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2021年07月24日 イイね!

【田中城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑳

【田中城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑳3日間の城めぐりブログに2ヶ月掛かってしまった😅
駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅も大井川を渡り、最後の国駿河に🚐💨
ラストを飾る一城は、日本で唯ひとつの円郭式の城、田中城🏯

田中城🏯は、1537年に駿河今川氏によって築かれた「徳之一色城」が前身で、1570年に武田信玄により攻め落とされ、武田四天王馬場美濃守信春が改修し、同じく武田四天王山県三郎兵衛昌景が入り、以降「田中城」に改名した城で、三河の徳川家康に対抗する駿河西部の城砦網の要として重要視された城だ👏

田中城🏯は、本丸を中心に、直径約600mの同心円状に四重に堀を巡らす日本で唯一の円郭式平城だ👏
輪郭式と同様に、本丸を中心に周囲を曲輪で囲んだ縄張だが、周りの曲輪が円形になったものを円郭式という🤔他に認めることはできないので、田中城🏯のためだけにある城郭構造だ👏
また、武田流築城術の特徴も顕著で、二之丸及び三之丸、四之丸に丸馬出と三日月堀のセットを計6箇所も構えている😳

遺構の保存状態は良くないが…😅
何が凄いって、往時の縄張をほぼそのままに、現在の町が発展を遂げていることだ😳衛星写真🛰を見ると、現在の街並みも円郭式になっていることが分かる👏

時代ごとの田中城🏯縄張の推移🤔
なんか、蕾が膨らんで花が咲いたみたいだ😆
1582年、甲州征伐の際、徳川勢の猛攻に対し、城将の依田信蕃は頑強に抵抗したが、武田家を離反した穴山梅雪斎不白の説得で開城し、徳川家の高力清長が入城した☺️
徳川家関東移封後は豊臣方の中村一忠の管轄となるも1601年、酒井忠利が田中藩主となり城域の拡張や藤枝宿の城下町への取り込みなどを行なった🤔

下屋敷の駐車場に駐め、🚴‍♀️で攻城開始‼️
「松原の木戸」は、酒井忠利が整備した、藤枝宿から田中城🏯へ通ずる大手道だ🤔

かつて武家屋敷が並んでいた三之堀前には、往時の姿を留める石垣が遺っている👏
1633年以降、松平氏〜水野氏〜北条氏と城主が入れ替わり、1730年に本多正矩が4万石で封じられると、明治維新まで本多氏が田中藩主としてこの地に拠った🤔

民家の塀沿いに遺る三日月堀跡👏

三之堀沿いの三之丸土塁👏
現在、西益津中学校が三之丸と二之丸を跨ぐ様に建てられている😢

二之堀に架かる「大手二之橋」👏

実はこんな状態😅

大手二之門跡🤔

道路はほとんど円を描くようにカーブしているので、地図を見てないと迷子になる😅
方向感覚だけでは目的地に辿り着けない所に円郭式縄張の防御力の高さを実感👏

田中城🏯本丸跡‼️

本丸及び二之丸跡には西益津小学校が建つ😢

西益津小学校の校庭には、田中城のジオラマが造られている🤔
さすがに敷地内には入れないので、道路側から盗撮📸

Google Earthでも確認出来る👏

よく見ると堀も再現されている😳
ただ、何故か天守閣がある😅

意外とクオリティ高っ😳

西益津小学校の校章は、本多家の家紋「立ち葵」と、徳川家康の「羊歯具足」に因んだ羊歯(しだ)が組み合わされている😳カッコイイ‼️
さすが、徳川家ゆかりの地に建つ小学校👏

下屋敷に戻る🚴‍♀️💨

田中城🏯の南東隅にあたる下屋敷庭園跡は、一色氏や古沢氏の屋敷跡だとも伝えられるが、江戸時代後期には城主の別荘が置かれ、築山・泉水・茶屋等を設けて四季の景色を楽しんだとも云われている🤔

庭園内には土塁も遺る👏

現存する田中藩家老の茶室🤔

年貢米や飢饅に備えた非常米を保存するための「長楽寺村郷蔵」もここに移築され現存する👏

田中城🏯から大洲村の大塚家に移築されていたのを出戻りで再移築した現存「仲間部屋・厩」👏

現存「田中城本丸櫓」(二階建櫓)👏
田中城🏯の本丸には天守はなく、西南隅に二重二階の櫓が石垣の上に建っていたと云う🤔
戦への備えではなく、観月など風流を楽しむ際に使用した建物だったようだ☺️

冠木門は、当時の図面をもとに復元したものだ🤔
1616年1月、田中城🏯に立ち寄った徳川家康は茶屋四郎次郎が調理した鯛の天麩羅を食し、あまりの美味しさから食べ過ぎてしまい、腹痛をおこした家康はその後も体調が回復せず……3ヶ月後に駿府城🏯で亡くなってしまった🙏

遺構はかなり失われつつも、現存建造物は多く、町の随所に往時の円郭式縄張の名残を感じさせる唯一無二の城、田中城🏯お見事でした👏

そして帰路へ🚐💨

【今回の一人旅の行程】
1日目:
大高城〜丸根砦〜鷲津砦〜桶狭間古戦場〜沓掛城〜挙母城〜桜城〜足助城〜大樹寺〜岡崎城〜本證寺〜西尾城
2日目:
田原城〜吉田城〜古宮城〜作手城〜野田城〜法性寺〜長篠設楽原決戦場〜長篠城〜井伊谷城
3日目:
鳥羽山城〜二俣城〜清瀧寺〜掛川城〜横須賀城〜撰要寺〜本源寺〜小山城〜田中城

城跡:20
砦跡: 2
寺院: 6

全行程:1,000kmオーバー
総歩数:60,000歩オーバー

改めて見ても、よく頑張った😅
Posted at 2021/09/27 00:34:54 | コメント(4) | トラックバック(0)
2021年07月24日 イイね!

【小山城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑲

【小山城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑲横須賀城🏯から北東へ1時間🚐💨帰りながらの城めぐりは移動距離が長くなる😅
遠江に武田信玄が打ち込んだ楔、小山城🏯へ🚐💨

没落した今川氏の旧領、遠江・駿河を大井川を境に徳川・武田で分け合う密約「駿遠分割」を破り、大井川を渡った武田信玄が、かつて今川氏の築いた山崎砦を土台に、馬場美濃守信春に築かせた小山城🏯は、10余年にわたり、徳川・武田の攻防戦の舞台となった城だ🤔
山上に聳えるのは、吉田町のシンボル「展望台小山城 」‼️ここまで堂々と「展望台」と言い切った模擬天守はある意味潔い😅

小山城🏯は、牧ノ原台地の南東端から大井川下流の沖積平野に張り出した比高33mほどの舌状丘陵の末端に築かれた連郭式平山城で、大井川の渡河点と海岸沿いの街道が交錯する要衝の地だ🤔
こうして縄張図を見ると、眺望重視で模擬天守の位置決めをしたことがよく分かる😅

現在、城跡周辺は能満寺山公園として整備され、城山の麓には能満寺が境内を構えている🤔

吉祥山能満寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、創建は鎌倉時代1262年、定門によって開かれたのが始まりで、当初は能満福智禅寺と称し、元寇の際には勅願寺として戦勝祈願が行われている😳

歴代領主からも庇護を受け、龍潭寺、貞永寺と共に遠州臨済三名寺に数えられる👏

樹齢千年を超える「日本三大蘇轍」のひとつ、「能満寺のソテツは、995年頃、陰陽師安倍晴明が大井川を流れてきた大蛇🐍を葬り、そこに中国から持ち帰ったソテツを植えたところ、このような八岐大蛇の様な姿になったと云われる🤔
また、このソテツを大変気に入った徳川家康が駿府城🏯へ移植したところ、毎夜「いのう(帰ろう)…いのう(帰ろう)…」と泣く声💧が聞こえるようになったため、家康は故郷が恋しくて泣いている大ソテツを能満寺へ帰してあげたという言い伝えもある😳
高さ約6m、根元の周囲約5m、5本の大枝からの枝数約90本あり国指定の天然記念物となっている👏

男坂と女坂があり、迷わず男坂を選択‼️
この石段がキツい💦

石段の上に鎮座する虚空蔵尊👏

空堀跡👏

本曲輪と二の曲輪を隔てる空堀👏
模擬天守と空堀のベストショット📸

この空堀は発掘された堀の痕跡に保存処理を施したもので、橋も真下の土橋を保全するためのものだ👏

武田四天王の一人、馬場美濃守信春による縄張だけあって、甲州流築城術の特徴である丸馬出し・三日月堀を持つ👏

三日月堀・丸馬出しアーンド模擬天守‼️
徳川・武田の10余年にわたる攻防戦も1573年の武田信玄の死、そして1575年の長篠設楽原の戦いでの武田勝頼の大敗を経て、1581年に高天神城🏯が落城した頃には、下降線を辿る武田勢には小山城🏯を救う余力はなく、1582年2月、織田・徳川軍による甲州征伐が開始されると、城兵は自ら城に火🔥を放って甲州へ落ち延びていき、小山城は落城した😢

高さ21m三層五階の模擬天守は、犬山城🏯を模して建てられたと云う🤔

模擬とはいえ、見事な切込接ぎの石垣だ😳
こうゆう所に手を抜いてないところには好感が持てる☺️

内部には武田氏ゆかりの品々が展示されている🤔

武田信玄の鎧(写)☺️

本曲輪の空堀と丸馬出し&三日月堀を上から☺️

南側の眺望👀4kmほど先に駿河湾が望める👀

二の曲輪と三の曲輪を隔てる空堀👏

小山城🏯の見どころは、模擬天守でもなければ、復元された空堀でも無いっ‼️
木々に囲まれた三の曲輪を走る現存三重三日月堀だ👏
なかなか全貌が掴めないが、それぞれ幅7m、9m、10mある😳三重の三日月堀なんて初めて見た👏

由来は分からないが山本勘助ゆかりの「勘助井戸」
小山城🏯落城の際、身を投げた武田方の婦女子の化身、赤い唇のヒルが住むようになったという伝説が残る😳

大手門跡☺️

模擬天守があって公園化された城跡と言うと、甚だしい遺構破壊が定番だが、ここ小山城🏯では武田氏の遺構がしっかりと遺されていて、天守閣っぽい展望台が間借りしているという感じだ☺️

小山城🏯を後にし、⑳に続く
Posted at 2021/09/23 07:55:50 | コメント(1) | トラックバック(0)
2021年07月24日 イイね!

【横須賀城+掛川城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑱

【横須賀城+掛川城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑱二俣城🏯を後にし、横須賀城🏯を目指してドライブ🚐💨
途中、誘惑に負けて、以前に攻城済の掛川城🏯に少し寄り道して軽〜く攻城😊

青空に映える掛川城🏯

やっぱ何回見てもカッコええわ😊

掛川城🏯は国内初の木造復元天守閣で外観は史実に沿って再現され、内装は山内一豊が築城した高知城を参考にした👏

「起破風(むくりはふ)」が特徴の現存二の丸御殿👏
高知城🏯と川越城🏯の本丸御殿、二条城🏯と掛川城🏯のニの丸御殿を「現存四御殿」と呼んでいる☺️

山内一豊公の「御幣後立具足」の写しも飾られていた☺️

掛川城🏯から南に10km今回の目的地、横須賀城🏯へ🚐💨

「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜♪」の横須賀ではなく、現在の掛川市、かつての遠江の横須賀藩藩庁のあった地だ🤔

1575年の「長篠設楽原の戦い」に織田信長との連合軍で勝利した徳川家康は、高天神城🏯の奪還を目論み、その附城として大須賀康高に築かせたのが横須賀城🏯だ☺️
横須賀城🏯を兵站基地として、高天神城🏯の周囲に「高天神六砦」と呼ばれる六つもの砦を築き、包囲網を完成させた🤔

往時の横須賀城🏯は、南は遠州灘から城の眼前まで深く入り込む入江を擁し、背後の北には小笠山を置く天然の要害であると同時に、横須賀湊を持つ水上交通と物流の拠点だった👏
築城当時、この入り江は掛川城🏯の外堀(逆川)の河口だったと考えられており、陸の大動脈東海道を押さえる掛川城🏯と海上交通の要衝遠州灘を押さえる横須賀城🏯は、船で往来出来たと云う😳

この入江は、1707年の宝永大地震による地盤隆起によって干し上がり、現在の横須賀城🏯は海岸線から2km以上奥まった場所になっている😳
南海トラフ地震怖ぇ〜😱

戦国時代の横須賀城🏯は、小笠山丘陵の先端部に築かれた山城だったが、家康の関東転封以降に入った豊臣系大名によって二の丸等の平城部分が拡張付加されたため、中世城郭と近世城郭のふたつの特徴を併せ持つ連郭式平山城となった👏
かつては船着場を持ち、さらに西と東にそれぞれ大手門を持つことから、「両頭城」という異名も持っていた😳

駐車スペースからは既に本丸櫓門跡が見える👀

横須賀城🏯櫓門跡👏
天竜川から運ばれてきた丸い川原石を積んで築かれた石垣は「玉石垣」や「玉石積み」と呼ばれている😳

玉石垣に囲われた櫓門跡の見事さに圧倒される😳

本丸南下二之門の前は枡形になっている😳
横須賀城🏯の最大の特徴は他に類を見ない「玉石垣」だ👏
そういえば、地元埼玉の鉢形城🏯にも荒川の河原石で築かれた石垣があったっけ〜🤔

鉢形城🏯の石垣画像を振り返って見ると、少し上流なのか、あまり角の取れていない石材を1mおきに踊り場を作って段々にしているので、横須賀城🏯とは大分違うなっ🤔

こんだけ丸い石で高積み出来るなんて凄いな👏

本丸南下二之門の右脇にある何かの扉⁉️
実はこれ、かなり大きな暗渠で石垣が崩れないようここから水を排出していたが、現在は危険なので石で塞いでいるとのこと😳

本丸南下二之門の上には枡形の様な広場がある😳
ここから左の石段で西の丸へ、右の石段で本丸へと行ける😳
櫓門跡の圧巻の規模と玉石垣の美しさに暫く時間を忘れて見惚れてしまった☺️

西の丸側をチラ見して、また石段下へ🚶‍♂️

古代遺跡を彷彿とさせるつくりだ👏

本丸の玉石垣👏
隅石の算木積みもなく、弧を描いているのも面白い🤔

本丸南面の玉石積みの高石垣👏

石段の上から本丸南下二之門をパチリ📸

本丸から見降ろすと玉石垣が全く見えない😅
上から見ると階段状の枡形になっていることが分かる👏
我が愛車の見えるその先の水田あたりは、往時は入江だったのだろう☺️

横須賀城🏯本丸‼️
背後は本丸土塁で絵図面によると、土塀が築かれていた様だ🤔

天守台跡‼️かつて横須賀城🏯には4層の天守閣が聳えていたと云う🤔

天守閣は40坪の規模で、周囲には低い石垣が築かれ、北側には防御のための土塁を造っているのが特徴だ😳
近年の発掘調査に基づいて、礎石と建物を囲う縁石が復元されている🤔

先ほどの高石垣の上から👀
玉砂利が敷き詰められた場所では玉砂利敷遺構が発掘されており、建物内の土間ではないかと考えられる🤔

下に降りて、本丸南面の高石垣👏
丸石が美しい弧を描く高石垣は実に見事だ👏

本丸東下にある祠🤔
「お姫様」と看板があるが、何の説明もない😅

北の丸跡は、数棟の建物が建っていたところで、武器倉庫跡とも言われる🤔また側室が住んでいた時期もあったことが記録に残っている☺️

北の丸から見る本丸‼️こちらからの方が天守台っぽいな😅

松尾山は城郭の一番東にあたり、築城当時はこの付近が本丸ではなかったかと云われている🤔
大須賀康高率いる軍勢は「横須賀衆」と呼ばれ、その中でも特に頸取(くびとり)源五郎こと渥美源五郎勝吉を筆頭とする「横須賀七人衆」の目覚ましい活躍もあり、高天神城🏯は次第に孤立無援となり、1581年3月、武田勝頼の援軍も期待出来ない中、兵糧も底を尽き、落城となった🙏

櫓門側へ戻る🚶‍♂️
高天神城🏯を奪還した家康は、城内を検視したうえで建物をすべて焼き払って🔥廃城とし、代わって地勢的に有利な横須賀城🏯を遠江南部における拠点として整備したと云う🤔

本丸南側の麓に残る三日月池🤔
横須賀城🏯に遺る唯一の堀👏

やっぱり最後は櫓門跡‼️
本当に見事だ👏

横須賀城🏯の北西にある撰要寺山門は、横須賀城🏯の不開門を移築したものだ👏

長押には「丸に立葵」の家紋がついているので、本多利長が横須賀城主であった1645〜1682年の間に築かれたものらしい🤔

横須賀城🏯の北東、本源寺山門は江戸時代中期に建てられた横須賀城🏯の搦手門を移築したものと伝えられる👏

戦国から泰平の世を見つめ、天変地異による地形そのものの改変を経ても、在りし日の姿を現在に遺してくれている😊 唯一無二の玉石垣の美しい造形☺️横須賀城🏯お見事でした👏

⑲に続く
Posted at 2021/09/20 08:25:18 | コメント(2) | トラックバック(0)
2021年07月24日 イイね!

【二俣城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑰

【二俣城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑰鳥羽山城🏯から僅か数百m、武田信玄・勝頼親子と徳川家康が激しい攻防を繰り広げた二俣城🏯へ🚐💨

鳥羽山城🏯の麓から天竜川を望む👀

腰曲輪に駐車し、いざ出陣‼️

天竜川と二俣川が合流する蜷原台地の先端部、天嶮に恵まれた比高40mほどの城山を階段状に削り取り、北から北の丸・本丸・二の丸・蔵屋敷・南の丸を配する連郭式山城で、戦国時代初頭今川氏の築城とされるが、のちに徳川家康に攻略された🤔

崖下に天竜川が見える👀

北の丸の下、東側の登城口から攻城開始‼️

北の丸と本丸を隔てる堀切は旭ヶ丘神社⛩参道になっている😳
石段の上には橋が見える👀

堀切はそのまま竪堀として落ち込む🤔

堀切に架かる橋の先は北の丸で、現在は旭ヶ丘神社⛩が祀られている🤔

本丸搦手門の喰違い虎口👏

搦手門の野面積みの石垣👏

本丸から見る搦手門😊

二俣城🏯本丸😊

天守台だ😳

天守台は、大久保忠世が武田勢と対峙していた1575年〜1582年頃の築造で、野面積みで天守の隅石には算木積みが用いられている👏

野面積みの荒々しさが堪らん😆

天守台に登ってみよう🚶‍♂️

天守台は南面の上端で 11.2m、下端で 13.8m、高さ4.0mの規模だ😳柵が無いのが👍

天守台から本丸を望む👀木が生い茂っていて分からないが、本丸の東側は崖になっている🤔

本丸西側も天竜川で隔てられた切り立った崖という天然の要害である反面、往時は水の確保が困難だった😳その為、天竜川河畔に井戸櫓を築いて釣瓶で水を汲み上げていたと云う🤔
1572年、武田信玄率いる27,000が二俣城🏯を囲むが、城代中根正照の必死の抵抗と城の要害堅固さに攻めあぐねた武田軍は、天竜川に大量の筏を流して井戸櫓を破壊し、水の手を絶たれた二俣城🏯は降伏開城したと云う😳

本丸から二の丸への虎口🤔

二の丸の所々に石垣が築かれている😳

二の丸には城山稲荷神社⛩が鎮座する🤔

二の丸土塁の脇を抜け、蔵屋敷の虎口へ🚶‍♂️

蔵屋敷🤔

二の丸と蔵屋敷を隔てる堀切👏

蔵屋敷奥の土塁には石垣が見られる🤔
藪が凄すぎてこれ以上進むのは断念🥲

先ほどの堀切を東側から👀

大手門👏左右の石垣で全く異なる顔を魅せる😊

右袖の石垣は野面積みながら目地の揃った布積みとなっている👏

二の丸の土塁☺️

二の丸と本丸を繋ぐ中仕切門の喰違い虎口👏

手前は枡形となっている🤔

二俣城🏯は徳川家康の嫡男徳川信康が最期を遂げた地としても知られている🤔
1579年、信康は謀叛の廉で岡崎城🏯を追われ、8月4日には三河の大浜城🏯に蟄居、8月9日には遠江の堀江城🏯に身柄を移され、その後、二俣城🏯に移されたうえ、9月15日に家康の命により切腹させられた😨享年21歳🙏

介錯は服部半蔵正成であったが、涙💧のあまり、刀を振り下ろせず、検死役の天方山城守通経が介錯したあと、出家したと云う😢
二俣城🏯の麓には信康の菩提を弔うため、家康が建立した清瀧寺がある🤔

本田宗一郎ものづくり伝承館の駐車場に駐める🚐

ここ浜松市天竜区は世界のホンダの創業者本田宗一郎の生まれ育った地でもある😳

静岡県浜松市天竜区にある浄土宗知恩院の末寺、山号は「信康山」院号は「長安院」で、正式名称は「信康山長安院清瀧寺」

武田軍によって破壊された二俣城🏯の井戸櫓が、ここ清瀧寺に復元されている😳

清瀧寺参道入口にある「信康堂」
周りには「文武両道の若武者 岡崎三郎信康公の街」と書かれた幟が立つ🤔
生前は徳川信康と名乗っていたというが、将軍家でも御三家、御三卿でもないため、信康は死後になって「岡崎三郎松平信康」に格下げされたと云う😳

堂内に安置されている徳川信康の木像🤔
信康の死については、今川の血を引く姑の築山殿との不仲から信康とも不和になった徳姫が、父・織田信長に「信康との不仲」「信康の非道」「築山殿の武田勝頼との内通」などを記した12箇条の手紙を送り、織田信長の命によって切腹に追い込まれたというのが定説だが「家康の忠誠度を信長が試した説」「信長が信康の武勇を羨み、我が子の将来を危ぶんだ説」「家康との親子不仲説」「信康を担ぐ岡崎衆と浜松との派閥抗争説」「信康と家臣団の対立説」など諸説ある🤔
何れにせよ、あくまでも家康自身の苦渋の決断だったことは間違いない😢

坂を登った先にある清瀧寺山門👏
母築山殿は信康に先立つ8月29日、二俣城🏯への護送中に佐鳴湖の畔で、徳川家家臣の岡本時仲、野中重政により殺害された🙏

清瀧寺本堂🤔

二俣尋常高等小学校に通う幼き日の本田宗一郎が、正午を知らせる寺の鐘を30分早く衝き、まんまと早弁🍙にありつけたとの逸話も残る梵鐘😆

ひっそりと佇む信康廟の門☺️
15歳で初陣した信康は、「長篠の戦い」をはじめ、「小山城攻め」や「横須賀城の戦い」など武田軍との激闘に身を投じ、数多くの武功を挙げ、その名を轟かせた👏

奥に信康廟が見える👀
剛毅英邁、武勇に秀でた武将だったにも拘らず、いや、その猛々しさから悲劇を招いた徳川信康😢
そして、その悲劇の舞台となった二俣城🏯
徳川・武田が鎬を削ったまさに闘う城‼️
二俣城🏯お見事でした👏

⑱に続く
Posted at 2021/09/17 20:53:57 | コメント(2) | トラックバック(0)
2021年07月24日 イイね!

【鳥羽山城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑯

【鳥羽山城】駿遠三尾弾丸城めぐり一人旅⑯弾丸城めぐりも最終日🥲朝5時から行動開始‼️
先ずは、徳川氏と武田氏が鎬を削った鳥羽山城🏯へ🚐💨

天竜川が山塊から平野に流れ出る扇頂部に位置する二俣川と阿多古川が天竜川本流に合流する地点、二俣城🏯を囲う様に、北に蜷原砦、東に毘沙門堂砦、西に和田ヶ島砦が築かれ、南西に僅か500mほどの位置に鳥羽山城🏯が対峙する様に聳えている👏

鳥羽山城🏯は、標高108m(比高60m)の鳥羽山(本城山)に築かれた連郭式山城で、1575年、徳川家康が武田方の二俣城🏯攻めの砦として築いた記録が残るが、1560年の「桶狭間の戦い」後に今川方が築いていた説もある🤔
家康の関東転封により、豊臣方の堀尾吉晴が鳥羽山城🏯と二俣城🏯の両城を領有すると、鳥羽山城🏯は居住・政治・迎賓の場として、二俣城🏯は戦時施設としてお互いの機能を補完しあう「一城別郭」という形になった😳

南の丸に設けられた駐車場🚐
早朝なので、誰も居ない😊

東に少し降った大手道入口から攻城開始‼️

大手道脇には所々に石垣が見れる😳

広い大手道は鳥羽山城🏯の大きな特徴だ🤔

東の丸Iの東側に小規模な堀切が見られる🤔
左手の土塁は櫓台を思わせる形状だ🤔

発掘調査より、大手道の両脇を堅める石垣は埋没部分が1m以上あり、大手道の幅も約6m(最大9m)の規模であり、静岡県内にある城郭では最大規模の通路幅を持つ城ということが判明した😳
広く真っ直ぐに緩やかな勾配で伸びる大手道は、「戦う城」というよりも、「権力を象徴する城」といった感じだ🤔

往時の大手道はかなり立派だったのだろう🤔

まるで古代遺跡の様に草に覆われ、蔦の絡まる石垣が顔を覗かせる👏

大手道を抜けると本丸土塁の石垣が立ちはだかる👏
ここ東の丸の南側は南北 10 m、東西 30 m ほどの細長い曲輪形状となっている🤔

東の丸北側には南北15 m、東西35 mほどの規模の三角形の曲輪がある🤔

本丸南東隅の石段から本丸鉢巻石垣脇を犬走り状に進むと本丸東門に至る😳

荒々しい野面積みの本丸南東隅の石垣👏

大手門へと近づくにつれ、両脇の石垣が高く顕著になっていく👏

大手門へは外枡形を経て、北に直角に折れる☺️

本丸正面の大手門は野面積みの石垣で組まれた外枡形虎口で、石垣開口部は幅6m、奥行6mで左右に6個の門柱礎石が遺る👏
複雑に入り組んだ石垣の造作が施された大手門には排水路も設けられ、石材も他所と較べて大きなものを使用していることから、景観を重視していたと考えられている🤔

左袖石垣基部には暗渠も見られる👏

大手門をくぐり左手の土塁は低く、腰巻石垣になっている☺️

鳥羽山城🏯の最も高い位置に築かれ、四方を巨大な土塁で囲まれた本丸は、南北80m、東西45mの規模を誇り、南側に大手門、北側に搦手門、東側に東門があり、また東側の土塁際には礎石建物の一部が確認されている🤔

本丸南側土塁には櫓門の様な展望台が設置されている😳

展望台からの眺望👀
眼下の天竜川は木々が生い茂っていてほんの僅かしか見えなかった🥲

本丸西側土塁上へ🚶‍♂️

土塁上はかなり狭い🤔

本丸の東側にある庭園遺構😳
山城に庭園を設けた例は少なく、鳥羽山城🏯が迎賓機能を備えた居館であったことを示す証拠だ🤔

なんかステージみたいなものもある😳

本丸東面の土塁へ🚶‍♂️
本丸を取り囲む土塁はほぼ完全に現存していて、東側で高さ3m、北東部で高さ4mほどある😳

不思議な遊具と防災サイレンがある😅
土塁上のスペースでこの遊具で一人遊ぶ絵面を想像すると実にシュールだ😆

木橋が架かっている😳
下に降りてみる🚶‍♂️

土塁東側に開口する埋門の様なこの場所は、本丸東門で、幅2m、奥行4mの小規模な門だ👏

東門も大手門同様に外桝形が形成されている👏
写真だと分かりづらいが、右端の地面には暗渠もある😳

本丸東面には鉢巻石垣が築かれている😳

東門から大手門にかけては鉢巻石垣が良好に現存している👏

東の丸にかかる部分は鳥羽山城🏯の石垣の中でも最も高い😳

本丸土塁北側に開口する搦手門🤔

搦手門は幅6.5 mの規模で、両脇に石垣が遺る👏
何故⁉️二俣城🏯と対峙する北側に搦手があるのだろう🤔

西の丸にあたる笹曲輪☺️

本丸西側の土塁には鉢巻石垣と腰巻石垣が上下二段にわたり、 構築されている👏

上段の鉢巻石垣は総延長90mほどが現存している😳

往時は大手門から搦手門まで全周していたと考えられる👏

そしてなんと‼️今年2021年2月中旬に新たな石垣が見つかった😳
鳥羽山公園愛護会の会員が、広場の草刈り作業中に見つけたと云う👏

土塁南西の角が出隅になっていたことから本丸南西角の上部には櫓が築かれていたとも考えられている👏
堀尾氏が出雲国富田に24万石で転封すると二俣城🏯と同時期に鳥羽山城🏯も廃城になったと考えられている🤔

荒々しい野面積みの石垣を随所に遺し、戦国〜泰平の過渡期の姿を魅せる鳥羽山城🏯お見事でした👏

⑰に続く
Posted at 2021/09/12 23:46:49 | コメント(2) | トラックバック(0)

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「@はらペコ星人 さん
ん〜全く分からずです😅
今夏は越前攻めしたいですね😆」
何シテル?   04/23 19:13
ATSUPHARD改め、ATSUP_HARDです。よろしくお願いします。
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