「もえぎ 本店」の近くにある
綱神社は
鎌倉時代、
建久5(1194)年に創建。
現社殿は
大永年間(1521~1528)年に建立したもので、
三間社流造りの茅葺屋根。
摂社の
大倉神社は
大同2(807)年創建で
現社殿は大永7(1527)年に建立。
一間社流造りの茅葺屋根の建築。
綱神社は
宇都宮氏の氏寺・尾羽寺(おばでら)の土地に建てられた神社で、
宇都宮朝綱が公田横領の疑いで土佐に配流されたのち、
土佐の一の宮・賀茂神社に
下野に戻ることを祈願したら早く戻ることができたため、
賀茂神社を勧請して、建久5年(1194)建立したもの。
尾羽寺は今はありませんが、
綱神社本殿はその名残を伝えています。
室町時代永正年間(1504~1521)に
尾羽寺阿弥陀堂として建てられ、
のちに
地蔵院と合併した
地蔵院本堂へ。
(綱神社参道の途中からも行けます)
屋根は杮葺き(こけらぶき)型銅板葺き。
内陣は
格天井で
花鳥や鳳凰などの彩色画がはめ込まれ鮮やか。
鎌倉時代の作と見られる本堂内の春日厨子には
快慶一派作の木造阿弥陀三尊像が安置されています。
また、平安時代作の
木造阿弥陀三尊像も本堂内に安置されていますが
本堂内部は通常非公開。
古くは
中世宇都宮氏一族が
治めていた
「笠間・益子地域」。
宇都宮氏は京都とのつながりも深く
和歌をたしなみ仏教信仰も篤い一族でした。
宇都宮氏3代朝綱は
現在の益子町上大羽に隠棲。
氏寺である
「尾羽寺」を整備し、
阿弥陀堂(現地蔵院本堂)や
多宝塔(源頼朝の寄進)を建立します。
その後
地蔵院(現在とは位置が異なる)も建てられ、
堂塔が立ち並ぶ寺院地と園池を伴う浄土庭園があったと想定されています。
現在も宇都宮家代々を供養する五輪塔が並んでいます。
すばらしき、
益子の里山の風景!!
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2024/02/10 20:33:04