
京羅木山山頂や勝山城跡から眺めた月山富田城跡の桜が満開だったので見に行ってみたくなりました。
最初は麓や千畳平に咲く桜だけ見に来たつもりが、やっぱり月山富田城跡の山頂本丸まで登ってしまいます。
これまで何度も登った月山富田城跡ですが、今回は京羅木山や勝山城跡を意識して登ることをテーマにしてみました。
月山富田城跡は京羅木山山頂や勝山城跡から近くに見えても駐車場からは山の反対側なので山をぐるりと回って向かう。 途中ファミマに寄ってファミマ・ザ・メロンパンを買い食いしました。

ツィッターのフォロー&リツイートでメロンパン40円引きクーポンを貰ってたのでここで行使。
飯梨川越しに見る月山富田城跡です。 飯梨川沿いにはソメイヨシノが咲き並んでいます。
月山富田城跡をバックにパチリ。
月山富田城跡の麓にある歴史資料館で安来山城ガイドマップを貰いました。

今後このガイドマップを頼りに月山周辺にあるいろいろな山城を巡ってみたいと思います。
先ほどまで登っていた京羅木山とそこから東に伸びた丘陵の一帯です。
3つの山があるように見えて一番左の高い山が京羅木山(京羅木山城跡・標高473m)、
尼子氏の月山富田城を攻めるべく大内氏や毛利氏が京羅木山の山頂に陣城を築きました。
真ん中は歴史資料館で尋ねるも特に名が無い名無し山? 一番右が勝山城跡(標高250m)
勝山は古くは滝山と呼ばれてましたが、毛利元就が勝って勝山と呼ぶようになったと聞きました。
月山富田城跡の桜は麓から少し登った千畳平がお花見スポットですが花見客はおらず。

今回、月山富田城跡を訪れたのはここの桜を見に来るのが目的でしたが・・。
千畳平から桜が咲き並ぶ飯梨川越しに眺める京羅木山と丘陵一帯。

まだ体力に余力もあるし、京羅木山と勝山城跡を意識しながら月山の山頂まで登っちゃう?
尼子に支えた戦国武将、ローカルヒーロー山中鹿之助像も満開の桜に囲まれています。
月山富田城(がっさんとだじょう)は、月山(標高197m)に営まれる典型的な山城です。

戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。
城郭跡は国の史跡に指定されていて、日本100名城の一つにも選定されています。
城主の館などの御殿があった山中御殿跡の石垣とその先にそびえる月山富田城跡。
月山富田城攻めの難所、七曲がりと呼ばれるつづら折り連続の登山道を登っていきます。
はぁはぁぜぇぜぇ有酸素運動の末に山頂部まで登って三の丸石垣です。
三の丸
月山の三角点は三の丸にあります。

ただ、二の丸や本丸のほうが高い位置にあります。
三の丸から眺める京羅木山。

麓から眺めたときは3つの山に見えたが、ここからだと京羅木山の一つの山に見えます。
二の丸
二の丸に咲いてたヤマザクラ。

ヤマザクラはソメイヨシノと違い、葉と花が同時に咲くと最近みんカラ上で知りました。
二の丸から本丸に行くにはその間の大きな堀切をいったん下って本丸に登る。

本丸から振り返り堀切越しに見る二の丸と二の丸石垣です。
本丸

標高197mの月山山頂にある広い主郭。 なお、本丸には石垣は見られません。
本丸に立つ山中鹿之助の記念碑。
最後に月山富田城本丸から望む大内氏や毛利氏が陣城を構えた京羅木山です。

攻め落とせぬ難攻不落の月山富田城も、最後は兵糧攻めでついには開城に至らしめられました。
京羅木山(京羅木山城跡)、
勝山城跡、月山富田城跡を登ったこの日は歩数計28,132歩。
旅伏山と鼻高山を縦走した日の28,697歩に次ぐ年初来2番目の記録となりました。
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カマロ | 日記
Posted at
2021/04/04 08:41:39