
本来だと全国へ遠征に出掛けて日本100名城スタンプ活動を行いたいとウズウズしてるのですが、冬場は寒いし雪の心配もあるので春になるまでは地元で大人しくしています。
しかし、欲求を少しでも満たすため、近場の城跡巡りに出掛けました。
今回は尼子十旗の一つである白鹿城です。
なお、郭や堀の遺構しか残ってない城跡であるため地味な画像の連発となりますが、何卒ご容赦のほどよろしくお願いいたします。<(_ _)>
1月24日は牛肉の日だそうで、吉野家で牛丼のお肉が120%増量になっていました。

お店に訪れ牛丼を注文します。 その際、店内に貼ってある120%増量のポスターに目をやって、お店スタッフに「キャンペーン牛丼のご注文ですね!」と言わせた。
どうやら、お店スタッフの間では”キャンペーン牛丼”のメニュー名で通ってるようです。
キャンペーン牛丼の着丼です。 牛丼並盛のお肉が120%増量となってボリューミー。

吉野家が誕生して120年、安定の美味しさでした。 どうも、ご馳走さまでした(^^♪
尼子十旗(あまごじっき)は、戦国時代に出雲国を支配した尼子氏の本城である月山富田城を防衛するため配置された主要な10の支城です。
今回は先日の高瀬城と同じく尼子十旗の一つである白鹿城の攻略に臨みました。
ちなみに、本城の
月山富田城を守る尼子十旗は、白鹿城、三沢城、
三刀屋城、赤穴城、牛尾城、
高瀬城、神西城、
熊野城、馬木城、大西城。 (攻略済みのお城はリンクを貼ってます)
白鹿城(初訪問)に向かう途中、寂しい山間の中に案内看板を見つける。
左に行けば白鹿城、右に行けば真山城。 二つの城跡が隣接して存在します。

毛利元就による侵攻では、白鹿城(尼子軍)に対する向城として真山城(毛利軍)が築かれました。
白鹿城は標高150mの山城。 登山口を探し見つけた。

この登山口自体が標高何mの位置にあるのかは不明です。
白鹿城の登山口 (西の谷登山口)
白鹿城の案内看板。

白鹿城は、戦国時代に尼子軍と毛利軍が戦った「白鹿城の戦い」の場であった。
現在地は西の谷登山口です。 登山口はもう一つ、白鹿谷登山口があったようだ。

三の床→二の床→一の床→本丸と攻める白鹿谷登山口のほうが本道に思えました。
しかし、西の谷登山口に来てしまっている。
とりあえず、そのまま本丸へショートカットする西の谷登山口から攻めることにしました。
いきなり急勾配の登山口を前にして、なかなか足を踏み入れられず躊躇する。

登ってみないと、どのくらいの道筋があるのか見当がつかない。
意を決してちょっと登ってみたら、すぐに一合目の案内表記が現れた。

頂上まであと324mだって。 なんだ、大したことなさそうだ。
寂しい山道を歩きます。 ちょっと心細い。

何故、山城を登るのか? そこに山城があるからだ。
二合目は気付かず見つからなかったが、三合目の案内表記が現れました。

頂上まであと252m。
四合目は気付かず五合目の案内表記です。 あと180m。

どらやら、奇数番号の合目しか案内表記が無いのではないかと思い始める。
案内標識が現れると安心します。 本丸へと向かう。
大井戸跡という凹んだ場所、穴があった。
六合目の案内表記は無くて、七合目の案内表記。 あと108m。
堀のように窪んだ登り道。
そこを登りきると案内標識。 本丸へと向かいます。

進めど、8合目と9合目の案内表記は無し。
いきなり本丸跡に辿り着きました。 ここが白鹿城の本丸跡。
本丸の奥まで行って振り返るとこんな感じ。 ただの雑木林となっている。

眺めの良い景色は望めず、木々の隙間から他の山々や鉄塔が垣間見れた程度。
今度は、先ほどの案内標識の反対側にあった「頂上」のほうに行ってみます。
ここが標高150mの白鹿山頂上。
そして、この頂上が一の床でした。
一の床がある頂上のほうが先ほどの本丸よりも広々としてる。
一の床にあった小さな祠。

尼子軍の戦死者を祀ったものといわれる。(-人-)
一の床から来た道の反対側にちょっとだけ進むと九合目の案内表記があった。

こちらへの道は、二の床、三の床、白鹿谷登山口へと続くようだ。
でも行かずに西の谷登山口へと戻ります。
これにて尼子十旗の一つである白鹿城は攻略としました。
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ボクスター | 日記
Posted at
2019/01/25 19:40:03