度勉強し直してから参拝しなくてはっ😅

⑨へ続く
Posted at 2023/10/14 01:26:00 | コメント(5) | トラックバック(0)
2023年08月17日 イイね!

【鳥羽城】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑦

【鳥羽城】伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅⑦田丸城🏯を後にし、良い時間になってきたので、そろそろ今夜の寝床を考えねば🤔
今回の一人旅をより楽しむために、キャンプ出来る河原を事前に調査し、キャンプ🏕️で松阪牛🐂BBQ🥩を目論んでいたところ、台風🌀が紀伊半島を直撃😱

通常時の宮川の河原のライブ映像☺️

それが訪れる2日前のライブ映像ではこんなことに😱

淡い期待を持ちつつ件の河原へ🚐💨

ガーン😫閉鎖されている😱

ってことで、急遽予定変更で、もう一城‼️
伊勢・志摩・伊賀 夏の一人旅の第7弾は…

織田信長、豊臣秀吉のもと九鬼水軍を率い、数々の戦功をあげた海賊大名、九鬼嘉隆の鳥羽城🏯へ🚐💨
鳥羽城🏯は、九鬼嘉隆が1594年に志摩半島北部、妙慶川河口に位置する高さ40m の樋の山に築いた近世海城だ👏

三方が海に囲まれ、大手門を海側に開いた全国的にも稀有な海城だ👏
山頂に本丸、麓の海側に二の丸、北側に三の丸を置く縄張りで、最盛期には、二重櫓が5基、平櫓が7基もあり、本丸には本丸御殿もあり、三重の天守が聳えていた👏

1576年の「第一次木津川口の戦い」で九鬼嘉隆率いる織田勢の鳥羽水軍は、毛利勢の村上武吉率いる村上水軍・小早川水軍・児島水軍・乃美水軍ら600隻😳による焙烙玉💣、雑賀衆の焙烙火矢🏹の前に、多くの船を焼かれ🔥て惨敗し、石山本願寺への兵糧入れを許してしまった😱

この敗戦に激怒😤した織田信長に、燃えない船を造るように命じられた九鬼嘉隆は、鉄板で装甲し、大筒・大鉄砲など3門を装備した「鉄甲船」6隻を建造した😳
尊経閣文庫の『信長公記』の写本には、長さが18間(約32.4m)、幅6間(約10.8m)とある😳

こんな状態😳圧倒的じゃないか…
1578年の「第二次木津川口の戦い」で鉄甲船は凄まじい威力を発揮する‼️
九鬼嘉隆の率いる6隻の鉄甲船と、滝川一益の大船1隻は、雑賀浦で雑賀・淡輪の雑賀水軍500隻(門徒水軍)を壊滅💥
木津川河口では毛利水軍・村上水軍600隻を撃破💥するという伝説的勝利を収めた😳
大坂湾の制海権は織田勢に移り、石山本願寺は2年後に織田信長に降伏した😨

唐御陣に際し、水軍総大将に任命された九鬼嘉隆の改造安宅船「鬼宿」をいたく気に入った豊臣秀吉は、旗艦の証である茜の吹流しと金団扇の馬印を授け、「日本丸」と改称させたと云う😳

開発により多くの遺構が失われてしまった様だ🥲

城山通り沿いの石段から攻城開始💦
早朝から数えて、6城+7寺+4神社となり、この石段でさえ、キツくなってきた😅

城山公園に出た🤔

櫓台の様な石垣があるが、最近のモノだろう😥
この辺りは嘗て「太鼓櫓」があった場所だ🤔

道標の上の船の帆には水軍大将として勇名を馳せた九鬼嘉隆が用いた家紋「三頭右巴」があしらわれている☺️

九鬼嘉隆の後を継いだ守隆の代からは、定紋を「七曜」へと変更している🤔

本丸下段の城山公園🤔

んー😑

家老屋敷跡の現存石垣👏

七段石垣を上から👀

本丸西の現存石垣👏

鳥羽城🏯本丸☺️
嘗ては望楼型の三重天守と本丸御殿があったが、後に小学校のグラウンドとして使われていたらしく、キレイに削平されてしまっている😭

本丸からの眺望👀奥に見えるのは九鬼嘉隆の首塚がある答志島🤔
関ヶ原の戦い、九鬼嘉隆は西軍、息子の九鬼守隆は東軍に別れて戦い、戦後、守隆は父嘉隆の助命を嘆願し、徳川家康に許されると急使を出したが、時既に遅く、九鬼家の行く末を案じた家臣の豊田五郎右衛門に促され、九鬼嘉隆は「鳥羽城が見えるところに埋めてくれ」と言い残し、切腹して果ててしまった😱
守隆は激怒し、五郎右衛門を鋸挽きで斬首のうえ晒首にした😨

大井戸跡🤔
本丸御殿の井戸で、当時は深さ45mあったとされ、井戸には龍🐉が棲み、井戸は相島(現在のミキモト真珠島)へ通じているという抜け穴伝説が残されている😳

本丸南側の野面積みの石垣👏

「牢屋跡場所」とあるが、どこがどおなのか全く分からん😅

何やら石🪨が積まれているが、遺構では無いのだろう🤔

三の丸へと降りる石段を進むと七段石垣が姿を現す😳

七段石垣は残念ながら鳥羽城🏯の遺構ではなく、「城山を美しく見せたいプロジェクト」の一環で整備された模擬石垣だ😅

鳥羽湾を航行する船🚢から見ると、40mの高石垣に見えるらしい😳
まぁ、これはこれで壮観だ👏

九鬼嘉隆の家紋「三頭右巴」のあしらわれた日除幕、それを取りまく石垣、背後の七段石垣、と何れも遺構ではないが、雰囲気だけは抜群の三の丸広場👏

現在、三の丸広場の目の前を近鉄志摩線🚃と国道42号🛣️が走っているが、嘗ては二の丸御殿があった場所であり、その先には大手水門があったが鳥羽水族館🐬になっている😥
とは言え、地形や鳥羽湾、島々は大きくは変わっていないハズなので、九鬼水軍の在りし日の勇姿を想像しつつ鳥羽城🏯を後にする🚐💨

⑧へ続く
Posted at 2023/10/08 00:52:03 | コメント(4) | トラックバック(0)

プロフィール

「@はらペコ星人 さん
ん〜全く分からずです😅
今夏は越前攻めしたいですね😆」
何シテル?   04/23 19:13
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2023/8 >>

   1 2345
6 789101112
13141516 17 1819
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

【潮干狩り】からの横須賀観光 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/05/05 21:57:48
大陸製 収納BOX 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/01/07 17:56:59
【光照寺・法輪寺・馬頭院・乾徳寺】寺社仏閣・史跡・城巡り 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/11/24 09:29:39

愛車一覧

ジープ グランドチェロキー プラグインハイブリッド グラッチェ號 (ジープ グランドチェロキー プラグインハイブリッド)
30アルファードからの乗り換え! 初めてのアメ車^_^ イカツイ外観に惚れました! 【 ...
トヨタ セリカ トヨタ セリカ
古い写真が見つかったので、やっと写真を更新出来ました☺️ 就職が決まった途端に気が大き ...
トヨタ カルディナ トヨタ カルディナ
長女誕生に向けて、ファミリー志向へと考えたけど、スポーツ志向を捨てられずに、買い替えた車 ...
スバル サンバー ディアス クラシック スバル サンバー ディアス クラシック
奥様の元愛車ですが、4WDで荷物も沢山入るので、主にキャンプで使用してました❗️ リア ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2019年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation