(引用元)
〉聴こえない音を聴く脳を見る | Talk -対話を通して-:[音で探る関わり] 音は身体全体で感じている:大橋力×中村桂子
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https://www.brh.co.jp/publication/journal/049/talk_index.html#5
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(大橋)
次に、音楽を感じる脳はどこか。そこはミクロな揺らぎに満ちた連続音を扱う複雑性の世界です。
音に関わる脳の働きを測る指標について検討を重ねた結果、私たちは脳波※註13α波による評価方法を改良しました。様々な音を流して、聴く人の脳の活性状態を見る。単純な音符で示せるような定常性の音に対するα波の反応はあまりよくなく、とても複雑な構造の生音を流すと、報酬系の回路の活性化がα波に反映するのです。
脳波測定で重要なのは、被験者が音を聴く環境です。ところが脳波測定の検査室は一般に、窓はないし、見慣れない計測機械ばかり。実に殺伐としており、何をされるかと不安にならずにいられない怖い部屋です(笑)。
(中村)
リラックスして、気持ちよく音を聴いてもらえる状況を整えることが、最初にやるべきこと。
註13:脳波
【electroencephalogram】脳から自発的に発生する電位変動。精神活動、感覚刺激、意識水準に伴って変動する。脳波のうち10Hz前後のやや規則的な成分をα波という。
(大橋)
いい音は、脳の報酬系を活性化しますから、それを台無しにする環境では感性反応の測定はできません。観葉植物や絵画などの調度品も整え、残響可変装置なども無味乾燥な合成樹脂の製品はダメ。アコースティックな音体験を追求して、響きがよいピアノに用いられるサクラ材やインドから取寄せた大理石など、反射材、吸音材には、すべて上質の自然の素材を用いた。微妙な脳電位を計測する厳密さが求められたこともあり、脳波データを無線のFM多重送信で送れるようにし、配線ケーブルは床下に入れて目に触れないように整備した。被験者がくつろいで、気楽に音楽を聴きながら、脳波を測れるようにと、考えられる限りの工夫を凝らしたのです。
次は、音源として何を選ぶか。目的は、超高周波の空気振動の影響を見るのですから、可能な限り強烈な高周波を含むものがよいわけです。実は、その頃、世界最大の民族音楽コレクションのスーパーバイザーをレコード会社から依頼されて、あちこち録音しに行っていたのです。その時、生音を聴いた自分自身の感覚から、「これだ」と選んだのが、バリ島のガムラン※註14でした。
註14:ガムラン【gamelan】「たたかれるもの」の意。インドネシアの器楽合奏音楽。木製、竹製、金属製の打楽器を用い、儀式、演劇、踊りの伴奏とする。
(中村)
芸能山城組といえばガムランということになっていますが、そうなった経緯はそこにあったんですね。
(大橋)
現場で肌で感じ、日本に帰って分析してみるとやはり当たりだった。ここは非常に大事なところで、音とは波形を見て判断するものでなく、まず聴いて、音そのものから自分で判断するものです。今は、客観性を求めるあまり、波形という視覚情報を頼りに音を判断するようになってしまった。音響学の仕事から聴覚が消えている。サウンドスケープを提唱したマリ・シェーファー※註15もここに危機感を感じて警告しています。
註15:マリ・シェーファー
【R. Murray Schafer】1933年オンタリオ生れ。作曲家・音楽教育家。トロント王立音楽院で作曲を学ぶ。騒音についての講座をきっかけに、1965年頃から世界の音環境の調査研究を組織的に展開し、「内側からのサウンドスケープ・デザイン」を提唱する。著『世界の調律』『サウンド・エデュケーション』など。
(中村)
聴かずに、見て判断するときには、脳の中も意識型の処理になっているのでしょうね。つまり音の独自性を生かしていない。
(大橋)
 見て確かめるのは、後でよいわけです。
こうして準備万端整えて、ガムラン音を被験者に聴いてもらったら、知覚限界をこえる高周波を含む音を聴いていると脳波α波が増強されたのです。しかもその効果の発現や消退には、時間的な遅延・残留が認められました。さらに、20kHzまでの可聴領域の音はそのままに、聴こえない超高周波部分を人工的な合成高周波にすり換えるとどうなるか。脳は決して騙されません。もともとガムランに含まれている超高周波は複雑な時間構造を持っています。人工的な合成音は定常的で、この差は大きい。
ガムラン音を、可聴領域と聴こえない超高周波とに分けた上で、ポジトロン断層法(PET※註16)で、脳波と組み合わせて脳の反応を調べました。その結果、超高周波を含む音と含まない音とで、脳のもっとも深いところにある脳幹、視床、視床下部など基幹脳と呼ぶべき領域で、統計的に有意な活性の差が見いだされたのです (図-3)。超高周波を含む音を聴いているときに基幹脳の活性は高まり、高周波をカットした音を聴いていると、音を聴いていないときよりもその活性は低下する。こうした脳の深い領域の変化を反映して、脳の報酬系や自律神経系が活性化され、さらにその「下流」にあってがんの一次防御を担当するナチュラルキラー細胞※註17の活性や、免疫グロブリン※註18の値など免疫活性が増大する。また、アドレナリンなどストレス性ホルモンが減ることもわかりました。しかも、超高周波だけ聴いてもこうした効果は発現しない。
(中村)
聴こえる音と超高周波を一緒に聴かないと活性化されないということ。
(大橋)
そう。そこで、空気振動に対する人間の反応は二次元の構造をもつという新しい仮説を立てて、ハイパーソニック・エフェクトのメカニズムを大きな矛盾なく説明することができました (図-4)。第一の次元、つまり可聴帯域20 Hz~20 kHzの空気振動成分は、古典的な聴覚神経系で処理され、「メッセージ・キャリア」として作用しているものと考えられます。一方、20kHzをこえる超高周波は、情報入力に対する人間の感受性を快感の誘起または負の刺激の緩和の方向に変調させる「モジュレータ」と考えたわけです。超高周波成分は、快感によって人間の行動を制御する報酬系の回路と、生命活動の根幹を担う自律神経、内分泌、免疫を司る生体制御系の回路を並行して活性化させます。この二つが重なるのが脳幹、視床など脳の深い部分。超高周波を含むガムランを聴くと、こうした脳の深い領域が反応して、心身の状態を適正化するとともに、快感を発生させると考えられるわけです。
(中村)
いや。直感的にはわかる一方、本当ですかって感じですね。客観的データで示したいというのはこういうことなのですね。
(大橋)
そうなんです。こうした統計的に有意性をもつデータをつみかさねて、揺らぎに満ちた超高周波を含む音が人間の脳幹・視床など基幹脳とそれに発する神経ネットワークを活性化するとともに、これに導かれた快適性の指標脳波α波の増強、ストレス性ホルモンの減少、免疫活性の増大、音のいっそう美しく快い受容の誘導、そして音をより大きな音量で聴く行動などを導くといったポジティブな効果を見出した。これらを総称して、ハイパーソニック・エフェクトと名付けています。
面白いことに、超高周波によって活性化される脳内の場所は、聴覚系に関わる脳内の部位とは重ならない。つまり、超高周波の効果は、聴覚系の神経活動とは関係なく発現しているのです。にもかかわらず、聴こえない超高周波の有無で音が違って聴こえる。こうしたハイパーソニック・エフェクトの全体像を捉えるのは、並大抵のことではありません。
最大の問題点は、可聴域上限をこえる高周波を受容する入り口が何かということでしょう。そこで新しい実験装置を作って、可聴音と超高周波とをそれぞれ独立して再生できるとイヤホンを用意しました。可聴域音と超高周波の両方をスピーカーから出すと、ハイパーソニック・エフェクトが発現します。ところが、この両方をイヤホンから呈示してもこの効果は現れません。そこで、可聴音をイヤホンから、聴こえない超高周波をスピーカーから呈示すると、強烈なハイパーソニック・エフェクトが現れる。しかし、その状態で被験者の身体を遮音材で覆うと反応が消える。これらの実験事実は、超高周波の受容が、耳を介した気導聴覚系ではなく、体表面に存在するなんらかの未知の振動受容メカニズムによっておこなわれるということを示しています。
(中村)
身体が聴いているということ?
(大橋)
聴こえる音は耳から、聴こえない音は体表面から受容される。これが我々の最新の結論です。
(中村)
空気の振動のうち、ある周波数のものは音として聴覚で認識し、他のもの、とくに高周波のものを体で受けとめる。「いい音」という感じは、聴覚だけでなく体全体で受けとめているということですね。音の全体性を改めて感じさせますね。視覚の場合、眼の向いていないところ、眼で感じる波長以外は入ってきませんからね。
Posted at 2020/06/13 08:20:53 | |
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