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2021年08月21日 イイね!

【青葉城】独眼竜と陸奥国城めぐり④

【青葉城】独眼竜と陸奥国城めぐり④ブログ作成まで2ヶ月を要す為体ですが…😅
ツアーのラストを飾るのは、奥州の覇者、独眼竜の異名を持つ伊達政宗の城、青葉城🏯へ🚐💨
「青葉城」は「仙台城」の雅称で、「五城楼」の別名もある🤔

やっぱ伊達政宗所用の黒漆五枚胴具足を見たい‼️

ってことで、青葉城🏯東の丸に建つ仙台市博物館に寄ったら、今年2月の地震の影響で「古代エジプト展」以外は休館になっていた😭
昔、本場カイロの「エジプト考古学博物館」を見てるので今回はパス😅

伊達政宗の胸像も被災し、兜の三日月🌙の前立てが強い揺れで先端から64㎝ほどが折れたと云う😳
伊達政宗の像と言えば、青葉城🏯本丸の騎馬像が有名だが、実は「三代目」だということはあまり知られていない🤔
「ニ代目」の像は、宮城県大崎市の岩出山城🏯にあり、「初代」騎馬像こそ、この胸像なのだ😳
第二次世界大戦✈︎の最中、軍事供出により、伊達政宗像にも出陣要請の「赤紙」が届いたのだと云う😳
戦後、金属集積場でバラバラの状態で見つかり、胸像として復活した😳
まさに、銅像にも歴史あり👏

青葉城🏯は、東には大きく湾曲する広瀬川、南は竜ノ口渓谷、西には御裏林と呼ばれる山林🌲🌲が広がる標高203mの河岸段丘状の青葉山に築かれた連郭式平山城で、藩祖伊達政宗以降、伊達氏13人の歴代藩主がおよそ270年の長きにわたり治めた城だ👏

青葉城🏯の堀にあたる長沼🤔

周辺には土塁が遺る🤔

子の門👏

大手門跡🤔
1945年の仙台空襲✈︎で焼失🔥してしまった😭
大手門復元の計画もあるらしい😳

右手には二の丸石垣👏

左手には大手門東隅櫓👏

大手門東隅櫓は、青葉城🏯唯一の再建建造物だ👏

支倉常長像
伊達政宗の使節として慶長18年月ノ浦を出帆⛵️し、太平洋・大西洋を横断、ローマに至り教皇パウロ五世に謁見した😳

現在の東隅櫓は屋根の形状などに史実と異なる点があることや、老朽化しているなどの理由から一度解体し、大手門と一体的に復元するらしい😳

東丸に戻り、巽門側から登城する🚶‍♂️

造酒屋敷跡🤔

清水門👏

巽門から沢門への上り坂の途中にあった門で、付近に湧水⛲️があったことから「清水門」と呼ばれ、かつては二層の門が建っていた🤔
野面積みの石垣が荒々しく👍

沢門の下側にも野面積みの石垣👏

沢門跡🤔
中門側は歩道が通行禁止になってしまっていて断念🥲

通行量の激しいワインディングを進むと目の前に本丸北面石垣が見えて来た😳

行手を阻む様に聳え立つ👏

かつては、この上に更に三層の艮櫓が聳え立っていた😳

圧倒的な迫力👏
流石は伊達氏の居城👏

美しい切込接ぎ😍石垣の美しいクビレが堪らん☺️

清水門の野面積みとは打って変わって、整然とした布積み👏

隅石の稜線を削り出し一直線に仕上げる「江戸切り」が施され、弓形の反り勾配も美しい👏

長さ179mにわたる本丸北面石垣はまさに圧巻👏
高さは最も高いところで17mある😳

東脇櫓の櫓台👏
かつて本丸北面石垣の上には、艮櫓・東脇櫓・西脇櫓の3基の三重櫓が建っていた😳

青葉城🏯詰門‼️
現在は宮城縣護国神社⛩の参道になっている🤔

右手には西脇櫓の櫓台👏

青葉城🏯本丸に鎮座する宮城縣護国神社⛩
青葉城🏯の土地の権利関係は複雑で、護国神社や東北大学が大半を所有し、一部を仙台市が青葉山公園として管理している🤯
護国神社⛩は「青葉城」と呼称し、仙台市は「仙台城」と云う😥2003年に国の史跡「仙台城跡」として登録されてからは「仙台城」が一般的な呼び名らしい🤔子供の頃に行った時は「青葉城」って呼んでたけどな…😅

宮城縣護国神社⛩の拝殿🙏

明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係あるいは縁故のある戦死・殉難者、五万六千余柱を祀り、神紋は十五菊に桜だ🤔

「昭忠碑」
正面の猛禽類のブロンズ像は、『日本書紀』において神武天皇の軍を勝利に導いたとされる金色の鵄(トビ)をモチーフとしている🤔
もともとは塔頂部に据えられていたが、東日本大震災で落下し、現在の台座に据えられたとのこと😳

青葉城🏯と言えばコレ‼️
伊達政宗公騎馬像👏

個人的な銅像ランキング3指に入るカッコ良さ👏

政宗は生前、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という話しをしており、死後作られた像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられていると云う🤔

青葉城🏯本丸からの眺望👏
本丸東側の崖は高さ64mある😳
政宗もここから城下を眺めたと思うと胸アツだ☺️

艮櫓‼️

青葉城🏯の本丸は東西245m、南北267mの広大な敷地で、俗に「千畳敷」ともいわれる広大な「大広間」があった😳
大広間は、梅村彦左衛門・彦作父子が大工棟梁として京より招かれ、彦左衛門が紀伊より呼び寄せた天下無双の匠人「刑部左衛門国次」と共に造りあげた🤔

大広間のイメージCG
絢爛豪華な桃山様式の大広間の上段の間には、狩野派の狩野左京が描いた障壁画「鳳凰図」が飾られていた🤔鳳凰図の実物は瑞巌寺にあると云う😳

別宮浦安宮⛩
この裏の高台が天守台と云われている😳
徳川家康に敵意の無いことを示すため、青葉城🏯には天守閣は築かれなかったと云う🤔

巽櫓跡🤔

京都の「清水の舞台」の様に、崖に迫り出す建物があった懸造跡🤔
左前方の山は、瑞鳳殿のある経ヶ峯だ😳

青葉城本丸会館には仙台藩の具足も展示されている🤔

埋門跡🤔

本丸南側の虎口である埋門は、クランク状に二度折れする防御性の高い門だった🤔

埋門を出て交通量の多い峠道を西側に進む🚶‍♂️💦

本丸酉門跡😳
現在は立入禁止🚧で柵越しでしか見られない🥲

石垣に囲まれた虎口の奥は桝形になっている様だ😳

隅石の左手は切込接ぎの布積み、右手は崩壊したのか野面積みの乱積み😅

整然とした布積みの石垣が続く👏

コーナーに迫り出す隅石は、いつか誰かがぶつける💥🚐んじゃないかとヒヤヒヤさせられる😥

隅石を越えると石垣は表情を変え、荒々しい野面積みの石垣が現れる👏

本丸西面の石垣👏

江戸時代に石垣が築かれて以降、度々の崩落と積み直しにより、くっきりと境目がわかる👏こうして見ると、改めて算木積みって頑丈なんだなと感じる🤔

延々と続く本丸西面石垣👏

本丸西脇櫓が見えて来た👏

最後に本丸西面石垣を振り返る👏

約2万坪に及ぶ大規模城郭は、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることがなかったが、第二次世界大戦の仙台空襲✈︎により焼失🔥したのは、残念でならない😭
今尚威容を誇り、時代ごとに様々な顔を魅せる石垣が、往時の伊達氏の栄華を物語る☺️
陸奥国城めぐりのラストを飾るに相応しい独眼竜政宗の青葉城🏯お見事でした👏
Posted at 2021/10/30 17:36:12 | コメント(1) | トラックバック(0)
2021年08月21日 イイね!

【大崎八幡宮・瑞鳳殿】独眼竜と陸奥国城めぐり③

【大崎八幡宮・瑞鳳殿】独眼竜と陸奥国城めぐり③2日目も自由時間を満喫☺️
伊達政宗ゆかりの地をめぐる😊
先ずは大崎八幡宮⛩へ🚐💨

大崎八幡宮⛩は、坂上田村麻呂が東夷征伐に際し、武運長久を祈念すべく勧請した宇佐八幡宮⛩を、室町時代に奥州管領大崎氏が遷祀したことに由来する🤔

1661〜1672年頃建立の重要文化財の大崎八幡宮長床👏
桁行九間、梁間三間の入母屋造で、中央が通路になっている「割拝殿」の形式になっている🤔

奉納された弓矢🏹

御社殿の前にテントが張られててよく見えない😥

国宝御社殿👏
大崎氏の滅亡後は伊達政宗が仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風を示すべく、豊臣家召抱えの梅村日向守家次・梅村三十郎頼次・刑部左衛門国次・鍛冶雅楽助吉家といった当代随一の巨匠を招き造営された豪壮にして華麗なる御社殿は安土桃山文化を今に伝える我国最古の建造物として国宝建造物に指定されている👏

続いて瑞鳳殿へ🚐💨

仙台城🏯の本丸跡と向かい合う経ヶ峯に位置する🤔

瑞鳳寺山門😳
1637年、仙台藩2代藩主伊達忠宗によって、藩祖伊達政宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に香華院として創建された🤔

臨済宗妙心寺派の仏教寺院で、山号は正宗山、本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像だ🤔

宮城県仙台市青葉区霊屋下にある伊達家の霊廟だ☺️元々の霊廟は戦災により焼失🔥したが、現在は復元されている👏

瑞鳳殿の参道を登る🚶‍♂️💦

現在は泉が涸れてしまった手水所跡🤔

瑞鳳殿の正面に建つ「涅槃門」👏

涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて再建されている👏

涅槃門の次は拝殿👏
焼失🔥前の拝殿は瑞鳳殿の床面と同じ高さになっていたが、現在は瑞鳳殿がよく見えるよう簡略化されていると云う🤔

拝殿の次は唐門😳

仙台藩祖伊達政宗公霊廟「瑞鳳殿」👏
1636年、70歳の生涯を閉じた伊達政宗の遺命により、ここ経ヶ峯に造営された霊屋で、戦災✈︎により焼失🔥したが、1979年の再建、2001年の大改修を経て、創建当時の姿が甦った👏

桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年に国宝に指定されていた🥲

続いて、1664年に四代藩主伊達綱村公によって建立された「感仙殿」へ🚶‍♂️

廟門(四脚門)

二代藩主伊達忠宗公霊廟「感仙殿」👏

瑞鳳殿と同様に本殿、唐門、拝殿、御供所、廟門などの建築からなる華麗なものだったが、明治初年に廃仏毀釈の影響を受け、本殿以外は取り壊された🥲
瑞鳳殿とともに国宝に指定されていたが、戦災✈︎で残された本殿も焼失🔥した😭

現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、1985年に完成した😊
感仙殿の傍の宝篋印塔は、忠宗公に殉死した家臣12名、陪臣4名の供養塔だ🙏

感仙殿のすぐ左隣には、三代藩主伊達綱宗公の霊屋「善應殿」が建つ👏
善應殿は、瑞鳳殿、感仙殿よりは簡素な装飾であったものの、落ち着いた佇まいの風情ある霊屋であったと伝えられる🤔

感仙殿と同様に本殿以外は破却され、戦災✈︎で焼失🔥という運命を辿った🥲
綱宗公の死去は殉死の禁令以降であったため殉死者は無い🤔

「瑞鳳殿」「感仙殿」「善應殿」の三廟の正面の扉は、伊達家の家紋「竹に雀紋」の装飾が施されているが、その紋を囲む小さな紋はそれぞれの廟で違いがある😳

伊達政宗公の瑞鳳殿は「竹に雀」「九曜紋」に、小さな「菊紋」も打たれている👏

伊達忠宗公の感仙殿は「竹に雀」「九曜紋」に、小さな「九曜紋」があしらわれている🤔

伊達綱宗公の善應殿は「竹に雀」「三つ引両紋」に、小さな「三つ引両紋」で装飾されている😳

廃仏毀釈、戦災によって国宝が失われたことは残念でならないが、復元された極彩色の豪華絢爛な霊廟と経ヶ峯の神聖で厳かな雰囲気が往時を偲ばせてくれる👏

④に続く
Posted at 2021/10/21 12:08:21 | コメント(3) | トラックバック(0)
2021年08月21日 イイね!

独眼竜政宗に会いに

独眼竜政宗に会いに愛娘ののっぴきならない野暮用も2日目😅
別行動がほとんどなので、車🚐での移動と食事が楽しみ😊

せっかく来たんだからと三陸ホタテ丼をご馳走させていただきました😅

自由時間が多く、伊達政宗ゆかりの地を巡り三昧😊
でも、帰りは午前様になりそう😭

城攻めブログは、溜まりまくっているので、また後日😅
Posted at 2021/08/21 17:28:58 | コメント(2) | トラックバック(0)
2021年08月20日 イイね!

【多賀城+松島】独眼竜と陸奥国城めぐり②

【多賀城+松島】独眼竜と陸奥国城めぐり②またまたアップ⤴️が遅くなってしまったが、城めぐりの続き😅
娘と別行動になり、日本三景「松島」を見ようと「西行戻しの松公園」へ🚐💨

西行法師が諸国行脚の折、松の下で出会った童子との禅問答に敗れ、松島行きを諦めたと伝えられる場所で、松島湾を箱庭のように一望できるビュースポットとしても有名だ☺️

公園内には260本余りの桜の木が植っているそうで、桜🌸の季節はサイコーらしい😅

高台に建つ白衣観音堂🙏

ん〜絶景☺️

続いて、日本百名城のひとつ多賀城🏯へ🚐💨

多賀城🏯は、松島丘陵の南東に位置する塩釜丘陵上に築かれた古代城柵で、724年、奈良平城京の律令政府が蝦夷支配の軍事拠点として、鎮守府将軍大野東人に築かせた😳
平時は陸奥国を治める国府として機能し、古代東北の政治・軍事・文化の中心として栄え、その規模は約900m四方からなる👏

およそ1300年前の形が遺っていることが凄い👏
奈良県の「平城京」、福岡県の「太宰府」とともに「日本三大史跡」に数えられ、国の特別史跡として保存されている😳

多賀城🏯の外郭南門のそばに建つ、栃木県の那須国造碑・群馬県の多胡碑とともに「日本三古碑」のひとつに数えられる「多賀城碑」を保護する覆堂😳

奈良時代、762年12月1日に建てられた古碑で、高さ196㎝・幅92㎝の碑面には、724年の多賀城創建と762年の改修や当時の地理などが刻まれている👏
江戸時代には松尾芭蕉が訪れ、対面した感激を『奥の細道』に記している😳

外郭南門は復元工事中👷‍♀️
全面瓦葺、入母屋造りの二重門とし、奈良時代後半の造営2期の姿を実物大で再現する😳

高さ13.8m、間口10.5m、奥行6.6m、門の土台となる基壇の大きさは15.9m×12mの規模になるという😳
また東側に長さ約18m、西側に約25m、高さ約4.5mの築地塀も復元するそうだ👏
リベンジしたいわ😭

南大路を望む👀

南大路脇には石垣が復元されている😳

この時代で打込接ぎって…😅

城前地区は復元整備工事👷‍♀️で入れない🥲

これぞ多賀城🏯というショット📸

圧巻の規模の政庁南大路の階段👏

広大な政庁地区の入口、政庁南門跡🤔

政庁のある頂上部は泥土で固めた築地塀で囲まれ、北を除く三方向に門が設けられていた🤔

築地塀と土塁の跡🤔

側溝跡🤔

多賀城政庁正殿跡🤔

かつてはこのような正殿が建っていたそうだ🤔

政庁を囲む土塁跡🤔

1300年の歳月を経ても変わらないのは、政庁地区からの南大路の眺めだろう☺️
多賀城🏯は8世紀初頭から11世紀半ばまで存続し、大きく4回の造営がされた🤔
780年には伊治公砦麻呂の反乱で焼失🔥
869年の貞観地震では建物が倒壊した上、城下を襲った津波🌊による溺死者は千人に及んだと云う🙏

なんか天下取った気分になる😁

往時の隆盛を思い起こさせる眺めだ👏

さすがに見どころは少ないが、1300年の悠久の年月を肌で感じられる多賀城🏯でした👏
Posted at 2021/10/16 18:15:20 | コメント(2) | トラックバック(0)
2021年08月20日 イイね!

【白石城】独眼竜と陸奥国城めぐり①

【白石城】独眼竜と陸奥国城めぐり①娘の用事に付き合わされ「喜んで😅」仙台へ🚐💨
せっかくなので続日本百名城のひとつ白石城🏯へ

白石市役所に併設されている駐車場に駐め、「城来路(シロクロード)」を通り、いざ攻城‼️

白石城🏯は、奥羽山脈と阿武隈高地に囲まれた白石盆地にある標高76m、比高20mほどの独立丘陵地の北端に築かれた梯郭式平山城で、丘陵の頂きに本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪を置き、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪、平地部分には三ノ丸・外曲輪という六丸五曲輪構成だ👏
奥州街道が南北に縦断し、西は米沢、東は相馬へと繋がる交通の要衝に位置する🤔

三ノ丸側から進むと帯曲輪下の切岸に堀跡と思われる水路が続く🤔

登城口で折り返して坂を登る💦
左手は本丸の切岸だ😳

二ノ丸大手二ノ門跡‼️
城の東側にある奥州街道沿いの大手口から二ノ丸へ通ずる門だった😳

白石城🏯の二ノ丸大手ニノ門は市内の当信寺山門として移築現存する👏

野面積みと切込接ぎの石垣が同居する本丸跡外郭石垣👏

「歴史探訪ミュージアム」に展示されている白石城🏯の模型😳
白石城🏯の築城時期は不明とされ、伊達氏の城であったが、豊臣秀吉の奥州仕置以降は、蒲生氏郷の家臣蒲生郷成が入り、近世城郭へと改修した🤔
1600年、徳川家康の会津征伐に乗じて、伊達政宗が白石城🏯を攻め取り、1602年には政宗の側近である片倉小十郎景綱が白石城🏯を受領した🤔

伊達政宗の腹心片倉小十郎景綱☺️
政宗がまだ梵天丸のころ、天然痘の後遺症により外に飛び出てしまった右目👁を刀で潰すよう近習たちに命じたが、恐れて誰も従うものはなかった😨
そこで景綱は切腹覚悟で、小刀で政宗の右目を潰したと云う😳

片倉小十郎景綱の「神符八日月前立筋兜」のレプリカ☺️

滑らかな弧を描く本丸石垣👏

土塀には狭間が並ぶ🤔

本丸には天守の代用として、大櫓(三階櫓)が建っていた👏
仙台城🏯の支城という格と幕府への配慮から天守の名を憚り、「大櫓」と名づけられたと云う🤔

1823年の構造に基づき、忠実に木造復元された複合式層塔型三重三階の大櫓(三階櫓)👏

古絵図にも描かれている井戸屋形🤔

本丸は高さ9.3mの石垣上にあり、大櫓の高さはその石垣天端から約16.7mで、合計26mの姿はまさに圧巻だ😳
戦後の木造復元天守のなかでは高さ・広さ共に日本最大級だ👏

厩口門跡🤔
実はこの厩口門も市内の延命寺に移築現存している👏

片倉家屏風絵による厩口門は、入り母家風に描かれているが、移築の際、屋根は切り妻に、一階両側の壁に「火灯窓」、二階に「眼象窓」を設け、山門らしく改造されたと伝えられる🤔

大櫓の石垣は野趣溢れる野面積みで、復元に野面積みを採用したのは、全国でも白石城🏯が初めてとのこと😳

二ノ丸から大櫓をパチリ📸
右の銅像は、白石市出身の身長194cm、体重134kgの巨漢力士‼️明治の大横綱「大砲万右エ門(おおづつ まんえもん)」だ😳

二ノ丸と本丸に挟まれた馬場跡🐴
左手は未申櫓の切岸だ🤔

二ノ丸には神明社⛩が鎮座する🙏

手水社と白石城🏯大櫓😊

神門☺️

平安時代初期の807年、征夷大将軍・坂上田村麻呂の勧請が創始とされ、その後藤原秀衡、蒲生氏郷、上杉景勝に庇護された👏
1600年、「白石城の戦い」によって伊達政宗が城を奪取したのち、片倉景綱が城主となり片倉家の崇敬社、白石城🏯の鎮守社となった🤔

拝殿🙏

御祭神は、天照皇大神・天御中主神・高御産巢日神・神産巢日神に、伊達政宗公(神号 武振彦命)・片倉小十郎景綱公(神号 奇敏鎌田彦命刈)も合祀されている😳

大手門より本丸へ🚶‍♂️

復元された大手一ノ門👏
小さな塀中門で菱門とも呼ばれ、桝形に入る前に敵の勢いを止めるため、狭く扉がないのが特徴🤔

復元された大手二ノ門👏
桝形は土塀で囲まれ、大手二ノ門前で折り曲げる工夫がされている🤔
重厚な櫓門には鉄砲狭間が配され、敵兵を一網打尽にする備えだ😳

本丸に入り、大手二ノ門と大櫓を望む👏

本丸を囲う土塁を貫く裏御門跡☺️

本丸辰巳櫓跡☺️

本丸土塁の上を歩いてみる🚶‍♂️💦
北半面と違い、南半面は中世城郭の雰囲気が顔を覗かせる☺️

本丸跡にデーンと建つのは…よくある「忠魂碑」かと思ったら、「片倉小十郎景綱頌徳碑」👏
初代「小十郎」の通称は片倉家代々当主が踏襲するようになった☺️

「片倉小十郎景綱頌徳碑」と大櫓📸

「白石城」の碑と大櫓📸

二ノ丸側からの姿とはまた異なる壮麗な佇まいだ🤔

大櫓の東の鐘堂☺️
鐘は伊達郡桑折町の傳来寺に買い取られたそうだ😅

大櫓には付櫓が付されている☺️

大櫓と土塀の間にスペースがあり付櫓からの通用口になっている😳外観を大きく見せる工夫だろうか🤔

本丸土塁に遺る石垣👏

大櫓と本丸土塁☺️石段には大きな覆屋が施されている🤔

石段を登り内部へ🚶‍♂️

片倉家の旗印「白地黒釣鐘」☺️
この旗印は、伊達政宗の乳母「片倉喜多」の考案と云われ、「片倉の名を天下に鳴り響かせよ」との意味と、「戦死した霊を弔い慰めるための黒鐘」との説がある🤔

白石城🏯を取り囲む夥しい旗指物が描かれた「白石城旗験屏風」の本丸には片倉家の馬印「白地黒釣鐘」が描かれている😳
実は攻められているのではなく、初代小十郎が入城した2月初卯の日を記念して、毎年、家中の旗指物を立てて祝っていたと云う🤔

黒釣鐘は、宮城県白石市の市章となっている🤔

こっちの☆は「奥羽越列藩同盟旗」🤔
戊辰戦争の際、陸奥国・出羽国・越後国の31藩が、新政府軍に対抗するために結成した同盟はここ白石城🏯で結ばれた🤔

北側と西側には石落があり、壁には矢狭間と鉄砲狭間が備えられている👏

後ろに掲げられた絵は、景綱の子、鬼の小十郎こと片倉小十郎重綱が大坂の夏の陣の大勝に感謝し、山城国愛宕神社⛩に奉納した「烏天狗と猪の大絵馬」を描いたもの👏

やっぱり急な階段☺️

武者走り☺️

けっこう広い大櫓の最上階🤔

最上階からの眺望👀
一ノ門から二ノ門へと狭まり角度をつけて広がる大手桝形の構造がよくわかる🤔

片倉小十郎景綱は、かつて豊臣秀吉から直臣に誘われたほど、有能な人物で、伊達政宗の家臣でありながら、破格の15000石の大名並みの禄を受けていた😳
幕府の一国一城令を白石城🏯が免れたのも、景綱の力量と功績を認められたことが一因とも云われている🤔以降、明治維新までの260年以上の長きにわたり、片倉家の居城として存続し、現在も随所に往時の面影を遺している白石城🏯お見事でした👏
Posted at 2021/10/07 15:18:14 | コメント(3) | トラックバック(0)

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何シテル?   04/28 12:33
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