どうも、峠×シビックです
今回、ひとつのクルマ、バイクを所有し続けることが果たして愛情の深さとイコールなのか、ということに対して、ブログを書きながら自分なりの考えを整理してみました
それと直接関係はないですが、この、クルマとかバイクに対する愛着、執着ということに付随して、以前から書いてみたかったことを追記します
以前、みんカラを見ていた時、こんなブログがありました
その方は、長年名車と言われるモデルを乗り続けているが、最近、本当に自分はこのモデルに乗り続けたいのか、ということを自問されている内容でした
曰く、わたしがこのモデルに乗っているのは、名車と人に言われたり、見られたりするからではないか、名車を維持しなければ、という使命感で、重くて走らないこのモデルを乗り続けるのは何か違う気がする、というような心情を数回に渡って書いていらっしゃいました
その後、結局その方はそのモデルを降りて、別のモデルに乗り換えたことをブログで綴ってみえました
これと似たようなことはわたしもシビックに対してたまに感じています
手塩にかけてモディファイしたクルマだから、自分の中でこのクルマを超える価値を感じるモデルはそうそうない
でも、そのモディファイは今の使用の仕方では浮くばかり
走らせれば最高で、交差点曲がるだけでも笑顔にさせてくれるクルマだけど、もしかしたら作った義務感で乗ってる部分も少なからずあるのかな、なんてね^ ^
話は変わって、わたしは今から7年前に離婚を経験しています
結婚直後からすれ違い、結婚生活の8年間はあまり記憶にありません
8年の間に何度となく離婚を考えましたが、そう簡単に踏ん切りはつかず、結論を先送りにしていました
それに区切りをつけたのは、ある飲み会の席でのこと
「そんなん、ただ情が移ってるだけやん」
そう言われてなんだかすごく納得したと同時に、一体誰のための人生かということをもう一度考えるようになりました
そう、ただ情が移っているだけ
本当に乗り続けたいならいいですが、思い切って手を離してみれば違った世界が広がるかもしれません
まあ、人間とクルマやバイクでは話は違いますが、愛着、執着とは何か、という部分で一度書いてみたかったテーマでした
ちなみにわたしは離婚して今は幸せです
シビックは、半分は好きで気に入っているから乗っていますが、半分はなんかもったいなくて手離せない
根拠のない、まさしく執着ww
手を離せばまったく違う世界が広がるのかなあ
まあ、今半々だとして、やたら壊れたり、走りが気持ちよくなくなったら、比重は執着に寄るので、今のところはそういう心配はないですけどね^ ^
---------------------
Posted at 2021/04/21 18:27:01 | |
トラックバック(0)